繭墨の高重力トレーニング
僕が栄えあるクラス委員長になった、その翌日。
いつも通りの時間に登校すると、校門前に繭墨が立っていた。
「ヒーローのお出ましですね」
「あ……、おはよう繭墨」
「はい、おはようございます、一つ上の阿山君」
「……まさかイジり一番手が繭墨とは思わなかったよ」
僕の揶揄に、繭墨は心外ですとばかりに口をとがらせる。
「これはわたしなりの気遣い、思いやりなんですよ」
「へえ、気遣いね」
「はい。高地でのトレーニングのようなものです」
「その心は」
「高地の厳しい環境に耐えることができれば、平地ではより高いパフォーマンスを発揮できます」
「高地?」僕は繭墨を指さす。
「はい」
女子の高地といえばまあ、はい、すいません、ある一点に目が行ってしまう。
だが、繭墨は、はっきり言ってそれほど標高が高くはない。
高地とされる水準には達していないが、それは置いておこう。
繭墨によるイジリ――もといトレーニングによって、今後想定される、クラスメイトからの揶揄や中傷に耐えられるよう、精神を鍛え上げようということだろうか。
そう理解して、再び繭墨の顔を見る。
それが合図だった。
「阿山君はヨーコのことが好きなのですか?」
「……僕はクラス委員長の座がほしかっただけだよ」
「ではクラスメイトの公僕としてどんな要求にも従うと?」
「それが委員長の職務の範囲なら」
「あのキャラづくりはどうかと思いますよ」
「あれしきのもの、僕が持つ数多の仮面の一つに過ぎない」
「格好いいと思っているのですか?」
「滑稽さの自覚こそ真の道化の条件」
「少し脱線気味ですね」
「うん」
二人してうなずき合い、しばしクールダウン。
「何も知らない赤の他人への建前は、盤石ということにしておきましょう」
繭墨の視線が鋭さを増す。
「ここからは、本当の動機についてのお話です」
「本当も何も」
「ヨーコをかばった理由を、自覚していますか?」
「まじめな話?」
「まじめな話です」
赤の他人ではなく、僕や繭墨、百代や直路の間でだけ通じる、話のことだ。
「僕のお節介が、百代と直路を別れさせてしまったかもしれない。だから、その罪滅ぼしにっていう自覚はあるよ」
「それだけですか?」
「あと、ホームルームの直前に、倉橋に呼び出されて聞かれたんだ、百代と直路がヨリを戻したんじゃないかって。そのときすでに、百代が攻撃される可能性に気付いてたら、もっと上手に対処できたはずだから」
繭墨は、僕の言葉を咀嚼するように、ゆっくりとうなずいた。
「つまり、2つの後悔が動機だということですね」
「そうだよ」
「まだほかに語っていないことはありませんか?」
「ないよ。……っていうかその2つだって相当踏み込んだ打ち明け話なんだけどね」
「そうですか。では、わたしは阿山君を外側から見ていきましょうか。
……客観的に見て、阿山君は、ヨーコを守りましたね」
「そうだね」
「進藤君は動きづらかったでしょうね。倉橋さんは進藤君に好意を持っていますから、進藤君がヨーコをかばえば、倉橋さんの反応は激しいものになったはずです」
「だろうね」
去年も同じクラスだったせいか、繭墨は事情をよく知っている。
「ということは、阿山君は、進藤君に代わってヨーコを守った、ということになりますね」
「……結果的にはね」
「誰もが一目置く進藤君にさえ、できなかったことを、阿山君はやり遂げたわけです。
――その事実に、優越を感じませんでしたか?」
後ろから鈍器で殴られたような気分だった。
……何が高地トレーニングだ。
これは、そんな生易しいものじゃない。
某バトル系マンガでおなじみの〝重力10倍〟系のトレーニングだ。
繭墨の言葉はワンセンテンスごとに僕の精神を圧迫していった。
特に、最後の質問は過酷極まる。
無自覚がゆえに強烈な、身構えることもできない羞恥。
僕はその場に立っているのがやっとだった。
