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Room No.403  作者: 水月康介
1年次冬期休暇
16/80

取調室のカツ丼

 長い二度寝から目覚めると、繭墨がいた。


 最初はそもそも繭墨とは認識していなくて、自分の部屋に何かいる、くらいにしか思ってなかったが、やがて頭がすっきりしてくると、視界も鮮明になってきた。

 で、私服姿の繭墨がそこにいた。


「……繭墨?」

「明けましておめでとうございます、阿山君」


 繭墨はちっともめでたくない声音で年始のあいさつを口にする。若干、怒っているように見える。


「あ、ああ……、明けましておめでとう?」

「風邪ですか?」

「よくわからないけど熱が出て身体がだるいんだ」

「それはまた、めでたくない年始めですね」

「ところで……、鍵、開いてた?」


 僕はたずねつつ身体を起こす。それだけの動作にもかなり力を入れなければならなかった。体調を崩したのはクリスマスの翌日だが、そうなってからも無理を続けたせいで、相当具合が悪くなっていた。部屋に戻ってから丸二日はほぼベッドの中だった。


 朦朧とした状態での帰宅だったので、鍵をきちんと閉めていなかったのかもしれない。だからいつの間にか繭墨の進入を許していたのだ。


「はい。不用心ですよ」

「あ、やっぱりそうか……。でも、なんで繭墨はウチに来たわけ? まさか年始のあいさつってわけじゃないよね。連絡もなかったし……」

「理由がなければ来てはいけませんか?」


 その、拗ねたような言葉に驚いた。

 繭墨らしくない、距離感の近い言葉だった。


 ふとテーブルの上の食器が目に付く。

 おかゆだ。

 作った記憶はない――というか作りたてだ。湯気が立ち上っている。

 誰が用意したのかは明白だった。


 でも、え? まさか、そんな。

 繭墨がこんな、わざわざ休みの日に、それも元旦にやってきて、看病を?

 僕はわけがわからず、おかゆと繭墨の顔を何度も見返した。


「少しでも食欲があるのなら、どうぞ」

「ん、ああ……、どうも……」


 口の中は乾いていて、胃の中は空っぽ。頭痛や吐き気は収まっている。

 体調を検分して、これなら食べられるだろうと判断。

 僕はベッドを下りてテーブルに着くと、スプーンを持っておかゆを食べ始めた。


 最初のひと口で、水気たっぷりのご飯が口の中を潤していく。

 休んでいた舌が眼を覚まし、絶妙な塩気と酸味を感じ取る。

 遅れて半熟の卵の柔らかな食感、甘み。

 調理の巧拙はわからないが、今の僕にとって、繭墨の作ってくれたこのおかゆは、最高においしい料理だった。

 食事のテンポはゆっくりと、しかしスプーンを動かす手は休むことない。思った以上に身体が回復していたのか、すべて食べ終えることができた。

 その間、テーブルの反対側で静かに本を読んでいた繭墨が、僕がスプーンを置いたのに気づいて顔を上げる。


「それだけ食べられるのなら大丈夫そうですね」

「ごちそうさま、おいしかったよ」

「それは何よりです」


 繭墨は立ち上がると、僕を見下ろして優しげに微笑んだ。

 そして、パタン、と本を閉じる。


 その音は追及の始まりを告げる合図であり――

 

