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Room No.403  作者: 水月康介
1年次3学期
17/80

天秤のように釣り合わないんじゃなくて、パズルのピースのように合わなかった

 新学期が始まった朝、僕は普段よりも30分ほど早く部屋を出た。

 前日に直路から電話があり、一緒に登校することになったのだ。


 いつもより薄暗い通学路は、当然ながらいつも以上に寒かった。

 まさに肌を刺すような寒さ、というやつで、吐く息の白さも明らかに濃い。

 

 待ち合わせ場所には直路が先に来ていた。寒さをしのぐためか、その場で駆け足をしている姿は、すべてが静謐な冬の町の中で明らかに浮いていた。


「悪かった」


 顔を合わせるなり、直路は頭を下げた。

 謝られる理由はいくつか考えられたが、ひとつには絞れなかった。

 道端で立ち止まられても困るので、とりあえず歩くよう促し、僕は尋ねる。


「一応聞いとくけど、なんで?」

「クリスマスのことだよ。パーティのあと。曜子のやつが妙なことを頼んだせいで、迷惑かけただろ」

「別に迷惑ってほどじゃないよ」

「っても普通じゃないだろ。部屋を貸せって、しかも目的が……」

「性交渉」


 言いよどむ直路に代わって言ってやる。


「おう……」

「何。なんか失敗したの?」


 あまり茶化せるような雰囲気ではなかったので、大人しめの言葉を選んで聞いたけれど、 

「失敗っつーか、オレたち、別れることにしたから」

「あ……、そうなんだ」


 予想外の答えだった。僕は平常心を装って質問する。


「でも、なんで」

「ついていけないと思ったんだよ。別にオレだって健全な男子だから、そういうことが嫌だっていうんじゃねえんだ。でも、それをなんか、曜子はお前を利用するみたいにして……、そういう強引さってどうなんだ? 手段を選ばないアイツが、オレは……、正直に言うけど、ちょっと怖いと思ったんだよ」


 直路は話しながら顔をうつむかせていく。

 百代の勢いや強引さは、確かに危ういところもある。知人の距離で見ていてもそう思うのだ。その危うさを直接向けられた直路の困惑は大きかったのだろう。


「言っとくけど、そういうわけだからオレら、あのクリスマスの日、何もしてないからな」

「え、でも据え膳……」


 しかも百代という、けっこう良質な膳だ。


「ホントだぞ。信じられないなら曜子にも聞いてみろよ」

「いやそれはちょっと」

「……そうだな、ドン引きされるな」


 ただ、直路の様子を見る限り、嘘ではなさそうだ。


「まあ信じるよ。意外と理性が強いんだね」

「性欲とかより、なんだ、怒りか? 友達の部屋をそういうことに使ってるっていう状況をオレは異常だと思うし、だから曜子の計画性にはフザケんなって思ったんだよ。……あと、謝っといてなんだけど、お前のことも似たように思ってるからな。余計な気遣いだってんだよ」


