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Room No.403  作者: 水月康介
2年次夏季休暇
55/80

それは、こっちのセリフだよ

 繭墨と百代が帰った翌日。

 僕が実家のリビングでだらだらしていると、ふいにスマホが鳴動した。

 ディスプレイには繭墨の名前が表示されている。


「……もしもし?」

『ええと、おはようございます』

「うん、おはよう」

『いい天気ですね』

「うんざりするような暑さだよ」

『そうですか。わたしは冷房を使っているので気になりませんが』

「こっちは微妙な温度なんだよね。暑いんだけど冷房を使うほどじゃなくて、扇風機だけでも案外、我慢できるっていう」

『なるほど。阿山君お得意の優柔不断はあらゆるシーンで発揮されるのですね』

「いや強引に貶めなくてもいいから。むしろ美点だと思うんだけど」

『阿山君はいつ頃こちらへ戻る予定ですか?』


 と繭墨は前置きなしに話を変える。


「ハッキリとは決まってないけど、たぶん下旬ごろ」


 答えながら違和感を覚える。

 伯鳴市にはいつごろ戻るのか。それは昨日の別れ際、百代にも聞かれたことだ。すぐ隣にいた繭墨がそれを聞いていないというのはおかしい。


『そうですか。……十日ていどはありますね』

「ん? 何が」

『いいえ、こちらの話です。それでは良い夏を』


 通話は繭墨の方から途切れた。

 いったいなんの用だったんだろう。声が聞きたかっただけ、なんて甘言は繭墨に限って有り得ない。しかし今の会話にどんな意図があったのか。

 振り返ってみてもほとんど雑談だけだ。最後に、戻る予定を聞かれたけれど、その情報に何の意味がある? 一刻も早く帰ってきて、あなたの戻ってくる日付をカレンダーに記して寂しさを紛らわすわ、なんて古い歌謡曲みたいな一途さをアピールしたかったわけでもあるまいに。


「なぁに難しい顔してるんだ鏡一朗」


 エプロン姿の姉さんが声をかけてくる。


「いや、別に……」

「電話だろ、下着の色でも聞かれたのか?」

「何言ってるのさ……、って姉さんは経験あるの」

「ああ。逆に聞き返したら何も着てない全裸だって答えられて、お粗末様ですって返したら向こうから切られたな」

「へえ」そりゃまたメンタルの弱い変態で。

「相手はオトヒメちゃんか?」

「なんで」


 僕は短くたずねる。

 姉さんの鋭さには今さら驚かないが、それに至る経緯――気づいた理由には関心がある。


「お前に電話をかけてくる相手がまず片手の指で足りる数だし、タイミング的に昨日帰った2人の可能性が高い。んで、会話の内容からして、ヨーコちゃん相手のときよりいくらか遠慮がないみたいだったからな、じゃあ残るはオトヒメちゃんってことになる」

「なるほど」


 そもそも相手の選択肢が少なかったらしい。

 ……にしても、僕は繭墨と話すとき無遠慮になっているのだろうか。女子相手にそんなことはないと思いたいけれど。


「で、どんな用件だったんだ? 早く帰ってきて、わたし寂しい、なんてタマじゃねえだろあの子は」

「なんか、ほぼ雑談だったんだけど……」


 言いつつ、僕は首をかしげる。


「違和感があるのか?」

「話の内容以前に、繭墨がただ話をするためだけに電話してくるのは、おかしいと思う」

「そうだな、ガラじゃないよな」

 

 さっきから姉さんは繭墨に対して、タマ(・・)とかガラ(・・)とか言葉のチョイスが荒っぽい。


「でも理由もわからないし……」

「聞いたところでまともな答えは返ってこないよな」

「うん」


 下手にこちらから電話をかければ、なんですかわたしの声が聞きたかったんですかわたしのことが好きなんですか、と攻撃のきっかけを与えてしまうだけだ。

 ただの気まぐれということで放置しておけばいいのだろうか。


「ま、わからないのも仕方ない。男の子と女の子なんだから」

「深くて広い川がある、って話?」

「いいや、リズムが違うって話だよ」

「リズム……」

「日本語に直すと、周期」


 そう言って姉さんはエプロンのポケットがあるあたりに手のひらを添えた。

 身体でいうところの下腹部のあたり。そして、周期という単語。

 僕の表情から察したのか、姉さんが口元を上げる。


「気づいたか保健体育マスター」

「な、なぜその呼び名を……」


 保健体育のテストが97点だったのを赤木に見られたときにつけられた称号だ。辛うじて周知には至っていない。


「……っていうか繭墨の周期それを知ってるの?」

「知らないし、違和感の理由とも限らない。ただ、男と女は別物だから、オマエから見て理解のできない行動を取ることもあるってことを理解・・しとけ。そういう話さ。お前は特に、納得できる理由を見つけたらそこで止まっちまって、それ以上先へ思考を進めない傾向があるからな」


