嵐の前の静けさ
太陽が丁度てっぺんにさしかかった頃、狼衛兄弟は自宅にいた。
そして、兄の天翔と末弟の陽向はソファに座り、背もたれにもたれかかったり、寝転がったりしている。
「ねぇ兄貴〜」
「ん〜なんだ?」
「クッキー作って!兄貴特製の!」
そう言うと、陽向は天翔の膝に頭を乗せ寝転がり始めた。
「はぁ⁈何言ってんだよ。俺しばらく料理してねぇから、作り方なんざとっくのとうに忘れた。」
というものの、忘れたわけではない。
数年前までは天翔が食事を作っていたが、今では普段の食事をほとんど奏詩が作っている。その料理の腕はすでに天翔を越え、料理の幅も広い。
天翔は単に面倒なだけなのだ。
「それなら奏兄ぃに教えてもらえばいいだろー!」
兄のそっけない態度に頬を膨らませ抗議する。そんな弟に、天翔は「んー…」と顎に手をやる。
「んー…。じゃあ奏詩に作ってもらうか!あいつの作るクッキーは美味いからな〜。抹茶味とか、チョコ味とか〜」
「バナナ味とかイチゴ味とかいいよな〜。…って誤魔化すなよ!」
「ナイスツッコミー‼︎」
「兄貴ってば!」
天翔は誤魔化すように陽向の頰を引っ張って遊び始めると、陽向もそれに対抗し始める。だが、これ以上喧嘩に発展することはない。
2人がしばらくじゃれ合っていると、2人の後ろのドアが開いた。
「兄さん。」
「んぁ?」
奏詩が小さなメモを持って現れた。
兄が振り返ると、奏詩は真剣な面持ちで言った。
「仕事が入ったよ。」
「場所は?」
そういう兄に、メモを渡しつつ口頭で告げた。
「連絡によると、リベルタスの東エリア、聖なる森方面に逃げたとのこと。」
場所を聞いた途端、天翔は眉間に皺が寄り、溜息が出る。
奏詩も奏詩で、少しめんどくさそうな雰囲気を漂わせていた。
「はぁ、これまた面倒なとこに…。よし、わかった。行くぞ!」
陽向はまだ何のことかいまいち把握できていないが、空気感で何となく察した。
「はい!」
「あぁ!」
〜〜
「どうだ?奏詩。」
『聖なる森』と呼ばれる森は、多様な生態系を見ることができる所。この森は年に4回儀式を行うために、一般階級の天使達にも4日間のみ解放されている。それ以外で森に入りたいのであれば、所定の手続きをしなければならない。
そして、今天翔達がいるのは聖なる森へと続く門の前。そこには数人の兵士が倒れていた。
この場には狼衛兄弟に加え、碧眼で白金の髪をポニーテールで結んだ、天翔と同じ背丈の男がいた。その男は白を基調とし、黒のラインがアクセントの軍服に身を包んでいた。
「どれも深い傷ではないようだけど、切り傷が多く見られるから早めに病院に運んだほうがよさそう。一応応急処置はしとくね。」
奏詩は慣れた手つきで応急処置をし始める。そんな弟の横にしゃがみ込み横顔を眺める。
「すまねぇな、奏詩。」
「大丈夫ですよ。僕こういうのに慣れてますから。」
…僕はこういうことしかできないんだよ。あの日から剣を握るのさえ怖くて震えるんだ。
奏詩は笑みを浮かべながらも、応急処置に集中する。
「奏詩はなんでもできるもんな!」
天翔は満開の笑顔で奏詩を見る。
その様子を横目で見た奏詩は一瞬ハッとし慌てて処置に戻った。
「あ、ありがとう」
僕はなんでもはできない…。ただ、できることだけはしっかりやりたい。
でも…
昔から兄さんが何を考えてるのかわからなくて、無性に怖くなる時がある。天翔はいつも辛いことがあった時、弟達に心配かけまいとして常に笑顔を浮かべて接している。そして、自室に行った時も泣かず、取り乱した姿を一切見聞きさせなかった。
「陽向、鈴を鳴らして森に住む動物達に注意を促してくれ。」
「うん!」
腰のベルトに付けていた袋の中から大小様々な3つの鈴を選び出し、紐に通すと振り鳴らす。
ーチリリィーーーン
これから陽向は一定間隔で鳴らしていき、森中に響かせる。
またこの鈴には様々な種類がある。鈴の数、音色や大きさによって効果が様々だが、組み合わせる事により効果の種類を増やすことができる。
今陽向が使っている鈴は警戒を促す鈴と広範囲に響かせる鈴、又野生の動物がパニックにならないようにするための安らぎの鈴を使用している。
「それから、」と天翔が口を開く。
「それから、逃亡者の現在位置を割り出せ。」
「特徴は?」
「この森には儀式の日以外、この門番兵に許可証を見せない限り基本的に誰も入れない。今日誰かが入るという連絡はないそうだから、森の中にいる奴を探せばいい。」
「わかった!」
右手に持っていた鈴を左手に持ち替え、新たに別の袋から小さな笛を取り出した。
ピーーーーーーー!
