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Room No.403  作者: 水月康介
2年次夏季休暇
49/80

遠くに行ってしまいましたね

『決勝の試合を見に行かない?』


 阿山君からそんな文面のメッセージが届いたのは、伯鳴高校野球部が地区予選の決勝進出を決めた、その日の夜でした。


『当日は生徒会主導で、応援する生徒を引率しなければなりません。つまり、試合会場へは行きますが、同行はできません』


 そう返信すると、


『残念』


 ごく短い返事があって、それでやり取りは終了しました。


 いったい、なんのつもりでしょうか。

 わたしはスマートフォンの画面を見つめながら、突然のメッセージの意図を考えます。


 阿山君とメッセージを交わしたことは数えるほどしかありません。何かの予定を聞いてくるのは初めてでした。


 終業式の手前からは、会話すらなくなっていたというのに、夏休みに入って突然、まるで外出に誘うようなメッセージを送ってくる。阿山君らしからぬ〝チャラい〟行動です。

夏休みデビュー、などという漠然としたアクションを起こすつもりでしょうか。仮にそうだとしても、選ぶ相手を間違っています。


 明るさと少しの打算が混ざった曜子の笑顔を思い浮かべ、それからすぐにため息をついて雑念を追い払います。明日は忙しくなります。きちんと寝ておかないと体力が持ちませんから。



 ◆◇◆◇◆◇◆◇



 進藤君の投打にわたる活躍もあり、伯鳴高校野球部は見事優勝を果たしました。


 3塁側のスタンドは生徒や父兄でびっしりと埋まっていました。大声で応援を送ったり、両指をきつく組んで祈るような仕草をしたり、とにかく試合の行方を必死になって見守っていました。彼らの大半は、自分たちの応援が試合の趨勢に影響するのだと信じているかのようです。


 ここまでの4試合にはほとんど顔を見せなかったくせに、決勝にだけそこまで注力する現金さには、正直辟易してしまいます。特に地位のある大人の方ほどそういう傾向が強いように見受けられました。


 最後の打者を内野ゴロに打ち取った瞬間の大喝采は、耳をふさぎたくなるほど。生徒の案内や熱射病対策の見回りなどで、わたしは終始、試合に集中できませんでした。来場した生徒や父兄の中では、わたしが一番浮かない顔をしていたと思います。



 日が暮れる頃になってようやく家に帰りつきました。

 誰もいないので無言でドアを開け、自分の部屋へ上がります。

 何もする気力が起きず、ベッドに身を投げ出して天井を見上げていると、ふと、スマートフォンが鳴動しました。


『世話役おつかれさま』


 阿山君からのメッセージでした。

 腕の重さを自覚しつつ、わたしは返信のメッセージを打ち込みます。


『ありがとうございます。勝ちましたよ』

『知ってる』

『ニュース見ましたか』

『球場にいたから』


 わたしはそのメッセージに指を止めました。

 3塁側席に阿山君はいなかったはずです。

 曜子も、わたしの目に入る範囲では、観戦には来ていませんでした。


『外野席ですか』

『そのとおり』

『屋根もないのに?』

『人が少ないから案外すごしやすかった』

『ヨーコとベタベタできる程度には?』


 送ってしまってから、なんて馬鹿な文面だろうと思います。

 しかし、すぐに返ってきたメッセージを目にすると、けだるかった心に冷や水を浴びせられたような気分になりました。


『まあね』


 なんでしょうか。まあね、というのは。

 穏やかな肯定。

 ヨーコとベタベタ、というのを認めているのでしょうか。

 阿山君らしからぬ切り返しです。

 顔が見えないのをいいことに、適当に書いているだけではないかと疑ってしまいます。


『持っていたアイスが溶けて手がベタベタになった』


 時間差のメッセージに苦笑。

 どこまでが本当なのかはわかりませんが、少なくとも、球場で曜子と一緒だったことは確かなのでしょう。

 こちらが忙しくしているときに、いい気なものです。


 生徒総会の準備でもそうです。


 阿山君は何も言いませんでしたが、彼が意見書の取りまとめをしてくれたことには気づいていました。その作業に曜子が一緒だったことも。用紙のところどころに、曜子の筆跡の走り書きや、謎のキャラクタの落書きがありましたから。


