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Room No.403  作者: 水月康介
2年次夏季休暇
61/80

どなたの意見も一理ある


 繭墨の両親はそれぞれの部屋へ戻っていった。

 応接室には〝同い年の娘に指一本触れない系男子〟と〝女子力の足りない娘〟が残される。


 ――コーヒーを淹れます。飲みますか?


 そんな繭墨の言葉に甘えて、僕たちはキッチンへ移動する。

 繭墨家の調理場は、台所というよりまさにキッチンだった。


 シンクも作業台もやたらと広く、棚に並ぶ調味料も多種多様。小道具も充実。ペッパーミルなんてものまで置かれている。コショウを挽くための道具だ。フライパンは通常のものが大・中・小、中華鍋が特大と中ほどのサイズがあり、果ては卵焼き用やタコ焼き用まであった。鍋も特大・大・中・小と揃っている。鍋料理用の土鍋に鉄鍋、あとは圧力鍋と、蒸し器は通常のもの以外に燻製器も完備。

 

 調理家電も充実の品ぞろえ。要塞みたいなゴテゴテした威容の全自動コーヒーメーカーに、近未来を感じさせるスマートなデザインのスチームオーブンレンジ。パン専用トースターにワイヤレスポットに食器洗い乾燥機。あと冷蔵庫がデカい。人が3人入れるくらいデカい。どうして炊飯器が二つあるのかと思ったら片方はホームベーカリーだった。何ここ、家電売り場? やっべぇ、テンション上がってきた。


「挙動不審ですね」


 再び私服に着替えた繭墨が入ってくる。


「いや、だってこれ、すごいよ?」

「宝の持ち腐れという慣用句を実現させただけの虚しい空間ですよ」

「じゃあ何か持って帰ってもいい? 圧力鍋とか」

「はい、どうぞご自由に」

「……いや、冗談だよ、冗談」

「わかっていますよ。無料タダより高いものはない、に目をつぶってまで阿山君が自らの欲求を押し通すのかどうか、興味があっただけです」

「どうせ僕は小市民だよ。……ちなみに、本気で持ち帰るって言ってたら?」

「そのままお渡ししていましたよ。もっとも、棚ボタのような形で入手した器具で作った料理を、阿山君が素直においしいと思えるのかはわかりませんが」

「圧力鍋よりもガンガン圧力かけてくるね」


 そんな話をしながらも、繭墨は棚を開けてコーヒーを淹れるための器具をそろえていく。


「あれ、そこのコーヒーメーカー使わないの?」

「気分次第ですね」

「気分」

「はい。今日は自分で豆を挽いて淹れたい気分でしたので」


 それは自分の手ずから入れたコーヒーで僕をもてなしたいという、繭墨のさりげないメッセージなのかと内心小躍りしていたら、続く言葉で否定された。


「ミルも電動ではなく手動のものを使います。ゴリゴリという無骨な音と、手のひらに伝わってくる豆をすり潰す感触が、とてもいいストレス発散になるんです」


 物に当たるというストレス発散法の、お上品(エレガント)な変化形だった。


 もっとも、そのゴリゴリという音はこちらの精神を圧迫してくるようで、僕は逆に落ち着かなかったのだけれど。



 それでもコーヒーはとてもおいしかった。僕の部屋で繭墨が淹れてくれたものもおいしいと感じたけれど、今日の味はおそらく豆の違いからくるものだろう。下手をすると100gで4ケタとか行ってるんじゃないだろうか。

 まあ、値段を聞くのも野暮なので、ここはありがたく、感想だけ伝えておいた。ありがとうございます、と繭墨は心持ち満足げに口元を上げた。


 8人掛けほどもある広大なテーブルの隅っこに腰かけて、コーヒーと、見るからに高級な箱に入った焼き菓子をいただいていると、繭墨母が入ってきた。


「あ、どうも、これを飲んだら帰りますので……」

「気にしなくていいのよ、この子の部屋に泊まっていったって、何も言わないから」


 そんなことを言われても照れの感情が出てこないのは、繭墨母の言葉にからかい(・・・・)よりも無関心を感じてしまうからだろう。


 さっきの、応接室でのやり取りにしてもそうだ。


 繭墨父は娘への心配を口にして、内心はどうあれ、外面だけでも取り繕おうとしていた。それに比べて、繭墨母の方はハナから娘の行動など興味がないように振る舞っていた。冷静に分析して、批評しているという感じだ。


「それにしても、乙姫あなた、コーヒーなんてお堅い飲み物ばかり飲んでいるから、阿山クンに女の子扱いされないんじゃないの?」


 と思っていたらドぎつい指摘が飛んだ。

 しかしそれを繭墨は平然と打ち返す。


「飲み物は関係ないわ。お母さんこそ、紅茶は淑女のたしなみなんて固定観念、捨てた方がいいんじゃないかしら」


「そのイメージは世間一般に通じるものでしょう。だから武器として万能なの。知り合って間もない男でも、ちょっと茶葉から紅茶を入れて、ティーカップもウェッジウッドとかお高いものを並べてやれば、その雰囲気だけでこちらを見上げるようになるわ。つまり立ち位置を確定させることができる。女が上で、男が下に」


