これは問題提起ってやつだね!
6月になった。
衣替えがあった。
梅雨入りが発表された。
中間テストが実施され、結果が返却されることによって、教室内での学力的な立ち位置が明確になってきた。次回の期末テストでは、直路に加えて赤木の面倒も見ることになりそうだった。
繭墨は相変わらずのトップクラスらしい。推定なのは彼女が答案を見せてくれないからだ。遠くからのぞき見した者の申告によっておおよその合計点を算出、それによると8教科合計で780点は堅いとのことだった。
百代は大体において平均点と同等か、やや上くらいの点数を取っていた。以前と比べると格段の進歩で、それを素直に褒めると、「キョウ君に面倒を見てもらってばかりじゃ悪いから」とうれしそうに笑った。こちらが照れてしまいそうな言葉と、晴れやかな表情だった。
テストが終わって、6月の半ばには生徒会選挙がある。
立候補者は生徒会所属の2人だけ。
繭墨乙姫が生徒会長に、近森さやかが副会長に、それぞれ立候補していた。
そして、投票日になってもほかの立候補者は現れなかった。
◆◇◆◇◆◇◆◇
投票日には午後の授業はない。5限目に体育館で立候補者による演説会があり、それを聞いてから教室に戻って投票を行う、という流れだ。
しかし、決選投票でもない限り――というかそうであっても、生徒たちの関心は相当低い。立候補者の演説を真剣に聞いて、その中身を吟味しているような生徒は、よくて3割といったところ。スマートフォンの普及率も極まった感のある若者の興味が、目の前の生徒会執行部候補のコピー&ペーストな演説より、液晶の向こうのデータのやり取りに向いてしまうのも仕方のないことだろう。
演説の一番手は近森だった。
頑張っている姿勢は見えたものの、カンペをちらちら確認しながらの演説のうえ、しょっちゅう噛んでいたので内容よりもその行動のコミカルさが生徒の印象に残った。
普段は活発で明るいのに、こういう場所では上がってしまうタイプらしい。
二番手は繭墨。
まっすぐに前を見据えて、いつもと同じ澄まし顔。立ち姿は凛として、涼やかな声は体育館によく通る。外見的な印象という点ではかなりの高ポイントだろう。
ただ、内容については少し疑問符がつくものだった。
◆◇◆◇◆◇◆◇
「みなさんはこの学校に不満がありますか?
その不満は、声高に叫んだり、行動で示したりするような、明確に発するほどに強いものですか?
おそらく、それほど強い意見はないでしょう。
立候補者ゼロという現状がそれを示しています。
ですが、特に変化は望まない、あるいは自分から動くほどの強い不満はなかったとしても、不満自体がまったくない、ということはありえません。
日常生活でふと気づく疑問や、友達との話題で浮かんでくる些細な不満など、そういったものは確実にあるでしょう。
しかし、それも声にしなければ届かないですし、届かなければ学校も動きません。
わたしは決して全校生徒のために、学校をよくするために、などという使命感が強い方ではありませんし、生徒会に所属しているのも、生徒会活動への興味という個人的な動機です。
それでも、生徒会としての基本的な活動に加えて、皆さんから聞こえてくるご意見があればそれを拾い上げ、形にすることで、今以上に楽しい学校生活が送れるお手伝いをしていきたい。
わたしが生徒会長になったら、来月の生徒総会で皆さんのご意見、ご要望を募る時間を設けたいと考えています。先に話したとおり、そこでの話し合いも生徒会活動の指針として、皆さんとともに、より良い生徒会を作り上げていきます。
皆様の一票、ご協力をお願いします」
◆◇◆◇◆◇◆◇
一般的に、選挙演説では具体的な改善例を挙げることがよいとされている。
例えば、学校をよくしたい、というあいまいな言葉ではなく、学食のメニューを増やします、などの明確な目標を出すことだ。
ところが繭墨の演説にはそれがなかった。