 三振で仕留めると心に決めているときのような視線で睨まれた。


「そっか、うん、その通りだね。ごめん」


 まったくその通り。この件に関しての理はすべてに直路にある。

 僕たちは恋人の周りではやし立てて無責任に煽る愚か者だった。


「僕が余計なことをしなかったら、二人はもっと続いてたと思う?」

「……さあな。短い付き合いだったから傷が浅くて済む、みたいな話ってあるだろ」

「だね。けど、長い付き合いのうちに愛着が深まってく、って話もあるよ」

「だな。……あー、もう、わけわかんねぇ」


 直路は叫びながら空を見上げる。


「引き返す?」

「……返さねえよ」

「恋愛は迷路みたいだね」

「お前まだ具合が悪いのか?」

「一番厄介な迷路ってなんだと思う?」

「さあ、目が細かいとわかりにくいけど……」

「それはね、深いところで行き止まりになってる迷路だよ」

「あー……、確かにな」

「失敗に気づいても引き返せない。それまでの道のりを、無駄にしたくないから」


 2人して黙り込んで歩き続け、やがて校舎が見えてきた辺りで直路が口を開く。


「サンキュな」

「何が」

「恋愛は迷路って話」

「人の口から聞くと、すさまじく恥ずかしいね」

「うるせえよ。……別れるってことを肯定してくれたんだろ」

「そういうのは言わない方がいい〝気づき〟ってやつだよ」

「そういうもんか」

「これからどうするの」

「これからって」

「色恋沙汰」

「しばらくはパスだな。自慢じゃねーけど、曜子と別れたって話が広がれば、またあちこちから声がかかりそうで嫌なんだが……」

「ケッ」

「チンピラみたいな言動が似合わねーやつだよなお前は」

「野球が恋人って?」

「そうそう、そういう感じだ。言いふらせば女子が寄ってこなくなるかな」

「難しいんじゃないの。男色疑惑を流すくらいしないと」

「その場合たぶんお前んとこにもとばっちり(・・・・・)が来るぞ」

「え……!?」


 足が止まる。

 それは、この日一番の動揺だった。


「僕らって、え? そういう風に見られて……?」

「曜子の前に、何度か告られたのを断ったとき、そういうことを言われたんだよ」

「へえ……」


 僕は直路から距離を取る。


「おいやめろってそういうの」

「え、よくわからないなぁ」

「違うぞ、オレはノーマルだからな。女子が冗談で言ってるだけだ、オイって!」


 そんな風に冗談で話を終われたことが、僕と直路の間に禍根がないことの証のようでうれしかった。


 野球が恋人。その言葉どおり直路は野球に没頭した。

 冬から春にかけてひたすら走り込みを行い、下半身の強化に取り組んだ。その結果ストレートの球速はさらに伸びた。加えてスタミナも大幅に上昇し、後半のガス欠もなくなった。夏の地区優勝に貢献、見事チームを甲子園へと導くのだが、それはまた別の話だ。


 今日はまだ話をしなければいけない相手がいる。



◆◇◆◇◆◇◆◇



 新学期の初日から通常授業というつらい日程が終わった、放課後。

 僕は校門から出て少し歩いたところで百代と合流した。授業中にメッセージを送っておいたのだ。


「阿山君、あけおめー」


 僕の姿を見つけた百代が、軽く手を振った。

 その略語が僕はあまり好きではないのだけれど、そういう自己主張が奇異の目で見られることは、中2くらいの頃にもう思い知っている。僕も軽く手を振って応じた。


「あけましておめでとう、百代さん」

「そっちから連絡なんて珍しいよねぇ」


 百代は上目遣いにこちらを見て、


「――もしかして、進藤君・・・から聞いてる?」


 と、いつもどおりの笑顔でそう言った。


「うん。聞いたよ。別れたって」

「ごめんねぇ、何度も無理を聞いてもらったのに、結局ぜーんぶ無駄にしちゃって」


 百代は両腕を広げる大げさな動作で、〝ぜーんぶ〟とやらを表現する。

 そして歩き出したので表情は見えない。僕は5歩ほど離れてついて行く。


「それはいいよ別に。……というか、決定打はその無理だったんじゃないの」


 クリスマスの夜の、強引なセッティング。

 あれが直路の、百代への違和感を決定的なものにしてしまった。


「うん。そうかもね。あのとき、進藤君すっごく怒ってたから」

「怒ったのかあいつ」

「うん。あんなに……、怒りを抑えて静かに振舞ってる感じ、初めてだったから。あたしもさすがに、あ、これ終わっちゃったなぁ、って。取り返しのつかないことをしちゃったんだなって」


