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Room No.403  作者: 水月康介
1年次冬期休暇
14/80

一生のお願い

 クリスマスイブ当日の、午後3時。


 百代はおそるおそる、冷蔵庫からブッシュドノエルを取り出した。

 ゆっくりとテーブルまで運んでいき、着地。


「ふぁあ……」


 百代は変な声を出す。

 運んでいる間、ずっと息を止めていたらしい。


「ね、どう思う?」


 上目遣いで尋ねてくる百代に、すぐには答えない。

 僕は完成したブッシュドノエルを、じっくりと検分していく。


 昨日の反省を踏まえて、スポンジが乾燥しないようにラップをかけていたので、ヘンに硬かったりということはなく、ちゃんと丸めることができた。巻きも上手にできているし、見た目には問題ない。丸太っぽい外見になっているし、振りかけられたパウダーシュガーも雪化粧のようで綺麗だ。

 切り口はチョコクリームのコーヒー色と、挟み込んだイチゴの鮮やかな赤色。

 丸太の上には〝Merry X-mas〟の飾り文字。X-menにすり替えたら面白いと思う反面、誰も気づかない恐れがある。


「……ん、見た目は合格と言えるんじゃないかな」

「そ、それじゃあ……」


 百代は震える手でケーキナイフを取り出して、端っこを切り取る。

 そして、2人同時に試食。


「ん! んんっ! これ……!」


 百代がほほを膨らませる。表情が一気に明るくなる。


「ねっ、これ……、お、おいしいよねっ、ね?」

「まあ落ち着きなよ。食べカスが飛んでる」


 まずチョコクリームだが、普通のチョコレートを使ったので普通の味に仕上がっている。

 スポンジ生地の方も、しっとり、とまでは行かないものの、パサつきや謎の硬い部分の混入もない、無難な食感に仕上がっている。


 総じて、まあ、こんなものだろう、という味である。


 しかし、手作りということと、昨日の歴史的失敗を踏まえての再チャレンジということが大きな達成感を演出している。気分の高揚が味覚を大げさにすることもあるだろう。


「これなら自慢できると思うよ。わたしが作りましたって顔写真を出してもいい」

「現役JKだもんね」

「それだと客層が妙なことになるんじゃないかな」

「阿山君みたいな人たちってこと?」

「僕だって現役DKなんだけどな……」


 人様に出しても問題のない出来であることが確認できたので、ブッシュドノエル様は再び冷蔵庫の中へと収納された。


「じゃああたし、一回帰って着替えてくるね」

「開始は5時からだっけ」

「そーよ。先に誰か来ても、ケーキは絶対見せないでね」

「わかってるよ」


 サプライズをしくじれば、昨日の苦労の半分くらいは無駄になってしまう。それは僕としても望ましいことではない。


 立ち上がった百代を玄関先まで送る。


「ね、阿山君。いっこだけ、お願いがあるの」


 振り返った百代は、とても真剣な顔をしていた。

 緊張とか決意とか、そういう気持ちがはっきりと見て取れる表情。


「何? 部屋を提供する以外にまだあるの?」

 

 僕はちょっと意地の悪い言い方をするが、百代は意に介さない。

 真剣な表情のまま、一歩近づいてくる。


「一生のお願いなの」



 ◆◇◆◇◆◇◆◇



 元気よく走り去る百代を見送って、僕は部屋の掃除を行うことにした。


 どうせ汚れるだろうけれど、だからといって汚れを放置しているのは恥ずかしいことだ。

 実家に住んでいたときと違って、この部屋には僕しかいない。だから、汚れの原因はすべて僕にある。

 部屋が汚れていることは、部屋の主が身体的・精神的にあまり綺麗ではないという証拠だ。そう思われることは避けたい。……百代が言っていた、僕は格好付けだという評価も、あながち間違っていないのかもしれない。


 やがて、4時半ごろになって繭墨がやってきた。


「お久しぶりです。終業式の日以来ですね」


 顔を見たのはそうだが、言葉を交わしたという意味では、商店街でクリスマスプレゼントを買って回った、あのとき以来だ。

 さすがにもう気まずさは消えていて、僕たちは普通に会話ができた。


「休みって何してるの?」

「家でぼんやりと、読書をしたり、あとは勉強ですね」


 壁を感じさせる、繭墨の当たり障りのない返答。

 繭墨はコートを脱いで畳みながら部屋に入ってくる。白地のセーターに、黒地のチェックのスカート。黒のハイソックス。肌色が見えるのは手元と首筋くらいだ。


「何か……、甘い匂いがしますね」


 繭墨は立ち止まって部屋を見回す。


「さあ、気のせいじゃないかな」


 僕は窓を全開にし、換気扇を〝強〟に入れた。

 繭墨が眉を寄せる。


「寒いです」

「さっき掃除したばかりだから、換気をね?」

「仕方ありませんね。わたしはともかく、進藤君なんかは気づいたことをすぐに言ってしまいそうですから」

 