それどころか、生徒の無関心さをさりげなく批判していたし、生徒会をやっているのは自分のため、という意味に取れることを平然と言う。
最終的にはみんなのために頑張ります的なことを言って終わったが、どうにも締まりの悪い、違和感の残る演説だった。最後の体裁を整えただけ、という感じだ。
具体的なものはせいぜい、生徒総会で意見を募るという点くらい。
しかし、それは大多数の生徒の望むアクションではないと思う。
生徒総会はただでさえ面倒な行事だ。
体育座りの生徒たちが考えているのは「さっさと終わってくれ、早く帰りたい」という解放への意思だけだ。
会がスムーズに進行すれば下校時間が早まるわけで、大半の生徒はそれを望んでいる。そんな空気の中で、意見はありますかと問われて挙手できる生徒がいるとは思えない。
おそらくでっち上げの適当な公約だろう。
ただ、まずい演説のせいで不信任になるかというと、そんなことはありえない。
演説なしで投票したら反対票10票とかのレベルなのが、この演説のせいで反対票30票くらいには増えているかもしれないが、その程度は誤差の範囲。
候補者を不信任とするには、生徒の過半数の反対票が必要なのだ。
全校生徒の半分がNOというなんて、よほどの嫌われ者でもありえないことだ。
さらに、候補者の好き嫌いとは関係なく、生徒が不信任を選ばない理由がある。
なぜなら、1名しかいない立候補者を蹴った場合、別の候補者を立てたうえで再び信任投票という七面倒くさいことになってしまう。
システム的に、不信任が非常に出にくいようにできているのだ。
◆◇◆◇◆◇◆◇
教室に戻ると、すぐに投票が行われ、投票箱は選挙管理委員が生徒会室へ持っていった。
普通ならばこのまま放課なのだが、我がクラスの生徒会長候補の、よくわからない演説のせいか、8割方の生徒が教室内に残り、思い思いに意見を言い合っていた。
百代もずっと気になっていたようで、僕の席に近づくなり、恐る恐る口を開く。
「ね、ヒメどうしたのかな」
「どう思った?」
「あんまり上手じゃないなって」
「……だね」
率直な百代の言葉。まったくそのとおりだと僕も思う。
繭墨のことをあまり知らない人間にとっては、まあそこそこ、何やら演説っぽいことを話しているように聞こえたかもしれない。だが、僕と百代は繭墨のことをよく知っている。彼女はその気になれば自発的に拍手が起こるくらいの演説を打てる人間だ。その繭墨にしては下手くそな演説だった。
繭墨の演説に対しては、僕と百代は同じ考えらしい。しかし、なぜそんな演説になってしまったのか、という点では意見が割れた。
「やっぱり緊張してたのかなぁ。全校生徒って何人くらいだっけ」
「500人以上はいたんじゃないの」
「うわぁ、あたし絶対ムリ、教室の前で板書するだけで緊張してるのに。500人かぁ……、それじゃ、いくらヒメでもミスが出ちゃうよねぇ」
「鬼の霍乱ってやつだね」
「鬼のかくらん……、何それ? キョウ君また小難しい言葉使って……あ、わかった! 鬼の目にも涙みたいな感じのやつでしょ」
「当たらずとも遠からずかな」
珍しい物事、という意味では方向性は同じだ。
「ヒメは鬼なんだ」
「そこはご内密に」
珍しいミスの原因を緊張と考えるのは、ある種の信用だ。繭墨は正しい人間で、正しいことをしようとしたが、緊張からミスを犯した――。繭墨の善性を信じている百代はそう考える。
だが、実は、緊張は、演説の内容とは関係がない。
緊張によるミスというのは、内容を飛ばしてしまったり、早口になったり、挙動がおかしくなったりする――主に表面に現れるものだろう。しかし、演説の内容は普通、事前に用意しているはずだ。何度も読み返して、吟味しているはずだ。緊張したからといって、その内容が変化することはない。
繭墨は思うところあって、あんな、いまいち冴えない演説を行ったのだろう。
では、その目的は?
