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Room No.403  作者: 水月康介
2年次1学期
41/80

狙いがわからなければガードができない


「用意がいいんですね」


 女性用下着が入っていた外袋をこちらに見せながら、繭墨が冷たい口調で言った。


「いや今買ってきたやつだから、ほらレシートもあるし」


 と、僕はこうなることを想定して捨てずにいたレシートを差し出す。


 繭墨がシャワーを浴びている間、僕は部屋を出て最寄りのコンビニへ向かっていた。替えの下着など持っていない繭墨のために、女性用下着を買いに行ったのだ。


 もちろん頼まれたわけではないが、こちらも100%の善意からの行動というわけでもない。繭墨がシャワーを浴びるとなれば、服を脱ぐ衣擦れの音や、シャワーの水音、身体を洗う音が聞こえてくるだろう。その状況で平常心を保つことは難しい。


 繭墨は何か僕を問い詰める用件があるようだが、その前段階から精神的に不利な状況に立たされては、まともな論戦にはならず、ワンサイドで一蹴されてしまう。それを避けるために、女子の湯あみに聞き耳を立てるという貴重な経験を放棄したのだ。


 ただ、100%の善意ではないとはいえ、こちらは恥を忍びまくってコンビニで女性下着を買ったのだ――おまけにレジは若い女性だった――、そのところを少しはくみ取って、感謝の言葉の一つもかけてほしいと思うのは、相手に期待しすぎだろうか。


「一人暮らしをしていると、やはりこのような機会が頻繁にあるということでしょうか」

「ちょっと、ここ日付、日付を見て」

「個人の自由ではありますが、あまり奔放すぎると問題が起こりますよ」

「コンビニで一番ハードルの高い買い物はこれだと確信したね」

「では二番目は?」

「さあ……、女性向けのブ厚いマンガ雑誌かな。『女の嫉妬特集』みたいなやつ」

「なるほど、うまい逃げ道ですね」

「いやいや、事実ですから」


 事実として僕は、繭墨が想像しているであろう年齢制限のある雑誌(・・・・・・・・・)を、コンビニで買ったことはない。ここは余裕をもってスルー。


「ともあれ、ありがとうございます、ところで、なぜ下だけなのですか?」


 ブラは別に必要ってわけじゃなさそうだし。


「あ、ああ――、サイズが分からなくて」

「そうですか」


 かくして、繭墨は僕が買ってきた下着をはき、僕の名前の入った学校指定ジャージの上下を着用して、ベッドの端に腰かけている。

 ジャージのスソは4カ所とも余り気味で、ラフな部屋着感は抜群だ。

 サイズの大きいぶかぶかの服を着た女子というのは、特有の良さがある。だらしなさ、だ。特に繭墨のような、普段ピシッとしている子のこういう姿は非常にレアで、いわゆるギャップ萌えの手本のような格好である。


 そんな脳内はつゆとも見せず、僕は繭墨のために温かいコーヒーを淹れてやった。それなりに上手に淹れられたと思う。片方のカップを繭墨に渡して、僕はパソコンデスクのチェアに腰かける。

 ほぼ同時にコーヒーカップを傾けた。


「……豆を変えましたか?」


 と、一口すすってからそう尋ねてくる。


「まあね。厳密には粉だけど。スーパーに置いてあるやつだけでも色々種類があるから、棚の端から試していって、今のところ、これが一番合ってるかなって。繭墨はやっぱりコーヒー豆専門店みたいなところで買ったりするの?」

「いえ、そこまでの拘りはありませんが……、強いて言えば、一杯ごとに豆を挽くようにしています」

「面倒じゃない?」

「それなりには。ですが、多種多様な豆、ブレンド、好みの味、飲み方が存在するコーヒーにおける唯一の真理は、挽きたてが一番おいしい、ということです。粉は楽でいいですが、開封してからしばらくすると、鮮度が落ちてしまいます。冷蔵庫に入れていても限度があるでしょう?」

「まあ、それは確かに」

 

 今日使った粉は開封して4日目だ。普通に飲んでいては1パックで1週間以上はかかる。


「それでも、多少味が落ちていてもコーヒーの香りというのは落ち着きますね」


 繭墨は顔の前にカップを持ってきて、その香りを嗅ぎながら言う。――しまった。

 冷静さを欠いた繭墨というレアな状態異常は、精神安定剤コーヒーによって回復してしまった。

 すでにいつもの、静かで平坦な表情に戻っている。


湯気の立つカップをローテーブルに置いて、繭墨がこちらを見据える。メガネの曇りが晴れていく。


「いろいろと、ありがとうございました。では本題に入りましょうか」


 話がある、と繭墨は言っていた。僕はそれを無視して、濡れ鼠だった彼女を強引に部屋へ連れ込んだのだ。もちろん、そのままでは風邪をひいてしまうという、気遣いの精神による行動である。何もやましいところはない。


