こいつらは富士山だ
期末テストが終わると、2学期は駆け足で過ぎていった。
テストの結果に一喜一憂したり、三者面談で親と一緒のところを知人に見られて気まずさを感じたり、終業式での校長の訓示に辟易したり。
冬休みに入ると、もともと学校の中だけの交流だったこともあり、僕は繭墨や百代と一切会わなくなった。
直路だけは、ときどき晩飯をたかりにきて、そのたびに食卓から肉が奪われていった。
クリスマスパーティなんて本当にやるのだろうか。
僕の記憶違いか、あるいは独り身の寂しさが見せた幻ではないかと疑い始めた、クリスマスイブの、前日の午前。
百代から電話がかかってきた。
『もしもし、阿山君、起きてる?』
「おはよう、元気そうだね……」
『えっへへ……、そりゃもう、2学期はよく頑張ってたって、先生もおかーさんもほめてくれたし』
「そりゃあよかった」
『これもみんな阿山君のおかげよ、ありがとね』
「僕は別に何も……、全部、百代さんの力だよ」
『だよねー』
「いや少しは僕も貢献したけどね?」
『お願いがあるんだけど』
「何。クリスマスがらみ?」
『今から部屋に行くね。どうせ一歩も出てないんでしょ?』
「失礼な。僕はアクティブだよ」
『ウソぉ、ホントに?』
受話器越しに、本気で驚いた様子の百代の声。
僕はスマホを耳から離す。声がでかい。
「今朝も燃えるゴミを出してきたところさ」
前日の夜に出しておくなんてマナー違反はやらないのだ。
『じゃあすぐに行くから』
ブツン、と一方的に通話が切れる。
僕の扱いが、日に日に雑になってきている気がした。
◆◇◆◇◆◇◆◇
すでに朝食を終えて掃除も済んでいる。
室内を見回しても、見せられないようなものは出ていない。
百代を迎えるには問題のない状態だった。
このタイミングで来るということは、やはりパーティの打ち合わせだろう。
前日に飾り付けをしておくとか……、まさかツリーを運び込んだりはしないよな。
あれやこれやと考えてロクに集中できない読書をしているうちに、百代がやってきた。
「おじゃましまーす」
「あれ、1人なんだ」
「そーだよぉ、極秘ミッションだもの」
百代は意味不明なことを言いながら入ってきた。
「極秘ミッションって?」
「明日のパーティで手料理を出したいの。だから、その練習で……、今日と明日、台所を貸してください」
「そりゃ、まあ……、かまわないけど」
幸運にも予定は入れていないし、家を空ける用事もない。だけど、僕が不在のときはどうするつもりだったのだろう。
相変わらずの勢い任せの百代である。
「ちなみに、作る料理って?」
尋ねると、百代は「それはね……」と満面の笑みを見せながらスマホを操作する。
次々とスライドしていくカラフルな写真たち。
「まずこれでしょ、あとこれと、これと、これっ!」
まずは鳥の丸焼き。巨大な銀皿の上に鎮座したグリルチキン。周囲には色とりどりの野菜が盛られて見た目にも鮮やかだ。1羽丸々の鳥肉を入手できるツテが百代にはあるのだろうか。
続いて一口クラッカー。整然と並べられたクラッカーにはそれぞれ違った具材が乗っており、つまんで食べられるためビュッフェ形式のパーティにはもってこいの料理だ。で、この部屋のどこに立食できるスペースが?
3品目は山のように盛り付けられたポテトサラダ。よく見るとブロッコリーやミニトマトが埋め込まれていて、クリスマスツリーのような色合いに仕上がっている。これはまあ、分量を減らせばできないことはない。ポテサラは出来合いのを買えばいいよね、という百代の金銭感覚を正せばいいだけだ。
一番の問題は、この4品目だ。
ブッシュドノエル。ご存知クリスマスケーキの定番、丸太のような外見のロールケーキである。ケーキ作りをするにはアパートの台所は狭すぎるし、スポンジケーキはこれ自作しないといけないのか? あ、駄目だ、スポンジ用の型の容器がない。あとクリスマスシーズンのイチゴの高価さを百代は知っているのだろうか。それでも絶対イチゴは外せない、と言い切りそうだよなぁ。
すべて突っぱねて現実の厳しさを教えてやろうと思った。
だけど、百代はすでにきらびやかなクリスマスディナーを眼前に思い描いているらしい。あまりにも夢見るような顔をしているので、全否定するのは良心が痛んだ。
「……どれか1品だけなら、作ってもいいよ」
「えー! いっこだけ? なんで!?」
「百代さん。こいつらは富士山だ」
「どゆこと?」
百代は首をかしげる。
「百代さんの料理経験は?」
「目玉焼きなら作れるよ」
「それはせいぜい学校の裏山だね……」
「あ、でも黄身がいつも潰れちゃうの」
登りきれなかったか……。
「学校の裏山で遭難してるような有様で、富士山に登れると思う?」
「そ、それは……」
うろたえる百代に、説明を続けていく。
「まず時間がない、場所もない、作ったとしても保管場所がない、自宅で作って持ってくるのもNG。冬場だから温度はいいとしても、こんなチマチマしたのは持ち運べない。だから全部ウチで作ることになる。4人前となったら1品が限界。初心者の調理はただでさえ時間がかかるし、平行作業となったらミスも増えるからね。あとは出前……、も無理か、クリスマス当日に頼んでも込み合ってるだろうし。仕方ないから冷凍のピザとかパックの寿司で我慢しよう」
「そ、そんなぁ」
落胆する百代。しかし、1品だけというのは絶対に譲れないラインだ。
「あれもこれもと手を出して中途半端なものを作るくらいなら、1つに絞っていいものを作り上げよう。そこは僕も協力するからさ」
そして、最後に選択を突きつける。
「さあ、百代さんはどれを選ぶ?」
◆◇◆◇◆◇◆◇
百代が選んだのは、予想どおりブッシュドノエルだった。
スマホで料理のサイトを見ながら材料を買い揃え、出かけたついでに昼食も済ませて、再び部屋に戻ってくる頃には14時近くになっていた。
「材料を準備するだけでも、結構時間かかるのね」
百代が掛け時計を見ながらそんなことを言う。
「僕の心配がわかってもらえたかな……」
「はーい、今日ばかりは先生の指示に従います」
楽しげに手を挙げる百代を横目に、僕は購入した材料を台所に並べていく。
薄力粉、グラニュー糖、卵、ココア、生クリーム、エトセトラ……。
ちなみに、ケーキスポンジを既製品で済ませるという提案は却下された。
『ひとつに絞っていいものを、って言ったのは阿山君でしょ』
そう返されては何も言えなかった。
「それにしても、まさかケーキを自作することになるとは思わなかったなぁ」
「えっ? 作ったことなかったの?」
「ないよそれは……、家でケーキ作る男子高校生とか、ちょっとアレじゃない?」
「確かにアレかもしれないけど、阿山君だったらやってそうだなって」
百代は僕のことをアレな男子だと認識していたのか。
「あ、そうそう、エプロンしなきゃ」
カバンからエプロンを取り出し、私服の上からかけていく。
前掛けの位置を調整し、後ろの紐を結ぶ仕草は手慣れたものだった。
私服エプロン。
そんな姿の女子が、僕の部屋の台所に立っている状況は、なんというか、こう……。
ねえ?
