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Room No.403  作者: 水月康介
1年次冬期休暇
13/80

ラブコメは起こらない

 冷蔵庫であのケーキもどきを寝かしている間、僕たちは後片付けに取り掛かった。

 やはりお菓子作りで厄介なのは、調理ではなく準備と片づけである。

 専用の道具が必要だしそのサイズも大きくなりがちだ。材料も多種多様、しかもいちどで使い切ることができないので、冷蔵庫の中も雑多になってしまう。

 台所にはクリームやらスポンジのカスやらがあちこちに飛び散っている。昨日、気合を入れて台所周りの油汚れを除去した苦労が水の泡だ。


 道具や食器類をまとめて流しに突っ込み、水洗いに入る。

 流しっぱなしの水音と、ガチャガチャという食器の当たる音。


「ん」

「はい」


 食器の受け渡しをする短いやり取り。


 熱湯で食器の油汚れを軽く流してから、洗剤をつけたスポンジでこすり洗いをしていく。

 百代は泡のついた食器の泡を洗い流すとタオルで拭いて、食器受けに立てていく。


 僕が洗ったものを、百代が水で流してタオルで拭くという共同作業。

 台所で男子と女子が横並びっていうシチュエーションは、なんかこう……、

 ねえ?


 気を紛らわすために、僕は百代に声をかける。


「大丈夫なの、この状況。彼氏がいるのに他の男の部屋に来てるとか。誤解されるんじゃないの?」

「今さらそんなこと言われても……」


 百代は首をかしげ、にかっ、と笑う。


「別に大丈夫でしょ。仮に誤解されたとしても、間違いが起こることはないんだし」

「断言されたか」


 間違いが起こることはない。つまり、僕が百代に手を出すことはない、という。

 草食系の自覚はあったが、百代の目にも、僕は草しか食わないやつと映っているのか。


「あ、別に阿山君がビビリのヘタレだからとか、そんな風に思ってるわけじゃないからね?」

「そう?」

「うん、ちょっとだけだから」

「気を遣わなくてもいいんだよ」

「断言しちゃえるのはね、他にも理由があるの」

「僕の人間性への信用?」

「阿山君ってヒメのこと好きでしょ」


 洗っていた計量カップがすべって落ちた。


「おっと」

「動揺してますなぁ」

「僕が繭墨さんのことを好きだから、百代さんには手を出さないと、そう言いたいわけ?」

「そゆこと」

「男っていうのは、別に好きじゃない相手にも手を出せてしまうものなんだよ」

「阿山君がオトコについて語っちゃうんだ」


 百代はケラケラと笑う。

 脅かしてやろうという試みは不発に終わった。まったく動じてないし……。

 やっぱり草食でビビリだと思われているらしい。

 ここは一発逆転を狙うべきだろうか。

 イケメン俳優がやるような、息がかかるくらいの距離まで近づいて、低い声で決め台詞を放つという技法を使えば、多少は反撃が出来るのだろうか。

 いや、アレはダメだ。僕はコンマ1秒で否定する。自己を否定する。


「一応、言っとくけど、僕は別に繭墨さんのことは好きじゃないから」

「えー、ウソぉ。むちゃくちゃ意識してるじゃないヒメのこと」


 繭墨のことを意識している、なんて言われてもこちらには自覚がない。

 異性として意識してる度合いなら、繭墨よりもむしろ百代の方が高いくらいだと、自分では思っていたんだけれど。


「そうかな。よくわからないけど」

「だって、ろくに目を合わそうとしないし、話をするだけでもいちいち緊張してるし、基本的に警戒してる。いい格好しようとしてるんじゃないの?」

「……僕が?」

「自覚なかったんだ」


 格好をつけているという自覚はなかった。

 だが、緊張や警戒は、確かにしていたと思う。

 それらは繭墨に対する基本姿勢だ。


「それに比べてあたし相手だと、今日みたいに2人きりっていう状況でも、完全に友達感覚でしょ。女子として見てない感じ」

「え……、そう?」


 その指摘は的外れだ。心外だとさえ思う。

 百代のことは、僕ははっきり女の子として見ている。

 僕の交友関係の中ではトップクラスの女子らしさを持つ、女子の中の女子という扱いだ。

 ただ、それで恋愛対象になるかというと、また別の問題だが。


「だから阿山君はあたしに手を出したりしないの」

「信用されてる、ってことにしておくよ」


 百代の表情や仕草、立ち姿などを横目で見てみる。

 彼女の方こそまったくの自然体、僕のことを男子として見ていない。

 挑発されているわけではないらしい。……ないよね?