「関係に上下をつけようとするから面倒なことになるんじゃないの? 頭っからそんな考えだから、後々、お互いのいろいろな不一致を許せなくなるのよ」


「そうなれば次へ行くしかないわね。多くのチャンスに巡り合えるように、フットワークを軽くするのよ。そうすればいつか、ぴたりと合致する相手が見つかるわ。変化をつけることよ。そうね、乙姫あなた、その野暮ったいメガネをやめたらどうかしら」


 それを外すなんてとんでもない。


「どうしたの阿山クン? 中腰になったりして」

「……いえ、ちょっと椅子の位置を動かしたかっただけです」


 僕は座りなおして、そして母娘を見やる。

 繭墨が二人いる、と思った。


 僕のよく知る、お堅い、現在の繭墨と。

 僕の知らない、男をとっかえひっかえ(・・・・・・・・)するようになった、未来の繭墨と。


 母娘のやり取りを聞き流しながら、僕はコーヒーをすする。

 ……あれ? ちょっと苦味が増した?


 ともあれ、繭墨母への印象は変わっていた。

 少なくとも娘について無関心ではないようだ。


 情操教育上どうかとも思う発言もあるけれど、繭墨だって子供じゃない。2人は対等で、その関係をずっと続けてきたのだろう。このスタイルがこの母娘にとっての自然な親子関係なのだ。僕が口を出すような話ではなかった。


「……阿山君はどう思いますか?」

「そうね、キミの意見も聞きたいところだわ」


 僕は戦慄した。

 せっかく、なんかこう、仲睦まじい母娘を穏やかに眺める感じになっていたのが、こちらに話を向けられると、まるでいきなり銃口を突き付けられたような気分になる。


「ええと、男子の意見を言わせてもらうと、やっぱり自分が誰かの代わりとか次へのつなぎみたいに見られるのはちょっと、忸怩たるものがあるというか……」

「ほらやっぱり、お母さんの考え方は自分本位なのよ」


 繭墨は得たりとばかりに口元を上げるが、


「ええもちろん、だってきんより信用できるもの」


 という繭墨母の切り返しもすさまじい。手堅い投資先として人気の金よりも自分は上だと豪語した。


 でも、と僕はもう一つの意見を言う。


「相手には自分しかいないなんていう考えは非現実的だし、ある程度の危機感とか緊張感がないと、それはいずれ相手への軽視につながるんじゃないかという気もします」


「つまり?」と繭墨。

「どなたの意見も一理あるなと」

「出ましたね、阿山君お得意の八方美人が」

「いや苦手だよ挟撃されただけでいっぱいいっぱいなんだから」


 否定する僕を、繭墨母が目だけで嘲笑う。


「そうね、優柔不断は駄目よ、阿山クン。キミの腕はそんなたくさんの女性を抱えられるほど逞しくはないでしょ?」


 いつの間に僕の問題にすり替わったんだろう。

 僕は生返事を繰り返しながら、コーヒーを飲んで茶菓子を食べて、とにかく〝何もしていない〟状況を作らないようにした。


 繭墨母は娘と激しい打ち合いを続ける傍ら、紅茶を淹れてくれたので、僕はそれもいただくことにした。

 茶葉から淹れた紅茶を飲むのは初めてだった。喫茶店でも紅茶を頼んだことはい。

 口に含むと、わずかな渋みと甘みが混在する、上品な味だった。もっとも、薄味のことを上品な味と褒め言葉に変換するのはよくあることだ。ミルクとガムシロップを入れたかったが、なんとなくそれは禁じ手のような気がして、怖くてできなかった。


 コーヒーは蒸らしから抽出まで、お湯を入れるときは静かに、というのが基本だ。

 しかし紅茶は、茶葉が器の中で対流するのが良いらしい。ジャンピングという現象だ。


 静的なコーヒーと、動的な紅茶。

 母娘の性格の対比のようで面白いなと思う。


 まあ、それはそれとして。

 水腹になってきたのを自覚して、僕はそっと立ち上がった。


「すいません、ちょっとトイレに……」



 ◆◇◆◇◆◇◆◇



 帰り道は繭墨父が車を出してくれた。


 繭墨邸を辞するという段になって、帰りの手段がないことに気付いたのだ。

 タクシーを頼むにしても、また繭墨の家に金を使わせるのは気が引ける。だからといって自分で金を出すのは論外だ。僕は現金が少ない。バスの到着は1時間後、しかも停留所は丘のふもとにあるので面倒なことこの上ない。


