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Room No.403  作者: 水月康介
2年次夏季休暇
53/80

わたしの言葉を優しいと感じるのなら

 家に戻ると、出かけるときにはなかった車が2台、ガレージに停まっていた。

 僕たちが外をうろついている間に、父さんと母さんは帰ってきていたらしい。


 僕は横目で、百代と繭墨を見た。

 この二人がいる理由の説明は避けて通れないだろう。


 といっても、僕は直前まで二人が来ることを知らなかった。すべて姉さんの手引きによるものだ。その辺の説明は丸投げでいいとは思う。


 ただ、二人とどういう関係なのか、は根掘り葉掘り聞かれるだろう。

 特に母さんはノリノリで突っ込んできそうだ。

 父さんはどんな反応だろう。基本的にユルい人だけど、僕が一人暮らしを始めるとき、女性を泣かせるようなことはするなと厳しく注意されたことは、強く印象に残っている。


 にもかかわらず。

 理由はどうあれ、息子は実家に女子二人を連れ帰っているわけで。

 ただのクラスメイトだから、が通用するかどうかは微妙なところだ。


 いまだかつてこんな不安な気持ちで実家のドアを開けたことがあっただろうか。

 僕はドアノブに手をかけ、ゆっくりと引いた。


「ただいま……」


 奥まで届かなければいいなという後ろ向きな帰宅のあいさつを、しかし母さんはしっかり聞き取ったらしく、スリッパのパタパタという足音が近づいてくる。


「はいお帰り! そっちの二人が、例のオトモダチね?」


 と母さんにうながされ、後ろに控えていた二人が恐る恐る前に出る。


「百代曜子です、ほ、本日はオマネキにアズカリましてコウエイのイタリ……」

「繭墨乙姫です。なんのご連絡もなしにお伺いしてしまい、ご迷惑をおかけします。本日はよろしくお願いします」


 二者対照的なあいさつに母さんはからからと笑う。


「百代さんに、繭墨さんね。話は千都世から聞いているから、気にしないでいいのよ。楽にしてくつろいでいってね」

「は、はい、よろしくお願いします」とまだ堅い百代。

「こちら、つまらないものですが……」と菓子折りを差し出す繭墨。なんて用意のいいやつだろう。


「あらまあ、言ったそばから気を遣ってもらっちゃって。ご丁寧にどうもありがとう。さあ、上がって上がって。もう晩御飯の用意はできているから」


「お、オジャマします……」

「失礼します」


 二人は靴を脱いで家に上がる。

 百代はブリキのロボットのごとくぎこちない動作で。

 繭墨はいつもどおりよどみのない所作で。


 母さんが奥に引っ込むと、百代がぽつりと言った。


「ヒメの抜け駆け……」

「連名ということにしておけばよかったかしら」

「ほ、施しは受けないから」

「そう」

「っていうかいつの間に用意してたの?」

「途中のコンビニよ。田舎だとお土産物を置いているところも多いから」

「ああ、買ったの下着だけじゃなかったんだ」

「ちょっ……!」


 と繭墨は咎めるような目で百代を見て、それから、ちらりと僕の方をうかがう。

 僕は何も聞いていないふりをして先に進んだ。


 そうか、繭墨はまたコンビニで下着を買ったのか、余計な出費をさせているなぁ。

 でもその話から察するに、繭墨は宿泊の準備をしてなかったわけで、不意打ちのような形で連れてこられたんだろうな、となんとなく状況がイメージできた。



 ◆◇◆◇◆◇◆◇



 長方形のテーブルに全員がそろったところで、同時に食べ始める。普段からそうしているわけではないが、今日だけは別だ。多少のぎこちなさも、料理を口に入れるとすぐに和らいでいく。


 今日の夕食はカレーだった。大人数用の超定番メニューであり、誰でもミスなく無難に作れる半面、ワンランク上の味を求めると、追加の香辛料やら材料の下ごしらえやらで難易度が上がる。初心者向けにして上級者向けの料理だ。


 そして、上級者たる姉さんの手によるカレーは、初めて口にする二人を大いに驚かせた。


 百代は「超おいしい、こんなおいしいカレー初めて食べたよ、なんかよくわからないけど深みのある味わいっていうか、あと、肉すっごいやわらかいし――」と興奮気味に語りながらスプーンを口に運んでいた。


 繭墨は一口食べて目を丸くした。続いて、ルーだけ、肉だけ、ご飯とルー、という風に分別して口に入れ、ゆっくりと咀嚼する。何か分析をしているかのような様子で、ときどき小さくうなずいたり、眉をひそめて難しい顔をしたりと表情を変化させていた。たぶん僕と話をするときよりも表情豊かだった。カレーに負けた。