 姉さんの言葉に、僕はぐうの音も出なかった。言われるまでもなく女心なんてさっぱりだし、思索にふけるときも、答えらしきものに至ったら、それで満足してしまう性質タチなのは否めない。


 指摘されたからというわけじゃないが、僕はひとつの決意を固めていた。



 ◆◇◆◇◆◇◆◇



 繭墨からの謎の電話があった翌日、僕は伯鳴市に戻ってきていた。

 昨晩それを伝えたとき、両親は戸惑っていたが、姉さんの余計な一言――距離を置くことで自分の気持ちに気付いてしまったんだってさ――によって、さらなる困惑を与えてしまった。

 その混乱も完全に収拾できてはいないけれど、どうせ放っておけば解決するだろうと僕は半ば逃げるように、午前の早めの列車に乗り込んだのだった。


 正直、こちらに戻ってきたからと言って、繭墨の家の場所も知らない以上、直に会うことは難しい。連絡を取るだけなら実家にいても電話で片がつくわけで、なんのために戻ってきたのか意味不明だ。少しばかり早まってしまったかもしれない。


 ひとまず百代に電話して、それとなく繭墨の様子を尋ねてみようか。

 そう考えながらアパートの階段を上がり、403号室(じぶんのへや)の鍵を開けた。


 ドアを開けて中に入ると、繭墨がいた。


 冷房をキンキンに効かせた室内。

 ベッドに布団を重ねてオリジナルのソファを作成し、それに背中を預けて優雅な姿勢を保ちつつ、文庫本を片手に読書に耽溺している。

 テーブルに置かれたコーヒーカップからは湯気が立ち上っている。

 ……ここ、僕の部屋だよね。

 

 持っている鍵でドアを開けたのだから確認するまでもないが、ちょっと状況がわからない。

 そう、僕は鍵を開けたのだ。

 直前まで鍵は閉まっていて、その状況で繭墨は部屋の中にいた。

 つまりこの部屋は密室ということになる。


 密室を作る手段は、中から鍵をかけることしかない。

 だが、それ以前に繭墨はどうやって室内に侵入したのか。


 当然ながら、僕は帰省する前に部屋の戸締りをすべて確認している。鍵は絶対に閉めたと断言できる。それがどうして。


 密室トリックを前に動揺を隠せないミステリ小説の脇役のごとく思考が迷走しているさなか、繭墨がこちらに気付いた。


「……阿山君? どうしてここに?」

「それは、こっちのセリフだよ」


 人生で最大の実感を込めて、僕はそのセリフを口にした。



 ◆◇◆◇◆◇◆◇



「数日ほどでいいんです。この部屋にいさせてください」


 繭墨は即席ソファに身体を預けたまま、悪びれることなく言った。


「理由は?」


 僕はなるべく冷静に質問をする。

 繭墨が動じていないのにこっちだけ焦るのもバカバカしい。


「言いたくありません」

「まさか家出とか?」

「阿山君は実家に戻るべきです。そうしましょう。部屋はわたしがきちんと片付けておきますから。住み込み家政婦ですよ。素晴らしいステイタスではありませんか?」

「ありませんから。こっちは妙な電話がかかってきて心配で帰ってきたってのに……」

「妙な電話? 脅迫の類ですか?」


 繭墨はしらばっくれているのではなく、本気でよくわかっていない様子だった。


「……まあ、それは置いといて。家出の理由も聞かないでおくけど。まず、なんでこの部屋にはいれたわけ」


 繭墨は無言で手を差し出した。手のひらには鍵が置かれている。よくあるシリンダー型の鍵だ。安価で複製がしやすい。このアパートと同じ型の鍵だった。


「それ、まさかこの部屋の合い鍵? でもどうして……、あっ、実家ウチに来たとき姉さんからもらったとか?」

「いいえ、これを受け取ったのは今年の年始です」


 年始というと、1月1日である。

 あの日は忘れられない出来事があった。体調を崩して寝込んでいたところに、繭墨が見舞いに来てくれたのだ。


 そこからさかのぼって前年のクリスマスイブ。

 僕は理由わけあって百代に合い鍵を渡していた。


 百代の手にあった合い鍵が繭墨に渡り、繭墨はそれをちょろまかしていたということらしい。

 すっかり忘れていた。年末年始はあまりにもドタバタしすぎていて、合い鍵の所在どころか存在すら頭から消えていたのだ。


「……もしかして、あのときもその鍵を使って?」

「はい」

「マジで……?」


 半年以上もの間、合い鍵を繭墨に握られていたという事実に戦慄する。

 

