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Room No.403  作者: 水月康介
2年次夏季休暇
63/80

『責任を取ってください』

 校長室に沈黙が下りる。


 僕と繭墨が一緒に写っている画像を突き付けて、校長は言った。


「この写真のことはどう説明するのかね」


「説明って言われても……、一緒に写ってる画像だけじゃ、噂の証拠にはならないと思うんですけど」

 

「まだ言うかね。では、この後ろに写っている建物は――」


「それはウチのアパートです。テナントも同じなのでたぶん間違いないと思います」


「……それでもまだ白を切るのか?」


「だから、アパートの前で一緒にいたからって、それがどうして同棲とか不純異性交遊って話になるんですか。その理屈でいくと、同じ校舎で過ごしてる伯鳴高校の生徒全員、同棲してるってことになりますよ」


 僕は黙り込んでいる繭墨に代わってひたすらに反発した。


 僕たちを呼び出した校長の意図はわからない。

 最初は少し注意をして、僕たちが反省の態度を見せたらそれでおしまい、というくらいのつもりだったのかもしれない。しかし、一見おとなしそうな生徒の僕たちが予想外に抵抗するものだからか、徐々にフラストレーションが溜まっている様子だった。


 校長は感情を抑えるようにため息をつき、


「そうか、何を言っても無駄となると、次はご両親をお呼びして、話をしなければならなくなるが」

「脅しですか」

「人聞きの悪いことを言わないでくれ。子供の素行についてご相談をするだけだよ」

「そんな言い方を変えたところで――」


「もういいです」


 そこで繭墨が口を開いた。


「え、でも繭墨さん(・・)

「ありがとう阿山君、もういいですから」


 と繭墨は手のひらで僕を制する。


「ふむ、やっと素直に話す気になったかね」

「はい。わたしがあのアパートへ出入りしていたのは、母があそこに部屋を借りているからなんです」


「……何?」


「わたしが出入りしていたのは、あのアパートにある、母名義の部屋です。同じアパートに阿山君が住んでいることは、最近まで知りませんでした」


 校長が何か言うより先に、繭墨は傍らのカバンから紙切れを取り出して、テーブルの上に置いた。


「部屋の賃貸契約書です。〝証拠〟として確認をお願いします」


 校長と担任は身を乗り出して書類を凝視する。国沢先生は眉根を指で押さえ、疲れた顔をしていた。


「そ、そういうことを、なぜ早く言わなかったのかね、な、何かやましいことが……」

「身内の恥をさらすのが嫌だったからです」

「ど、どういう意味だね?」

「私の両親は別居しています。できることなら隠しておきたかったので、本当のことを話すのを躊躇しました。申し訳ありませんでした」


 繭墨は頭を下げる。そして顔を上げたとき、その頬には涙が流れていた。


 目を丸くする先生方。


「阿山君への心証を悪くしないであげてください。わたしを庇って、あんな歯向かうような物言いをしたのでしょう」


「繭墨さん……」


 僕は繭墨を気遣うように見つめ、次いで校長の方へ、責めるような視線を向ける。

 校長は目をそらした。

 

「――本日はありがとうございました」


 と、気まずさの極致にあるであろう校長に手を差し伸べるかのようなタイミングで、繭墨が謝意を述べる。


「根も葉もない噂、流言飛語を鵜呑みにせず、生徒本人から直接話を聞くために、このような場を設けてくださったのだと理解しています」


「あ、ああ、そうだな、まずはきちんと話を聞いてから……」


 繭墨は机上に出してあった書類に手を伸ばすと、ふと、彼女のポケットからスマホが転がり出る。


 それを取ろうとして画面に指が触れてしまった。


 途端に、校長の言葉が大音声で再生される。

 根も葉もない噂、流言飛語を鵜呑みにし、生徒本人の話を聞かずに一方的な決めつけで詰問する高圧的な声。


『――そこの男子生徒の部屋に出入りをしていたのだろう。生徒会長という立場がありながら、不純異性交遊などと、ほかの生徒に示しが――』


「失礼しました」


 繭墨は再生される音声を止めて、スマホをポケットに入れる。

 校長は脂汗を垂らしていた。


「学校の掲示板などにある、わたし繭墨乙姫と、こちらの阿山鏡一朗君に関する記述について。それがなんの根拠もない、無責任な噂に過ぎないことを、認めていただけますか?」


 繭墨の念押しに、校長や担任はこくこくとうなずくしかない。


「よかった……、ありがとうございます」

 

 と満面の笑みを浮かべる繭墨。

 裏表のない、穢れを知らない純真さの結晶のような、澄み切った表情だった。

 そんな表情を計算づくで作れてしまうところが恐ろしいと思う。


「では、これまでの(・・・・・)話とは(・・・)無関係なのですが(・・・・・・・・)


 繭墨の防御は終わり、そして攻撃が始まる。


「生徒会長として、お話したいことがあったのです。多忙な学校長と直接お話ができる機会はそうありませんので、ほんの少しだけ、この場をお借りしてもよろしいでしょうか」


「あ、ああ……」


「ありがとうございます。では……、文化祭での催しについてですが、学校側から実現は難しいという返答をいただいたものがあります。大半は理解・納得のできる理由でしたが、中には理由が曖昧であったり、学校と生徒双方の努力次第で十分に解決可能と考えられるものもあり、それらについて、再考をお願いしたいと――」