…
ピィーーーー‼︎
陽向の笛に呼応するように、森の奥から鳥の鳴き声が発せられた。
天翔と男は弟2人から少し離れたところに移動する。
「ミカエル、脱獄した奴の情報は?」
「脱獄犯は、2週間前に大地で大地人連続殺傷事件を起こし、つい先日終身刑を言い渡された天使だ。そいつは、剣術に長けていて、武道にも心得があった。脱獄する際に看守の短刀を奪ってそのまま逃げたらしい。」
ミカエルは天翔の友人で、いつも仕事が発生すると電話で知らせてくる人。そして階級の差を感じさせない程に腐れ縁だ。
「まず、なんでそいつは大地にいたんだ?」
弟2人に背を向けると疑問をぶつける。
「その脱獄犯は、大地に派遣していた元大使だ。大地で仕事をする内に、1人の女性と出会って恋に落ちたらしい。こちら側に連絡が来たので法律に則り許可してその女性と暮させた。」
最近できた新しい法律の条文は、
一、原則は空中都市に住みなさい。
一、大地人に恋し、結婚しても構いません。また、そのまま地上で暮らす場合は週に4度、空中都市に顔を出しなさい。
というもので、大地と空中都市との交流がほぼ断絶されてから付け足されたものだ。
「それで?」
「一部の大地人による迫害行為が長く行われた。初めは我慢していたらしいが、こちらに顔を出して戻った時に妻が殺されていたことで枷が外れて殺戮をした…という証言だ。」
「……」
「……」
不意に静まり返る。
聞こえるのは陽向が鳴らしてある鈴の音のみ。
「…そいつぁその脱獄犯も辛かっただろうな…。」
天翔はどこか遠くを見つめながら呟く。少し表情が翳っているように見える。
「お前は同情するか?」
ミカエルは天翔の顔を横から見つめる。
「する気はないが…情状酌量の余地は?」
「ないな。あまりにも多くの大地人を殺しすぎた。」
「まぁそうだよな。」
首の後ろを掻きながら、困ったようにハニカんで見せる。天翔の過去を知っているミカエルは、だからこそ眉を寄せた。
「…大丈夫か?」
「気にすんな。大丈夫だ。」
そういうと準備運動をし始める。
「それにしても、何やってんだよ看守さんはよ…」
「起きた事は仕方ないでしょう、兄さん。早く捕まえましょう。」
いつの間にいたのか、天翔の背後に奏詩が立っていた。
「うわぁ!びっくりしたぁ…」
横にいたミカエルはその様子を見て笑いをこらえられず小さく吹き出す。
「なんだよ。」
「いいや…な、なんでもない……ハハ…すまん…」
「ミカエル…」
「兄さん、気持ち切り替えて。」
「って言ってもなぁ。最近こういう事多すぎなんだよ‼︎」
「まぁまぁ。」
兄さんが言ってる事は、僕も最近思っていた事だ。最近、あまりにも天使の脱走と、武器が奪われる事が多発しすぎだと思う。
天使による脱走及び武器奪取される事件はここ1、2年で増加傾向にある。看守達は常日頃から鍛錬を積んでいるが、囚人となるものの方が実践慣れしているということもあり、僅かに力及ばずということが多々ある。
「なぁミカエル、看守の護身用武器をさ、いっその事木刀とかにしちまった方がいいんじゃねぇの?お前上の方の人だろー」
