才能のせい
試合会場に到着しても、すぐにプレイボールとはいかなかった。
相手チームがなにやら実行委員にイチャモンをつけていたのだ。
「別にルール上は問題ないだろうが」
揉め事の中心に近づくと、そんな品のよくない声が聞こえてきた。ルール上は問題ない、だなんて言ってしまう輩は、私は卑怯者ですと自己申告しているようなものだろうに。
事情を教えてもらおうと、近くにいたクラスメイトの女子に声をかける。
「なんか騒がしいみたいだけど」
「あっ、まやま君……」
名前を間違えられたことは聞き流そう。
「何かあったの?」
「あの先輩って元野球部でしかも元エースっていう、かなり野球が上手な人らしいの。それなのに野球のチームに入って、しかもピッチャーをやっているのはよくないんじゃないかっていう意見が、リーグ戦の対戦相手から出たんだって。それをやんわりと実行委員の人が注意して、せめてピッチャーからは外れたらどうかって提案してるんだけど……」
対戦相手である2-3組の成績を思い出す。そういえば3試合すべて完封だった。
騒動の中心にふたたび目を向ける。
元エースは2年生。それに対処している実行委員は3人いて、そのうち2人は1年生だった。2年生も1人いるが、気の弱そうな女子生徒のせいか強く出られないらしい。元エースは相手の態度を感じ取り、与し易しと見て調子づいているのかもしれない。
「お前じゃ話にならねーから責任者を呼んで来いよ」
「他の競技でもいるだろ、元サッカー部とか元バスケ部で試合に出てるやつ」
「先生じゃねーよ、生徒会長とかいるだろ」
「場所がわからねえなら呼び出せよ」
などなど、元エースの剣幕は収まらない。
実行委員3名ではアレを止めるには主張が足りないし、このグラウンドの監督役は新卒の気弱そうな女性教諭で、騒ぎには気づいているようだがオロオロして遠目に見ているだけだった。
元野球部――それが3年生であれば普通に引退したのだろうが、2年生なら途中で退部したことになる。加えて元エースというポジションとなれば、直路のレギュラー台頭によって居場所を奪われ、そのままドロップアウトしたのかもしれない。その苛立ちを球技大会にぶつけているのだとしたら、だいぶ痛々しい行動と言わざるを得ない。
素人相手に3連勝完封をかましていい気分でいたところに、ピッチャーをやるなと口を挟まれて、不愉快になるのもわからないではないが、周りの人に与える印象などは考えないのだろうか。
あの先輩も、さっきの僕と同じなのだろうか。久しぶりに試合で活躍して、女子にチヤホヤされちゃったりして、調子に乗ってしまっているのかもしれない。次も完封するぜ、キミの瞳にフォークボール、とか言っちゃったのかもしれない。
実行委員の一人は繭墨だった。彼女だったらこういうとき、横面をひっぱたくような正論で相手を黙らせてしまうのではないか、とも思ったが、そんなイメージはしょせん幻想だった。
もとから色白な繭墨はさきほどよりも顔色が悪そうだった。クリップボードを身を守るように抱いて、視線をやや俯かせている。元エースの横柄な態度や大きな声におびえるような姿は、遠近感以上に小さく見えた。
そんな彼女が意を決したように、元エースの前に歩み出た。
「先輩」
「あ?」
「2年生で、所属する部活と同じ競技に出ている選手はいません。3年生には何名かいらっしゃいますが、全員が引退しており、出場人数も各チーム1名のみです。それに……、いずれも試合の大勢に影響を与えにくいポジションでの出場です」
「つーと何か? オレが出しゃばってるって言いたいのか?」
「そうは言っていませんが……」
繭墨はしっかりと元エースを見据え、理路整然と言葉をつないでいる。
残念ながら、それはいい手とは言えない。元エースは繭墨を取るに足らない相手と見ているのだ。格下に何か言われたところで気にかけるわけがないし、むしろ正論は逆効果だ。
なんとかしないと、と周囲を見回す。残念ながら僕が加勢したところで元エースは気に留めないだろう。あいつの助力が必要だった。目当ての人材は、ちょうど連絡通路から彼女連れで歩いてくるところだった。
僕はグローブとキャッチャーミットを持ってそいつに駆け寄る。
「直路、ちょっと」
「ん、どうした」
「阿山君、試合まだ始まってないの? っていうかモメごと?」
百代が首をかしげて尋ねてくるが、今は説明する時間が惜しい。