 これは多分バレている。

 繭墨は口元だけでふふっ、と笑い、ローテーブルに円筒形の容器を置いた。

 クリスマスシーズンに圧倒的なシェアを誇る、チキン特化のファストフード店のものだ。


「おっ、予約してくれてたんだ」

「ヨーコが鳥の丸焼きを作ると息巻いていたので、たぶん失敗するだろうと思って保険をかけておきました」


 さすが友達だ。よくわかっている。

 百代は確かに昨日、鳥の丸焼きを作りたがっていた。

 あれはやはり止めて正解だったらしい。もっともあのサイズを焼く器具がないので、どうにもならなかったと思うが。


「進藤君は適当にお菓子を買ってくるそうです」

「あいつ、こんな日まで部活なんだって?」

「有志を募っての特別練習らしいです」


 ――冬季休業特別練習 ~クリスマスに負けるな、俺たちには野球があるじゃないか~

 そう題した野球部の合同練習が行われているらしい。


 自由参加の自主練なので、せいぜい出席率は半分ほどだという。

 彼女がいない者は強制参加というわけではないし、逆に、彼女がいるから参加不可というわけでもない。

 だが、そんな場へノコノコ出ていく彼女持ちはおそらく直路だけだろう。


「何やってるんだか」

「進藤君らしいです」


 繭墨はうれしそうに笑うが、僕は心配だった。

 才能のあるヤツは自分の能力を高めることにばかり意識が向いて、ときに空気を読まなかったりする。他の部員とトラブルになってなけばいいけど。


「何か準備を手伝いましょうか」

「いや、大丈夫。僕がやるからゆっくりしててよ」


 僕は申し出を断った。

 台所は狭いので、人が増えても効率が上がらないのだ。


「そうですか、ではお言葉に甘えて」


 繭墨はローテーブルの端の席に、正座を崩して座った。

 本棚から勝手に文庫本を抜き取って読み始めている。


 僕の本棚には、漫画が数えるほどしかない。

 これは文系を気取っているわけではなく、単に部屋が狭くて保管場所がないだけだ。実家の部屋の蔵書は大半が漫画だし、レンタルショップには週イチで通っている。


「繭墨さんってどんな本読むの」

「恋愛、推理、社会派……、特に拘りなく読んでいます。今はSFがマイブームですね」

「へえ。科学とか得意だっけ?」

「科学知識なんてなくても、雰囲気だけで楽しめますよ。SFの醍醐味は小難しい知識の羅列ではなく、それらをもっともらしく飛躍させた、作者のイマジネーションによってもたらされる世界観ですから。優れたSFはファンタジーよりもファンタスティックです」


 繭墨は饒舌だった。


「SFには手を出してなかったんだけど、そこまで言われると興味が湧いてくるね。何かオススメの本とかあるの?」


 本好きに対する鉄板の話題である。

 繭墨はさらに饒舌になって、ページをめくる手を止めたまま、オススメの本と薦める理由、作者の作品に共通する精神――といったものを語り続けた。


 僕はその語りを聞きながら、繭墨へのリベンジの準備を終えた。

 器具を片付けると、カップを二つ、丁重に運んでいき、テーブルに置いた。


「あら、これは……」

「いつかのときは満足いただけなかったからね」


 以前、ダメ出しを食らったコーヒー。

 あのときと同じく、インスタントではなくペーパードリップで淹れたものだ。


「再挑戦というわけですか」


 香りは悪くないはず。あとは味だが……。


「では、いただきますね」


 繭墨はカップの取っ手をつまみ、そっと持ち上げた。

 香りを確かめるように鼻先に近づけ、空中で停止、そしてカップの縁に唇をつける。

 カップを傾けて、少しずつ――本当に少しずつ、口に含んでいく。猫舌なのだろうか。

 立ち上る湯気がかすかにメガネを曇らせていた。

 数秒ほどして、カップをそっとテーブルに下ろす。


「そんなにジロジロ見られるとやりにくいのですが……」

「ああ、ごめんごめん」


 僕は繭墨の斜向かいに座り、コーヒーを飲む。

 おいしいと自己評価。

 価格的には並だが、新品の粉を使っているし、淹れるときの手順やタイミングにも気を遣うようになったのだ。

 繭墨の舌はどう感じただろうか。

 反応をうかがっていると目が合った。苦笑いを返される。


「以前よりはおいしくなっていると思います。でも、わたしの評価など気にしないでください。コーヒーは淹れる人のものです。人それぞれのベストは微妙に違うはずですから」

「そりゃそうなんだけど、言われっぱなしは癪だから」

「意外と負けず嫌いなんですね」

「あと、自分の作ったものを認めてもらうのは単純にうれしいし」

「まさかの尽くすタイプですか」


 繭墨は呆れ顔をしつつ、またカップを傾ける。


「単なる気まぐれだよ。ちょっと時間が空いてたから」

「では、また気が向いたら淹れてくださいね」


 繭墨はさりげなく〝次〟の話をしてから、文庫本に視線を落とした。


 曖昧な約束は、彼女が距離を詰めてくれた証のような気がしてうれしかった。

 だけど、僕はとっさに返事をすることができない。

 