◆◇◆◇◆◇◆◇
続いて直路。
グラウンドの脇道を、精神的ダメージを回復しつつ歩いていると、デカい声で呼び止められた。
そして僕たちはフェンス越しに話をした。
「キョウお前もしかして、百代のこと、好きなのか?」
「なんで」
「だってあんな、バカみたいな芝居までして……」
「バカみたいとは何さ」
「じゃあナニか? お前まさかあれ格好いいと思ってんのか?」
「んなことはない、僕だってわかってやってるんだよ」
「そうか……、ならよかった」
直路は割と本気で心配しているようだった。
申し訳ないと思う反面、その融通の利かなさをうっとうしくも思う。
少しは冷静でいられたのは、繭墨の高重力トレーニングのおかげだろうか。
「で、話はそれだけ?」
「いや、あの猿芝居のことはどうでもよくて」
「じゃあ何」
「だから、百代のことだ。オレとあいつはもう切れてるんだから、昔のことは気にするなって言いたかっただけだ」
「その言い草は自意識過剰だよ。僕はそんなこと気にしてないし、だいたい言われるまで忘れてたくらいだし、それに百代はもう直路の所有物じゃないし」
「お、おう……、でも、委員長になって内申点がほしいとか、本気で言ってるわけじゃないんだろ。それってつまり、やっぱ百代のこと――」
「だとしても直路が口を出すことじゃないだろ」
「おう、そりゃそうだ。でも、そうか……、お前が百代のことをなぁ」
「だとしても、って言ったじゃないか、仮定の話だよ」
「そういうことにしといてやるか」
「んじゃ僕はもう行くよ」
不毛なやり取りを打ち切って、僕はフェンスから離れようとする。
「あ、待て待て、ちょっと相談があるんだ」
「えぇ……」
「つい二日前に入ったばかりの新人なんだが、そいつがオレに対して妙に馴れ馴れしいんだよ。うまい注意の言い方とか、思い浮かばねーか?」
「舐められてるってこと?」
伯鳴高校の野球部は、体育会系とはいえ雰囲気はユルかったはずだ。上下関係にも厳しくなく、下級生がレギュラーをとってもそれほど妬まれることもない。まあ、すべて直路から聞いた話だ。こいつのような圧倒的な実力があれば、先輩だって文句は言うまい。
ただ、そんな絶対的エースに対して舐めた態度を取る一年生というのは、どういうやつだろう。
「実力に自信があるタイプ? 俺が勝ったらエースナンバーはもらいますよ、みたいな感じで突っかかってきてるとか」
「いや、そういうんじゃないんだが……、まず距離が近い」
「うん」
「あと、身体をべたべた触ってくる」
「ほう」
「腕を揉んできて、うわぁ先輩いい身体してますねぇ、って」
「うほっ」
「なんだ、うほって」
「お気になさらずに」
僕は咳ばらいを一つ。
「……馴れ馴れしいってのは要するに、ベタベタしてくるってだけのことなんだね」
「ああ。礼儀とかはちゃんとしてるんだが……、やっぱりほかのメンバーよりも明らかにオレだけこう、特別扱いなんだよな。周りの目も厳しくなってきたし」
「そりゃあそうだろうね」
グラウンドでバラの開花宣言なんかされた日には。
「ドリンクの補充とかもオレ最優先だし、ストレッチのとき強引に割り込んできたりして、……やっぱ身体が密着するだろ、1年とはいえそれなりに出てるところは出てるから、ちょっと目のやり場に困ったりするし」
「ちょっと待った」
「なんだ」
「さっきから話してる馴れ馴れしい1年っていうのは、ひょっとして女子マネのこと?」
「ん? ああ、言わなかったか?」
僕は沈黙した。
直路の苦労に同情しつつ、その受難を上から見て楽しんでいたというのに、認識が反転してしまった。
結局、ただのモテ自慢だったわけだ。
「ドラッカーの〝マネジメント〟って本でも読ませたらいいよ」
「なんだそりゃ?」
首をかしげる直路を置いて、僕は今度こそグラウンドをあとにした。
◆◇◆◇◆◇◆◇
教室に入ると、先に来ていた赤木が話しかけてきた。
