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Room No.403  作者: 水月康介
2年次夏季休暇
51/80

小旅行にして傷心旅行


 あやふやな空気のまま二人と別れた、あの夏祭りの夜から数日が過ぎた。


 僕は実家へ向かう列車の中にいた。

 時期的に特急は混雑しているため、環境を優先して各駅停車の鈍行に乗っている。多少時間が長くなっても、静かな方がストレスがなくていい。


 遠くの地形はゆっくりと、近くの建物は急速に、変化し続ける景色を眺めながら、のんびりとした時間を過ごすとしよう。


 ――なんて、一人旅とシャレ込むつもりだったのに、思い浮かぶのは、百代の告白だった。


 百代の好意にはもちろん気づいていたし、それを嬉しくも思っていた。だけど、じゃあ付き合うのかと言われて、即答できない自分がいる。

 

 引っかかっているのは繭墨のこと。

 あいつが好きなのかと自問しても、はっきりした答えは出てこない。


 繭墨乙姫という存在を綺麗だとは思うが、それは動植物や自然環境の美しさに対する畏怖・畏敬に近い。大げさというなら、憧れのようなものだろうか。


 迷うのは、選択肢があるからだ、という自覚はある。

 例えば、繭墨との距離がもっとずっと遠くて、ただのクラスメイトに過ぎない関係だとしたら、僕は百代の告白をあっさり受けていたはずだ。同じように、百代とだけ疎遠だったら、僕はどうにかして繭墨ともっとお近づきになろうとしただろう。


 人生を捧げるほどの情愛がなくてもいい。ちょっと気になるクラスメイト、くらいの好感があれば、男女交際は始められるものだ。


 それができないのは、結局、百代と繭墨を天秤にかけているから。


 明確な好意を伝えてくれている百代と、

 僕を異性と見ていないであろう繭墨と、


 そんな段階ですら釣り合ってしまうくらい、繭墨から目が離せない自分のことを、割とロクでもないと思う。何様だろう、本当に。


 この心境から抜け出すか変化をつけるためにも、今回の帰郷は避けて通れない。伝えなければならないことがあり、伝えなければならない人がいる。


 そうすれば次に進めるかもしれない、という期待はきっと甘えだ。とんでもない甘えだ。いくら相手が姉だからって、笑って許される話じゃないだろう。


 考え始めると腹が痛くなってきたが、鈍行の車内にトイレは設置されていない。



 ◆◇◆◇◆◇◆◇


――繭墨乙姫視点――



『ねえヒメ、ちょっと遠出しない? 小旅行ってやつ』


 曜子からの突然の電話はいつものことですし、そもそも電話は常に突然かかってくるものなのですが、この日の内容はいささか突き抜けていました。


「……遠出って、どこへ?」

『うーんとね、西の方かなぁ』

「曖昧ね。移動手段はバス? 列車?」

『列車かな、主に』

「旅のテーマは?」

『て、テーマ?』

「動機でもいいわよ」

『動機、テーマ……、えっと、ヒメの傷心旅行でどう?』


 心の傷口に優しくない言葉が飛んできましたが、わたしは深呼吸で動揺を抑えます。


「わかったわ。日取りは?」

『今からだけど』

「えっ……、今から?」

『大丈夫だいじょぶ、片道2時間もかからないから』

「それにしたって、もう少し計画性というものを……」

『鉄は熱きうちに打て、思い立ったが吉日って言うでしょ? 吉日っていうのはつまりいい日ってことだからぁ、いい日旅立ち、の精神で行きましょ』

「あの歌、そんな前向きな歌詞ではなかった気がするけれど」


 わたしはうろ覚えの歌詞を思い返しながら言います。


「むしろ悲しみを抱えながらの一人旅、逃避行めいた感じよ」

『じゃあやっぱり傷心旅行にピッタリじゃない』


 曜子の切り返しにわたしは閉口してしまいます。

 つくづく言葉の意味は受け手次第、ということですね。


 こちらの沈黙を了解と取ったのか、曜子は、


『これから伯鳴駅の南口に集合ね』


 と宣言して電話を切ってしまいました。


 1年前のわたしなら、きっと断っていた誘い。

 加えて今日は猛暑日の予報が出ており、外出するつもりは全くなかったのですが……。


 わたしは読んでいた文庫本を閉じると、小旅行にして傷心旅行のための準備を始めました。



 ◆◇◆◇◆◇◆◇



 特急が来るまでにしばらく時間があり、また、シーズン的にも混雑が予想されたので、わたしたちはあえて鈍行に乗ることにしました。


 がたん、ごとん、という車輪の音をBGMに、女子高生の二人旅。しかも傷心旅行という冗談のようなテーマ付き。まったくありえないシチュエーションですが、それを強引に推し進めてしまう曜子のテンションがわたしは嫌いではありません。

