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Room No.403  作者: 水月康介
2年次1学期
39/80

元凶を取り除かないと

――繭墨乙姫視点――



 信任投票から1週間が経ちました。

 わたしも近森さんも無事に信任され、前任者からの引継ぎが終わって、新体制での生徒会が発足しています。

 7月後半には生徒総会という大仕事が待っているため、その準備で初っ端から忙しい状況です。ここ数日、わたしは放課後、常に生徒会室で作業をしています。

 部活みたいなものじゃないか、と言われたこともありますが、ミスをすればそれが人の目に触れやすいですし、後の業務に影響することも多いため、部活ほど気楽ではいられません。


 ふと、外に目をやります。


 梅雨らしい一定の雨量で降り続く雨が、朝からずっとノイズのような〝サー……〟という音を響かせています。

 風もなく、ただ雨が降るだけの天候。

 高い湿度も、窓を閉めていればさほど気になりません。

 基本的にはもちろん春か秋の晴れの日が過ごしやすいのですが、こういう静かな雨の日も嫌いではありません。特に、人間の活動音が聞こえない点が好ましいです。細い糸のような降雨の線も、灰色がかった景色も、油断していると時間を忘れて眺めてしまいます。


 扉の開く音がしました。

 わたしは思索を中断して、入口に目をやります。


「失礼します」


 と、やってきたのは阿山君でした。

 彼は室内を一瞥すると、まず入口に近くにいた副会長の近森さんに声をかけます。


「やあ〝ちみ森〟さん、副会長ご就任おめでとうございます」


 そんな軽口を叩く阿山君。

 近森さんも普段なら、この程度の冗談は笑って流すか、軽やかにカウンターを決める人なのですが、今はなにぶん、タイミングが悪いです。


 彼女は先日の信任演説で、何度も言葉を詰まらせたり間違ってしまう、いわゆる〝噛んで〟しまうミスを連発し、見ていてかわいそうなくらい落ち込んでいました。

 多少は落ち着いてきているものの、出会い頭にそれをネタにからかわれては、上手に聞き流すことは難しいのではないでしょうか。


 私の懸念のとおり、近森さんは身体を硬直させ、頬が紅潮していきます。作業をしていた手が止まり、顔がうつむいてしまいます。


「え? ど、どうしたのその反応……」


 近森さんの反応が想像と違っておとなしいことに、阿山君が動揺しています。

 自分の発言のデリカシーのなさにようやく気付いたのでしょう。困った顔で視線をさまよわせ、助けを求めるようにこちらを見てきますが、わたしはそれを黙殺しました。


 女心を気遣わない彼の浅慮が招いた事態です。せいぜい、気まずい思いをして慌てればいいのだと思っていると、横から近森さんの相棒である遠藤さん――ちなみに会長補佐という名ばかりの役職になっています――が声をかけます。


「ふっふっふ……、まやまくん、女の子を困らせてはだめですよぉ」

「あ、遠藤さん。これはちょっとしたあいさつ代わりの冗談なわけで」

「ちょっと近森あずさらしくはない反応だよね」

「……やっぱりあの噛みまくり演説を気にしてるの?」

「ううん、それは1日でケロッと忘れたんだけど、代わりに別のアクシデントがあったの」

「アクシデント?」


 首をかしげる阿山君。

 そこに、我に返った近森さんが声をあげます。


「お、おい遠藤さやか、言うなよ」

「それは投票が終わり、あずさが教室に戻ってからのことでした……」

「ちょ、待てって」

「クラスの男子に、さっきの阿山君みたいにからかわれたんだよね。っていうか、「ちかみもり」っていうダジャレがまるっきり同じ」

「マジで? 二番煎じじゃないか……」


 と、どうでもいいポイントにショックを受けている様子の阿山君。


「ほら、あずさってこんな外見だし、男子にとっても男友達みたいな感覚で話をするようなところがあるから、向こうも決してバカにするつもりじゃなくて、それよりは叱咤激励って感じの言い方だったの」

