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Room No.403  作者: 水月康介
2年次1学期
45/80

精一杯の強がり

――繭墨乙姫視点――



 ここ数日、進藤君の様子がおかしいことには気づいていました。


 彼はしばしば、授業中に考え込んだり表情を変化させることがあります。

 そうなるのは主に野球部の試合があった日の翌日です。


 よいピッチングができたときは、基本的には満足げです。何度もうなずいたり、考え事をしている横顔も口元が上がっているのがわかります。


 逆に満足のいく投球ができなかった場合は、難しそうに眉を寄せ、しかめっ面をして過ごしていることが多いように見受けられます。



 しかし、最近の進藤君の様子は、そのいずれとも違っていました。

 どこか浮かれているような、そわそわしているような――新しいおもちゃを開封するのを待ちきれない子供のような表情です。


 あまりいい予感のする変化ではありません。

 それに加えて、曜子からの報せも不安を加速させます。

 4人でテスト勉強をしようという誘いが一転、その日のうちに取り止めになったのです。



 その日も、ホームルームが終わると進藤君はすぐに立ち上がりました。

 阿山君やほかのクラスメイトとの会話もそこそこに、さっさと教室を出ていきます。

 わたしは帰り支度を済ませていたカバンを持ち、速足で彼のあとを追いました。


 進藤君はすぐに見つかりました。

 昇降口の柱に寄りかかって、誰かを待っている様子です。


 その誰かはわたしではない。それはわかっていましたが、意を決して話しかけます。

 積極的に。

 この行動は決して、阿山君からとやかく言われたからではありません。ええ、ありませんとも。


「最近、調子がよさそうですね」

「ん、ああ繭墨か」


 進藤君は柱にもたれたまま、顔だけをこちらに向けます。


「そうだな、調子はいいぞ。練習した分だけ伸びてるのが体感できるくらいだ」

「すばらしいことです。それは矢代商業や永徳高校にも勝てるくらいに?」

「さあ……、渡り合う、くらいはできるんじゃないか」


 進藤君の言葉に虚勢の色はありません。優勝候補の双璧に対してそう言える時点で、自分やチームの仕上がりに対してかなりの自信があるようです。


「そうですか、期待しています」

「行くとこ行ったら部費の増額を頼むぜ?」

「そうなったら生徒会の権限など飛び越えて大人の世界から指示があるでしょうから」


 そんな少々生臭い話をしていると、


「――直路君?」


 と、不安げな女の子の声が聞こえました。

 そちらを振り返ると、声の主と目が合います。


「あれ? 生徒会長? どうしたんですか」

「同じクラスなので少し話をしていただけです。今年の野球部は調子がいいと聞いていたので」

「あっ、そ、そうでしたか……」


 女の子はいまだ不安そうな表情で、しかしさりげなく、わたしと進藤君の間を遮るような位置取りに移動します。


 生徒会長という立場だけで、同級生からさえも警戒するような態度を取られることは、よくあるので構わないのですが……。彼女の様子は、明らかにそれとは別種の警戒心によるものです。


