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Room No.403  作者: 水月康介
2年次1学期
37/80

それなりのステイタス

 その日の放課後、いまだに真っ白になっている赤木を置いて、僕は生徒会室へ向かった。


 要件はクラス委員会。

 月に1回、各クラスの委員長が集まって、生徒会とあれこれ話をする会合だ。


 普段はあってもなくても関係ないレベルの議題ばかりだが、5月度だけは違う。6月には生徒会の選挙があるため、立候補者の状況や選挙に向けての段取りなど、それなりに中身のある話が行われるのだ。



「皆さんに考えてもらいたい問題があります」


 委員会の最後に、生徒会長がそう発言した。


「えー、生徒会選挙ですが、立候補者が今のところゼロです。すべての役職で、0人です。立候補を希望する人が出てきていません。庶務は選挙なしで希望者が加入ということもできますが、会長と副会長のポストだけは、選挙という手続きが必要です」


「委員会のやつが誰か立候補しろって話ですか?」


 委員の一人が言う。

 生徒会長は首を振って、


「いや、そんなことは言いません。手を挙げてくれること自体はいくらでもしてくれて構いませんが、こちらから強制することはないです。それに、立候補者が不在の場合、擁立されるのはまず現在の庶務からです」


「えっ?」


 という驚きの声が生徒会席から上がった。小さい声だが室内が静かなので全員に聞こえた。

 出どころは庶務の遠藤だ。ゆるふわヘアーを揺らして首をかしげている。


 生徒会長が咳払いをする。


「えー、ただし、そんなものは立候補とは名ばかりの半強制的なもの、生徒の中からの立候補者がいるに越したことはありません。そこで、皆さんには勧誘活動をお願いします。生徒会活動に少しでも興味がありそうな人がいれば、積極的に声をかけてほしい。それから、何か希望者が出てくるような良案があれば採用するので、同時にそちらも考えておいてください」


「生徒会に入れば彼氏彼女ができる、みたいなうわさを流してみてはどうでしょうか」


 と僕が言うと、生徒会席の一角から鋭い声が飛んでくる。


「冗談は慎んでください」


 繭墨だった。メガネ越しの視線は、こういう公の場では特に威力が高い。


 はいすいません、と僕はそっと目を逸らしつつ答えるのだった。



 ◆◇◆◇◆◇◆◇



 委員会が終わり、学校の敷地内から出て、繭墨と合流する。

 その第一声は詰問だった。


「なんですか? さっきの野次は」

「ちょっとしたジャブじゃないか」

「副会長の親御さんは無事に退院したそうですよ」

「そりゃよかった」


 繭墨の言葉に、僕はうなずく。

 

 以前、生徒会はちょっとしたトラブルを抱えていた。副会長が長くサボっていたのだ。


 そのしわ寄せはすべて会長が負担して、それでもなんとか生徒会は回っていた。

 しかし、いずれ生徒総会が迫ると多忙になり、会長の負担が大きくなりすぎてしまう。それを懸念した繭墨が、副会長のサボタージュを止めようと動いたのだ。


 ところが、副会長のサボりには少々込み入った事情があった。

 副会長の母親が病気で入院していたのだ。

 そのため、家事や弟の送迎などを副会長がせざるを得なくなり、その結果として生徒会活動に来られなくなっていた。加えて、会長はそれを知っていながら副会長をかばい激務を受け入れていた、という『ちょっといい話』のおまけ付き。


 会長たちとの話し合いの結果、作業を1年生でも分担し、トラブルもなく2月末の生徒総会を乗り切ったと、そういう経緯だった。

 だから、僕の質問は冗談ではなく近況確認に近い。

 冷やかしの意味も多分にあったけれど。


「で、会長と副会長はどんな感じ?」

「特に変化はありませんよ。さすがに校内では控えているのではないでしょうか」


 と繭墨はさらりと流す。

 その言い方が逆に、郊外ではお盛んなことを揶揄していた。


「じゃあ次期会長と副会長は?」

「立候補者が出ない場合は、おそらく、わたしが会長として出馬することになるでしょう。副会長は……、近森さんがいいのではないでしょうか」

 

 繭墨と同じく庶務をやっている、ボーイッシュな女子の名前が出てくる。


「あれ、遠藤の方が向いてるんじゃない?」


 と、僕はもう一人の庶務の、ゆるふわな雰囲気の女子の名前を出す。

 繭墨は「どうでしょうね」と首をかしげる。


「事務能力的なものでしたら遠藤さんの方が優れていますが、わたしが静的スタティックなぶん、副会長は動的アクティブな人がいいと思うので。個人的には近森さんを推したいですね」