「最後の話だけ聞いたら、みんなのご意見お待ちしてます、ってことでしょ? でも、その割にはしょっぱなから、みんなちょっとやる気ないんじゃないのぉ? って挑発的だし」
百代が首をかしげている。
それはあの演説を聞いた生徒の多くが疑問に思っていることだろう。
――じゃあ、その疑問に答えを出す必要がある。
みんなが繭墨を誤解して、場の雰囲気がよくない方向に独り歩きしないように。
仮に繭墨の意図とは違っていても、知ったことじゃない。
いや、繭墨の考え、狙いはなんとなくわかってきていた。
だからこそ、狙いどおりにさせるわけにはいかないと思った。
「これは問題提起ってやつだね!」
「わ」
僕は意図的に大きな声を出した。
百代が目を丸くするが、かまわず続ける。
「学校生活に不満があるなら生徒会のところへ来いよ、まとめて面倒見てやるぜ、っていう新会長からのメッセージなんだよ」
「そうかなぁ、あのヒメがそんな暑苦しいこと言うかなぁ?」
察してくれ百代ッ……。
「そうなんだよ!」
と僕は勢いに任せて言う。
「キツイ言い方なのは、あれだよ、ツンデレだからだよ」
「あ、そっかぁ、ツンデレ……」
「そう、ツンデレだよ。繭墨ってツンデレっぽいだろ?」
「あ、それわかる、ヒメってツンデレっぽいよねぇ、ツンデレクイーンだね」
おっ、良いノリになってきたな。
ツンデレを連呼した甲斐があった。
「でも、要望ってどんなやつだよ。あんまり突拍子もないのはできないだろ」
と、直路が話に入ってきてくれた。これは助かる。
繭墨のご乱心はおそらく直路のせいで、この混乱も元を辿れば直路が原因なのだが、それは置いておく。今は直路の注目度を使わない手はない。
「生徒会に決定権があるのは……、部活の予算関係とかじゃないの」
「各委員会の活動内容は?」と百代。
「おう、それだといろいろあるな」
「だね。図書、保健、清掃、体育、放送、風紀……。委員会ごとに分けた方が要望も出しやすいね」
僕はさりげなく立ち上がって、百代と直路も一緒に教壇のところまで連れていく。
黒板に委員会を箇条書きし、まず『図書』のところに「蔵書を増やす」と書いた。
「あたしは風紀のところかなぁ、「スカート丈をうるさく言わないでください」って」
「確かに、そこは時代の変化に合わせてほしいね」
「ああ」
と男子二人がうなずく。
百代はなぜか賛同者たる僕たちに冷たい視線を向けていた。
「体育委員」と直路。「体育会系っていうイメージだけで力仕事振りすぎ」
「そりゃ直路だし」
「おかげで隣のクラスの細っそい男子の分もやってるんだぞ俺は」
「筋トレになるじゃん」と百代。
「近代的じゃない。筋トレってのはもっと効率よくやるもんだ」
と直路が理知的なセリフを吐くが、僕はそれを鼻で笑う。
「マンガだとそれポッと出のライバル校のセリフだよ」
「バ、バカな……、このワタシの計算が……」
と百代がエアメガネの位置を直すジェスチャをする。
「ああそれそれ、そういうやつ」
と、そんなバカ話を交えつつ、それぞれの委員会の横に、思いつくままに要望を書いていくと、徐々にクラスメイトもこちらに気付いて、自分の意見を提案してくるようになってきた。
すると、教室内に残っていたいくつかのグループも、ただ『だるい』だの『意味わかんない』だのというbot以下の否定的定型文ではなく、『清掃委員の花を飾る活動がだるい』とか、『昼に流す音楽がクラシックだけなの意味わかんない』など、否定するにしても具体的な反対意見を言うようになってきていた。
議論が活発化する教室内。
場の空気が少しずつ温まってきた。
繭墨は生徒会室なのでここにはいない。僕はその間に、できる限り教室内の雰囲気を盛り上げておきたかった。少なくとも、繭墨に表立って反発するやつがいないようにしておきたいと思う。
「ええと、皆さん。クラス委員長として、お願いがあります」
僕は黒板を背にして言う。
こういうとき、肩書というのは便利だ。やりたいことと肩書が一致していると、らしくない行動に照れてしまう自分への言い訳ができる。委員長だから仕方なく、と。
「さっきの繭墨の演説を聞いて、全校生徒が違和感を持ったはずだけど、その上でこんな話をしてるのは、たぶん僕らのクラスだけだと思う。つまり、繭墨の考え方が正しく伝わっていない可能性が高い」
〝僕が扇動した流れ〟を、〝繭墨の考え〟だとすり替える。
不審に思う者はいないようだ。
「だからみんな、この話を広げていってほしいんだ。部活とか、よそのクラスの知り合い、誰でもいい。まずは、さっきの演説どう思った? って話から入って、向こうが誤解して反感を持ってるようなら、いやいやあれはこういうことなんだ、って――」
「ねー委員長」
クラスの中央で手が上がった。
倉橋だった。
「なんでそんな必死になってんの? たかが生徒会のことでしょ」
この女……、女狐めが……!