「ああ、それはわかる」

「ただし、そのときのあずさはとっても落ち込んでいました。だからその冗談を真に受けて、ショックを受けて、涙がポロリ」


 と遠藤さんは自分のほほを指でなぞります。涙が流れていることの仕草でしょうか。


「それを見た男子が逆にショックを受けてしまいます。いつも乱暴な言葉づかいの男子みたいな女子、近森あずさも、こんな風に泣いてしまうのか、ああこいつもやっぱり女の子なんだな、って」


「何それ甘酸っぱい」とニヤニヤする阿山君(デリカシーなし男)

「う、うるさいよ……」とさらに頬を赤くする近森さん(おとめ)


「それから、男子の態度はおかしくなってしまいました。たどたどしいあいさつ、探るような言葉遣い――。どこまで踏み込んでいいのかわからない、壊れ物に触れるような態度。やめろよ、今更女の子扱いされたって、こっちだってどう反応していいのかわかんないよ……、でも、嫌なわけじゃなくて……」


「それで、それで?」

「も、もういいだろ、なあさやかぁ……」

「だよね」


 と遠藤さんは乙女語りモードを終了します。


「まやまくんは部外者だもんねぇ、ここから先は生徒会限定配信となっております」

「無料体験期間とかないの?」

「そうまでして聞くような話じゃないだろ」

「どうしてもって言うなら、まやまくん、あたしたちじゃなくて会長から聞いたらいいんじゃないの? 仲いいんだし」

「そうかな……、まあ、先の話は大体想像がつくからいいよ。どんでん返しとか、衝撃的展開、みたいなのはないんでしょ?」

「うん、ごくごく平穏、オレンジ生しぼりなフレッシュ展開だよ」

「僕はグレープフルーツくらいの苦味がほしいところだけど」

「お、お前の好みなんか聞いてねーから! だいたい、まだなんともなってないし!」


 話は終わったようです。

 なるほど。近森さんの不調は、いわゆる恋煩いだったのですね。しかも何やらうまくいきそうな様子。わたしからのケアは必要なさそうです。


 阿山君は二人から離れ、こちらへ歩いてきます。


「どうも、会長ご就任おめでとうございます」

「ありがとうございます。なんの用ですか?」

「ああ、はいこれ」

 

 阿山君がA4サイズの紙を机の上に置きます。


「これは……」


 〝2-1みんなに聞きました! こうしてほしいナ♪ 生徒総会〟


 という大見出しがあり、下には委員会ごとの要望が箇条書きに並んでいます。

 ……この丸みを帯びた、女子女子じょしじょししさを振りまく文字は、曜子の仕業ですね。仮に阿山君の手によるものだとしたら、思わず引き裂いてしまいそうです。


「ウチのクラスで出てた、生徒総会での意見やら要望を、簡単にまとめてるから。まあ、参考までに読んでみてよ」

「なぜ、そのようなことを? いえ、そもそも、誰が……、阿山君が率先して、意見を集約してくれたのですか?」

「特定の誰かが音頭を取ったわけじゃないよ。みんなのやる気の結実というか……、我らがクラスから生徒会長が出たんだし、ぜひ協力するぞっていう団結力? みたいなものが芽生えたんじゃないの。一致団結、一意専心、一点突破、一撃必殺、いいことじゃないか」