 やっぱり泊まっちゃいなさいな、と繭墨母が笑っていたところに、車の鍵を持った繭墨父が現れたのだった。


 左ハンドルの車内は、電気自動車ではないはずなのに不気味なくらいに静かだった。内装も乗り物というよりインテリア的で、あちこちに金がかかっていそうだった。


「ありがとうございます、手間をおかけして」

「構わないさ。もとは娘のわがままだ。それに付き合ってくれた君に不便をかけるわけにはいかないからね」

「……どうも」

「というのは半分は建前でね、本当は、君と少し話をしたかったんだよ

「話、ですか?」

「娘が家に連れてきた男の子に関心を持つのは、親として当たり前のことさ」

「お話ししたとおり、僕とまゆ……乙姫さんは、そういう関係じゃなくて」


 否定しようとする僕に、繭墨父は確信しているかのように言う。


「でも、そうなりたいと思っている」

「……はい」


「娘はとても美人さんに育ったからね。そういう相手が現れるのも当然だ。昔から集団行動が苦手な子でね、母親の入れ知恵で、中学校までは格好を地味に地味にして、なるべく男子からちやほやされないようにと振る舞っていたらしい」


「ああ、なるほど……」


「だけど最近はそれにも限界がでてきたというか、何を思ったのか生徒会長なんていう肩書がついたりしていた。……恥ずかしながら、それを知ったのは1学期の通知簿を見てからなんだが。知ってのとおり、我が家の家庭環境は褒められたものではなくてね」


 繭墨父は言葉を切った。車は赤信号で静かに停車する。


「ウチの事情について、娘から、どこまで聞いている?」

「離婚する可能性が高い、ということは」

「娘は母の方についていくと思う。親子の面会を制限するような形での離婚にはならないが、疎遠になることは避けられない」


 再発進のとき、背中がシートに押し付けられる感覚があった。


「学校で娘はどういう風に過ごしているのかな」

「高嶺の花っていう感じです」

「そうか、そうだろうね……。でも君との距離は近いようだ」

「そう見えますか?」

「相対的にね」


 ほかの人間と比較すると、確かに僕と繭墨の距離は近い。男子の中では最接近していると言える。


「娘は美人だが、難儀な性格をしているだろう。人と距離を取りたがる。そんな娘が君とはずいぶんと親しげだし距離も近い。きっかけは何であれ、その距離を保って、詰めてきたのは、君の努力の賜物だろう」

「そうですか?」

「愛の力というやつだね」


 と言って繭墨父は笑った。何言ってるんだこの大人は。


「乙姫さんのことをずいぶん一人前扱いしてますけど、でも、彼女が僕を連れてきたのなんて、若気の至り、単なる気の迷いかもしれませんよ」

「応接室で話をしたとき、君は娘のために事実を話してくれただろう。こちらが知らない娘の気持ちを代弁してくれた」

「あれは……、失礼とは思ったんですけど、ご両親の乙姫さんへの接し方が、ちょっと他人行儀に感じて、その、感情的になってしまったというか……」

「初対面の大人に面と向かって反発して、自分の意思を伝えられる子供は多くない。娘のために動いてくれたキミの気持ちを、信用できると思ったんだよ。つまり愛の力をね」


 また言った!

 ときどき繭墨がクサいことを言うのは間違いなくこの人の影響だ。


「あの、差し出がましいことを聞きますけど……、もう、どうしようもないんですか?」


 繭墨父の横顔が寂しげに陰る。


「ああ。お互い、長い間、一緒にいるための努力を怠っていた。だから取り返しがつかないくらいに離れてしまったんだ。無理に近づいてみたところで、相手に妥協できるほど大人でもないしね。……成長してないんだ」


 車内に沈黙が下りる。静謐性の高すぎる高級車は、こういうとき困りものだ。


 僕は少し考えて、話題を変えるべく問いかける。


「乙姫さんって、昔はどんな感じの子供だったんですか?」


 狙い通りだった。繭墨父はノリノリでそのかわいさを語り始める。

 こちらを見ながら話をするので前を向いてくださいと警告して。スマホに保存してある画像を見せようとするので運転中ですよと制止して。……ずいぶんな子煩悩っぷりであった。


 その反面、そんなに子供がかわいくても、子はかすがい(・・・・)、とはいかないことを、少しだけさびしく感じた。あるいは繭墨の自立っぷりが、子供のためという、家族を続ける理由の一つを奪ってしまったのかもしれない。


 でも、考えるのもそこまで。部外者がよその家族の在り方をどうこうできるだなんて思っちゃいない。やはり、なるようにしかならないのだろう。わがままで気を引けだなんて、子供の浅知恵だった。そんなものは一時しのぎでしかない。


 ひとまず僕は、ここで得た情報を使って、効果的に繭墨を辱めるためのシミュレーションを始めるのだった。





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