花火が終わる前に
――百代曜子視点――
夏祭りの当日、まだ夕方前だったけど、あたしは早めにヒメと合流した。
少し早いんじゃないかしら? と戸惑うヒメをあたしの家に連れ込んで、ちょっと強引に、おばあちゃんに浴衣を着付けてもらった。
最初は抵抗していたヒメだけど、あたしとおばあちゃんの二人がかりで「絶対似合うって」「和装をするために生まれてきたようなきれいな黒髪だねぇ」「振り向かない男はいないって」「思ったとおりだよ、体型も浴衣向きだ」「これがクールジャパンなんだね」「あたしの若いころにそっくりだよ」とひたすら持ち上げた結果、どうにか浴衣を着てもらうことができた。
もっと断固として断られるかも、って少し心配してたけど、ヒメは思っていたよりも素直だった。ちょっと意外なくらい。
ヒメが奥の和室で着替えている間に、あたしはキョウ君に電話を掛けた。
『もしもし』
「ねえキョウ君、夏祭り行かない?」
そこで言葉を切って、奥の部屋で着付けをしているヒメのことを話そうとする――
『いいよ』
――よりも先に、キョウ君からOKの返事が来た。
「えっ? いいの?」
『うん』
あれぇ? と首をかしげてしまう。
キョウ君、あたしの誘いをあっさり受けちゃったんだけど……。
あたしはキョウ君を夏祭りに誘うにあたって、ちょっとした作戦を立てていた。
まずフツーに誘っても、二人きりだとたぶん渋られてしまう。だからヒメもいるよっていう……オプション? でキョウ君を釣り上げるつもりだった。
『……もしもし? 百代?』
「キョウ君、あの、あたしでいいの?」
余計な質問とわかっていても、あたしはつい尋ねてしまう。
『どういう意味?』
「ほかに誘う人がいるんじゃないの? ヒメとか」
『いや、繭墨はなんか断固として祭りに行きたくないらしいよ』
「……っていうことは誘ったんだ」
『いや誘ってないよ』
キョウ君のしゃべり方が早くなる。誤魔化すときの癖だ。わかりやすい。
『そろそろ夏休みだね的な話題になった途端に、夏祭り完全否定の言葉を吐くものだから、もう誘う誘わない以前の問題だよ。あいつは夏祭りを憎悪しているんだ』
「そんな話したんだ……、いつ会ってたの?」
『いや電話で』
「ふぅん、あたしには掛けてくれなかったのに」
『そりゃ、球場で直に会ったし』
「ふぅん……」
『何』
「なぁんか、アグレッシブだなぁ、と思って」
終業式の日まで、何かと理由をつけてヒメと話そうとしなかったくせに。
『ボタン一つでつながるものに、積極的も何もない』
「でもオンとオフの間ってすごく遠いよ?」
『そう?』
「ものすごく遠いよ?」
返事が返ってこないので、あたしはさらに続ける。
「好きと嫌いくらい遠いよ?」
しばらく待っていると、受話器の向こうで、かすかに、続きをしゃべる気配が――
「ヨーコ?」
すぅっ、とふすまが開いてヒメが入ってくる。
あたしは反射的に電話を切ってしまっていた。
……ま、いっか。たまには意味深なセリフで人を惑わせてみたいオトメゴコロ、ってことにしておこう。
◆◇◆◇◆◇◆◇
着付けの終わったヒメと一緒に、あたしたちは神社へと向かう。
あたしの浴衣は、白地に赤い金魚が泳いでいる可愛らしい柄。
ヒメは黒地に朝顔が咲き乱れているシックな柄。
「JKにしてすでにオトナの風格があるよねー」
「赤と白のシンプルかつ目立つ配色を上手に着こなしているわ」
なんて、お互いの装いを褒めちぎりながら歩いていく。
1年ぶりにはいた下駄は、相変わらず歩きにくかったけど、からん、ころん、っていういつもと違う足音がなんだか楽しい。普段はこんな音をさせてたら変な目で見られちゃうけど、お祭りの日だけは許される。だから、こんな不自由さも悪くないと思う。