「何と戦うつもりですか」

「子供のことをわかってくれない大人や社会の不条理とか……」

「昔のロックですねまるで」


 阿山君の口ぶりは白々しいものでした。

 しかし、この要望書はクラスの意見が形になったもの。無碍にはできません。


「……ありがとうございます。生徒総会に向けての参考にします」

「あれから、なんか意識高い生徒から要望とかあった?」

「いいえ、まだ1週間もたっていませんし、総会の場で意見を聞くといった以上、要望を出すのはそこでのことだと、みなさん考えているのでしょう」


 事前の準備もなく、生徒個人が思い思いに発言をして、場が荒れるという行き当たりばったりの展開は、わたしの意図するところでもあります。


「ふぅん」


 と阿山君は気のない返事。


「ま、とりあえず目を通しといてよ。僕は今日バイトだし、もう帰るから。それじゃ」


 本当にこの紙――クラス意見書を渡すことだけが目的だったようで、阿山君はすぐに生徒会室から出ていきました。

 ひとまず、意見書をしっかり確認してみましょうか。

 意識を切り替えようとしたところに、


「ねえ会長」「なあ会長」


 と、遠藤さんと近森さんが近づいてきます。


「どうしたの? 二人とも。とても楽しそうな顔をしているわ。生徒会の仕事にやりがいを感じてくれるようになったのかしら」

「どうなの? ねえ、まやまくんとはどうなの?」

「クラスメイトですが」

「そうじゃなくてさ、わかってるだろ会長もさぁ、はぐらかさないで――」


 わたしはカバンのポケットからキッチンタイマーを取り出し、ドン、と音を立てて机の上に置きました。

 遠藤さんと近森さんが一瞬、沈黙します。


「……出た、繭墨タイマー」

「少し、集中力が落ちているようですね。休憩にしましょう。10分です」


 そう言いながらわたしはタイマーをひねって時間を設定します。


「じゃあさっそく。わたしは会長とまやまくんの関係、前から気になってたんだよねぇ。ほら、いつだったっけ、前の副会長のことでトラブったことがあったでしょ?」

「ええ」

「あのときも二人、一緒にいたでしょ。まだクラス別々だったのに」

「共通の友人がいるのよ。進藤君」

「あー野球部の。じゃあアレだ、友人の紹介で交際を始めて、ってやつ」


 近森さんが結婚式での新郎新婦のなれそめ紹介のようなことを言います。


「わたしは男女交際に興味がないから」

「えー、でも、まやまくんと話してるときの会長って、いつもと明らかに雰囲気違うよね」

「そーだそーだ。白状しちゃえよぉ」


「雰囲気が違うとしたら、それはわたしが、男子と女子では態度を変えているからよ。わたしがほかの男子と話をしている場面を、二人は見たことがないでしょう? だから比較対象がないぶん、阿山君と接しているときだけ雰囲気が違う、という風に見えてしまうのではないかしら」


「っていうかそもそも会長って、男子との接点が少ないよな確かに」

「男女交際どころか男子にも興味ないの?」

「そうね……、同級生はみんな幼く見えるから」


 わたしがそう断じると、遠藤さんが口元を上げます。


「オトナのオトコじゃないとそもそも興味の対象にならないってことぉ?」

「そのような誘導には乗らないわよ」

「やっぱガード堅いなぁ、鉄壁って感じ」

「成績優秀、容姿端麗、おまけに生徒会長ってなると、やっぱ釣り合う相手はそうそういないよなぁ」


 近森さんのつぶやきは、この雑談の中でもっとも、わたしの心をざわつかせました。


 近森さんを始め、遠藤さんも曜子も、他のクラスメイトも、わたしのことを引く手あまた、選び放題の買い手であるかのように思っている節があります。


 しかし実際のところ、わたしは追う側です。

 彼に近づこうと必死になっているのです。


 このままやり取りを続けては、余計なことを口走ってしまうかもしれません。

 流れを変えましょうか。


「わたしのことより、近森さんはどうなの? さっきの話、すごく気になるんだけど」

「あ、それはねぇ」


 と身を乗り出す遠藤さん。近森さんを構うことがライフワークなのか、ちょっとしたことでも近森さんが恥ずかしがる言葉や言い回しを選んで、話を大きくしていく話法は見事の一言です。