 やがて食事の時間がひと段落すると、父さんが口を開いた。

 食事中に一番ぎこちなかったのは実は父さんだ。


「ええと……、繭墨さんと百代さん、でよかったかな。二人は鏡一朗とどういう関係なんだい?」

「クラスメイトです」


 と繭墨がパーフェクトな笑顔で即答する。

 事実を語っていないことが明らかであっても、それ以上の質問は無意味と思わされる、完璧にして鉄壁の笑顔だ。


「そ、そうか……? じゃあ、百代さんの方も?」

「は、はい、そうですお父しゃん」噛んだ。「あたしたちはキョウ……一朗君じゃなくて、千都世さんに会いに来たというか、その、前に伯鳴市で会ったときに意気投合して、また会いたいねという話になったもので、今回も千都世さんからおさそ……、おさそいただ……、誘ってもらったので、キョウ君とはあまり関係ないというか、ただのお友達です!」


 百代は逆にぎこちなさの極み。

 何かを誤魔化していることがバレバレだけど、追及するのは可哀想だからというお情けによってどうにか逃げ延びるタイプの、隙だらけの答弁だ。


 どちらの返答に対しても、父さんはあいまいにうなずくことしかできなかった。

 ちらりと僕に向けられた視線が、「あとで説明してもらうぞ」と語っていた。


 その後、姉さんが切り分けたメロンを持ってきて質疑応答の場を押し流すと、うやむやのうちに晩餐はお開きになった。

 女性陣はキッチンでしばらくおしゃべりに興じ、父さんはリビングに籠り、僕は自分の部屋に退避した。臆病者と言わば言え。あのままキッチンに残って雑談のネタにされるくらいなら、逃げた方がマシだ。



 ◆◇◆◇◆◇◆◇



 今日の騒がしさは、このときがピークだった。

 二人が僕の部屋へきてあれこれ物色することも、脱衣所でばったりということもなく、穏やかに時間は過ぎていった。


 ところが、この穏やかさというやつが曲者だった。

 ベッドに横になってもすぐに眠気は訪れない。


 目を閉じても眠れずにしばらくして目を開け、枕もとのスマホで時刻を確認する、という行動も、もう3回目だった。実家の周辺はド田舎ゆえに熱帯夜とも無縁、クーラーをかける必要のない環境だ。


 暑さによる寝苦しさは感じないのに、眼が冴えてしまっているのは、結局、繭墨と百代のせいなのだろう。見知った女子が二人、同じ屋根の下にいる状況で眠れるほど、僕の神経は図太くないらしい。


 喉の渇きを感じてスポーツドリンクが恋しくなった。

 音を立てないように1階へ降りる。


 冷蔵庫を物色してポカリをがぶ飲みし、アイスバーを2本食べ終えたところで、ミシッ、という家鳴やなりの音が聞こえた。


 台所の入口に繭墨が立っていた。

 薄暗がりに立つ繭墨の姿は幽霊のようで、一瞬、肩がびくんと跳ねてしまう。


「阿山君……」

「繭墨、どうしたの? 寝付けない?」

「はい。枕が変わると眠れないタイプらしいです、わたし。それと喉も乾いたので、勝手とは思いましたが……」

「人の実家まで勝手に押しかけといて、今さら気にしなくても」

「それはヨーコにだまされたんです」


 言いながら繭墨は中に入ってくる。僕はグラスにポカリを注いで差し出した。


「はい」

「ありがとうございます」


 繭墨はグラスを煽ってポカリをほとんど一気に飲み干した。

 白い喉が液体を嚥下する動きがなまめかしいと思う。


 繭墨の格好は、赤地に謎のキモカワキャラがプリントされた姉さんのTシャツに、下は青地のショートパンツという、今までに見たことがないラフな格好だった。


 夏の寝間着なら薄着になるのは当たり前だ。でも、繭墨は普段から肌を見せない服装が多いせいか、露出の多い今の姿はインパクトが強い。太ももの白さや、二の腕の白さや、相変わらず起伏の少ない胸元に、つい目が行ってしまう。


 だから、グラスをテーブルに置く音が少々乱暴に聞こえたのは、僕の無遠慮な視線に対する警告だったのだろう。

 