それに、歩きにくいせいなのかな、いつもよりしゃんとした姿勢をしなくちゃって気持ちにさせられてしまう。隣を歩くヒメは、パッと見だけじゃなく歩き方や姿勢の良さという意味でも、和服美人の見本みたいだった。
背筋はまっすぐで、姿勢もぶれない、靴音も静かで、その歩き方だけでヒメという人間を表している、そんな感じ。
神社に近づくにつれて、少しずつ、あたしたちみたいに浴衣を着た人が増えてくる。
同じ格好に埋もれてしまうかと思ってたけど、全然そんなことはなくて、むしろヒメのきれいさが際立っていた。
後ろ姿だけで美人だってわかるもの。長い黒髪を緩く三つ編みにして、それを肩口から前に垂らしている。そうすると白いうなじがよく見える。このインパクトを狙って浴衣を黒地にしたんじゃないかと思ってしまうくらい。
「みんなヒメのこと見てるね」
「ヨーコの方じゃないかしら」
「ううん、やっぱりヒメだよぉ」
「そんなことはないわ。……じゃあ、わたしたち二人が注目を浴びている、ということにしておきましょ」
あたしがメッセージで指定しておいた待ち合わせ場所に、キョウ君はもう立っていた。
ヒメは待ち合わせのことを知らないから、キョウ君に気づいていない。
先にあたしがキョウ君を見つけ、手を振って声をかける。
「おーい」
すると、キョウ君はまずあたしに気付いて、それから隣のヒメが目についたみたいで、すぐに気まずそうな苦虫顔になる。
急に大きな声を出すあたしにびっくりしていたヒメも、呼びかけた相手を見つけると、ジトッとした目であたしを見た。
「謀ったわね」
わぁ、二人がこういう反応をするの、なんかすっごく楽しい。
◆◇◆◇◆◇◆◇
あたしたちは人混みに揉まれながら、どうにか出店を回っていく。
「ちょっと百代、あんま急がないで、コケるよ」
「あたし、そのうち下駄の鼻緒が切れる予定だから、そしたらおんぶしてね」
「大丈夫、日本の職人技を信じてるから」
「裏にメイドインチャイナって書いてたけど」
「これがチャイナリスクってやつか……」キョウ君がしみじみと言う。
「それは違うわ」ヒメが冷静に言った。
あたしが少し先を行って、キョウ君とヒメは二人並んでついてくる。
なんかこの並びって、子連れの若夫婦って感じだよね。もちろんあたしが子供役で、その想像はあまり喜ばしいものじゃなかった。
あたしは歩くスピードを落としてキョウ君に接近する。
「こんなのウチのスーパーで材料そろえたら1/4の値段で作れるよ、いやホントに」
そんなせせこましいことを言いつつキョウ君は焼きそばをすすっている。
一方のヒメは『国産和牛串焼き』なんていうワイルドな食べ物でさえ、おしとやかさを崩すことなく食べている。
「こういう出店の料金には場所代、雰囲気代が含まれているものでしょう」
「ただのボッタクリだよ」
「男のケチは減点対象ですよ」
「大幅マイナスだよね」とあたしは同意する。
「ええ」
「ケチじゃなくて節制と言ってほしいな。そういう百代はどうなのさ」
「あたし? あたしはイカ焼きとかケバブみたいな、普通はまず食べないものを優先してるけど。あと、わたあめとか、ポン菓子とか、リンゴ飴とか」
「どっちにしろ金に糸目はつけてないっぽいね……」
キョウ君は自分が一番お金を使っていない現状に軽くショックを受けつつも、そのスタイルを変えるつもりはないみたいだった。
その代わりということじゃないと思うけど、ヒメは射的に金魚すくい、ダーツなどの景品を取るタイプの屋台にも顔を出していた。三者三様、って感じが楽しいし、うれしいと思う。
……だからちょっと、調子に乗っちゃったのかも。
◆◇◆◇◆◇◆◇
「ヨーコ? 少し顔色が悪いんじゃないかしら」
もうとっくに自覚していて隠していたことを、隣を歩いていたヒメに指摘されてしまう。
