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Room No.403  作者: 水月康介
2年次1学期
29/80

こんな狭い教室の中で


 始業式の翌日の昼休み。

 学食から戻ってきて教室でぼんやりしていると、隣の席で赤木がつぶやいた。


「桜前線って英語でチェリーブロッサムフロントっていうんだってさ。中二感あるよな」

「そう? 僕はエルニーニョとかの方がそれっぽいと思うけど」

「おお」

「理科系つながりだと、超大陸パンゲアとか」


 地学の用語である。

 僕の返事に、赤木がニヤリと笑う。


「阿山お前、いける口だな」

「……まあ、それなりには」

「まだ弾丸タマはあるんだろ?」

「試してみるかい?」

「ああ。それじゃあ、中二感ある単語の古今東西……ん、昔と今……お、これだ。蒼き言語表現のぶつかり合い、パスト・アンド・ナウ、イースト・アンド・ウエスト――さあ、始めようか」


 赤木は何かに気づいて言い直した。ずいぶん長ったらしいし直訳感がひどい、そんな掛け声とともに、僕たちのどうでもいい遊戯が始まった。

 先行は赤木。


「クーゲルシュライバー」

勿忘草わすれなぐさ

「シュトゥルム・ウント・ドランク」

月詠つくよみ

「シュバルツバルト」

木花咲耶このはなさくや

「和風で攻めるのはいいが、あまり神話系には行くなよ。あそこは宝庫だからな。……電撃戦」

「そっちこそ、ドイツ語は全体的に卑怯だと思うよ。……禁じられた遊び」

「どういうやりとりですか?」


 繭墨が口をはさんできたところで、僕と赤木の応酬が中断される。


「おぅ……、お、おはよう繭墨さん」


 大いに動揺している赤木。


「おはよう繭墨、これはね……」

「ッちょ待った! なんでもない、なんでもないんだ……」


 と赤木は慌てて僕の言葉をさえぎってくる。

 気持ちはわからないでもない。

 こういった遊びは、わかっている者同士でやるから心置きなくやれるのであって、理解のない者に踏み込まれたら、途端にテンションが下がってしまう。

 ましてや赤木は繭墨を異性としてそこそこ意識している。馬鹿な遊びをやっているところを見られて好感度が下がるのを避けたいのだろう。


「大丈夫ですよ。わたしもそれなりに造詣は深いつもりです」


 繭墨は自信ありげに胸に手を当てる。


「そ、そうか、じゃあ何か言ってみるか?」

「では、わたしは宇宙に関する言葉で縛りを設けましょうか。……重力均衡点ラグランジュポイント事象の地平線(イベントホライズン)暗黒物質ダークマター。オールトの雲。軌道共鳴オービターレゾナンス。エッジワース・カイパーベルト……」