 百代の顔は見えないが、声は震えていた。


「ごめん」


 僕はとっさに謝っていた。


「なんで?」

「クリスマスのあとの計画は、さすがに僕もやりすぎだと思ってたから。止めておけばよかった」

「アレがなくても、結局は遅かれ早かれだったと思うけどなぁ」


 僕は答えなかった。

 百代は続ける。


「あたしと進藤君って、近くで見ててどうだった? ちゃんと彼氏彼女に見えてた?」

「正直、ちょっとぎこちないな、とは思ってたよ」


 それは僕だけではなく、繭墨も感じていたことだ。


「だよねぇ、やっぱり付き合う動機がミーハーっていうか、あたしだけ1人で盛り上がってて、進藤君はそれを冷静に一歩引いて見てる感じだったし……」

「あいつはちょっとストイックすぎるよね。修行僧かってくらい」

「だよねぇ。じゃないと自信がなくなっちゃう」


 百代は下を向いてしばらく歩いていたが、やがて立ち止まり、こちらを振り返った。


「釣り合わなかったってことだよね、結局」


 明るい顔で、後ろ向きなことを言わないでほしい。否定しかできなくなる。


「そんなことはないよ」

「慰めてくれるんだ」

「これは客観的な分析なんだけど……」


 僕は歩きながら言葉を選ぶ。

 すぐに百代に並んでしまう。


「釣り合わなかったんじゃなくて、合わなかっただけだと思うよ」

「どう違うの?」


 百代は首をかしげる。


「釣り合うっていうのは天秤の両端だ。どっちが上でどっちが下か。どっちが重いかどっちが軽いか……、そういう、格差があるような言い方になる」

「でも、あるじゃん、実際……」


 百代の否定的な言葉を無視して、続ける。


「合う・合わないっていうのは、パズルのピースだよ。あれはどれも微妙に形が違ってるけど、ピース自体の価値に差はないよね?」

「……ん、まあ、そーかも」

「つまり、百代さんと直路は、天秤の傾きのように釣り合わなかったんじゃなくて、パズルのピースのように合わなかったんだよ」

「でも、あたしはなんの取り得もない女子だけど、進藤君は強豪校も警戒してるレベルのピッチャーだよ?」

「百代さんは積極的に話し掛けてたのに、直路って口下手なところがあるし話が盛り上がらなくて不満だったこととかあるんじゃない?」

「それは……、ないとは、言えないけど……」

「練習ばっかりでなかなか会えないし」

「野球は進藤君のアイデンティだし……」


 もう一個ティ足そうか。


「もう少し自分を優先してほしいとは思わなかった? まったく?」

「そんなの……、付き合ってれば不満のひとつくらい出てくるでしょ」

「それをちゃんと口に出して、相手に伝えていたようには見えないんだけど」

「進藤君の立場的に、こっちは我慢しなきゃだし」

「付き合ってるけど、対等じゃなかったってことだね」


 その言葉に百代が反応した。

 睨まれた、と言ってもいいくらいの強い視線を向けてくる


「なんなの。阿山君なんなの? ちょっと攻撃的じゃない?」

「そんなことないよ」


 百代は僕の目をじっと見つめる。

 もう、睨んではいなかった。


「もしかして、怒ってる?」

「え?」

「怒って、くれてる?」


 それはまったく思いもよらない指摘だった。

 僕は、だからすぐに否定も肯定もできなくて、さっきの自分の言葉と、それを口にするときの感情と表情とを、思い返していく。


 僕が答えにたどり着く前に、百代は前を向いた。

 そして歩き出す。


「天秤のように釣り合わないんじゃなくて、パズルのピースのように合わなかった、かぁ……」


 百代は徐々に歩くスピードを上げていき、ほとんど走るみたいな速さになる。

 僕は追わなかった。すでに、互いの帰り道が別れる交差点に来ていたからだ。


「そういう風に考えることにしとくー、じゃあねー!」


 と、百代は大きな声で言うと、手を振りながら走り去っていった。


 1人になって、改めて考える。

 やはり、怒っていた自覚はなくて、どちらかといえば、慰めるつもりで今日は声をかけたのだ。

 実際、百代は普段より落ち込んでいた。

 フォローすべき状態だったと思うのだが、僕は何か、マズったのだろうか。


 あれこれ悩んでいると、横合いから声がかかった。


「傷心の女の子にすぐ声をかけられるのはポイント高いですよ」


 声の方を見ると、繭墨が後方の脇道から音もなく姿を現した。


「げっ、繭墨さん……、見てたの?」


 繭墨は楽しげに口元を上げる。


「たった今、通りがかっただけです。事情を知っているので、何を話していたのかは想像がつきます」

「じゃあ繭墨さんも知ってるのか、二人が別れたこと」

「はい。ヨーコから聞きました」

「そうか……」

「ええ」


 僕は繭墨の表情をうかがう。

 特に浮き沈みもない、平坦な表情だった。

 つまり、読めない。


「まさかとは思うけど、チャンスとばかりにまた告白したりしないよね」

「乙女の恋愛履歴をこんなところで晒さないでください」

「あ、ごめん」


 確かに配慮が足りていなかった。どこで誰が聞いているかわからないし、それ以上に、自分の恥ずかしい行動を言葉にされること自体、あまりうれしいものではないだろう。


「お言葉を返しますが、阿山君はチャンスと見て行動したのですよね?」


 さらに言えば、繭墨への攻撃は故意であれ過失であれ、過大な反撃を呼び寄せてしまう恐れがある。そういう意味でも僕は配慮が足りていない。


「傷心につけ込もうとか狙ってないし、百代さんのことはそういう目で見てないから」

「わたしも、間髪いれずに次の恋を押し付けるような身勝手な人間ではありませんよ」


 一瞬の間。


「……やめとこう。不毛だ」

「ええ、今は恋が終わった2人を見守ることにしましょう」


 剣士が鞘に置いた手を離して、臨戦態勢を解くように、僕たちはその話題から離れることに同意する。

 物理的にも離れようと別れのあいさつを口にする――それよりも先に、繭墨が言った。


「わたしのことは呼び捨てでかまいませんよ。さん(・・)付けは不要です」


 唐突な提案に、僕はわけがわからない。


「え、なんで」

「この前、阿山君の部屋にお邪魔したときは、ずっと呼び捨てだったじゃないですか」

「そう? 記憶にないけど……」

「心の中ではいつも呼び捨てにしていたものが、表に出てしまっただけでは? あのときは精神的にも肉体的にも疲弊していましたし、呼び方にまで気を配る余裕がなかったということでしょう」


 心の中ではいつも呼び捨て。

 図星だったので反論できない。


「内心でさんざん呼び捨てておきながら、声に出すときだけさん(・・)付けだなんて、そんな2面性は少々気持ちが悪いですから。無理はしなくていいんですよ?」


 繭墨の口調は穏やかだったが、ところどころの単語はキツくて、それが彼女の不快感を表しているようだった。

 僕は少しの抵抗を感じつつも、両手を上げる(ホールドアップする)ような気持ちで口を開く。


「……わかったよ繭墨」

「はい、鏡一朗」

「それはやめて?」

「さようなら鏡一朗」


 一方的に言い逃げして繭墨は去っていった。

 まさか学校内であの呼び方はしないよな……。


 常識的にはないと思うが、しかし一方で不安もある。

 親しげな呼び方によってこちらの羞恥心を煽るという、彼女なりの攻撃なのではないかということだ。そして困ったことに、その攻撃方法はなかなか効果的なのだ。


 繭墨が飽きるのが先か、僕が耐性をつけるのが先か。

 のっけから波の高い、3学期の始まりだった。



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