「一年のキイは元旦にあり、ですね」

「反省の色がない……」

「千都世さんからは何も聞いていないのですか?」

「え? なんでここで姉さんが出てくるのさ」

「千都世さんには合い鍵を持っているところを見せているのですが……」

「そうなの? となると家族公認だから立件が難しくなるな」

「物騒なことを言わないでください」


 自分のことを棚に上げて繭墨は表情を曇らせる。いや、本気で自分の行動(ふほうしんにゅう)は物騒ではないと思っているのかもしれないが。


「ちなみに、姉さんはどんな反応を?」

「驚愕の表情は、すぐに不敵な笑顔へと切り替わりました」

「ちょっと余裕を見せてる感じのやつ?」

「はい、まさにそういう顔です」

「あー、じゃあ駄目だ。姉さんが認めている以上、追及できない」

「それなら、わたしをここに置いてくれますか?」


 その言い方は卑怯だ。

 精神がぐらんぐらん揺さぶられる。


「……いや、それとこれとは別だよ」


 僕はギリギリ理性を保ち、首を左右に振った。


「宿を探してるって状況みたいだけど、百代の家じゃダメなの?」

「はい。ヨーコに頼りたくはありません」


 繭墨の決意は固そうだ。こういうセリフを吐くシチュエーションには心当たりがある。


 大切な人を危険に巻き込みたくないがゆえに、あえて自分から遠ざける、そんな言動。

 ――つまり、僕は別に巻き込んでも構わない枠の扱いなんだろうか。

 軽くショックを受けた内心を隠しつつ、確認を取る。


「まさか、身の危険が迫ってる、とかじゃないだろうね」

「その発想はちょっと……、痛々しいです。他では口にしないでくださいね?」

「あっはい、失礼しました……」


 冷や水を超えて氷水を浴びせかけられる。


「ヨーコの家には、彼女のほかにご家族がいらっしゃいますから。単純に迷惑をかける相手の数が多くなります。その点、ここなら誰にも迷惑は掛からないですから」


 相変わらずの傍若無人発言。


「いくら僕でもご褒美と思えなくなるラインはあるよ」

「気兼ねしないというのは肯定的な態度のはずですが」

「じゃあそう聞こえるように話してほしいな」


 僕は苦笑いで応じる。

 でも、そうか。

 繭墨は僕に対して気兼ねしないのか。容赦せんとか、舐められているとか、軽く見られているとか、男性として見られていないとか、そういうことではないのか。……ないよね?


 ため息をついて、繭墨に問いかける。


「期日は数日って言ってたけど、具体的には?」

「……いいのですか?」

「断ったら、次は行きずりの中年男性に声をかけます、とか言って脅すくせに」

「阿山君のイメージしているわたしの人物像については、若干の修正が必要ですが……、今はいいでしょう。ご協力ありがとうございます」


 繭墨は立ち上がった。そして、


「不束者ですが、よろしくお願いします」


 と何かが違う言葉とともに、両手を前で重ねてゆっくりとお辞儀をした。

 そんなに畏まられても困ってしまう。僕は慌ててデスクチェアから立ち上がり、お辞儀を返す。


「いえいえこちらこそ」

「ご丁寧に、恐れ入ります」

「ああそんな畏まらないで」

「受ける恩義に対する当然の態度です」

「でも調子狂うから」

「計算のうちです」


 お辞儀の応酬は打ち止めとなる。


「先ほどの、家政婦うんぬんの話は方便ではありませんよ。掃除は綺麗に済ませています。置かせてもらっている間の家事も毎日担当するつもりです」


 繭墨は再び手製のソファに身体を沈みこませ、読書を再開する。

 僕は床の隅を指でなぞってみるが、ホコリひとつ付着していない。掃除は綺麗に、というのは口だけではなさそうだ。


 繭墨の方は準備万端なのだろう。

 だけど、僕の方はそうはいかない。自分の部屋に帰ってきておいて、準備も何もないのだが……、モノはともかく、心の準備ができていない。


「戻ってきてすぐで悪いけど、ちょっと出かけてくるよ」

「どちらへ?」

「ちょっとそこまで。留守番よろしく」

「わかりました、行ってらっしゃい」


 視線を文庫本に向けたままで繭墨が言う。


 すさまじいくすぐったさ(・・・・・・)を感じるあいさつを背に、僕は部屋を出る。

 そういえば鍵をかけずに外出するのは初めてだ、なんて感慨にふけりつつ、スマホを取り出して目的の相手に電話を掛けた。



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