「ああ、よくある凸凹でこぼこコンビってやつだね」

デコはどちらですか」


 繭墨の声はひやりとしていた。


「え」

「やはり遠藤さんでしょうか。わたしは平坦ですからね」

「いやあの凸凹っていうのは見た目の話じゃなくて」

「性格の話ですよね」

「あ、うん、はい」

「しかし阿山君は何か誤解していた様子ですが……」


 と、繭墨は白々しく首をかしげる。


 やっべぇ、釣りだコレ。

 危うく致命的な言葉を口にするところだった。


 昼休みの赤木との雑談のせいか先走ってしまったようだ。

 あの話を前提に、繭墨は完全に僕の誤爆を誘っていた。


 完全にバレてはいるが、こういう場合は言質を取られないことに意義がある。

 あぶないあぶない……。


 しかし、繭墨の視線はいまだ鋭く、こちらの失言には容赦しないという態度が見え見えだった。よっぽど根に持っているのだろうか。


 しばらく気づまりのする無言の中を歩いていると、通りがかった公園の前で、繭墨が立ち止まった。園内をのぞき込みながら言う。


「あら、おいしそうなアイス――ソフトクリームのお店ですね」

「今日は暑いし、食べていこうか。おごるよ」

「ありがとうございます」


 僕の提案に対して、繭墨は遠慮の類を一切言わなかった。

 それはつまり、契約成立ということ。


 いくらかの対価を差し出すことによって、繭墨は今回の、女子の特定部位のボリュームに関する討論を聞き流してくれる。そういうことだ。ソフトクリームひとつで手打ちになるのなら安いものだった。



 ◆◇◆◇◆◇◆◇



 公園のベンチに並んで座り、先ほどの屋台で購入したソフトクリームに口をつける。


 地元で採れた生乳たっぷり、濃厚でクリーミーなミルクの味をぜひお試しください――そんな謳い文句どおり、とてもおいしかった。

 市販のラクトアイスは言うに及ばず、ワンランク上のお高いカップアイスなどとも比較にならないミルクの濃さ。


 半強制的、半脅迫的だったとしても、美味しいものを奢るのはいい気分だった。なんというか、こう、良質なものをわかっている、違いのわかる男という感じがする。


 この絶品ソフトクリームを口にして、繭墨はどんな顔をするのだろう。

あまりじろじろ見たら気づかれる。僕はソフトクリームを舐めつつ、顔は真正面を、視線は隣に向ける。


 繭墨は右手でソフトクリームを持っていた。

 少しうつむき気味の横顔に、ソフトクリームを近づける。

 ふと動きを止めて、左手で長い黒髪を耳の後ろに流す。髪がかからないように。メガネに覆われていない裸眼がわずかに見えた。そして、口元も。繭墨の舌が少しだけ伸びて、真白い渦巻きに触れる。ソフトクリームの横腹を、赤い舌がなぞる。そっと舐め取って口内へ取り込んだ。

 わずかに表情が変化。まぶたがいつもより大きく見開かれる。


 そして、繭墨はこちらを向いた。

 いきなり目が合ってしまったが、それを気にすることなく、


「これは……、大当たりですね」


 と繭墨はうれしそうに言った。


「ん、そうだね」


 僕は平静を装って同意し、すぐソフトクリームに視線を戻す。

 ちょっとそっけないか、不自然だったな、と思い直し、親指を立ててみた。


「この乳白色、たまんないよね」

「キャラ違いませんか?」


 繭墨は首をかしげた。



 ◆◇◆◇◆◇◆◇



 やがて、ソフトクリームを食べ終えると、僕は繭墨に質問をした。

 ずっと前からその疑問はあったが、ちょうどいいタイミングだと思った。


「どうして生徒会に入ったの?」


 まだ1年にも満たない付き合いだが、繭墨が人前に立ちたがらない性格であることは十分にわかっている。

 だからこそ、生徒会なんていう明らかに人目につく活動に、わざわざ飛び込んだことは不可解だった。


「気になりますか?」

「クラス委員長に推薦されたのは断ったのに、生徒会には入ってるんだから、そりゃ違和感があるよ。あ、そうか、最初から生徒会に入るつもりだったから、委員長はできなかったってこと?」

「いいえ、違いますよ」


 繭墨が視線をさまよわせること数秒、


「昨年、クラス委員長に推薦されたとき、進藤君に助けられたという話をしましたが」

「覚えてるよ。それで好きになったっていう」

「はい」


 繭墨はメガネのずれを直し、その手で頬に触れる。


「そのあと、進藤君の野球の才能を知って、思ったんです。わたしにも彼のような凄さがないと、とても対等になんてなれない。彼のピッチングに騒いでいるフェンス裏の女子たちと何も変わらないのではないか、と」