 と、そこで百代が繭墨に呼びかける声が聞こえた。

 繭墨は言葉を切る。


「あ、もう行かないと。あの、わたしの言語感覚は正しかったでしょうか」

「お、おう……、悪くなかったんじゃないでしょうか」と赤木。

「そうですか。よかったです。それでは」


 繭墨は微笑を浮かべて去っていった。


「……なあ阿山」

「どうしたの赤木」

「繭墨って意外と尖ったやつなんだな」

「うん、そうだね、かなり鋭利だよ。続きは?」

「蒼い熱が冷めちまったぜ」


 と赤木の終了宣言。まだ熱が抜けきっていない捨て台詞ではあったけれど。


「昨日夜更かしした眠気が一気に来たんで寝るぞ」

「あそう」


 昼休みの中途半端な残り時間をどう使おうかと考えていると、こちらに数名の女子が歩いてきた。外へ出るのだろうかと横目で見ていたら、僕の隣で立ち止まった。


 顔を上げると、赤木が話していたレベルの高い女子のひとり、倉橋夏姫くらはしなつきが僕を見下ろしていた。

 この子を動物に例えるならキツネだろうか。

 整った目鼻立ちだが、目じりが細く視線も鋭い印象。

 後ろに3人の女子を従えている。


「阿山さあ、ちょっと顔貸してくれない?」


 と倉橋。こちらが断ることなど一切認めない口調だ。


「ここじゃ駄目な話?」


 という僕の質問に倉橋は答えず、教室の入り口を顎でしゃくって、先に外へ出ていった。


 ついて来い、ということだろう。

 わがままという言葉では生ぬるい。

 なんという唯我独尊だろうと戦慄しつつ、僕は彼女の後に続いた。

 これは、色っぽい話でないことだけは、間違いなさそうだ。


 眠ると宣言して突っ伏していた赤木が、片手を伸ばして親指を立てる。

 僕はその手をひっぱたいておいた。



◆◇◆◇◆◇◆◇



 廊下の隅に連行された僕は、そのまま窓側に追いやられ、4人の女子に囲まれてしまう。


「百代と進藤って元鞘モトサヤになったの?」


 倉橋キツネは端的に尋ねた。

 前置きも何もない率直さに、一瞬、なんのことかと理解が遅れる。


「え……、ああ、いや、きれいさっぱり別れてるよ」

「の割に仲よさげだったけど」

「きれいさっぱりっていうのは、後腐れなく、付き合う前の状態――つまり友達だった頃に戻ったって意味だから」

「言い方ウザ」


 と直球で否定されて絶句。


「口ではなんとでも言えるし」

「いきなり言い寄っても断られるから、様子見っしょ」

「外堀を埋めてるのよきっと」

「それそれ、あのぶりっ子そーゆーとこは考えてそうだし」


 などと4人は口々に暴言を垂れ流している。

 百代への敵意がむき出しだった。


 何これ、と僕は困惑する。

 1年次の行状から察するに、百代のことを快く思わない女子がいるであろうことは想定していた。だが、こんなにはっきりと敵意をぶつけるような連中がいるとは思わなかった。


 それに倉橋は元2組。百代と同じ組だ。

 だとしたら、百代は1年の頃からこんな風に恨まれ、大なり小なり嫌がらせを受けていたのだろうか。


 僕への聴取は終わっていたらしく、いつの間にか包囲は解かれていた。

 4人の背中が教室の方へ遠ざかっていく。

 

「チョーシ乗ってるみたいだし、ちょっと思い知らせてやらないとね」


 そんな物騒な言葉が漏れ聞こえた。



 ◆◇◆◇◆◇◆◇



 思い知らせる――そのための具体的な方法について、僕は考えを巡らせていた。


 午後はすべての時間がホームルームになっており、主にクラスの各委員を、立候補なり推薦なりで選出していくために費やされていた。考えごとにはうってつけの時間である。

 このままでは百代が危ない。

 倉橋たちの出方がわかれば、対策の立てようもあるだろう。

 僕はクラス会そっちのけで考えごとに没頭するつもりだった。


 日付によって抜擢された進行役が二人、やる気のない顔で教壇に立つ。


「それではまず、クラス委員から……はい、倉橋さん」


「立候補じゃなくてぇ、百代さんを推薦したいと思いまーす」


 え?


 僕は起立している倉橋を見た。

 倉橋は口元を吊り上げ、百代の方を見ている。

 やられた。内心で舌を打つ。


 まさかそんな、小学生みたいな稚拙な手を使ってくるとは思わなかった。

 百代は目を丸くして、口は半開き。

 かなり驚いていて、否定も肯定もできない精神状態のようだ。


 進行役も戸惑っている。そこに先生が助け舟が出した。

 ホームルーム程度、高校生ともなれば任せきりにするのが普通だろう。

 だが、先生は推薦合戦を危惧してか、倉橋に問いかけた。


「百代さんを推薦する理由は?」

「あたしは1年のとき百代さんと同じクラスだったんですけど、彼女はいつも明るくて人と接するのも積極的だったから、その行動力を新しいクラスでも発揮して、みんなを引っ張っていけるクラス委員になれるんじゃないかと思いました」