「ヨーコから大体のことは聞いています。なぜあのようなことをしたのですか」


 ――あの、温かかったおかゆの正体は、実は取調室のカツ丼だったのだ。



◆◇◆◇◆◇◆◇



 あの日、クリスマスイブの夜。


 パーティが終わって、まず繭墨が席を立った。

 それからしばらくして、部屋の主であるはずの僕が部屋を出た。

 すると残るは直路と百代の2人になる。

 クリスマスの夜に、恋人を2人きりにした。


 百代に頼まれたからとはいえ、僕は積極的に彼女の企みに加担した。

 理由は、直路と百代の仲を磐石にするため。

 それによって、繭墨の、直路への恋心を諦めさせるためだ。


 一夜を共にすれば2人の仲が深まるだなんて、子供じみた発想だと思う。

 だけど〝それ〟はそういう、強い意味合いを持つ行為だと信じていたのだ。

 僕もそうだが、おそらくは言い出した百代も。


 部屋を出た僕は、クリスマスの夜をあちこち歩いた。

 まずは24時間営業のバッティングセンターで5セットほど、プロの名だたるエースピッチャーを打ち崩した。


 次はネットカフェ。朝までのコースで完結した長編漫画をひたすら読みふけった。何度も侵略者から地球を救ったり、仲間と共に大魔王を倒したり、バスケの全国大会で3回戦敗退したりした。


 日が変わる前には帰るから。

 百代はそう言っていたが、僕は万全を期して翌日の昼まで粘ってから部屋に戻った。

 ほとんど寝ていなかったので頭は霞がかかったようにぼんやりしていて、目も酷く乾いていた。

 これはベッドに入ったら夜中まで眼が覚めないだろうな。

 ――という予想はまったくの外れだった。


 あの2人が(・・・・・)昨日の夜に(・・・・・)何をしていたのか(・・・・・・・・)


 それを思い出し、想像し、振り払ったと思ったら視線が部屋の中をさまよう。

 事後の〝痕跡〟を探そうとしている自分に気づいて、僕は部屋を飛び出した。


 その前に、窓を全開にし、換気扇のスイッチは〝強〟に入れておいた。

 清掃業者に入ってほしいくらいだった。


 それからの数日は散々だった。

 食事はファミレス。寝床はネットカフェ。

 部屋に帰るのは着替えのときだけだ。

 自分の部屋にどうしても長居ができなかった。

 

 やがて身体の方が参ってきて。

 節々が痛むほどの発熱と頭痛が止まなくなって、限界を感じたところで帰宅。そのままベッドに倒れこんだ。

 何も考えられないような体調になって初めて、ようやく僕は、自分の部屋で眠ることができたのだった。



◆◇◆◇◆◇◆◇



「……で、今に至ると。まあ、そういうわけ」


 なぜあんなことをしたのか。

 繭墨の質問に対して、僕は素直に、洗いざらいしゃべってしまっていた。

 病み上がりで頭が回っていなかったからというのも理由のひとつだろう。

 だけど、それ以上に繭墨への罪悪感があったのだと思う。


 話をしているうちに視線が下がっていた。カラのお椀を睨みつけても、気の利いた台詞は書かれていない。


 僕は恐る恐る顔を上げて、繭墨の反応をうかがった。

 何を言われるだろうという不安もそうだが、傷ついていないだろうかという心配の方が強かった。自分で傷つけるようなことをしておきながら何を今さらと思うが、知ったことかと無関心を装うこともできない。


 繭墨は呆然とした表情で立ちすくんでいた。

 当然か、と心が痛む。だが、すぐに違和感。

 その反応はおかしい。


 だって繭墨は、大体の話は聞いた、と言っていたじゃないか。

 事前にある程度の事情を知っていたのならこんなに動揺するはずがないし、そもそも恋敵の手助けをしたやつに病人食を作るなんていう、曲がりなりにも気遣いめいたことをするわけがない。


 百代から話を聞いたって?

 聖なる夜に恋人と結ばれました、とでも?

