阿山君はシスターコンプレックス
Time:201X/ 3/14 11:12
From:阿山千都世
Sub:今から行く
Text:今こっち発の急行に乗ったところ
◆◇◆◇◆◇◆◇
――百代曜子視点――
バレンタインが終わると、生徒総会とか期末テストとか、ちょっと面倒くさいイベントがあって、すぐホワイトデーがやってきた。
テストも終わってもうすぐ春休みなので、授業も半日しかない。
あたしがチョコを渡したのは、家族以外ではヒメと、あと阿山君だけ。
ヒメはもうお返しをくれたけど、今日は阿山君とはまだ顔を合わせてもいない。
どうせ阿山君の性格上、放課後にコッソリ来るんだろうなぁ。でも、今から僕の部屋に来ない? なんてらしくないお誘いが、ひょっとしたら万が一、ありえないとは言い切れないわけで、もしそんな風に誘われたらどうしよう――
そんなことを考えているうちに、あっという間に放課後になった。
HRが終わってすぐ、まだクラス内に残っている生徒の方が多いような状況で、クラスを出ていく人の流れに逆らって入ってくる男子がいた。
阿山君だ。
まさか教室に乗り込んでくるなんて。廊下か下校中に呼び止められるものと思っていたので予想外だった。心の準備ができてない。どんな顔をしよう、なんて返事をしよう――そんな胸中大わらわのあたしの席を素通りして、阿山君はヒメのところへ向かった。
歩きながらカバンから何かを取り出すと、一言二言しゃべってヒメにその箱を渡した。
回れ右して、あたしと目が合う。
阿山君はまっすぐこちらに歩いてきた。同じようにカバンから小さな箱を取り出し、
「百代」
「う、うん」
「はいこれ。バレンタインのお返し。それじゃ」
「え? あ、ちょっと……」
なんの前置きも余韻もない感じでお返しを渡すと、阿山君はすぐに教室を出ていった。
何あれ。
なんなの、この流れ作業的な扱い。ちょっとカチンと来るんですけど。
「不満そうね」
いつの間にか隣に立っていたヒメがそんなことを言う。
「ヒメだって。そっちはなんて言われたの?」
ヒメだってロコツに機嫌が悪い。
まず声がいつもより低いし、前髪が何本かメガネに掛かってるし、目つきが怖いし――
「〝お返し、それじゃ〟という実に簡潔なお言葉だったわ。ええ、わたしはいいと思うわ。シンプル・イズ・ベスト、タイム・イズ・マネー。何か他に、外せない要件があったのではないかしら。わたしなどついでの片手間、おまけのお義理だから」
――何より、口数が意味不明に多くなってるもん。
「でもそうだよね、阿山君なんか急いでたよね。用事かなぁ」
自分で言って、気づいてしまう。
ホワイトデー。
あたしとヒメは、お返しをもらったけど、でもそれだけ。
今日という特別な日の、特別な相手に選ばれたわけじゃない。
「で、でも、まだ誰かと会うって決まったわけじゃないし」
自分の意見に自分で抵抗してみる。そうよ。阿山君みたいな友達少ない人が、誰かと会うとかないって――
「……心当たりならあるわ」
「えっ、誰?」
「千都世さんよ」
「あ、お姉さん?」
そういえば、それなら阿山君と接点がある。でもお姉さんって遠くの実家に住んでるんじゃなかったっけ。あ、でもたまたまこっちに来てるのかも。
「でも……、お姉さんと会うだけにしては、ちょっと慌てすぎって感じがしたけど」
例えばあたしが弟の晴起を待たせていたとしても、あんなふうに急いだりしない。
「それはヨーコの常識でしょう。阿山君はきっと違うわ」
「そうかなぁ」
「ええ、だって阿山君はシスターコンプレックスだもの」
ヒメは断言した。
あたしもそう思う。
証拠はバレンタインに送られてきたチョコレートケーキだ。
あのケーキに乗っていたメッセージプレートには『鏡ちゃんへ(ハート)』と書かれてあって、それを見た阿山君の表情が緩んだのを、あたしは見逃さなかったから。