「たとえば、あたしが生クリームをひっくり返して、服がベタベタなるとするでしょ」


 百代が自分の胸元に手を当てながら、そんなことを言い出した。

 ――ドジっ娘にまで手を染めるつもりか?

 僕の戦慄をよそに、百代は続ける。


「そしたらシャワーを借りるじゃない」


 ――お色気シーンまで。


「でも着替えがないから阿山君の服を借りて、サイズが合わなくてぶかぶかだったりして」


 ――フェティシズム……、だと……!


「そんなことになっても、間違いなんて起きないと思ってるから」

「つまりラブコメは起こらないと」

「だってラブがないでしょ」


 これはもしかして……。

 僕は改めて、百代の本心を想像する。

 これは、誘惑でも挑発でも信用でもなくて、……もしかしてけん制だろうか。

 信じているから、おかしな真似はしないで――という。


 ……会話が途切れる。

 とっくに洗い物は終わっていた。


「そうだ、ケーキ」


 沈黙から逃れるように、僕は冷蔵庫からケーキを取り出した。

 ホットケーキくらいの厚みしかなく、表面のチョコクリームものっぺりとしていて、あまり食欲をそそられる見た目ではない。


「マズくはなさそうね」


 百代が安堵の声をこぼす。

 ……そうかな? という疑問は口に出さない。


 ローテーブルまで持って行き、僕と百代はケーキを間に挟んで向かい合って座った。

 一口サイズに切り分けて取り皿に乗せて、緊張しつつ顔を見合わせる。

 試食タイムである。


「それじゃあ……」


 僕と百代は恐る恐るの手つきで、チョコケーキを口に運ぶ。

 口に入れたとたんに広がったのは、甘みではなく苦みだった。

 百代が顔をしかめる。


「にっがぁ……」

「ある程度、想像はしてたけど……」


 百代の失策だ。

 直路がチョコはビターが好みだということで、チョコクリームを作るときに溶かすチョコに、カカオ95%を謳った濃厚なものを使ったのだ。おかげで材料費が高騰していた。


 そしてスポンジ生地だが……、こちらはふわふわ感がなくパッサパサであった。

 口の中の水分を容赦なく奪っていく、砂漠のごとき食感。


「生地の方も深刻だね……、焦がしたところだけじゃなくて、全体的にパサパサって……」


 理由を考え、すぐに行き当たったのは、


「百代さん、これ、オーブンから出した後、冷やすときちゃんとラップした?」


 尋ねると、百代はきょとんとしてから、


「あっ……、そういえば、わ、忘れてたYO!」


 百代はフレミング左手の法則をそのこぶしに宿しながら、腕を前に突き出した。


「理由がわかったんだから明日は気をつけよう」

「真顔で流すとかあんまりじゃないの?」


 百代は顔を真っ赤にしてテーブルに突っ伏した。


 僕は一応、自分のぶんは我慢して食べ終えた。無理やり口に押し込んでから、ジュースで流し込んだ。

 苦くてパサパサで、ほめるべきところがまったくないビタースイーツ。

 ブッシュ・ド・ノエル(クリスマスの薪)ではなく、

 アッシュ・ド・ノーウェル(NoWell)(不出来な灰)とでも名付た方がいいのではないか。

 聖なる夜に嘆きの晩餐を、みたいな。


 まあ、失敗は成功の元と言うし。

 失敗した原因ははっきりしているので、きっと同じミスはしないだろう。

 そういう意味では百代もいい経験になったはず。明日は大丈夫だ。


「このケーキらしき物体は持って帰ってよ」


 タッパーを差し出すと、百代はガバッと顔を上げた。

 こちらを恨みがましくねめつけながら、切り分けたケーキをタッパーに入れていく。


「残さず食べきるわよ、弟が」

「食べ物は大切にしないとね」


 百代はタッパーをつかんで立ち上がると、


「それじゃ、今日はありがと」

「明日はまともなケーキができるといいね」

「ふんだ、阿山君のチョイS、内弁慶! また明日ね」


 などと、奇妙な捨て台詞を残して去っていった。


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