「今日の意見書ですが、あれは阿山君が主導して議論を行い、意見をまとめたそうですね」


 やはりそのことか。

 伝聞の口調である。誰かクラスの人間から聞いたのだろう。となると、はぐらかすのは無意味そうだ。


「うん。みんな色々と不満や要望があったみたいだけど……、それをただ口に出して騒ぐだけじゃ何もまとまらないし受け取る側――生徒会も困ると思って」

「加えて、この行動をほかのクラスにも広げようとしていますね」

「その方が楽でしょそっちも」

「そういった意見はこちらで処理します。余計なことはしないでください。生徒会としての予定が狂います」


 と繭墨は切り捨てる。


「それは嘘だよ。ちゃんと意見がまとまって届くなら、作業が楽になることはあっても、煩雑になるはずがない」

「 こちらにも都合がありますので。それに、阿山君は、あの演説では皆さんが誤解をすると言っていたそうですが、それはわたしには望むところです」


「だろうね、あんな挑発的な演説。繭墨に反感を持った生徒が、生徒総会で会長への個人攻撃を始めるよう仕向ける罠じゃないか」


 僕の推測を、繭墨は黙って聞いている。

 否定も肯定もしないが、この感じは、おそらく当たっているのだろう。


 生徒総会の場で繭墨は、生徒から出される無茶な要望を派手に迎撃するつもりだ。それが自分の会長としての箔付けになると思っている。


「誰もが認めるインパクトある生徒総会を演出して、それで、自分に自信が持てたら、もう一度――」

「だったら、どうだというのですか」


 繭墨は僕の言葉を遮った。その先だけは言わせない、という険しい表情だった。


「もうクラスで意見をまとめて生徒会へ提出、っていう流れは出来上がっているから、今後はほかのクラスも意見書を出してくるよ。それを黙殺したら、いらぬ反発を招く。生徒の意見を無視するという、明らかに生徒会側に非がある問題行動だからね。口先で言い逃れはできない」


 反論はない。僕は続ける。


「だからもう、変に演出しなくていいから、まっとうな生徒総会をやればいい。今まではただの聞き手でしかなかった生徒が、積極的に参加しようとしてるんだから。それだけで十分な実績として評価されるよ」


 ちゃんと生徒の言葉に耳を傾けてくれる生徒会。それで十分じゃないか。

 そうして、思いのたけを直路に語ればいいのだ。

 わたしはこんなに頑張っています、あなたにふさわしい女の子だと思いませんか? と。


 繭墨の反発は、視線も言葉も鋭かった。


「阿山君のお膳立てに乗るなんてお断りです」

「利用すりゃいいって言ってるんだよ。だいたいその、自分に自信をつけるっていう手順、必要? どれだけ直路を上位に置いてるのさ」


 とため息を一つ。


「あいつだって繭墨に告白されたときはずいぶんうろたえてたし――それに、あのときはまだ百代と付き合ってる頃だったから、さすがにはいとは言えなかったってだけで、今はあいつフリーじゃないか、押せば倒れるかもしれない。2度目の告白。よっぽど本気は伝わるよ」


「そして恋は二度死ぬということですか」

「どこまでも悲観的なんだね。……あ、」


 ふと気づく。まさかとは思うが。


「なんですか」

「直路の方から告白させたいってこと? もうフラれたくないから、誰からも認められるデキる女になっぶ」


 顔面に飛来した枕によって僕の追及は強制的に止められた。

 枕によって閉ざされた視界は、すぐに明転。繭墨の顔が再び見えるようになる。


「ええそうですよ!」


 繭墨の顔は真っ赤になっていた。いつかの、暴走告白の直後の保健室でも、ここまでの赤面っぷりではなかったと思う。


「柄にもない向上心、自分磨き、どれも進藤君を振り向かせたいなんていうバカげた目的でやっていることです。笑いたければ笑ってください」


 そこで怒気が抜けたのか、繭墨は数秒ほど沈黙し、そしてため息をつく。

 ベッドの上で膝を抱えて顔をうずめた。

 

「……さすがに、あのプランは、取りやめることにします。あなたの言うとおり、面倒ごとが多くなるし、周りに迷惑がかかるわ……、それは本意ではありませんし……」

「それに、周りに迷惑をかける繭墨を、直路が好意的に見るわけがないしね」


 繭墨は顔を上げた。すごい目で睨まれた。

 反論とばかりに、絞り出すような声で言う。


「自分に自信が持てない、という心理は、恋愛関係において致命的な亀裂になります。阿山君だってよくご存じでしょう」


 思わぬ反撃を受ける。

 今までにない危機感、恐怖感があった。


 なぜって、繭墨が言う「よくご存じでしょう」が僕にはまだ思い当たらないからだ。狙いがわからなければガードができない。無防備な精神に受ける傷は深くなる。だから焦る。


 繭墨は続ける。


「阿山君は、千都世さんのことが好きだったのに、進学のための転居というかたちで距離を置きましたね。義理とはいえ姉弟の間でそういう感情を抱くことは禁忌だから――ですが、それは本当の理由ではないですよね」


 僕は何も言わない。

 繭墨は続ける。


「もっと平凡な理由ですよ。自分と千都世さんでは釣り合わないと、少しでも考えませんでしたか? 二人の能力や容姿や年齢の差を、意識したことがないとは言いませんよね? 感情ではなく理性的に、これは無理だと、天秤にかけて、針が振り切ってしまったのではありませんか? 単純に男と女として不均衡であると、自分は千都世さんにふさわしくないと、あきらめてしまったのではないですか?」


 僕は何も言わない。

 繭墨は続ける。


「家族に迷惑がかかるとか、倫理的に問題があるというのは言い訳にすぎません。とはいえ、一理ある、自分も他人も騙しとおせる上質な言い訳です。そこはお見事ですね」


 僕は思わず立ち上がっていた。


 繭墨がわずかに肩を震わせる。その反応で、少しだけ冷静になることができた。立ち上がってどうするつもりだ僕は。相手は女の子だ。酷い暴論を的確に急所に打ち込んでくるハードパンチャーだが、同時に女の子なのだ。そんな個性、同居してほしくはなかったが。


 だから、そういう相手と打ち合うには、手ではなく言葉を繰り出すしかない。


「――僕は繭墨の鋭さが最高にわずらわしいよ」

「奇遇ですね。わたしもあなたのさかしさが、心底、耳目じもくに障ります」




 そこから僕たちは、コーヒーが冷めるまでずっとにらみ合っていた。

 子供じみた思考だが、目を逸らしたら負けだと思った。



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