 まあ、阿山君がどこで誰と何をしていようが、関係はないのですが。


 身体のだるさが増したかのような錯覚。

 それとほぼ同時に、手の中のスマートフォンが鳴動しました。

 メッセージではなく、音声着信。

 相手は阿山鏡一朗。


「……もしもし」

『あ、今は電話、大丈夫?』

「大丈夫だから取っています」

『それもそうか。……なんか声、疲れてない?』

「ええ、決勝戦にだけ顔を出すミーハーな人たちのお守りで疲労困憊です」

『ああ、ミーハーはよくない』

「自分のことを棚上げしないでください」

『いやいや、僕は緒戦から行ってたよ』

「……そうなんですか?」

『野球が競技人口1000人の()マイナースポーツだったとしても、直路が出てるんなら地方予選くらい様子を見に行くよ』

「そう、なんですか」


 意外と情のある言葉でした。


『繭墨だってそうじゃないの?』

「所用があった2回戦以外は観戦しています」

『おおさすが』

「正直、今日の決勝の方こそ、ゆっくりと見たかったのですが。日本人の高校野球好きと感動好きにはうんざりです。少し距離をとって観戦したかったです」

『あー、わかる。〝炎天下の熱投〟って最悪のキャッチフレーズだよね』

「〝感動をありがとう〟」

『〝地元に勇気を〟』

「〝快進撃の裏に家族の支え〟」

『〝恩師の墓前に誓う勝利〟』


 ひとしきり言い合って、どちらからともなく笑い声が出ました。


『いやぁ、疲れてても絶好調だね』

「思ったことを口に出しているだけです」

『直路はどうだった? あいつ今日はあんまり調子よくなさそうだったけど』

「そうですね。疲労の蓄積は間違いなくあったと思いますが、最後まで大きな制球ミスがなかったのは、しっかり走り込みをして下半身を作っていたからでしょう」

『あと、たまに新しいボール投げてたような気がするけど。あれってチェンジアップ?』

「はい。春先から練習を始めて、最近ようやく狙ったコースに決まりだしたそうです」

『あの球速で緩急つけられたらキツイだろうなぁ』

「相手打線は最後までタイミングが合っていませんでしたね」

『全国区のチーム相手に、対等以上にやりあえたんだよなぁ』


 阿山君の感慨深げな声が、受話器越しにもわかります。

 声の色のかすかな違いも。


「遠くに行ってしまいましたね」


 阿山君の心に生じているであろう、進藤君への嫉妬心。

 それを刺激するつもりで発した言葉でしたが、阿山君は逆の捉え方をしたようです。


『どうしたの、さみしいとか?』

「は? なぜわたしがそんなことを感じるのですか」

『だってほら、対等になりたかったんじゃないの』


 軽い口調で、阿山君はわたしの心の重く深い部分を突いてきました。

 とっさに反論が浮かびません。


『あれ、繭墨? もしもし?』


 かすかに焦りのにじむ阿山君の声に、わたしは少しだけ落ち着きを取り戻すことができました。


「……いつの話をしているんですか。もう終わったことです」

『ああ、ん……、本当に?』

「当事者がそうと言ったらそうなんです」

『ん、わかった』

「阿山君は重々しく考えすぎではないでしょうか」

『何を』

「恋とか愛とか、好きとか嫌いとか、付き合うとか別れるとか、そういった関係性のことについてですよ」

『そんなことはないって、男女交際なんてファッションみたいなものさ』

「最低な軽薄さですね」

『あ嘘です言いすぎました』


 良い感じにバタついてきましたね。機会と見てわたしは話題を変えます。


「遠くといえば、阿山君は本戦も応援に行くのですか?」

『いやさすがにそこまでは。繭墨は? 生徒会でまた駆り出されるんじゃ』

「盆と重なるので無理ですと言って断りました」

『それもそうか』


 阿山君には話しませんでしたが、顧問の国沢先生の助け舟がなければ危なかったかもしれません。わたしが断ったとき、校長は信じられないという顔をして、同行できないのか、とかなりしつこく言われましたから。


「盆うんぬんはただの口実です。単純に行きたくなかっただけです」

『遠いから?』

「人混みが嫌いなんです。暑いのも」

『ああ……、じゃあやっぱ、夏祭りとかも行きたくない派?』


 それは、単純な話の流れとしての問いかけではない、と感じました。


 阿山君は、まさかとは思いますが、わたしを夏祭りに誘おうとしているのではないでしょうか。草食系の中の草食系であるところの阿山君に限って、九分九厘ありえないことなのですが、しかし歴史上の悲劇というものは、得てして残りの一厘から燎原の火のように拡大していくものです。


 危機感を覚えたわたしは、ズバリと言い切りました。

 予防線というものです。


「はい。祭りばやしの軽い音色にも、出店に並んだ陳腐なおもちゃにも、夜空を彩っているつもりの花火の大輪にも、一切、興味はありません」


『おお……、なんかいっそ清々しいくらいの憎悪っぷりだね』

「憎悪ではありません。無関心です」

『繭墨らしいよ』

「今日の阿山君はらしくありませんね」

『そう? どの辺が』

「こうやって連絡を入れてくるところです」

『そりゃ夏休みだからだよ。学校みたいに気軽に顔を合わせるわけじゃないんだし』

「学校では気兼ねしない間柄であるかのような言い方ですね」

『少なくとも容赦はしないよね繭墨は』

「……本当に軽薄になりましたか? 夏休みデビューで、いわゆる〝チャラい〟男に?」

『チャラ男とファラオって似てるよね』


 あまりにもくだらないことを言うので、反射的に通話を切ってしまいます。

 スマートフォンのディスプレイに映り込んだ自分の顔は、疲労の割には穏やかでした。


 それにしても、なんなのでしょうか。

 先日からのメールといい、メールから通話に切り替える積極性といい、阿山君らしくありません。そんなにわたしとお話がしたかったのでしょうか。



 このあと阿山君から再びかかってくることはありませんでした。本題は終わっていたのでしょう。そう判断し、シャワーを浴びるために立ち上がると、今度は別の着信がありました。表示は百代曜子。


 通話ボタンを押すなり、曜子は唐突に提案してきます。


『――ねえヒメ。夏祭り、行かない?』




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