「え、大丈夫? 食べすぎなんじゃ」
とキョウ君が心配そうに眉をハの字にする。
「いつもはこのくらい平気なのに」
「そうね、ヨーコはけんたんかだから」
とヒメがよくわからない単語を使う。よく食べる人、くらいの意味かな。
「……だとすれば、何か、屋台の食べ物に当たったのかしら」
「いや、帯で締め付けられてるんじゃないの?」
とキョウ君が言った。
「ほら、着物や浴衣は昔の日本人の体型に合わせた衣服で、昔の日本人女性は現代ほど起伏が激しくはなかったというし」
キョウ君が一瞬だけヒメの方を見た。顔じゃなく目の動きだけだったから、さすがに気付かれてはいないと思うけど、これ、バレたらヒンシュクものだよね絶対……。
「仕方ないですね。阿山君、ちょっとしゃがんで、ほら背中をこっちへ向けてください」
「えっ? 何? まさか禁断のおんぶを?」
「ええっ?」
とあたしは反射的に声を出してしまう。
ヒメのなぜか期待するような顔と、阿山君のあんまり広くない背中を交互に見る。
こんな大勢がいるところで恥ずかしいし、お世辞にも屈強とはいえない阿山君があたしを背負えるのかな。あ、別にあたしが特別重いわけじゃないけど……。
「大丈夫よ、おんぶというのは筋力よりバランスだから。ほら、ほらほら」
ヒメはやたらと急かしてくる。っていうかなんでこんなノリノリなんだろ。
キョウ君はヒメに言われるがまま、膝をついて背中をこちらに向けた。
こんなお膳立てをされたら、乗っかるしかない。あたしはその背中を借りることにした。下駄の鼻緒が切れてしまって――なんていう雰囲気のある理由じゃなかったけど、しぶしぶと、キョウ君の肩に手を乗せる。
最初の数歩こそふらふらしてたけど、キョウ君の足取りはすぐに安定して、あたしは安心して身体を背中に預けることができた。
キョウ君の背に乗って祭りの人波に逆行する。
少しだけ高くなった視界のせいか、ちらちらと見られているのがよくわかる。
「キョウ君落ち着いてるね」
「いや正直他人の視線とかより百代の方に集中してるから」
「えっ」
ストレートな言葉にドキッとする。
「おんぶはバランスって繭墨が言ってたとおりなんだけど、それってつまりバランスが崩れたらコロッといっちゃうってことだから、神経を使うんだよね」
……そういうことだと思った。どうせ見えてないけど、キョウ君の後頭部をじろりとにらんでしまう。と、キョウ君が少し言いにくそうに付け加える。
「あと、ちょっとべったりくっつきすぎなんですが」
「え」
「背中に、胸が、当たっています」
「あー、あたしの方に集中ってそういうこと……」
「それに、あんまりくっついてると汗臭くない?」
「キョウ君の? ううん、全然。キョウ君って男性ホルモン少なそうだもん」
「それ汗臭さと関係あるの?」
「わかんないけど……、なんとなく、男性ホルモンが多い方が男臭そうな感じするじゃん」
そんなどうでもいい話をしているうちに、あたしたちは神社から遠ざかっていく。
道を行く人はまばらになって、もう普通の夜道と変わらないくらい。
人が減って、どんな話でもできるようになったのに、なぜかあたしたちは却って無口になってしまう。
キョウ君が騒いでいたときは冗談で押し当てていた胸も、今は恥ずかしくなって間を開けている。お祭りの音が遠い。
いつの間にか、ヒメはいなくなっていた。
これって、気を使われたってことなのかな。体調の話じゃなくて、もちろん、あたしとキョウ君を二人きりにするという意味で。
思えば、おんぶをさせるところからかなり強引だった。
道端に腰を下ろして休憩すれば済むことなのに。
でも、こういう風に気を回してくれたっていうことは、ヒメはキョウ君のことを好きじゃないのかな。少なくとも、付き合いたいっていう異性への好意は持っていないって、そう思っていいんだろうか。