「……だから、生徒会に入ったってこと?」

「はい。成績上位ていどではインパクトが足りませんから。生徒会執行部なら、学生の立場としてはそれなりのステイタスだと思ったんです」


 本気だろうか。冗談を言っているようには見えない。

 しかし、冗談とは思えない態度で冗談を繰り出してくるのが繭墨のスタイルなので、油断はできない。


 とはいえ、本気だとしたら、想像していた以上に一途かつ幼い理由だ。


「……じゃあ、立候補するんだ。ステイタス向上のために」

「はい」


 生徒会長と野球部エース。確かに、それなりに並び立つ存在ではあるだろう。

 でも、立候補の動機としてはちょっと……、いやかなり……、というか相当にアレだ。

 力の入れどころが間違っている。

 率直に言って、バカなんじゃないかと思う。


 僕の内心の困惑を誤解したのか、繭墨が問いかける。


「――また、わたしを敗者にする(・・・・・・・・・)つもりですか?」


 とっさに返事ができない。また?

 一瞬、なんのことを言っているかわからなかった。


 そして思い出す。

 いつか繭墨が、直路への好意を宣言したときのことだ。


『僕が君を敗者にする。わたしが間違っていましたと言わせてやる』

 

 そんなことを言って繭墨を止めようとした、僕のセリフ――それをもじったものだ。

 


「いや、そんなことはしないよ」


 僕は否定した。

 だってあのときとは状況が違う。

 当時は百代と直路が付き合ってて、繭墨はその関係に横槍を入れようとした。

 だから止めようとしたのだ。


 だが今は、二人は別れており、直路はフリーの身だ。

 もちろん周囲の女子たちによる争奪戦という意味では激しさを増しているが、繭墨が直路に好意を打ち明けることに、倫理的にはなんの問題ない。


「恋のFA宣言は季節なんかお構いなしだからね」

「……頭は大丈夫ですか? 今日は真夏日の一歩手前でしたし、そのせいで?」

「いや熱にヤラれたわけじゃないから。まあ、動機はどうあれ、生徒会長に立候補する向上心はいいと思うよ」

「ですが、対立候補が不在では、その価値が減じてしまう気がします」


 繭墨は不満げだ。


「信任投票があるから問題ないんじゃないの」

「信任か不信任かを選ぶだけというのは、生徒たちのお情けで生徒会長にしてもらった、というイメージがあります」

「そうかねぇ」


 敵と競った勝利の末につかみ取る生徒会長の座、それにこそ価値があるとでも思っているのだろうか。だけど、


「決選投票だろうが信任投票だろうが、みんなそこまで意識してないよ」

「そうですね。国政選挙の投票率ですら50%を切る国。わたしはそういう無関心さに、不満などありません。選挙の準備や票の集計が楽でいいですから」


 繭墨が笑う。

 楽でいい、というのは間違いなく本音なのだろう。しかし、その表情は若干の物足りなさを感じているようにも見えた。


 進藤直路と並び立つためのステイタスとしての生徒会長。

 それに箔をつけたいとでも思っているのだろうか。

 繭墨は直路のことを大きく見すぎている気がする。


 恋は盲目とはよく言ったものだ。

 自分や周囲だけならまだしも、相手のことすら正常に見えなくなっている。


 そこでふと思い出したのは、いつかの千都世さんの言葉だ。


『あの繭墨ってコには気を付けときなよ。目的のためには手段を選ばないっていうタイプに見えるからな』


 僕がぼんやりしていると、いつの間にか繭墨は立ち上がっていた。

 こちらを振り返って、不思議そうに尋ねてくる。


「どうかしましたか?」

「いや何も」


 と答えて僕も立ち上がる。


「繭墨は生徒会長に向いてると思うよ」

「ありがとうございます」

「直路は、地位や格なんてもので相手を選んだりしな――」

「……ソフトクリーム、ごちそうさまでした」


 繭墨は笑顔を作り、こちらの言葉を遮りながら、まるっきり脈絡のないことを言う。

 この話はもう終わり、という宣言だった。


 こちらの意見を拒絶する態度が示している。

 繭墨はきっと内心では、何かしら決意を固めているのだろう。


 妙なことを考えてなければいいが――という不安は後日、当たってしまうことになる。

 ホームラン級の的中というほどではなく、せいぜい外野への犠牲フライの1点ていどの被害で済んだことが、救いといえば救いだった。

 


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