17話
「そう。それなら私から言えることは何もないわね」
口ではそう言うが、まったく騙された感がない。おそらくシェネルは全て分かっているのだろう。
†
出発に必要なものは全てシェネルが揃えてくれた。地図やら食料やら全てだ。
目的地はここから南西の方角にある街だ。そこはまだ帝国の支配下にあって各地の帝国軍残存部隊が集結しているらしい。もうすぐ冬になるということで王国軍も特に包囲なんかはしていないようだ。
初日はなにも問題はなかった。二日目の夕方頃から頭痛がしてきて、少しずつ、緩やかにひどくなりながら四日目の今日はかなりひどい。
原因はわからない。風邪というわけでもないし、頭痛以外は全くの健康体なんだ。ただ分かっていることは、西に向かって歩くごとにひどくなっていることくらいだ。一歩進むごとに頭の中に澱が溜まっていく。意識が串刺しにされる。
これだけ痛いと吐き気までしてきそうなんだが、そんな事はなかった。ただ身体の中から異物が溢れ出そうになっているだけ。なにそれこわい。
前に進むごとに痛みはひどくなっていくのに、なぜか足を止めようとは思わなかった。気付けば既に日は暮れかかっていて普段なら野営の準備をしているくらいの時間になっていた。
現在地は帝国北部の丘陵地帯のようだ。あちこちにちょっとした林や茂みがあり見通しが効きづらいから野営には最適の場所と言える。手近な茂みの中に荷物を隠し、すぐそこにある丘に登って見ることにした。頭痛に気を取られて地図の確認を怠っていたから詳細な現在地を確認したい。
王国側の傭兵隊がどこをうろついているかわからないから地面に這いつくばり辺りを見渡してみる。北を向く。ずっと遠くに白く霞んだ山脈が見えた。山の中腹辺りから上は雲に隠れているので確認できない。そのせいか、果てしのない巨大な城壁のようにも見えた。
続いて西。しばらくは丘陵地帯が続いていて、その向こうに大きな森が見えた。いつも通りの歩行速度なら六時間ってとこだろう。本来だったら今日中に森まで到着している予定だったからだいぶ遅れている。疲労が溜まっていることもあるのだろうが、やはり原因は正体不明の頭痛かな。
これだけ遅れると予定を変更しなきゃならない。目的の街はあの森のちょうど反対側にあるはずだ。本来の予定では南側に迂回して四日、迂回しきってからさらに二日の予定だった。食料はともかく飲料水の手持ちが心許ない。ギリギリってところだろう。
が、今はまだ半日の遅れとはいえこの調子で頭痛が続くとさらに到着は遅れてしまうはずだ。どれほど遅れるかはまだわからないけど、水が保つってことはないだろう。
地図上では森を突き抜ければ二日ほどの短縮となるはずだ。だが肝心の森の中の地図が簡単なものすら乗っていない。
頭痛が酷くなってくる。今はまだ現状確認くらいはできるけど、これ以上酷くなればそれすら危うくなる。なんとか原因を……いや、すこしでもやわらげばなんとかなるかもしれない。
わからない。
考えるのがくるしい。いたい。
半ば滑り落ちるように丘を降りた。荷物を隠した茂みの中に潜り込み、最低限の偽装を施して横になった。
とにかく栄養を取らなきゃいけない。俺の現在の主食はこの世界に来たばかりの頃にもお世話になったあの細長いパンだ。材料なんかをシェネルに聞いてみたらやはり薬草が生地に練りこまれているらしい。もっとも最初に俺が食べたのは帝国風のパンで今手元にあるのは王国風の固いものなんだけど。腹にたまるならなんでもいい。
食事は一瞬で終わった。貴重な水を一口だけ飲んで眠ることにした。
†
目が覚めたのはまだ夜明け前だった。辺りはまだ薄暗いけど十分に歩ける明るさはある。それに寝床にした茂みは丘の西側にあるから平野地帯に出る頃にはすっかり夜は明けているだろう。
相変わらず頭痛は続いていたけど眠る前よりかは多少は良くなった気がする。
荷物をまとめ、念の為に痕跡を消して歩き出した。余計な事を考えると痛みが酷くなるからただ無心に足を動かす。
気付けば平原地帯を超えて森の目の前まで来ていた。辺りは薄暗く霧のような雨で煙っている。この季節の雨は体温を容赦無く奪っていくから嫌いだ。
外套の前をかき合わせて森の中に進入した。
一歩踏み込んだ途端に、頭痛が酷くなった。思考が串刺しにされ、切り刻まれて解体されていく。酷く嫌な気分だ。
それでも足は止めなかった。いや、止まろうとしてくれなかった。
すぐにでも倒れ込んでしまいたくなるほどの痛みは脊椎を経由して全身に回っていく。
精神より先に身体にガタが来た。痛みが強烈で気がつかなかったけど相当疲労が溜まっていたようだ。手頃な木に手をつき、えずく。胃からせり上がってくるものは剣山みたいな痛みだった。いや、ほんとどうなってんだよ俺の身体。
だけど剣山なんて物騒な物を吐き出すはずもなく、黄ばんだ胃液混じりの唾液が情けなくわずかに垂れるだけだった。
膝から力が抜けた。ずるずると幹に体重を預けてへたり込んだ。ほおに当たる木の皮のゴツゴツとした冷たさが気持ちいい。
しばらくそうして休むことにした。