「阿山君」

「は、はい」

「少し、歩きませんか?」



 ◆◇◆◇◆◇◆◇



 サンダルを履いて外に出る。

 8月の夜の底の、肌に絡みつく空気の中を歩いていく。

 虫の音と、二人の足音だけが聞こえる。

 月は半月。ギリギリ、懐中電灯が必要ないくらいには明るかった。


 こちらから口を開くつもりはなかった。無言で歩くこと2分弱くらいだろうか、3歩前を歩く繭墨は、前を向いたまま、歩みもそのままで話しかけてきた。


「千都世さんから聞きましたよ」

「……何を」

「もう、そういう関係じゃない、と言っていました」

「ああ……」


 その話か。

 苦い感情が広がる。


 繭墨め、今度はどんな切り口で僕の精神を刻むつもりなのか、と身構えてみたものの、続きの言葉が飛んでこない。

 恐る恐る尋ねる。


「……それだけ?」

「はい。千都世さんから阿山君への、恋愛感情がなくなったことは察したのですが……、その経緯が判然としないので」

「繭墨には関係ない話だよね」

「ですが興味はあります」


 率直な物言いに、返す言葉がない。


 聞いて面白い話とは思えないし、そもそも、あまり語りたい話でもない。

 だけど、姉さんがそこまで明かしてしまっているのなら、隠す必要もないのかなという気もする。


 それ以上に、繭墨に隠し事はできないという今までの経験則が、僕を諦めの境地に立たせていた。


「面白い話じゃないんだけど」

「娯楽代わりにするつもりはありません」


 僕はため息をついて話を始める。


「……この前、5月の頭に姉さんが来たことがあったよね」

「はい。猫騒ぎの頃ですね」

「そのときに告白されて……、うん、たぶん、あれは、告白だったんだと思う」

「ハッキリしませんね」

「で、夏に帰省した初日にその返事をしようとしたら、すでに姉さんには大学で付き合ってる彼氏がいるって言われたんだ」


 わずかに繭墨の足音が乱れる。


「……それは、また、急転直下ですね」

「だからつまり……、僕は姉さんに振られたんだよ。それだけの話」

「5月から8月ですよね。3か月も待たせたら、普通は脈がないと受け取られますよ。自業自得です」

「ですよね……」


 帰省するなり彼氏ができました宣言をされたとき、姉さんもそう言っていた。

 確かに、告白をした立場なら、3か月も返事がなければ断られたと思って当然だ。ずっと迷い続けていたなんて言い訳にもならない。その辺りを先延ばしにしたのも、家族という関係ゆえの甘えがあったからだと思う。


「ちなみに、どのような返事を?」

「断るつもりだった」

「それは、ほかに気になる相手がいるからですか?」


 繭墨の言葉には探るような気配があった。

 僕は答えずに、話を続ける。


「会えない時間が気持ちを育む、って風にはならなかったんだよ」


 僕が姉さんを好きだったのは、一番近い異性だったからだ。唯一の理由ではないとしても、大きな理由だったことは間違いない。

 それは姉さんにしても同じことで、だから、あんな唐突な〝告白〟に踏み切ったんだろう。会えない時間が気持ちを隔てていくことを実感したから。


「距離の切れ目が縁の切れ目というか、そのつもりで一人暮らしを始めたんだから、願ったり叶ったりだよ。姉さんも弟のお守りから解放されたし、結果オーライってやつさ」


「千都世さんなら相手には困らない――それを見事に実践していますしね」

「まったくだよ」


 僕は苦笑交じりに同意する。

 ふと、繭墨の足音が止んだ。繭墨は立ち止まってこちらを見ている。

 僕も足を止めた。


「これは私見ですが、千都世さんが彼氏を作ったのは、阿山君が後ろめたさを感じないようにという配慮だと思いますよ」

「そう……、かな。当てつけじゃなくて?」

「振れば罪悪感が残ります。振られれば敗北感が残るでしょう。阿山君にとって、どちらの方がよりつらい感情でしょうか」


 繭墨のそれは、問いかけではなくて確認だった。


「僕は……」


 負けることには慣れているが、傷つけることには慣れていない。

 だから、敗北感からの方が早く立ち直れるだろう。

 僕はそういう性質の人間だ。


「千都世さんは、阿山君のそういうところを、よく理解しているはずです」


 理解というなら、それを察する繭墨も相当なものだ。

 繭墨は今までも、その鋭さでもって、僕の言動を散々に看破し、喝破してきた。

 

 直路への嫉妬心も。

 百代への距離感も。

 クリスマスの迷いも。

 千都世さんへの引け目も。

 それらの根幹にある、しみったれた自尊心も。


 見抜かれ抉られるたびに、僕は繭墨への苦手意識を深めていった。

 繭墨の苦言はあまりにも苦く、それでいて的確だったから。


 だけど、今日の繭墨が提示したのは、千都世さんの思いやり――その可能性だった。


 だからつい、こんな言葉が口をついたのだろう。


「……今日の繭墨は、優しいね」

「そうですか?」


 繭墨は首を傾げ、そして歩き出す。僕の横を抜けて、来た道を家に戻る方向へと。

 真夏の夜の長話も、そろそろ締めということだろう。


「わたしはいつも事実を語っているだけです。わたしの言葉を優しいと感じるのなら、それは事実が優しかったということでしょう」

「じゃあ、ただの偶然?」

「はい。……月明りに目が慣れてきました」


 繭墨は道端の石ころを蹴飛ばした。


「〝月が綺麗ですね〟って知っていますか?」

「だいぶ使い古されてきたよね。〝桜の下には死体が埋まっている〟ほどじゃないけど」

「どっちもどっちでしょう」

「まあね」


 そう言って笑い合う。

 こんな穏やかな気分で繭墨と話をするのは、本当に久しぶりだった。


 夏の夜の生ぬるい空気と、ぼんやりとした月明かりと――そして、繭墨は否定したけれど、彼女自身の優しさが、この穏やかな空気を作り上げている。


 そう感じるのは希望的観測だろうか。

 確信できない僕には、これ以上踏み込むことのできない夜だった。



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