3話
「ミリアさん、ノックをしてくれとあれほど……ってなんじゃお前さんか」
ポンコツは散らかし放題の部屋の中で唯一整えられているベッドの上でだらしなく菓子を食べていた。いつもの若干ボンテージっぽい服ではなく帝国風のゆったりとした服に着替えている。服、というか長い一枚の布を服っぽく身に纏っているだけの状態だ。
頭だけでなくすみずみまで緩み切っているポンコツは服の着方まで緩み切っているらしく、いろいろなところがポロリしそうだ。全くありがたくない。
「お前、俺の倫理観が欲しいか?」
「なんじゃいきなり。それ、遠回しな愛のこくはいや待て剣は抜くなただの冗談じゃ」
黙って剣を抜くとイカれたポンコツ戯れ言製造機はようやく静かになった。
「欲しいなら欲しいと言えよ。我慢はよくないぜ? ああ、もちろん代価はいただくが」
「別にわし、コレクションに困ってはいないのじゃが」
「いいから倫理観持ってけって! な!」
「な、なんでお前さんは自分の倫理観を押し売りしてくるんじゃ!」
ドン引きした上に泣きそうになってるポンコツが言った。気持ちはよくわかる。
「いいから持ってけよ早く! あ、お前知らない言語喋れるようにしたりできんだろな?」
「え、え? いや、出来ることはできるが……あまりオススメはせんぞ?」
「できるんならいい、早くやれ。間に合わなくなっても知らんぞー!」
「ひ、ひぃ!? わかったから、わかったから落ち着くのじゃ! いま準備するから!」
というわけで俺は倫理観と引き換えに帝国語を習得した。
ちなみにくれてやった倫理観は同族殺し、つまり殺人に関するものだ。ガキとか非武装のデモ隊を思わず「誤射」しちゃったりする時に罪悪感だとかを感じさせる機能を持っている。元々あってないようなものだったし、カニバリズムに強制的に目覚めさせられた時と比べれば損害の内にも入らない。
「どうじゃ、これで満足かの」
うんざりした表情でポンコツが言った。
「明日きちんと喋れなかったら殺す」
わりと本気で脅す。罪悪感もないからとても気分よく脅すことができた。今回は自ら望んでこうなったわけだが、我ながらろくでもない人間になったものだ。
「やめんか、そういうこと言うのは!」
「ま、もうお前に用はねえ。安らかに眠れ」
「だからやめよと何度言ったら……」
再び戯言を製造しだしたポンコツを置いて自室に戻る。いやあ、実にいい気分だ!
†
翌朝起きた俺は、早速昨日の事を後悔していた。いくらなんでも安売りしすぎだろう、俺……。大したものでもないからってたかだか言葉を通じるようにするだけにあれは、ない。だって考えてもみろよ。前回の時は体力の全回復と神代級遺物のセットだぜ? それを、遅かれ早かれ習得できるものだけに倫理観一つ、しかも殺人に関する事だ。くそ、もっとふんだくれただろうに、本当に勿体無いことをした。
あれだな、疲れきった頭に酒の力が加わると最悪だな。今度交渉する機会があったら酒は控えよう。
ともあれ、比較的簡単に帝国語の習得をチート気味に終えてしまった俺はいつも通りに軍団の臨時指揮所に来ていた。街で一番の敷地面積を誇る民衆会議所の中にはでは軍団兵達が模擬戦闘を行っている。この世界の戦術には興味があるけど、それもいずれ分かることだ。よって中庭をスルーしてアンドレイの執務室に入った。
「ノックをしたまえ」
なにやら書類を書いていたらしいアンドレイは一度だけ俺の方をチラ見するとすぐに書類に視線を戻した。
初めて会った時の迷彩服姿が印象に残っているせいか、彼が古代ローマ風のトーガっぽい服を着ている姿は新鮮に思えた。どうやら迷彩服は戦闘時にしか着ないらしく、もう毎日この姿を見ているのだが一向に見慣れる気配がない。
俺も最初はトーガに挑戦してみたんだが、俺のポケットモンスターが脚の間で不安定にぶらぶらしまくるのが嫌で、今は帝国人の言うところの北方蛮族風のシャツとズボンを履いている。
どうも俺の、というかアジア人の顔は北方蛮族の内西部に居住している連中に顔立ちがにているらしい。もっとも本物の方は日照時間の少ないせいか、透き通るように白い肌をしているらしいが。
まあ俺がこの軍団に入営するというのはまだ正式に認可されたわけではないらしく、対抗勢力の目を欺くには少し肌が焼けていた方が都合がいいとか言ってたが。大方解放奴隷の一人とかそんなところだろう。なんか、ファーストコンタクトの状況とか奴隷に身分を偽るとか今は亡き中川たちと合流した時の状況と似ていてなんか怖い。
「人員の抽出はどうなっている?」
「選定は既に終えている。が、部隊の主要任務に変更があった。それについては後日通達する、君は君の為すべきことを為したまえ」
「あんたに言われなくてもきちんとやるさ」
もう勉強する必要はないとわざわざ伝える気にはなれなかった。ポンコツの存在はまだ誰にも言っていないし、下手に勘ぐられても面倒しかないしな。
出勤報告を終え、副官殿の待つ資料室へと向かった。いつもその部屋で勉強しているんだ。
そういえば、文字を読むことまでできるかポンコツに聞くのを忘れてたな。ま、そこら辺はおいおいでいいかな。しばらくは俺の目標であるメイドさんにセクハラしつつ読書なんて生活はできなさそうだし。今は自分の部隊について考える時期だろう。
「今朝は随分とゆっくりなのですね」
これだから蛮人は、とでも言いたそうな態度でオクタヴィアが言った。部屋に入るなりこれかよ。こう、同僚として仲良くやってこうという気持ちはないのだろうか。
「これはこれは、大変申し訳ありません」
というわけで、完璧な上流階級の発音で帝国語を使ってみた。右手を心臓の辺りに当て、深々と腰を折る。ふふふ、オクタヴィアの顔を見ることはできないが、さぞかし悔しそうな顔をしているに違いない。
にやけそうになる表情筋を全力で制御しつつ、顔を上げた。
ドン引きされていた。
「いきなりなんなのですか。というか、そんなに完璧に喋れるなんて、昨日までずいぶんやる気がなかったようですねぇ?」
あれ、お怒りになっていらっしゃる。
これはあれだ、戦略的撤退しかないな。
くるりとオクタヴィアに背を向けた瞬間、焼けるような衝撃が後頭部に走った。