――という憤怒が顔に出ないよう、目をつむって鼻で深呼吸。
「想像してみましょう」
「はぁ?」と素っ頓狂な声を出す倉橋。
僕はそれに動じることなく、菩薩をイメージしつつ敬語で話を続ける。
「この疑問や誤解を放置しておくと、7月の生徒総会はどうなるでしょうか。
誤解は反感を生み、一部のお調子者の生徒は、生徒会への不満を抑えきれなくなるでしょう。そして、総会当日、意見を募るタイミングで暴走を始めます。意見とは名ばかりの身勝手な言いがかりで、総会は停滞し、生徒会役員もどう答えていいかわからず、しかしバカなことを言うなと一蹴することもできない」
一息にまくし立てて、いったん休憩。クラスを見回してから続きを言う。
「まあ、つまり、しっちゃかめっちゃか、混乱のるつぼに叩き落された生徒総会は、延長に次ぐ延長で定刻どおりに終わらなくなることは間違いないだろうね」
無駄な時間を食わされる、ということ。
わかりやすい、明確な問題を口にすると、みんなの顔に理解の色が広がった。危機感を持ってくれたのだ。
「生徒総会がその日だけで済めばいいけど、さすがに7限目にまで突入したら先生が打ち切るとは思う。後日再試合ってこともないだろうし」
「――じゃあちょっと我慢するだけでいいんじゃないのか?」
とこれは直路のセリフ。さすが、よくわかっている。
みんなの疑問を代弁してくれている。
こうやって声に出してくれると、こっちもきちんと反論できるというものだ。
直路の疑問は、キャッチボールで言うところの取りやすい球。バッティング練習で言うところの、気持ちよく打たせてくれる球だった。
「バカ生徒たちのバカな暴論を、生徒たちの自主性が発露された貴重な意見だ、と思ってしまう先生方はいるかもしれない。そうなると、各委員会で臨時の話し合いをして、バカな暴論に対する返答を大真面目に考えさせられる、って可能性がある――」
いったん言葉を切って、クラスを見回す。
「――それに対処する委員会の人たちは、余計な時間を取らされてうんざりだと思うよ」
クラスに残っている生徒のうち、何人かが苦い顔をする。
それはまさに〝対処する委員会の人〟たちだった。
各委員会には全クラスから1人ずつ選出される。そのため、1つのクラスで実に10人弱が何らかの委員会や役職に属していることになる。結構な割合だ。
そういう生徒たちに『面倒ごと』の実感が染みていくのを察して、僕は再び口を開く。
「――つまり、今のうちに生徒の間で自主的に質問事項をまとめていく流れを作っておいた方が、後々、楽になるんだよ」
最後は倉橋の目を見て言う。
「……はいはい、わかったわ」
と、倉橋はあきらめたように片手をひらひらと振り、長い脚を組み替えた。
僕を足蹴にするイメージを表したのだろうか。
「んじゃあ、そういうことで、みんな、よろしく」
わずか数分の話だったが、僕はすっかりくたびれてしまっていた。
人前に立つのは大の苦手なので、精神的な消耗が特に激しい。
いくらなんでも頑張りすぎだという自覚はある。
これは、繭墨のための行動だろうか。
客観的に見ればもちろんそうだろう。
だが、いつかの百代をかばったときとは、心の動き方が違う気がする。
動機について考えても、あまりはっきりとした答えが出てこない。
もっとシンプルな、この状況が好きか嫌いか、という反応だったと思う。
繭墨の演説でちょっとつつかれただけで、巣を壊された昆虫のように無秩序になる生徒たち。それが嫌だという個人的な嫌悪感が原動力だったのではないだろうか。
……ああ、なんだ。
つまり僕は、繭墨の目論見を潰したいのか。
自分の席に戻ると、僕は机の上に突っ伏した。
口元が上がるのを止められなかったので、うつ伏せになって、一人でニヤニヤ笑う変な顔を隠したかったのだ。