 ――だって、僕は今日、繭墨に酷いことをするのだ。

 そんなやつが淹れたコーヒーなんて、無料タダだとしてもお断りだろう。



◆◇◆◇◆◇◆◇



 しばらくすると百代がやってきて、最後に直路が到着する。

 クリスマスパーティは5時過ぎに始まった。


 ただ並べられた料理を食べながら雑談をするだけの集まり。

 特別なことがあったとすれば、それはやはり手作りケーキのお披露目だろうか。


 チキンやサラダ、惣菜の寿司などを食べ終えると、百代は誇らしげに立ち上がった。

 彼女は手製のブッシュドノエルをテーブルの真ん中に置くと、それをいかに苦労して作り上げたのかをこんこん(・・・・)と語り続けた。


 僕が協力したことは伏せておいた。それは僕から言い出したことだ。

 二人きりでケーキを作っていた――それも2日続けて――という事情は、たとえやましいことが一切なかったとしても、明言するのははばかられた。黙っていればわからないのなら、黙っていた方がいい。そう思った。


 いつか直路が繭墨と2人きりで試験勉強をしたときには、ちゃんと百代には話しておくようにと忠告をした記憶がある。百代が誤解しないように。

 僕の行いは、それとは真逆のものだった。酷い矛盾に頭がクラクラするけれど、このあとのことを思うと些細なことだ。


 繭墨は百代の自慢話を聞き流しながら、よどみない手つきでケーキを切り分けていった。ナイフの使い方や取り皿の配置などがスムーズで、日常的に家事をやっている人間の熟練を感じさせた。


 プレゼント交換はそれなりに盛り上がった。


 繭墨のプレゼントは各人の好みや趣味に合わせたものだった。

 直路にはスポーツタオル。

 百代には好きなアーティストのCD。

 僕には和風かつポップなセンスの栞を。


 百代のプレゼントは意外にも実用性重視。

 直路には贈り物っぽさを抑えた控えめな色のマフラー。

 繭墨には眼の疲れが取れるという温熱シート。

 僕にはダイヤル式のキッチンタイマーを。


 直路のプレゼントは季節感があった。

 百代には怪物熊モンクマのクリスマス衣装バージョン。

 繭墨には古典小説『D線上のクリスマスキャロル』。

 僕にはクリスマスツリーっぽい置物を。心の底からいらないんだけど。

 

 僕のプレゼントは正直に言うと手抜きだった。

 全員等しくお食事券――ただしメニューの注文は前日までに、というもの。


 白い目で見られたものの、パーティ会場を提供していることで大目に見てもらえた。


 その後は健全にトランプなどをやっていたが、やがて繭墨が場を辞することになった。

 家が遠い彼女は、今日のクリスマスパーティもやや無理を言って出てきたらしい。


 そして、3人でしばらく大富豪に興じていたが、僕は革命を返してからの複数枚同時出しでイチ抜けすると、飲み物を買ってくるという理由で部屋を出た。ずっと狙っていたタイミングだった。

 その間際、百代と一瞬だけ視線を交わす。



◆◇◆◇◆◇◆◇



 数時間前、こんなやりとりがあった。


「一生のお願いなの」

「……内容によるよ」


 百代の真剣な表情と、まっすぐな言葉に気圧けおされつつも、僕はそう応じた。


「あのね、パーティが終わって、たぶんヒメが最初に帰ると思うの」

「だろうね」


 繭墨は家が遠いので、自然と帰りも早くなる。


「で、ヒメが抜けて3人になったら……」


 百代はうつむいて、ためらうような間。

 顔を上げた百代の頬は赤くなっていた。


「3人になったら、あ、あたしとナオ君の2人きりに、してほしいの」


 その頼みが何を意味しているのか、わからないほど察しが悪くはないつもりだ。

 なぜ、とは聞かなかった。


 専門の宿泊施設(・・・・・・・)には行きづらいのだろう。

 自分の部屋も論外。1つ屋根の下に家族がいるのだから、落ち着けるわけがない。


 そんな悩ましい状況で、1人暮らしの知人がいればダメ元で頼んでみようかと考えても不思議ではないのか……。

 いや、正直言ってムチャクチャだとは思う。

 基本的にムチャクチャな百代の依頼だから、ちょっと困惑する程度で済んでいるのだ。

 それに、依頼を受け入れることは、僕の目的とも合致する。

 百代と直路の仲を磐石にすること。

 ちゃんと恋人同士になってもらうこと。


 別にどうってことはない。ちょっと数時間ほど僕が席をはずすだけだ。ひとりきりで、クリスマスの夜風に吹かれるだけなのだ。


 そう言い聞かせて、僕は首を縦に振った。


 17時開始というのは、友達同士のパーティにしてはやや遅い時間設定だが、それも百代の策略のうちだったのだろう。



 ◆◇◆◇◆◇◆◇



 僕はそっとドアを閉める。


 ――メリークリスマス、いい夜を。


 心の中で投げやりにつぶやくと、コートのポケットに手を突っ込んで、寒空の下に踏み出した。



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