だけど、そのちょっとした表情の変化を知っているのはあたしだけのはずで、それを見ていないヒメが阿山君シスコン説を支持している理由はわからない。
ヒメはヒメで、あたしが知らない阿山君のことを何か知ってるのかな。そうだとしたら、ちょっと悔しい。
そっとヒメの顔を見ると、ヒメもこっちを見ていた。
なんだかしかめっ面をしている。
「ヨーコ、外へ出ましょう」
「え、なんで?」
「わたしたち、目立っているわ」
クラスを見回すと、確かにあちこちから視線を向けられていた。
ホワイトデーだからザワついてるのはわかるけど……。
「よそのクラスの冴えない男子に雑な扱いをされた哀れな女子二人」
「えっ?」
「わたしたちは今まさに、そういう立ち位置に陥れられつつあるわ」
「え、ええっ!?」
ヒメの言葉は早口でよくわからなかったけど、あまりいい状況じゃないことだけは、雰囲気でわかった。さらし者の、一歩手前だ。
あたしは急いでカバンに荷物を詰めながら言う。
「それって阿山君のせいだよね」
「そうよ、みんな阿山君が悪いわ」
ヒメと視線を交わす。
「じゃあ責任とってもらわないといけないと思うの」
「ええ、同感ね」
「でも、こっちの言い分だけで決めつけるのもよくないよね」
「ええ、まったくそのとおり。話し合いの場を設けるべきだわ」
あたしとヒメは頷き合って教室を出る。
それからすぐに階段を下りるんじゃなくて、廊下の端のベランダに出た。
「どうしてこんなところへ来るの? 寒いわ」
「阿山君がどこへ行くか確認しないと」
「どこへって……、あっ、そうか、そうよね」
ヒメも気が付いたみたい。
「お姉さんが阿山君の部屋に直接向かうのか、それとも列車かバスかでこちらへ移動中なのか、まだわからないものね」
「そーゆーこと。だから阿山君が自分の部屋へ戻るのか、伯鳴駅に迎えに行くのか、ちゃんと見極めるの」
あたしは手すりから身を乗り出して、昇降口から校門までを見下ろした。
「ここから見えるの?」
「両目とも2.0超えてるから」
「超えてる?」
「検診のときに白線から3歩くらい下がって測って、それでも全部あってたから……あ」
昇降口から出てくる生徒の数はまだ少ないけれど、その中に一人、明らかに早足の人影を発見した。今はほぼ真上からみているからちょっとわかりづらい。でも、校門のところまで来ると角度がついて個人の判別ができた。阿山君だ。
「駅の方だと思う」
「そう、よかったわ。千都世さんが何歳かはわからないけど、自動車を持ってる人だったら追跡のしようがなかったもの」
自動車を持ってる人。
ヒメは何気なくそう言ったけど、あたしはその言葉に威圧感のようなものを感じてしまう。
それはいわゆる大人の証明みたいなもので……、あたしたちのような高校生とは違う世界の人なのだと、強く意識してしまう。
小学生の頃、制服をまとった中学生たちがとても大人びて見えた。
中学生に上がると、袖の長すぎる制服に、お前はまだ子供なのだと否定されているような気分になった。
高校生になってやっと、制服姿がサマになってきたと思ってたのに。
上を見てため息をつく日々は、まだ続くみたい。
「どうしたの? ヨーコ、行きましょ」
「う、うん」
ヒメに続いてベランダから廊下へ戻ってくる。
そのとき風が吹き込んで、ヒメの長い髪があたしの視界にふわりと広がった。
「ああ、もう」
ヒメが煩わしそうに髪を指で梳くと、たったそれだけで、乱れた髪は素直にきれいなストレートに戻ってしまった。あたしだったら途中で指が引っかかっちゃうと思う。
……上だけじゃなく、隣を見てもため息が出てしまう。
なんて狭い世界なんだろう。
◆◇◆◇◆◇◆◇
伯鳴駅は南口が列車用の改札口で、北口はバスターミナルになっている。
あたしたちは二手に分かれて捜索することにした。
あたしは南口、ヒメが北口だ。