ヒメはあたしの恋を応援してくれてるのかもしれない。
そう意識してしまうと、こんな状況で、夏祭りの夜に、キョウ君におんぶされて、お互いの身体が触れ合っているようなシチュエーションで、何も伝えないなんて有り得ないと思った。思ってしまった。
「このまま百代の家まで行くってことでいい?」
「あたしはキョウ君の部屋でもいいんだけど」
キョウ君の問いかけに、あたしは反射的にそう答えていた。
キョウ君の肩がぴくりと動く。
でも、無言。
「ほら、今なら抵抗もできないし」
「そういう冗談は――」
「冗談じゃないよ。あたし、キョウ君のことが好きだから」
キョウ君の足が止まりそうになるけど、バランスが崩れかけたのでまた足を動かす。
「……話、聞いてくれる?」
あたしはキョウ君の後頭部に額をうずめた。髪の毛がチクチクする。
無言は了解と受け取って、ぽつり、ぽつりと話を続ける。
「何を隠そう、進藤君にフラれてすぐに、もうキョウ君に興味が出てたんだよね。我ながら愛が軽いと思うけど」
「ほら、あたしじゃ進藤君と釣り合わないって愚痴ったとき、キョウ君言ってくれたでしょ。恋愛関係は天秤みたいな釣り合いじゃなくて、パズルのようにはまるかどうかだっていう話。あれがきっかけだったのかな」
「バレンタインのときも、頼めばホイホイ部屋貸してくれるし、溶けたチョコをひっくり返して火傷しそうになったとき、引っ張ってくれた腕が意外と力強かったことも覚えてる」
「委員長にされそうになったとき、助けてくれたこと――あれがたぶん、決定打。守ってくれるのって、あたし的にはホントにポイント高いんだよ?」
「ほら、こんなにきっかけがあるんだから、これはもう、半分はそっちのせいだよ。あたしがキョウ君を好きになった責任の半分はキョウ君にあるの」
「大丈夫、責任取れなんて言わないから。すぐに返事をくれとも言いません。ただ、聞いてほしかっただけ」
そして、意識してほしかった。あたしのことを。
◆◇◆◇◆◇◆◇
話し終わったのとほぼ同じタイミングで、あたしの家に到着してしまう。
庭先にはお母さんがいた。縁側で蚊取り線香を炊きながらビールを飲んでいた。おっさん臭いと思うけど、いつものことなのであたしはもう気にしていない。
「あら、どうしたのあんた」
「ちょっと気分が悪くなって……」
キョウ君がゆっくりとしゃがみ込む。あたしは名残惜しかったけどその背中から降りた。ずっと足を曲げていたせいで歩きにくかったけど、何とか縁側にたどり着く。
「人混みに酔ってしまったみたいです」
とキョウ君がフォローを入れてくれた。遠慮せずに食べ過ぎですって言ってもいいのに、変なところでデリカシーあるんだから。
「人に酔うなんてそんな繊細な子だったかしら。具合はどうなの?」
「うん、もうだいじょうぶ~、だいぶ楽になったから」
あたしはお母さんに言う。ホントは帰り道の途中で体調は良くなってたんだけど、そこはやっぱり正直に言うのがもったいなくて黙っていた。
「それならいいんだけどねぇ……、で、あなたがこの子の面倒を見てくれたの?」
お母さんはキョウ君を見た。
「はい。申し遅れました、阿山と言います、百代さんとはクラスメイトで……」
と、キョウ君がお母さんに自己紹介を始める。丁寧な言葉遣いをしているだけでちょっと大人びて見える。それに、ご家族にゴアイサツ、って感じがしてくすぐったい。
「それはどうもご丁寧に。わざわざ送ってもらってありがとうねぇ。この子が迷惑をかけたみたいで」
「いえ、大したことじゃないですから」
「でも重かったんじゃないの?」
「まあそれなりに……」
キョウ君は声のトーンを落とす。
もうデリカシー尽きちゃったの?