 出不精でノリが悪いことは自覚しているので、むしろ積極的に引っ張ってもらうことで、どうにか世間一般の感覚から離れ過ぎないよう、矯正してもらっているくらいです。


 ボックス席に向かい合って座ると、曜子が話を振ってきます。


「ねえヒメ、夏休みの宿題、どれくらい進んでる?」

「全部よ」

「え?」

「七月中に全部終わらせたわ」

「へぇ~、それって下々の者への施しのため?」


 奇妙な言い回しで宿題を写させろと要求してくる曜子。


「何を言っているの。わたしは宿題なんてものに縛られたくないだけよ」

「縛られるってまた大げさな。そんな深刻なもの?」

「捉え方は人それぞれよ。提出期限はまだ先だけれど、その間、ずっと頭の片隅に居座られることが我慢ならないの。だから早々に片付けたのよ」

「それはヒメが真面目だからよぉ。あたしなんて、提出期限になってやっと頭の片隅で手を振りだすくらいだから」

「ヨーコはもう少し焦るべきだわ」

「うん、そのうち気合い入れるね」


 言葉とは裏腹に気が抜けています。


「ひとつは終わらせたんだけどなぁ……、でも、答え合わせはいつになるのかなぁ……」


 出かけるときの勢いはどこへやら。

 曜子は心ここにあらずといった様子で、頬杖をついて窓の外を眺めています。


 そういうことなら、とわたしは文庫本を開いて活字の海に没入します。

 会話が続かなくて気まずい程度の仲では、二人旅なんてできませんから。


 列車の中での長時間の読書は初めてでしたが、思いのほか物語に集中できました。気がつくともう終盤で、ひと息つくために顔を上げます。


 窓の外を流れる景色は、ほとんどが夏の深緑。

 何の変哲もない風景ですが、車窓越しに眺めるだけで雰囲気がまるで違います。このまま終点まで行って帰ってくる、というだけでも、わたしにとっては十分に遠出ですし、新鮮な経験です。突拍子もない提案には驚きましたが、振り回されるのも悪くありません。


 いつの間にか眠りに落ちていた曜子の、幼い寝顔を眺めて感慨に耽っていると、ふと車内放送が響きました。


 曜子はゆっくりと顔を上げると、眠そうな半目をこちらに向けて、


「……はれ? ……ねえヒメ、今どの辺り?」

「さあ、どこだったかしら……」


 首をかしげていると、ブレーキの甲高い音がして、列車が速度を落とし始めます。

 停車したのは特急が立ち寄りそうもない無人駅でした。その駅名を目にした曜子は、あわただしく荷物を片付け始めます。


「うわぁ、いっけない! 急いでヒメ、ここで降りるから!」

「……目的地なんてあったのね」


 わたしは文庫本をぱたりと閉じて立ち上がりました。


「あ、ほらヨーコ、麦わら帽子を忘れているわ」



 ◆◇◆◇◆◇◆◇



 わたしたちはバタバタしながらも無人の駅に降り立ちました。


 外の熱気にうんざりしてしまいます。冷房の効いていた列車内とは雲泥の差で、早くも首筋に汗が浮かび上がってきます。


 列車が遠ざかってまず感じたのは、騒音の少なさ。

 耳につく音といえば、すぐそばを流れている川の水音と、セミの鳴き声くらいです。

 足元には、夏の日差しが落とす濃厚な影。

 古き良き日本の田舎、という雰囲気があります。曜子の服装が白いワンピースに麦わら帽子という露骨なまでの避暑地ファッションであることも、そのイメージに拍車をかけています。


「ねえヨーコ、この駅にいったい何があるの?」


 スカートの裾を指でつまんで、ひらひらさせている曜子に声をかけます。

 駅の周囲には名所案内のような看板もなく、この駅で下車する理由が見当たりません。


「何があると思う?」


 曜子は麦わら帽子の左右のふちを押さえながら、楽しそうに質問を返してきます。


 その意味深な態度こそが、唯一にして最大のヒントでした。


「……まさかとは思うけれど。阿山君の実家の最寄り駅……かしら」

「正解っ!」


 曜子は麦わら帽子を外して天高く掲げます。


「嬉しくないわ」


 わたしは曜子の、日帰り旅行にしては不自然に多い荷物に目を向けます。


 そういえば、以前にも似たようなことがありました。

 阿山君の部屋で猫を預かることになったときです。あのときも曜子は、あわよくば阿山君の部屋に泊まってやろうと宿泊セットを用意していたのです。それは結局わたしの家で活用されたのですが……。まったく、めげない子ですね。

 

 曜子の行動力に呆れ半分、感心半分のため息をついていると、遠くから自動車の走行音が聞こえてきました。


 振り向くと、赤い軽自動車がこちらへ近づいていました。ほかの車がいないのをいいことに、結構なスピードで飛ばしているようです。

 そしてウインカーを出すと、ほとんどスピードを落とさずに、駅の駐車場に滑り込んできます。キッ、という鋭いブレーキ音とともに停車した位置は、駐車レーンの白線ぴったりでした。


 軽自動車のドアが開いて、出てきたのはわたしたちも知っている人物。

 阿山君の義理の姉である千都世さんでした。


 曜子が笑顔で手を振ると、千都世さんもニカッとした笑顔でそれに応じます。


 ……なるほど。

 わたしはようやく、状況を理解しました。

 すでに話は通っていたということですね。


 わたしは恨みがましい視線を作って、曜子に問いかけます。


「小旅行じゃなかったのかしら」

「でも日帰りとは言わなかったでしょ?」


 無邪気さとしたたかさを同時に感じる、曜子の笑顔。

 

 ――あたしはそのつもりだけど、ヒメはどうするの?

 そう問われている気がしました。



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