何か、苦い経験をしたのですか?
勝手に告白して自爆して、砕け散って消沈していた繭墨は、いつの間にか復活していた。
それどころか、告白は駆け引きだったのだ、などと恋の上級者を気取っている勘違いぶりである。
しばらくは動きを見せず、虎視眈々と直路と百代の隙を狙っているのだろう。
そうなると、僕のやることははっきりしている。
百代と直路の関係を、早急に磐石にすることだ。
とはいえ具体的な手立てがあるわけでもない。
それに期末テストの期間が近づいてきていた。
百代は4人で勉強しようと言っていたが、今回は繭墨が欠席した。
なんでも、家が遠いことと、日没も早まってきたことから、あまり遅くならないようにと釘を刺されたらしい。加えて、数日ほど母親が家を空けるため、家事などは繭墨の担当となるという。
繭墨は単に直路を避けているのだと思うが、家庭の事情を持ち出されるとどうしようもない。
百代は残念がっていたが、僕は心の底からホッとしていた。
僕の部屋にあの3人が一緒にいる状況を想像してみる。
直路と百代は付き合っていて、
百代と繭墨は友達で、
繭墨は直路が好きで、
直路は繭墨のこともまんざらでもない。
自分の部屋がバミューダトライアングルも真っ青の危険地帯にならなくて、本当によかった。
劣等生2人を受け持つハードワークだったが、それでも精神的な負担よりはマシだ。
そう割り切ってテスト期間を乗り越えていった。
◆◇◆◇◆◇◆◇
やがてテスト初日が終わると、僕は足早に下校する繭墨を追った。
彼女が校外に出たところで追いついて声をかける。
「繭墨さん」
「……阿山君。試験の出来はいかがでしたか?」
「まあ問題はないよ」
「あの2人は? 勉強会はやらないのですか」
「今日はさすがに遠慮されたよ。自分の勉強を優先させてください先生、って」
「阿山君がつきっきりで見てくれたのなら、あの2人もレッドゾーンを切ることはないでしょう。あなたは教え方が上手ですから」
率直なほめ言葉に、僕は違和感を覚える。
「……大丈夫? 繭墨さん」
「なぜです」
「おとなしいから」
「おとなしい……」
繭墨は首をかしげる。長い黒髪が肩から滑り落ちて揺れた。
「それがわたしのニュートラルです。クラスの誰もが、わたしをおとなしい女子と認識しています」
「猫かぶってるくせに」
繭墨は背筋を正す。紅色の縁のメガネが光った。
「傷心の乙女になんてことを言うんですか」
「もう癒えたと思ってたよ」
あの保健室でのテンションを見てしまうと。
「まだまだ、心を穏やかに保って、傷ついた翼を休めているところです」
「やけにその表現を推すよね……」
繭墨が何を考えていようとかまわない。
こちらとしては、百代と直路の間に波風を立てなければそれでよかった。
この1週間、僕の見る限りでは、直路も繭墨からの告白を意識している様子はない。
あとはこのまま、繭墨がおとなしくしているうちに、2人の仲を深めてくれればいい。ほら、クリスマスなんてうってつけのイベントじゃないか。
そう思っていたのに、百代はなぜか妙な提案をしてきたのだ。
「クリスマスパーティの話は聞きましたか?」
繭墨が尋ねてくる。
それだ。
百代はなぜか、クリスマスに4人で集まろうと言ってきた。
彼氏彼女で2人きりになれる時間を差し置いてまで、である。
「うん、聞いてるよ。テスト勉強が出来なかったから、代わりに4人で集まるイベントがやりたいんだって」
僕たち4人が、まるで付き合いの長い仲良しグループであるかのような提案だ。
「会場を提供してくれるんですよね」
「まあ、流れ上、仕方なく」
クリスマスパーティの会場などという桃色空間へと、自分の部屋が作り変えられる――そんなおぞましい体験を了承してしまったのは、たぶん、百代への後ろめたさのせいだろう。
繭墨の告白や、直路の気持ちの揺らぎ。
そういったアレコレを隠したままにしている。
「プレゼント交換をやるんだ、ってヨーコが張り切っていました」
繭墨は楽しげに笑う。
「少し気が早いですが……、交換用のプレゼント、今から買いに行きませんか?」
「えっ、でも明日もテストが」
「ほんの1時間ほどです。それで点数が下がるような勉強はしていないでしょう?」
その挑発的な口ぶりに、僕は乗らずにいることができなかった。
◆◇◆◇◆◇◆◇
ショッピングモールではなく、帰り道がてらアパートの周辺にある商店街をぶらついた。