「阿山お前、男だな」
「そう信じて今まで生きてきたけど」
「性別のことじゃなくて、心意気っつーか男気があるってことだよ」
「ああ……、そう見てくれるのはうれしいけど、あまり広めないでよ。バカが調子に乗ってバカをやっただけ――そういうことにしておいた方が、倉橋たちも対処に困ると思うから」
「わかった。でもあのキャラはないわー」
「作り込む時間がなかったんだよ」
例外的に理解を示してくれている者もいたが、クラスメイトの反応は大別すると以下の3つだった。
百代との関係を疑う者。
内申点に執着する成績優秀者、というキャラづくり説を推す者。
本気で内申点が欲しいだけのいけ好かないガリ勉、と見る者。
いずれも腫れもの扱いであることには変わりなかった。
百代との関係を疑う、というのは比較的健全に思えるが、実際は倉橋との敵対という面倒ごとがついてくるため、やはりクラスメイトはあまり近寄りたがらない。
教室内にいるとはっきり見られているとわかるほどだった扱いも、ゴールデンウイーク前には落ち着いていた。
七十五日の半分もかからなかったのは、時代の変化だろうか。
昨今のコンテンツ大量消費時代においては、人の噂のサイクルすら高速化されているのかもしれない。
◆◇◆◇◆◇◆◇
ところが、噂は消えても、敵意は消えなかった。
あるいは単純な思い付きなのかもしれない。ちょっとした面倒ごとができた、そういえばあいつ気に入らないからこれをぶつけてやれ、という程度の軽い気持ちで。
ゴールデンウイーク前の、最後の平日。
朝のホームルーム終了直後。
クラスメイト達はみな、連休の予定を楽しそうに語らっている。
赤木はデートの予定を話していた。
途中からそれが虚構であることには気づいていたけれど、僕は決して事実を暴くことはしない。聞き流しながら、
彼女は妄想、
ルートは空想、
感情が暴走、
したあとで失笑。
などとバイブスのアガるクールなライムを心の中でフロウさせたりしていた。
そんなときだ。
「ねえ委員長」
倉橋が僕に声をかけてきた。
クラス委員を決めた、あのホームルーム以来だ。
取り巻きの3人を引き連れて、座ったままの僕を見下ろしてくる。
隣の赤木は観戦モードだった。目が楽しそうだ。
「倉橋さん。どうしたの」
「あたし、連休中に海外旅行いくんだよね、ヨーロッパ」
「バッキンガム宮殿はいいよ」とっさに思い浮かんだ名所を口にする。
「はぁ? あんたのおすすめとかどうでもいいし」
「そうだね、僕はどうでもいい男だよ」
「でぇ、ウチって猫飼ってるんだけど、さすがに連れていけないし、クラスを代表する委員長に、ここはひとつ、預かってもらえないかなって」
どこまでが本気かわからない発言に、僕は倉橋のキツネ顔を見上げた。
僕の反応を可笑しがっているような表情。
これは様子見と判断。
受けてくれれば、いやな奴に面倒ごとを押し付けることができて万々歳。
断られた場合は、クラス委員のくせに困ってる生徒を見捨てるのか、などとむちゃくちゃな理屈で批判を展開して、気晴らしにするという使い方ができる。
どっちに転んでもいい、実にお手軽な嫌がらせ。
倉橋も本心では僕が受けるなどとは思っていないだろう。だから実質、完全なる嫌がらせだ。少しでも困っているそぶりを見せてくれたら、こっちだって助けてやらないでもない、という気持ちが湧き起こらないでもないかもしれないというのに。
そうだな、「アタイの猫の面倒を見てほしいコン、お願いするコン」と語尾をキツネ語にするなら考えてやらんでもない。そういえばキツネって本当にコンって鳴くのかな。
そんなことを考えていると、横合いから声がかかった。
「あ、あのっ、倉橋さん。……あたし、見ようか?」
百代だった。
僕と倉橋がにらみ合う側面で、おずおずと手を挙げている。
「はぁ?」
倉橋が素っ頓狂な声を上げた。