 いけしゃあしゃあと、なんの臆面もなく倉橋は言った。

 だが、理由の文言じたいに大きな不備はない。先生もケチをつけることはできないようだった。


 確かに、まっとうな推薦文だと思う。彼女の先だっての言動を見ていなければ、僕もああこの子は百代のことをよく知っているな、仲がいいのかな、とのん気に感心したかもしれない。


 クラス内から「さんせー」「いいんじゃないですか」「決まりでいいっしょ」などとやる気のない賛成の声がまばらに上がる。


 先生は百代の様子を見るが、あまり顔色がよくなかった。まだ落ち着いていない。


「他にクラス委員長の立候補や推薦は? ……なければ、委員長はちょっと後回しにしましょう。先にほかの委員を決めていってください」


 先生はそう言って進行役にバトンを預けた。

 猶予ができたが、さあどうする。


 百代が狙われていることは問題だが、それ以上に、『狙う者』が同じ教室の中にいることが問題だ。こんな狭い教室せかいの中では隠れることもできない。逃げるなら教室の外へ脱出するしかないが、それでは百代の実生活への負担が大きすぎる。

 

 去年たしか、繭墨がクラス委員にされそうになったという話を聞いた。

 そのときは直路が鶴の一声で繭墨を救い、助けられた繭墨は直路に好意を抱くようになったという――まあ後半の話はどうでもいい。


 だが、その手は今回は使えない。

 百代が敵視されている理由が、直路との関係にあるからだ。

 直路が手助けすれば、連中の反感を買うだけ。連中は火で、直路は油なのだ。


 もちろん直路の性格的に無視はできないだろう。

 実際、倉橋の推薦を聞いて直路は立ち上がりそうになっていた。

 僕は消しゴムの欠片を投げてこっちを向かせ、指で×印のサインを作って見せ、動かないように釘を刺しておいた。


 直路は不服そうだった。

 そりゃあ、どう考えたって悪いのは倉橋たちだ。

 だけど、この場合、相手が悪いとか、こちらが正しいとか、そういった倫理的な正誤は関係ないのだ。


 相手の悪さを止めようと思って、直路が出しゃばれば倉橋がキレる。

 そして百代への攻撃が激しくなるだけだ。


 根本的に解決するには、どうすればいいのだろうか。


 先生に間に入ってもらうか?


 生徒より上位からの強制介入。押さえつけ。

 それなりに効果はあるだろう。

 しかし、どれくらいの期間、その効果は続くのか。


 先生だって人間で、見るべき生徒は数多い。

 一部の生徒間の問題だけに、長く関わってはいられない。


 先生の手が離れた瞬間、倉橋たちは鎖を解かれた猛犬のように百代に牙をむくだろう。

 時間とともに興味をなくしてくれるかもしれないが、そうではない可能性もある。

 押さえつけられた時間は反感を育てる。


 じゃあ改心させるか?

 自分が悪かったと反省させて、心を入れ替えさせる。


 ――無理だと即断。

 何しろ時間がない。ホームルームの終了まであと15分程度だ。

 どんな高名な僧侶の説法でも、悔い改めさせることなどできまい。


 問題点はまだある。

 百代と相談する機会すらないから、肝心の彼女の出方がわからない。

 倉橋による推薦を、百代はどう対処するのだろうか。


 断固として突っぱねる場合は、ホームルームが終わったあとが問題になる。

 クラスの輪を乱す悪者という扱いを受け、倉橋たちには百代を公然と叩く口実――あるいは大義名分ができてしまう。


 推薦を受け入れた場合、倉橋たちの攻勢は、いっときは落ち着くだろう。しかし、それは降伏によって得た平穏であり、心情的には敗北に等しい。

 いずれは百代に追い討ちをかけるだろうし、たとえ直接手を出すことはないとしても、百代を格下に見ることは確実だ。

 百代は倉橋の顔を見るたびに、先に目をそらし、道を譲るようになる。そういう意識を刷り込まれるだろう。


 受けるのも拒否するのも、どちらも百代の利にはならない。


 ……だったら手はひとつしかないじゃないか。

 


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