アーケード街の天井にクリスマス用の装飾がつるされて、それなりにクリスマス色を出そうとしている努力は見て取れた。
あちこちの店頭に小ぶりなツリーも設置され、クリスマスフェア開催中ののぼりが立ち並んでいる。
どこかの大都市の大型百貨店のように、10月末から巨大ツリーを飾り始めるようなやる気は感じられないが、商店街にはそれなりに、クリスマスの雰囲気が流れていた。
繭墨はスポーツ用品店を見つけると、その店頭で立ち止まった。
「何? 直路へのプレゼント?」
「はい。ここで何か見ていきます」
プレゼント交換はランダムでの受け渡しではなく、相手指定で行うらしい。各人が3人分のプレゼントを購入するわけで、考えてみるとなかなかの出費である。
だが僕はすでにその出費を最低限に抑えるための方策を考え付いていた。
スポーツ用品店の中へ入る。
大型店と比較すると、はっきり違うものがある。品ぞろえだ。相場はよくわからないが、店舗規模が違いすぎて明らかに商品のバリエーションが少なかった。
それでも繭墨は、シューズやグローブ、ウェア類など、一つ一つじっくりと吟味していた。
真剣な表情だが、口元が上がっている。
「そわそわしてるね。クリスマスの雰囲気に乗っちゃったね」
「そんなんじゃありません。これを贈ったら、相手はどんな反応をしてくれるのか、どんな風に使ってくれるのか、色々と考えてしまうだけです」
「なるほど」
「やはり値段が張るのはグローブやバットなどですか……」
繭墨は木製バットを見つめながら言う。
「一応言っとくけど、高校野球は基本、金属バットだからね」
「ですが、将来のことを考えると、プロでも使う道具に今から慣れておいた方が……」
「だからってそんな高価なもの贈るつもり?」
「お金ならあります」
平然と語る繭墨。なんてうらやましい。
「とにかく、身に着ける道具類はプレゼントしない方がいいよ」
「なぜですか?」
「シューズにしろグローブにしろ、身体に合ったものじゃないと試合でのパフォーマンスに影響が出る。繭墨さんだって靴擦れとか経験あるでしょ」
「はい。なるほど……、確かに、そうですね」
繭墨はゆっくりとうなずいた。
少しの説明で理解してくれたようだ。
「ちょっとした違和感でプレーのバランスが崩れることもあるから」
「ピッチングなどは特に繊細ですよね……」
「そう、弘法は筆を選ばずっていうのは、高いレベルでは通用しない」
近代スポーツでのパフォーマンスにおいて、道具の占める割合は高い。と思う。
誰かにもらったものだからといって、無理に合わない道具を使って成績が落ちたのでは、贈った人、贈られた人、両方にとって不幸でしかない。
「わかりました。では、後日、進藤君を誘って一緒に購入を……」
「それはそれで異常だよね」
「やはり駄目でしょうか」
「彼女を差し置いてそれをやるのはさすがにちょっと……。あと、仲間内でのプレゼント交換なんだから、バカ高いものを贈られても困るだけだからね」
「馬鹿とはなんですか」
「金を積むのが気持ちの証明っていう発想のこと」
繭墨は口をつぐむ。
普段の繭墨ならこんなこと、言われるまでもなく理解しているはずだ。
暴走気味になっているのは、たぶん――
「今まで、おおっぴらに贈り物をするチャンスがなかったから、ここぞとばかりに気合を入れてるのかも知れないけど……、逆効果だと思う」
「そんなこと、わかっています」
悔しげに吐き捨てる繭墨。しかし続く言葉はない。
うつむいて、黙り込んでしまう。
「あー、そういえば直路のやつ、タオルが足りないってぼやいてたな」
繭墨が顔を上げた。
アドバイスはしたくないけれど、落ち込みっぱなしでいられるのも精神衛生上よくない。
だからこれは、独り言だ。
「個人用のスポーツタオルなんかは部費が落ちないから、自前で買うしかないんだけど、最近ちょっとボロくなってて……、でも小遣いから出すには厳しいとか言ってたような」
発言の意図を確かめるかのように、繭墨がじっとこちらを見ていた。
横から突き刺さる視線を無視し続けるのは疲れたが、十数秒、なんとか耐え切った。
◆◇◆◇◆◇◆◇
スポーツ用品店を出て、散策を再開する。
繭墨はプレゼント用に包装された紙袋を持って上機嫌だ。
「一応、お礼を言っておきます」
「あ、僕のプレゼントはいくら高くても平気だから」
一転して繭墨の目が冷たくなる。
「先ほどの金言が台無しですね」
「やっぱりカネだよ。気持ちはカネに宿るよ」
「では今の阿山君は買いですね。底値になっていますから」