「疲れたでしょ。スイカ冷やしてるから、持ってきてあげる。食べていって」
「それは……」
「ここからだと花火も見えるから、ちょうどいいわよ。……それとも誰か、待たせてる女の子がいるのかしら?」
お母さんがニヤリと笑う。
「いえ……、じゃあ、ごちそうになります」
たぶんその一言が決め手だったんだと思う。キョウ君は〝お手上げ〟と同じ意味の苦笑いを浮かべて、縁側に腰を下ろした。
あたしは台所へ下がっていくお母さんに、心の中で親指を立てる。お母さん、ナイス!
だけど、キョウ君が座った位置は、あたしからは1メートルほど離れていた。
告白に対するイエスの返事というには、ちょっと遠い距離だ。
でも、ノーっていうのならこの場に残ってはいないはずだし、希望はあると思っていいのかな。
あたしはスマホを取り出して、メッセージアプリを開いた。キョウ君が隣にいるのにスマホを触るなんてもったいないことをするのは、これが初めてだった。
メッセージをやり取りしながら、考える。
あたしの一番大きな不安は、キョウ君はヒメのことをどう思っているのか、ということだ。
あたしは今まで、キョウ君はヒメのことが好きなんだと思っていた。でも、好きな女の子のことを「うっとうしい」なんて言わないよね。
思い返すと、キョウ君はあまりヒメを女の子扱いしてない気がする。雑に扱ってるわけじゃないんだけど、壊れ物扱いっていうほどでもなくって。男友達を相手にしているような、対等に近い扱いだと思う。
この前なんか、ロープレに例えて「仲間」って言っていたし。
あれはごまかしたんじゃなくて本音なのかも。
その辺りを、もっとハッキリさせたくなる。
長い沈黙の間、あたしたちはお母さんが持ってきてくれたスイカを食べて、種を庭に飛ばすくらいしかやることがなかった。あたしがマナーなんてお構いなくぺっぺぺっぺと種を飛ばしていると、最初は遠慮がちだったキョウ君も、マネして飛ばすようになった。初心者らしく思い切りが足りてなくて、飛距離は伸びなかった。
スイカを全部食べ終えて種切れになるのとほぼ同時くらいに、空が少し明るくなった。顔を上げると、遠くの夜空に音もなく光の花が開いていた。少し遅れて、どぉん、パラパラパラパラ……、って音が響く。
「ねえキョウ君」
「ん?」
「ヒメの下駄の鼻緒が外れてたのは見た?」
「え? そうなの?」
キョウ君は目を丸くしてこっちを向いた。
「……いや、気づかなかった。そんなそぶりなかったし」
「ヒメってそういうとこ隠すの上手だもん」
「確かに」
「下駄の鼻緒が切れて歩けなくなってる女の子なんて、ナンパ男からすると狙い目だよね」
「さあ、僕はナンパ男じゃないからよくわからないけど」
「一般論としてよ」
「ナンパは一般的な行動なのか……」
「気になるでしょ?」
「そりゃ、まあ……」
「助けに行っちゃう?」
「大げさだよ」
強がりだってはっきりわかる口調のキョウ君に、あたしは脅しを続ける。
「鼻緒が切れて歩けなくなって、道端に座り込んでるヒメ。それに目をつけて近寄っていくナンパ男たちの影――」
どぉん、とひときわ大きい花火の音。
そして、花火の音の残響から浮かび上がってくるように、からん、ころん、と下駄の足音が近づいてくる。門の影からひょっこりと姿を現したのは、噂をしていたヒメだった。
「あ、ヒメ、おかえりー」
「ええ。ただいま、というのも少し変だけれど……、本当に、もういいのかしら」
ヒメはあたしとキョウ君の様子をうかがうように尋ねてくる。
「うん、ちょっと満腹っていうか、持たないっていうか」
「なんの話?」
と首をかしげつつ、キョウ君はスマホをそっとポケットに仕舞う。ヒメの無事を確かめようとしたのかな。
「こっちの話よ、気にしないで」
「繭墨の方は……、下駄は? 鼻緒とか大丈夫だったの」