「あ、そういえば、今日のことって直路は知ってるの?」
「極秘って言ったじゃん、教えてないよ」
「そう……」
僕の脳内が盛り上がらないように冷静な話題を振ったのだけど、あまり効果はなかった。
……これ以上、下世話な方向に意識が向いてはいけない。
僕はお菓子作りに専念することにした。
そう、僕はスイーツ男子。食べるだけでは飽き足らず、自作するまでに至ってしまった筋金入りの、甘味好きだが甘くないスイーツ男子。そんな風に自己暗示をかけた。
レシピを見て手順をシミュレートしていると、それほど難しくはなさそうだった。多少の手間はかかりそうだが、各工程とも落ち着いてやればできる作業ばかり。
やはり材料や道具を揃えることが心理的なハードルになっていたのかもしれない。
理解が深まったからといって、菓子の自作にまで手を出すつもりはないけれど。
「じゃあまずはスポンジ作りから行こうか」
「はい先生!」
材料をボウルに投入してかき混ぜるだけのシンプルなもの。
最初にして最大の力仕事だが、もちろん百代の作業である。
「かき混ぜてくれるマシーンはないの? ウイーンって回るやつ」
「男所帯に泡だて器があることを幸運と思ってほしい」
普通の料理ではまず使わない調理器具だ。菜箸で代用できる点も存在感の薄さの理由だろう。実際、今日初めて使ったし。
……なんでコレ買っちゃったかな。まあ、陽の目を浴びることができたからいいか。
まずスポンジ作り。
最初の作業で百代はいきなりやらかしかけた。
すべての材料を目分量で入れようとしたのだ。
「ちょっと待ったぁ!」
「はい先生!」
「コレを使って」
僕はそっと計量カップを渡した。
「はーい」
「ちなみに液体と粉とで目盛が違うからね」
「あ、ホントだぁ」
計量カップを目元に近づけて確認し、心底驚いている様子。
これは想像以上に手ごわそうだ。吹き荒れる嵐を予感させる出だしであった。
百代はたどたどしい手つきで材料を量っていく。
ときどき、「あっ」とか「いっけない」などとつぶやきながら、なんとかすべての材料をレシピどおりに量り終える。
「それじゃ混ぜるよぉ」
「ちょっと待った」
「なんなの先生」
「予熱」
僕はオーブンレンジを指さす。
「オーブンを熱しておかないと、レンジと違ってすぐに熱くなるものじゃないから」
「えっ、レンジでチンじゃダメなの?」
「実はダメなんだ」
一事が万事こんな調子である。
どうやら百代は根本的に、調理についての経験が足りていないらしい。
湯煎という言葉も知らなかったし……。
それでも、ミスをやらかしそうになる前に、その都度、軌道修正をかけていく。
どうにかスポンジを焼き、チョコクリームを作るところまではたどり着いた。
スポンジにクリームを塗っていき、平らに均したところでゆっくりと巻いていく。
ところが、ここでもトラブルが。
「そーっと、そーっと……、ってなんか生地硬いんですけど……あっ」
スポンジの表面が焦げ付いており、無理に巻こうとしたら折れてしまった。
百代が涙目でこちらを向く。
「おにぎらずとかもあるし、巻かないロールケーキっていう新機軸もアリじゃないかな」
クリームの塗られたスポンジを4等分くらいに切って、それを重ねれば普通のケーキの体裁は取れるのだが、僕は異なる提案をした。
「……阿山君、なんかメンドーになってきてない?」
「百代さんは失敗したんだ。それを心に刻み付けるためにも、見た目のダメさは残しておかなきゃならない」
面倒くさくなってきていた僕は、教訓めいた理由をでっち上げて誤魔化した。
百代は神妙な顔で納得していた。
「それじゃあ、あとは冷蔵庫で20分ほど寝かしたら完成だね」
「完成……、ねえ阿山君、完成ってなんなのかな……」
お菓子作りという名の深山――否、迷宮に迷い込んでしまった百代は、うつろな瞳で哲学的な問いを口にするのだった。