 ◆◇◆◇◆◇◆◇



 この呼び出し――繭墨いわく決戦の校長室――でのポイントは3つだ。


 こちらの切り札である繭墨母名義の『賃貸契約書』。

 掲示板にアップされていた僕と繭墨の『画像』。

 それを絶妙なタイミングで出してくれた『国沢先生』。


『賃貸契約書』は繭墨の両親の協力で用意できた。

『画像』は登校日の前日に百代に頼んで撮ってもらった。少し心苦しかった。

『国沢先生』には職員室を訪れたとき、サイトを開くだけでいいですから、とお願いした。


 それらの協力のおかげで、繭墨の思い描いた流れのとおりに話は進んだ。


 校長の疑念が強まるように反発し、言い逃れる生徒。

 あと一歩で逃げ切れるか、というタイミングで投入される画像。

 虚偽を弄する生徒に怒り心頭で、改めて追及を強める校長――


 ――そこで提示された切り札は、さながらカウンターのように絶大な効果を発揮した。

 あとはもう、繭墨の独壇場である。

 相手が困惑しているうちに、矢継ぎ早に要求を繰り出すことで、落ち着かせる機会を与えなかった。


「校長先生は最初からわたしたちがクロだと決めつけ、ほかの展開を考えていませんでした。そもそも反撃されることすら頭になかったのではないでしょうか」

「そうかな」

「ええ、だってわたしも阿山君も『いい子』ですから」

「ああ……、まあ、先生方から見りゃそうだろうね」


「だから、油断以前の問題です。校長先生はこれを戦いとすら思っていなかったのです。武器すら持たず臨戦の意識もない。そんな相手に対して、わたしたちは装備を整えた上で完璧に不意を打てました。勝って当然でしょう」


 校長室を辞した僕たちは、戦果を語りながら廊下を歩いていく。


「にしてもさ、文化祭の出し物の制限を見直してほしいなんて、意外な要求だったよ」

「そうですか?」

「だって、繭墨は生徒会活動にそこまで積極的ってわけじゃないよね」

「そうですね、それなりです。なので、この要求はあくまでわたしのため、自分のためにやったことです」


 繭墨の言い方は回りくどく、そして今日の僕はそれについていくことができなかった。


「……もうちょっと詳しく」

「根も葉もない噂の解消方法ですよ。この話し合いで学校側の誤解は解けました。しかし、噂を共有する最大勢力たる生徒たちには、あのような対話は不可能です」

「数が多すぎるし、基本、人の話を聞かないからね」

「無秩序な集団に対して有効な手段は、問題から目を逸らさせるために、別個の、もっと大きな話題を提供することです」

「……ああ、それが文化祭のイベント?」


 そこまで言われるとさすがにピンときた。


 例えば、大きな事件や災害が発生すれば、ニュース番組はその報道にリソースが割かれてしまい、小さな事件は隅に追いやられるか、報道自体なされなくなる。

 ネットのニュースサイトには時間制限がないが、その代わりに場所の制限がある。大きなニュースほど目立つ場所に配置され、小さなニュースはリンクの向こう側に押し込められる。


「はい。学校側が難色を示したイベントが、改めて陽の目を見るとなれば、それなりに注目が集まるでしょう。皆さんがそちらに気を取られてくれれば、わたしたちのくだらない噂もすぐに忘れ去られますよ。目くらまし作戦ですね」


 繭墨は簡単に言うが、僕はその考えの遠大さに戸惑っていた。


「それ、いつから考えてたの?」

「漠然とした流れが浮かんだのは、ヨーコからわたしたちの噂を聞いたときですね」

「え、ほとんど最初じゃないか」

「噂を消すにはもっと注目度のある話題をぶつけるのが効果的だ、程度ですよ。具体的な手は何も考えていませんでしたから」


 言葉を切って、繭墨が笑う。


「それに、校長先生をやり込めたのは、阿山君の演技あってのことです。助かりました」

「……いや、演技じゃないよ」

「えっ?」

「演技じゃない。校長の一方的な言いがかりには、ちょっとカチンと来てたからね。特にあの、全校集会であんな、吊し上げるような言い方……、あれはないよ」


 あの、理不尽さに対する怒りがよみがえる。

 あれは悪意ですらなかった。校長はきっと正義感とか義務感といった正当な(・・・)感情でもって、繭墨を晒し者にしたしたのだ。ふざけるな。


「阿山君……」


 繭墨が立ち止まった。

 僕も遅れて足を止める。


 繭墨は僕を見ていた。

 目が合うと、そっと手が伸びてくる。

 その白磁の指先が僕の鼻先をかすめて――

 ベチン、という音と、額に鋭い痛み。


「あイタ」デコピンをされたのだと遅れて気づく。


「わたしはもう、そんなこと気にしてないわ。だから、阿山君も忘れて。あなたがずっと根に持っていると、こちらまで影響されて悪感情を再発させてしまうから。そもそも、大人に関わっている余裕はないの。わたしたちの噂を打ち消すために、文化祭で却下されそうだったイベントを復活させるのよ? 生徒会の負担が増すのは目に見えているもの。来月は忙しくなるわ」


 繭墨は言い含めるように訥々(とつとつ)と語ると、最後にもう一発、僕の額にデコピンをかまし、踵を返して再び歩き始める。


 2発目のデコピンからは、傷口にそっと触れる薬指のような優しさを感じた。勘違いかもしれないけれど。


 しばらく呆けているうちに、繭墨は階段を上がったのか姿が見えなくなる。


「忙しくなる、か……」


 その言葉は、『だから手伝いなさい』――すなわち『責任を取ってください』という遠回しなメッセージなのだと、僕は勝手に解釈して、足早に繭墨を追いかけた。


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