あたしの作り話を真に受けたキョウ君が、ヒメの足元を見ながら聞いている。
「なんの話ですか? 静かに歩いていれば、そうそう切れることはないと思いますが」
「……さいですか」
ヒメの冷静なしゃべり方で気づいちゃったみたい。キョウ君が不満そうな顔であたしを見てくる。
「何よぉ、キョウ君の好きな可能性の話じゃない」
「うん、まあ……、いいんだけどね」
キョウ君は、あきらめと安心が一緒になったみたいな声で言う。
安心っていうのはヒメが無事だったことだけじゃなくて、さっきまでの少し重かった空気が紛れたこともあるんだと思う。
そうなってくれないと困る。
だってそのためにヒメに戻ってきてもらったんだから。
「わたしも縁側に座っていいかしら」
「うん、どうぞどうぞ。スイカを食べたらそのまま種だって飛ばせちゃう特等席だよ」
「風情があって素敵ね」
そう言ってヒメはあたしの隣に腰を下ろした。浴衣の裾が乱れないように手で押さえながらそっと座る、たったそれだけの仕草なのに、流れるようで見とれてしまう。流麗、ってこういうのを言うんだろうなぁ。
あたしとの距離は、ほんの30センチくらい。友達といって差し支えない距離だと思う。
花火の光に照らされて、世界がカラフルに染まる。
そんな中でヒメの顔色は、青や緑の光を差し引いても、あまり良くないように見えた。
「ヒメ、ちょっと疲れてる?」
「そうね、少しだけ。面倒なことがあったから」
「トラブル?」
尋ねると、ヒメは深々とため息をついた。
「夏祭りに女子が一人というのは、アマゾン川に生肉を放り込むようなものだと実感したの。ナンパ男が次から次へと、うっとうしいことこの上ないわ」
言葉だけだと自慢話にしか聞こえないのに、ヒメが言うと全然そうは聞こえない。
淡々と事実を話しているだけ、って感じがする。
「そりゃそうだよねぇ、ヒメみたいな美人さんが一人でポツンとしていたら、ちょっかい掛けようって男の人はたくさんいるよねぇ」
ちらり、とキョウ君を横目で見るけど、冗談や軽口は返ってこない。
その反応の鈍さに気づいたみたいで、ヒメが目を細める。
不自然な沈黙。
だけど花火が連発で打ち上がりだすと、ひっきりなしの爆発音に埋め尽くされて気にならなくなる。
シンプルな円形の花火や、柳のように降ってくる花火、花びらが時間差で枝分かれしていく花火、小さな花がいくつも固まった花火、とにかく大きい一輪花。
色とりどりの花火を見上げていると、ふと気になって隣を見た。
キョウ君も、見られていることに気が付いたのかこっちを向いた。
目が合った。
笑顔を返すと、キョウ君は目を丸くして、それから視線をバタフライ並みに激しく泳がせて、最終的に夜空へ逃げた。
うん。意識してる意識してる。
花火が終わる前に、返事を下さいとは言わないけれど。
せめてキョウ君の調子が元に戻ってたらいいな。
せっかく三人でいても、キョウ君が黙り込んでると、ヒメも調子が出ないみたい。
それはやっぱり、さみしいし、もったいない。
自分から踏み出してこの雰囲気を作ったくせに、あたしはそんなことを考えていた。
百代が繭墨に助けを求めて送ったメッセージの記録
ヨーコ:いまどこ?
神社から出たところ:ヒメ
ヨーコ:戻ってきて
いいの? 阿山君は?:ヒメ
ヨーコ:一緒だけど、ちょっと間が持たないっていうか
少しくらい我慢してもいいんじゃないかしら:ヒメ
ヨーコ:冷えたスイカがあるよ
わたしをモノで釣ってどうするの:ヒメ
ヨーコ:蚊取り線香も焚いちゃったりして
夏の風物詩ね:ヒメ
ヨーコ:スイカの種は飛ばし放題
そんなはしたないことはしないわ:ヒメ
ヨーコ:あと花火が見るよ。けっこう大きく
良い立地ね:ヒメ
ヨーコ:人混みとも無縁だよ
それは重要なポイントね:ヒメ
ヨーコ:花火セットとかもあるし
線香花火も?:ヒメ
ヨーコ:もちろん
すぐ戻るわ:ヒメ