「不躾な質問ですが、ひょっとしてお二人は、お付き合いを?」


 女子の肩が小さく震えます。

 その緊張をほぐすように、わたしは笑顔を作ります。


「あまり警戒しないでください。男女交際禁止などと今時いうつもりはありません。二人の雰囲気がそんな風に見えたので、少し、気になっただけです」

「そ、そうですか。……は、はい」


 女の子改め彼女さんは、顔を真っ赤にしてうつむきながら、しかし確かに肯定しました。

 このくらいの事実確認で、ここまで初心な反応をする女の子というのは、なかなか珍しいのではないでしょうか。


 続いて進藤君の方を見ると、


「……まあ、そういうこった」


 と気まずそうに眼をそらしてしまいます。


「キョウのやつに根掘り葉掘り聞かれたから、詳しい事情はあいつがいろいろ知ってる」

「はい、わかりました。じっくり聞かせてもらいますね」


 冷やかしの意味を込めて笑みを強めると、進藤君の表情が少し変化しました。

 痛みや苦みを堪えるような、あるいは今にも息絶えそうな小動物を見つめるような、そんな辛そうな表情でした。


 わたしはそれに気づかないふりをして、終始、上級生か教師のように振る舞い、二人の前から立ち去りました。


「あまり羽目を外しすぎて勉学がおろそかにならないように」


 などと声をかける上から目線っぷりは、我がことながら滑稽きわまりないものです。


 精一杯の強がりの反動からか、帰りのバスの中ではすっかり気が抜けてしまい、停留所を二カ所ほど乗り過ごしてしまいました。



 ◆◇◆◇◆◇◆◇



 二日後には期末テストが始まりました。

 テスト初日は3限目で終了して、少し早い放課後になると、曜子が声をかけてきます。


「今日はそのまま帰るの?」

「ええ」

「じゃあ途中まで一緒に帰っていい?」

「断る理由はないけれど……、勉強会はいいの?」

「今日はヒメの方が優先ですから」


 曜子は冗談めかした口調でそんなことを言います。

 ですが、その笑顔の中には、こちらをいたわるような雰囲気がありました。

 曜子の気遣いを少しばかり疎ましく感じつつ、わたしたちは下校します。


 しばらく歩いてほかの生徒の姿がまばらになってきた頃、曜子の口から恐る恐る、本題と思われる問いかけが発せられました。


「――ね、やっぱり、気づいちゃった?」

「何にですか?」

「言わせるんだ……」

「どうぞ」

「だからぁ、進藤君に彼女ができたこと」


 人からそれを聞かされると、事実として確定してしまったかのようで、若干、心に波立つものがあります。


「……そうね。このところ、進藤君の雰囲気が変化していたから」

「え、じゃあなんとなく察してただけ?」

「違うわ。この間、直に会って聞いた。可愛らしい子だったわ」

「え、でも同級生でしょ」

「そうだけれど」

「なんかヒメの言い方って、中学生の清い交際コーサイを見守るみたいな感じだよ」

「高校生も中学生も、大して変わらないわ」


 わたしはそう断じて、顔を前に向けます。

 その右頬に曜子の視線を感じながら。


「……ちょっとだけ、強がってる?」

「そんなこと」


 反射的に否定してしまいそうになって、しかし、わたしは続きの言葉を飲み込みます。

 百代曜子の隣。友達の隣。

 今いるのは、わたしの世界の中で、一番、強がる必要のない場所なのだと――そのくらいの自覚はありました。


「ない、とは言えないわね」


 ため息まじりにそう言うと、曜子はその大きな目をさらに丸くします。


「おお……、なんか素直」

「わたしはいつも素直よ」

「歯に着る着せないってやつ?」


 虫歯の治療方法でしょうか。詰め物かインプラントかの選択という意味合いでの。


「……ああ、歯に衣着せない?」

「そうそう、そんな感じ」

「素直と傍若無人は似て非なるもの。その区別がつかない人は、ツンデレ=口の悪い女という間違った情報を鵜呑みにして、痛い言動に走ってしまうのよ」

「じゃあやっぱりヒメは本物のツンデレなの?」

「やっぱりって何」

「キョウ君が言ってたよ。ヒメはツンデレクイーンだって」

「そう……」


 ツンデレクイーンという称号には、そこはかとない嘲笑のイメージがあります。

 いつか丁重に返礼をしたいところですね。


「……阿山君のことはどうでもいいわ。ヨーコはテストどうだったの?」

「え? あたしは、たぶん今までで一番よくできたと思うなぁ」


 とうれしそうに笑う曜子。

 確かに、昨年の2学期末から、曜子の成績は着実に上向いてきています。

 スタート位置がかなり厳しかったので、まだまだ十分な成績とは言えませんが、それでも、彼女の伸びには目を見張るものがあります。

 曜子の笑顔からは、自身の成長への喜びと、そして、それを促してくれた〝彼〟への信頼が感じられました。……まったく、どこがいいのか理解に苦しみます。


「って、あたしのことより、ヒメは大丈夫なの?」


 と一転、今度はわたしの成績を心配してきます。


「動揺がないといえば嘘になるわね」

「授業中とかボンヤリしてるときがあったもんね」

「でも、テストなんて今までの勉強の積み重ねだから、ある程度は反射的に回答できるわ。点数が少々落ちたとしても、5段階評価の5が揺らぐほどではないと確信しているもの」

「おおー、これは強がりじゃないっぽいねぇ」


 曜子はぱちぱちと手を叩きます。


 実際、テストを受けている際に、失恋の動揺で手が止まってしまう、などということはありませんでした。

 そもそも定期テストは、わたしにとって大事おおごとではないのです。

 日ごろの勉強の延長という意識なので、気負いも迷いも動揺も少なかったのでしょう。


 やがて、別れ道に差し掛かったところで、曜子はわたしの顔を見てうなずきました。


「んっ、テストの方はぜんぜん大丈夫そうだねぇ」

「心配してくれてありがとう」


 わたしは素直に感謝の言葉を口にしました。

 曜子はもう、それを意外がったりはしません。


「どういたしまして」

「わたしは肩書のせいか、あまり近寄ってくる人がいないから、ヨーコみたいにいろいろ言ってくれる存在は貴重だわ」

「近寄りがたいのは生徒会長だからってだけじゃない気がするけど……」

「何か言ったかしら」

「ううん? それじゃ、また明日ね。残りもがんばろ?」

「ええ、お互いに」


 そんなやり取りを経て、家路につきます。


 残りの期末テストも、わたしは傷心の動揺なくやり遂げることができました。

 二度目の失恋の影響が、案外と少ないことに、拍子抜けすら感じ始めていました。




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