14話 帝国でのお話
「セリオはいるか」
最先任百人隊長の姿を求めて士官用の幕屋に現れたのは痩せ気味の中年男性だった。
先ほどの会議で顔を合わせたばかりの士官達が一斉に起立し、姿勢を正した。
一見頼りなく見えるこの男は、現役の元老院議員であり執政官であり、帝国の常設第一軍団を率いる知勇兼備の猛将でもある。欠点らしい欠点といえば女癖が悪いこと、金遣いが荒いことだが、軍団兵からは親近感を与える要素にしかならない。
「先ほどの軍議の後自分の天幕に戻るところを見た限りですが……なにか、問題でもありましたか」
この中で最高位の士官が答えた。
「いやなに、密偵がおもしろい情報を掴んできてな。あやつに真偽を確認してもらおうかと思っていたのじゃが……そうか、おらぬか」
軍団長、アンブローシウス・リトヴィエンティス・クラッスス自ら捜索するセリオ・ウルティアは魔術師によらない世界による召喚によってこの世界に来た異邦人だ。こちらの世界に来るまでは一度も戦場に立ったことはなく、剣すら握ったことのないただの商人だったらしい。
試しにアンブローシウスが剣の手ほどきをしてやったところ、案の定というべきか才能は皆無だった。
アンブローシウスの趣味は才能がないと言われた若者の育成だったので諦めるつもりはなかったのだが、とにかく思いつくままにいろいろなものをやらせてみたのだが、槍や弓、珍しいものでは棒術なども試させたがそのどれもが驚くほどに合わなかったのだ。
困り果てた軍団長に、彼に鍛え上げられた一人でもある副官がこう提案した。
『武術に適性がないのならば、魔術を習わせてみたらどうでしょうか』
魔術師というモノを育てるには幼少期からそれ専門の訓練が必要となる。どんなに遅くとも年齢が二桁に届く前には訓練を始め、肉体を魔術師用に調律しなければ使い物にならない。
普通に考えれば二十代後半のセリオに今から魔術を学ばせるのは遅過ぎる。
だが、セリオは異世界からの来訪者だった。アンブローシウスはその可能性に賭けてみたのだ。
賭けは成功した。たかだか三週間足らずで魔術の基礎を習得し、魔術の行使に必須である身体改造もなんの拒否反応も起こすことなく完了させた。この結果には指導役となった帝国でも三本の指に入ると言われていた老魔術師ですら心を折られかけたらしい。
今では攻撃、防御、治癒、付加などおよそ知られているほとんどの魔術を会得するに至っている。彼が『発掘』した人材の中では間違いなく一番の大当たりだった。
アンブローシウスは士官用の天幕を出た後、セリオの姿を探して駐屯地の中をうろうろと歩き回っていた。そんな彼の姿を見る度に軍団兵が気安く声をかけてくる。
「親父さん、食後のお散歩ですかい?」
「干し肉でスープを作ってみたんですが、軍団長も一杯どうですか?」
などなど。アンブローシウスが兵から慕われている証だ。
と、ついにアンブローシウスの目が目当ての人物を捉えた。
セリオはやたらと大きな籠を背負い、手製の釣竿を肩に引っ掛けてひょこひょこと駐屯地の中へ入ってきた。
「おおセリオ、こんなところにおったか。何をしておったんじゃ?」
「何って、釣りですよ。まあ一匹も釣れやしませんでしたが」
ほら、と空の籠を見せてくるセリオ。……いや、空ではない。籠にはゴブリンの死体が三体詰まっていた。一体どんな魔術を使ったのかはわからないが、うずくまるような姿勢で綺麗な正方形になっている。生物としてあり得ない形状になっていることを除けば外傷もなくとても綺麗な死体だ。
「途中でゴブリンの群れに出くわしたもんで、三体ほど捕まえて来ました。これ、私の工房に持ってってもいいですよね?」
そう言ってセリオは工房の方に歩き出した。
……本来、一般の魔術師が工房を持つという習慣はない。せいぜい付与魔術師が生産用の拠点を簡単に作る程度だ。
当然アンブローシウスは許可を出さなかった。セリオの要求する工房の要求が高すぎた為、とうてい軍団の予算で賄えるものではなかったのだ。
だが、セリオは工房を勝手に作った。勝手に軍団兵を動員し、構造物を破壊して資材を調達し、それはそれは立派な工房を建設したのだ。よりにもよってアンブローシウスの天幕の隣に、だ。
それだけじゃない。セリオはどうやら元いた世界で魔術師が活躍する遊戯本の類を読み込んでいたらしく、この世界でそれを再現することに躍起になっているのだ。話を聞く限りでは限りなく魔法に近いものもあるようなのだが、彼は既存の魔術を組み合わせることで再現してみせた。
例えば、彼が『ガンド撃ち』と呼ぶ魔術を再現した際の設計図を知り合いの凡庸な魔術師に見せたところ、返ってきた答えは『理論上は不可能ではないが、実現は不可能だし何より意味が無い』とまで言われたほどだ。他にも使用者の魔力を充填した燃素を込めた弾倉を戦鎚に取り付けて威力を増したものや、常時風を起こして光を屈折させて不可視の剣を作ったり果ては『万能の願望機』とやらを再現しようとしたり。願望機はさすがに再現できなかったようだが、不可視の剣は実際に創り上げてアンブローシウスの個人邸宅のどこかに貯蔵されていたりする。
もっとも、使用者にも見えないから下手に扱えば容易に自滅したりする上にどこか適当なところに放っておいた時には完全に見失ってしまう。事実、アンブローシウスも邸宅のどこにあるのかわかっていないのだ。
とにかくただでさえ非常識な魔術師という生き物を濃縮して出来上がったのがセリオといった具合で、さすがにアンブローシウスでも手を余すようになってしまったいた。
「待て、捕まえて来たってどういう……まさか、生きておるのか、それ」
当たり前だが、軍団の駐屯地、それも臨時のものではなく軍団の本拠地とも言える場所に生きた妖魔を運び入れることなど許されているはずもない。最悪極刑に処される事もあり得るのだ。
「一応生きてますよ、コレ。まあ何をどうしようと私が命じない限り動き出すことはないですが」
なんでもないことのようにセリオは言った。
「そ、そうか……ところで」
また夜中に断末魔が聞こえてきたりするかと思うと、さすがのアンブローシウスでも頭が痛くなってくる。
「北方で新しく召喚者が確保されたらしい。今はアンドレイのとこで使っておるらしいのじゃが、どうする?」
「どうするって、何がですか?」
「いやな、お主が望めば我が軍団に引っ張って来れるのじゃが」
「いや、別に私は……あ、その人どこの国の人か分かりますか」
食いついてきた。出身国に拘るあたり、セリオの出身国には敵対国でもいたのだろうか。
「ん、ああ、確か……に、に、にほん? とかいうところの出身らしいが」
「にほん……」
アンブローシウスの言葉を繰り返すセリオ。明らかに雰囲気が変わったのがわかった。普段の気の抜けたような雰囲気は鳴りを潜め、まるで戦に臨む直前の武人のような雰囲気を醸し出している。
やはり敵対国の人間だったのだろうか。
「行きます。中間地点の帝都で落ち合えるように手配していただけますか」
「それはいいが……一人で行くのか?」
「道案内の兵をつけてくれれば十分です。では、私は準備をしてきます」
それだけ言うとセリオは籠からゴブリンを出す。背中の部分にそれぞれ陣を描き入れ起動呪文を唱えると、趣味の悪い正方形は激しい勢いで炎を上げ、あっという間に消え去ってしまった。