駅の改札前までは入ってみたけど、阿山君の姿はない。見過ごしている可能性もゼロじゃないけど、でも、誰かと会うときに人の多い駅舎内で待ち合わせするだろうか。
あたしは駅舎の前の歩道を重点的に調べたけど、やっぱり見当たらない。
列車の入ってくる音がした。駅へ向かって急ぎ足になる人がいる。
ヒメの方はどうだろ。あたしは連絡を取ってみた。
「もしもし、どう?」
『駄目ね、制服姿の人がそもそもいないもの』
「そっかぁ、でも阿山君が駅の方へ行ったのは確かなんだけどなぁ」
『まさか、わたしたちの尾行に気づいていたとでもいうのかしら』
「それはないんじゃないの? だってあたしたちって阿山君の後をついていったんじゃないし」
『そうね……、あくまで当たりをつけただけ……、とすると、私たちの行動に気づいたのではなく読まれたということ? やるわね、阿山君』
「どうしたのヒメ、なんかテンション変じゃない?」
『そうかしら。自分ではよくわからないわ』
「主人公たちの機転に衝撃を受けてる、敵組織の幹部みたいなノリになってるよ」
『大丈夫よ、わたしたちはそんな咬ませ犬とは違うわ』
やっぱりヒメのテンションはおかしかった。
ごっこ遊びに夢中になってる子供みたい、と言ったらきっと怒ると思うけど、そんな感じのノリで、だけどあたしは一緒にはしゃぐことができない。
だって阿山君のお姉さんだよ?
どんな人なんだろうって、あたし、駅についてからずっと緊張してるのに……。
やっぱりヒメは自然体っていうか、達観してるなぁ。
話の途中で列車が入ってきたので、南口で合流することにして電話を切った。
駅の入り口周辺をうろうろしつつ、駅に向かってくる人をさりげなく観察していると、ひとり、横断歩道を渡ってこちらへ走ってくる人影を見つけた。
伯鳴高校の制服を着ている。
当たりだった。阿山君だ。
いつものぼんやりした顔とは違った、真剣な表情。
陸上選手のような、とまでは言わないけど、バタバタした感じのない、きちっとした姿勢で走るその姿に、阿山君の必死を感じてしまう。
そのまま、阿山君はあたしに気づかず、ほんの1メートルほど横を通り過ぎていって。
改札口からパチンコの玉みたいに出てくる人の群れ――その中の一人に呼びかけた。
人目を引く女の人だった。
阿山君とほとんど同じくらいの身長。
髪の毛は肩に届くくらいのロングだけど、ヒメみたいにまっすぐじゃなくて、ちょっと外ハネしてる。
真っ赤なコートと、地面まで届きそうな黒のロングスカート。
きれいな顔だけど、ムッとした表情で阿山君を見下ろしている――今、阿山君はしゃがみ込みそうなくらい息切れしているのだ。
その人の右手が上がった。こぶしを握っている。
――そのまま、阿山君の頭に振り下ろした。ええっ?
「あイタッ!?」
阿山君がここまで届くくらいの大きな声を出す。その反応からして、結構本気で痛がってるみたい。
頭を抱えつつ身体を起こす阿山君に、女の人はニカッという効果音が付きそうな笑顔を見せる。
また右手が上がって、今度は阿山君の髪の毛をぐしゃぐしゃにかき回した。
阿山君は恥ずかしそうにしつつも、その手を振りほどいたりしない。
たっぷり十秒以上、髪の毛ぐしゃぐしゃを続け、女の人はやっと手を放した。
――かと思うと、バッグを置いて阿山君の背中に両手を回す。
抱き着いていた。
ひさしぶり
赤い唇がそんな風に動くのが見えた。
それから、顔を上げた女の人がこっちを見た。
ばっちり、目が合ってしまった。
あたしはすぐに目を逸らすけど、女の人は興味を失ってくれない。
阿山君に声をかけて、〝あれ知り合い?〟みたいな唇の動き、そしてこっちを指さしてくる。
阿山君の視線がその指をたどって――
逃げる間もなく、あたしはすぐに見つかってしまった。
このあとすぐ、ヒメも芋づる式に見つかりました。