「ごめん百代さん、ちょっとこいつ借りるよ」
「え? うん、どうぞどうぞ」
わずかに戸惑いながらも、あっさり彼氏を差し出す百代。
彼女の了承を得た僕は、直路をグラウンドへ引っ張っていく。
「なんだ、どうしたんだよ」
「ちょっとキャッチボールをしようよ」
「ん? でもお前のそれキャッチャーミットだろ」
「そう。マウンドとホームの間でのキャッチボール。試合が始まってないから少しくらい勝手をしてもいいと思うし、試合前の練習は当然の権利のはずだし」
「オレは出場しないけどな」
「調子に乗ってる元エースがゴネて、実行委員に突っかかってる。元をたどれば直路の才能のせいと言えなくもない」
「あれ、横村先輩かよ……。控えは嫌だって辞めちまったんだ。オレのせいかよ」
「それは当事者の問題だけど、実際問題として実行委員を相手に調子こいてる」
「言いがかりつけられてるの、繭墨か?」
「だからちょっと、矛先を変えてやりたいんだけど、頼めるかな」
「それが投球練習?」
「いい音させてよ」
「そりゃお前のキャッチングしだいだろ」
18.44メートル。
ホームベースとピッチャープレートの距離で向かい合った。
僕はしゃがんでミットを構える。
直路のフォームはゆったりとしたワインドアップ。まずは肩慣らしの軽めのボールだ。
パシン、という軽い音を立ててミットに収まる。
それを持って、握りを確かめ、やや強めに返球。
ボールは直路の胸元へきちんと届いていた。
直路は口元を上げる。思ったよりいい返球ができた。さすがに小学生の頃とは比較できないが、昔より肩が弱ったりはしていないようだ。
2球目はやや強め。
パンッ、とキャッチの音はまだ軽い。
3球目。球威を上げてくる。
パァン、と球速相応の音がした。
このミットは当たりだ。いい音を響かせてくれる。
道具はよし。あとは直路の言うとおり、僕の腕次第だ。
4球目。
ただボールを捕球するのではなく、こちらから迎えるイメージでのキャッチング。少しだけミットを押し出すことで、ボクシングのカウンターのように命中点での威力が増すのだ。手のひらがじぃんとしびれるが、その代償にいい音が出た。
同じくらいの球威で5球、6球と続けてからの、7球目。
直路がこちらに向けて握りを見せた。ボールの縫い目に指を重ねるフォーシーム。
足を持ち上げ、腕を振り上げ、身体をひねる。引き絞った弓矢のように力が蓄えられている、それが誰の目にも感じられるほどのダイナミズム。溜まった力は一点に集中し、そして放たれる。
僕は深呼吸してそのボールに備えた。
全身を使った躍動感あふれるピッチング。解説者がいればそんな風に語っただろう。直路の指先から放たれたボールは、構えたミットに寸分たがわず収まった。
ドパァン、という重厚かつ派手な音が響く。
――わずかな静寂のあと、周囲から歓声が上がる。
グラウンドの端で試合の準備をしている選手たちも。
フェンスの向こうで見物している生徒たちも。
実行委員たちも、オロオロしている教師も、元エースも。
誰もがこちらに注目していた。
〝場〟の中心は元エースの先輩から、現エースの立つマウンドへと移っていた。
元エースが乱した空気も多少は落ち着いたようだし、狙いはうまく当たったみたいだ。直路が注目を浴びまくっている隙に、僕はそっとホームベースから離れる。
繭墨がこちらを睨んでいたけれど、僕は気づいていないフリをした。
◆◇◆◇◆◇◆◇
直路の〝キャッチボール〟は元エースに対して、火に油ではなく水としての効果があった。僕としては元エースと実行委員を引き離すことが先決だったので、鎮火できたのはただ運がよかっただけだ。相手の出方しだいでは、もっと炎上して直路に突っかかってくる可能性もあった。
元エースは頭が冷えたらしく、その後は8番ライトでおとなしくプレイしていた。それでも3打数3安打だったのはさすがといったところか。
試合自体は4対2で敗れて、得失点差で『1-1野球』は全体の3位だった。
その好結果はクラスにいくらかの連帯感をもたらし、僕のクラス内評価は〝貧弱そうな帰宅部〟から〝ちょっと野球ができる帰宅部〟へとわずかにランクアップを果たした。
こうして球技大会は幕を閉じた――んだけど。
スマホのアプリに奇妙なメッセージが届いたのは、その翌日のことだった。
>繭墨:今日、部屋へ行ってもいいですか?