 いくらなんでも、百代がそれを自分の口から、自慢するように話すだろうか。

 ない、と思う。


 百代はきっと、具体的なことは語っていない。あるいは何も言っていないが、察しのいい繭墨は、百代の態度に違和感を覚えた。

 そして、別の角度から事情を探るために――僕を問い詰めるためにここへ来たのではないか。


 だから、つまり……、計算づくの、カマかけだったのだ。

 僕はそれに見事に引っかかった。

 繭墨の仕掛けた罠で、首を刎ねられたのだ。


 繭墨は苦々しげに口元をゆがめる。


「やってくれましたね……」

「ヤッたのは僕じゃない、あの2人だよ」


 そう返すと、繭墨の表情が、フッ、と苦笑に転じた。

 僕の下ネタがウケたわけではないだろう。


 これはきっと、余裕の笑みだ。

 百代が少しばかり先に行ったとしても、その程度はたいしたアドバンテージではない。多少のハンデがなければ勝負は盛り上がらない。

 そう言っているような笑いだった。


 ほんの一瞬、気落ちした様子を見せた繭墨だったが、すぐに顔つきに自信が満ちてくる。いつかの保健室で見せたような、雌伏を厭わない覚悟――あるいは開き直りの表情。


「たかだか一夜を共にしたくらいで恋人面なんて、発想が童貞ですね」

「その発言は誤解を招くよ!?」

「さすがの妄想力ですね」

「え、僕のせい?」


 繭墨の言葉にいつもの調子が戻ってくる。

 こうでなくては、と思う。

 物騒な思考を巡らせているのだとしても、消沈しているよりは活発な方がいい。

 彼女が元気になるのなら、少しくらいは叩かれ役になってもかまわない。


 繭墨に対して、罪悪感から来る罪滅ぼしという、下手したての気持ちはもちろんあった。

 だけどそれ以上に、かつて彼女をまかすと宣言した手前、敵役かたきやくを演じなければという義務感があるのかもしれない。

 僕は鋭利な言葉を喰らいながらも、穏やかな気持ちで繭墨を見ていた。


 ――が、次の言葉で一変した。


「ところで、千都世ちとせさんというのはお知り合いですか?」


 !?


 ここでその名前が出ることは、完全に想定外だった。

 だって、繭墨が知っているはずがないのだ。

 思考が停止するなか、どうにか聞き返す。


「なん……、でその名前を?」

「さあ、なぜでしょうか」


 僕の動揺を見て、その効力を理解したらしく、繭墨は悪魔めいた笑顔を浮かべていた。

 完全に追及の構えである。

 サッカーで言うと、自陣の奥深くで回していたボールを奪われてしまったような危機的状況。その上まずいことに、僕は彼女の追及を突っぱねる気概を失っていた。


 繭墨を傷つけたという負い目が、まだ拭えていない。

 この負い目、罪悪感を晴らすには、隠し事のひとつくらい打ち明けないと割に合わないのではないかと、そう思ってしまっていたのだ。オウンゴール。


「姉さんの名前だよ」

「嘘ですね」


 繭墨は断言した。

 こいつは僕の何を知っているのか、あまりの断言っぷりに戦慄する。


「……血のつながってない、姉の名前だよ」


 すでに百代には話してしまっていたこともあり、僕は割と抵抗なく、家庭の事情を明かしていった。

 小学校の最後の年に母親と死別したこと。

 中学校の最初の年に新しい母親と姉ができたこと。

 そして――


「僕は離婚とか再婚とかで気持ちが不安定になってて、でも年上の姉さんは落ち着いてて綺麗で優しかったから、自然と頼るようになって……。

 で、ありがちな話かもしれないけど、好きになってて。

 常識的にまずいってことに気づいて、物理的に距離を取ったんだよ」


 僕はなるべく淡々と語り、それを受けて、繭墨が総括する。


「だから、実家から離れた学校を受けて、1人暮らしを始めたのですか」

「そういうこと」


 繭墨は鋭い視線で一瞥すると、ふぅ、とため息をついた。


「卑怯ですね」

「え」

「自分の弱みを晒すことで、相手を躊躇ちゅうちょさせる手でしょう?」

「えぇえ……、まあ、そうなんだけど、でもこれ結構、恥ずかしいんだよ?」

「そうでなければ手心を加える価値がありません」


 繭墨の奇妙な言い回しを、僕は少し遅れて理解した。

 ああ、今日のところはこのくらいにしておいてくれるんだな、と。




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