普段ミカエルは軍の総司令官としての仕事をし、脱獄者が現れた場合はネットワークで通報を受け次第、天翔達や他に同様な仕事を担う軍の部署に出動命令を出している。
「そうだな。友達じゃなかったら敬語使わせてるんだがな。」
「そういえば、ミカエルさんがこちらに顔を出されるのは珍しいですね。どうされたんですか?」
大抵は総司令官室にこもり事務作業などをしながら、脱獄者に対しての対処を並行して行っている。総司令官が直々に現場に来ることなど滅多にないことだった。
「それがな…。ここの守りはかなり強固なはずなんだが、そこを突破して中に入ったとなると怪我人がいるだろうと踏んで来たんだ。…ひとまず、死者がいない事が救いだな。病院の方には連絡を入れておいたから、しばらくしたら搬送班が来るだろう。」
「で?ミカエルはどうすんだ?俺たちについてくるか?」
天翔がブラックスマイルを浮かべて言うと、
「いや、私は救急班を待ってから自分の仕事部屋に帰ろうと思う。その方が天翔にとってもいいだろ?」
とミカエルもブラックスマイルで応える。
「はは、よくわかってんじゃねえか。これは俺たちの仕事だからな!」
すると「兄貴!」と陽向が鷹を腕に乗せ駆け寄ってきた。鷹は揺れ動く腕にしがみつきながら時折バサバサと翼をバタつかせながらバランスを取っている。
「兄貴、みつけた!今森の中央あたりだって。世界樹に向かってるみたい。こいつが案内してくれるらしい!」
「よし、わかった。奏詩、陽向、行くぞ。」
2人は頷くと、陽向は鷹を放った。
数分前にミカエルと別れてから3人は鷹に先導を頼み、脱獄犯の元へ走って向かっていた。
陽向は剣の腕もそこそこあるが、小さな頃から大地人としての力を開花させていて、天使にはできない動植物との会話や自然や大地のエネルギーを使った特殊な技を使う。
「兄貴」
先頭を走っていた天翔に、陽向は後ろから速度を上げて並走する。
「んぁ?どうした」
天翔は速度を落とさないが、しっかり耳を傾ける。
「兄貴とミカエルさんって、仲良いの?悪いの?」
天翔がミカエルと話しているところを見たことがなかった陽向は不思議に思ったのか疑問をぶつけた。
「ん〜微妙!あいつとは結構長い付き合いだが、本心なんてもんはみんなわからねぇもんだからな。」
「そっか。俺は兄貴のこと好きだからな!」
「そうかそうか!俺も好きだぞ。」
走りながら器用に陽向の頭をクシャクシャと撫でると後ろから声が届く。
「兄さん、今仕事中。しっかりしないとダメだよ。」
「おう、すまねえ。奏詩のことも勿論大好きだからな!」
突然速度を落とし奏詩と並走すると、さっきよりも酷くクシャクシャと撫で始めた。
「兄さん!」
「はは、照れんな照れんな。」
「照れてない!」
照れ隠しに奏詩はクシャクシャになった髪を指を通してなんとかまとめる。
先頭を走っていた陽向が足を止めると、自然に兄たちの足が止まる。上を見ると、鷹は円を描くように飛んでいて、ここだと示そうとしている。
「兄貴、この上みたい。」
「あぁ。」
前回の投稿からかなり期間が空いてしまいましたが、これから時間を見つけて書いていきます。今回ちょっと長めです。