「僕が料理で凝ってるのは時短と品質の両立なんだけど、圧力釜が便利らしいんだよね」
「まだ下げるのですか……」
そんなやり取りをしつつ、商店街を歩いていく。
僕はすでにプレゼントを決めていたので、特に見る店はなかった。
繭墨はいくつかの店に寄っていたが、何かを買った様子はなかった。
そうして商店街の終端にたどり着く。
そこには石焼き芋の屋台があった。
古めかしい軽トラックではなく、カラフルなペイントがされたワゴンである。そいつが周囲に甘い香りを撒き散らしていた。
胃袋にガンガン来る、危険な匂いだ。
「少し待っていてください」
繭墨はそう言い残して小走りにワゴンへ向かう。
戻ってきた彼女は両手に底浅の紙カップを持っていた。
焼き芋にアイスクリームが乗ったスイーツである。
「どうぞ。お代は結構です」
「え、いいの?」
「これで貸し借りなし、ということで。施しを受けたままでは気持ちが悪いですから」
「気持ちが悪い!?」
「早くしてください。アイスが溶けますよ」
感謝ではなく借りを返したいという理由が繭墨らしい。
僕たちは近くのベンチに並んで腰掛けて、焼き芋アイスを食べることにした。ただし、並んでといっても2人の間には1メートル以上のスペースがある。
半ば流動食のようにとろとろの焼き芋はアイスよりも甘かった。アツアツの焼き芋と、さっぱりしたアイス。それを交互に食することで飽きの来ない味を延々と楽しめる、すばらしいスイーツだ。
すぐに食べ終えてしまい、口の中に残る余韻に浸っていると、繭墨が話しかけてきた。
「阿山君はクリスマスのような行事が嫌いな人ですよね」
「決め付けはよくないと思うんだ」
「現実世界を謳歌する人たちが許せない性質ですよね」
「あれ、僕そんなネガティブに見える?」
繭墨は答えずに遠くを見つめる。
視線の先には楽しそうな家族連れや友達らしきグループ、カップルなどが行き交っている。
「わたしは嫌いです、クリスマスも、バレンタインも、ハロウィンも、日本代表の試合でだけ騒ぐにわかサポーターも」
「大勢がワイワイやってるのが嫌いなんだね」
「わたしは本音を晒しましたよ。さあ、阿山君も本当の姿を見せてください」
繭墨は一体、僕に何を求めているのだろう。
っていうかそんな人間嫌いがなぜ生徒会に入ろうと思ったのやら。
「僕は決して、赤の他人と騒げるような社交的な人間じゃないけど、たまにイベントでワイワイやるくらいはいいんじゃないかな」
「あなたはこちら側の人間だと思っていたのに……」
繭墨はジトっとした恨みがましい視線を向けてくる。
僕は何とかそれに耐えて、尋ね返す。
「騒ぐのが嫌なのに、パーティには来るんだね」
「嫌ですよ……、だから、4人までが限界です」
「そんな小さな世界に、どうして波風を立てようとするのさ」
繭墨は目をそらした。
「阿山君こそ、ずいぶん禁欲的というか道徳的というか……」
「百代のことならずっと否定してるけど」
「そこではありません。わたしたち4人って、せいぜい2ヶ月程度の関係じゃないですか。
阿山君は、その関係性を――秩序を乱すべきではないと、頑なになっていますよね」
「人を頑固者みたいに言わないでほしいな。人間関係がとっ散らかるのは、誰だって嫌だと思うけど」
「何か、苦い経験をしたのですか?」
「テストの出来も悪くなさそうだし、特にないよ」
「そうではなく、この学校に来る前に」
僕は繭墨を見た。
繭墨の肩が、驚いたようにわずかに震えた。
僕はすぐに顔を背ける。
「誰だって、やらかしたことの1つや2つ、あると思うよ。僕らみたいな子供であっても」
声が乾いているのを自覚する。
飲み込んだ唾液は甘ったるい。
「人は失敗から学び成長していく生き物だからさ、ほら、ああ、そういえばこないだ揚げ物に挑戦して派手なミスをしちゃったんだけど……」
ごまかしの言葉はいかにも空々しく、クリスマスソングにかき消されてしまう。
気まずい雰囲気は放置しておいても修復されそうにない。
僕たちはどちらからともなく別れの言葉を口にして、その場を立ち去った。
……しまったなぁ。
適当に聞き流せなかった自分に驚いていた。
これじゃ繭墨や百代のことを、自爆とか暴走だなんて笑えない。
誰にだって苦い経験はある。
だけど、僕はそれを次に活かせていない。
そもそも決着すらつけられていない。
ただ逃げただけで、今もまだ逃げている途中なのだと。
今日の一件で思い知らされたのだった。