 おかげで場の流れはわたしの異性関係から、遠藤さんの恋の近況へと、容易に切り替わり、そのままタイムアップまで続くのでした。



 ◆◇◆◇◆◇◆◇



 生徒会の作業を終えて1階に降りると、野球部の人たちとすれ違います。

 今日は雨天でグラウンドが使えないために室内練習。今は筋トレに励んでいるようです。


 そばを通るだけで湿度が上がったような錯覚。

 昇降口前は非常に男臭い空間と化していました。


「会長、当選おめでとさん」「予算増額たのむぜー」

「それは成績次第ですね」


 何人かの男子の軽口に、わたしはそう返します。去年ならばおそらく弱った顔をするだけだった部員たちも、しかし、今年は表情に自信がみなぎっています。


「今年は行けるぜ、エース様が絶好調だからな」


 ええ、知っています。

 わたしが澄まし顔のまま通り過ぎようとすると、


「――常にいいピッチングができるわけじゃねーから。お前はもっと選球眼を養え、ブルーベリー食えブルーベリー」


 などという引き締めの声が聞こえました。進藤君の声です。


「お疲れ様です、進藤君」

「おう繭墨は生徒会か?」

「はい。今は忙しい時期ですから」

「確かになぁ」


 進藤君は汗を拭きながら応じます。彼が手に持っているのは、昨年のクリスマスにわたしがプレゼントしたハンドタオルです。その当時はまだ進藤君は曜子と付き合っていました。

 ……あのクリスマス会の前後は、いろいろなことがありました。思い返すと複雑な気分になります。


「あ、そうだ、ウチのクラスの要望書はもう見たか?」

「はい。委員会ごとに1つずつ、というやり方はシンプルかつ分かりやすくていいと思います」

「あれな、キョウがやったんだぜ」

「委員長としての仕事をきちんとしているのですね。意外です」


 キョウがやった、という言葉を、わたしは、クラス内で出された雑多な意見を、阿山君が率先してまとめた、という風に解釈しました。

 しかし、進藤君は顔をしかめます。

 話がうまく伝わっていない、という違和感。


「あ、いや、言い方が悪かったか……」

「どういうことですか?」

「キョウがやったっていうのは、意見をまとめたってことだけじゃなくて……、クラスごとに要望をまとめて生徒会に提出するっていうやり方のことだ。そうした方が生徒総会がスムーズに進むからって、あいつ、信任投票が終わった後でクラスの連中の前であれこれ考えてさ、あの演説じゃ繭墨の考えが誤解されるからって。必死こいて説明して、そのやり方をほかのクラスの知り合いにも拡散してほしいって」


『クラスごとに要望をまとめて』

『あの演説じゃ繭墨の考えが誤解される』

『ほかのクラスの知り合いにも拡散』


 断片的な話だけでも、阿山君がわたしの想像を超えて、かなり積極的に動いていることは理解できました。


「あいつはまあ、そうした方が生徒総会がスムーズに進んで、あとが楽になるからって、自分たちのためにやってる感を出してたけど……、ホントは違うぜ。ああいう話の持っていき方、なんていうんだっけ、おたまじゃくし――みたいな語感のやつ」

「おためごかし、ですね」

「そうそれだ、自分に都合のいい方向に話を持って行くやり方」

「阿山君らしい小賢しさですね」

「確かなのは、それをあいつは自分じゃなく繭墨のためにやったってことだ。やり方はあいつらしいけど、やってることはあいつらしさのかけらもない。人前で騒ぎ立てて注目を集めようとするタイプじゃないからな」


「――阿山君の話はしないでください」


 わたしは、進藤君の話を強い口調で断ち切りました。

 クリスマスの前の、突発的に告白をしてしまったあの一件を思い出してしまいます。


「あ、ああ……、悪りぃ」


進藤君も思い出したのか、気まずそうに顔をそらします。


「いえ……」

「あ、じゃあオレらもうちょっと、ストレッチとかあるから」

「はい。運動後のケアは大切ですものね」

「おう……、じゃあな」

「はい、さようなら」


 進藤君と別れて、雨の降る校庭に出ました。


 頬に熱を感じます。

 頭に血が上っているのを自覚していました。

 もちろん阿山君に対する怒りのせいです。


 あの演説ではわたしの考えが誤解される?

 生徒総会をスムーズに進める?

 わたしのために?


 冗談ではありません。

 大きなお世話、余計なおせっかいというものです。


 降り続く雨のせいで外気は涼しいですが、わたしをクールダウンさせるには至りません。

 傘をたたく雨音も、今は環境音ではなく耳障りなノイズとしか感じられません。


 元凶を取り除かないと。

 わたしは水はねも構わず足早に目的地へ向かいました。



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