1話
ちょっと肌寒く感じて、俺は目を覚ました。
「ん、おお……」
頭ガンガンする。昨日飲みすぎたか……? いや、給料日前だから酒なんか飲んでないはずだ。ていうか今何時だ……。
左手首に巻いた腕時計を見ようとして、俺は周囲の状況に気づいた。
森だ。つまり屋外だ。おまけに一体どこの森なのかもわからない。少なくとも、うちの近所にこんな森はなかったはずだ。
というか、なんか下生えの草とかないし、日本の森というより、大学の資料室でみた外国の……ヨーロッパの森の様子にすごく似ている。
ええーー……。
ちょっと状況が理解できないな。とりあえず自分の服装が、昨日バイトの時に着ていったのと同じだということはわかった。ポケットの中には自転車の鍵と自宅の鍵、それに財布が入っていた。とりあえず財布の中から学生証を取り出して、名前を確認する。
『冲野 優一』
うん、名前も死にかけのジュゴンみたいな目をした顔写真も確かに俺のものだ。いや、死にかけのジュゴンてひどいな。今気づいたけど、学生証確認しても意味ないじゃん。
というか手荷物すらない。パッと見た通りの国外だったとして、パスポートなんか持ってないのにどうやってきたのか、という問題がある。
一番ありそうなのは某国に拉致されたって可能性だけど、拉致っといて森の中に放置ってのもおかしいよな。それに腕時計を確認したところ、文字盤を覆うガラスのところにヒビが入っていておまけに止まっていた。俺の全財産で最も高価なものだったのに……。ちなみに買ったときは二十万円もした。
ちょっと泣きそうになるけど、まあこんな森の中でぼーっとしてても仕方ない。どこかしらに街へと向かう道が見つかるだろう。
俺は立ち上がって服についた土やら苔やらを軽く払い、とりあえずまっすぐ歩いていくことにした。
かれこれ二時間も歩き続けている。未だに人の痕跡らしきものは見つかっていない。ちょっと泣きそう。というかけっこう腹が減ってるんだけど、食物すらない。さっきからちょくちょく果物らしきものは見かけるんだけど、それが果たして食べていい物なのかが判断できないので、手は出していない。
ちょっとやばいな。少し休憩しよう。目に付いた大木の根元に腰を下ろす。
この森はあまり密度がない感じだ。木の幹は大人が三人くらいが輪になってやっと一周できるくらい太い。けどそれぞれの木同士の距離がそこそこあるので、日本の森特有の圧迫感はあまりない。下生えもあまりないし、茂みも時々見かける程度。木自体もほとんどがまっすぐ天に向かって伸びている。高さも二十メートルはあると思う。葉は鬱蒼と茂っていて太陽が見えないから時間も方角も推測できないのが難点だ。木に登って見回してみようにも、木の幹に手頃な枝がないのでそれもできない。
それに森全体になんか甘ったるい香りが漂っている。植物がその香りを放っているのではくて、空気自体がそんな香りみたいだ。かといって、それほど不快な匂いでもなく、むしろ落ち着く感じだ。
不意に、目の前にある茂みがガサガサと揺れだした。なにやら話し声も聞こえる。
と、いうことは。
「誰かいるのか!?」
とりあえず叫んでみた。
話し声がぴたりと止む。どうやらこっちの存在に気づいたみたいだ。少しして、茂みを迂回するようにして男が一人出てきた。
男の格好といえば、胸元を革紐で編み上げた茶色い服に、白いゆったりしたズボン。頭には深草色の頭巾をかぶっていて、手には片刃の大きなナイフ。背中には矢筒と弓を背負っていた。
頭巾から覗く髪は明るい茶色で、瞳は緑色だ。肌は白いし顔立ちもちょっと彫りの深い白人といった感じだ。ラテン系でも北欧系でもない。
男は何かを早口に喋るが、聞き取れない。今まで聞いたことのあるどんな言葉とも違うように感じた。
「すまない、あんたの言葉がわからない。あんたが何を言ってるのかわからない」
とりあえず日本語で話しかける。敵意がないことを示す為に、軽く両手をあげた。
が、どうにも反応はよろしくない。というかかなり怒ってる様子だ。
またなんか喚きながら、今度はナイフを向けてこっちに近づいてきた。
「待て待て落ち着け! 話せば分かる!」
そういや言葉通じないんだった。ダメじゃん。
まあ予想はついたけど、そのコスプレ男はナイフで切りつけてきた。ここまでされて黙って切られてやるほど俺は平和主義者じゃない。というか自称平和主義者の皆さんもこんな時は防衛行動をとるだろう。
振り下ろされるナイフを握った右腕の手首の少し下あたりを掴む。
ナイフ側の腕を脇に挟み、コスプレ野郎の鼻を殴りつける。後ろにのけぞったから股間に膝蹴りを叩き込んだ。
倒れ込んだ男の右肩の関節を外し、ナイフを奪う。
ズボンを留めていた腰紐を手早く切り、足首まで下ろす。こうすればすぐには身動きできないだろう。
さて、なんか忘れてる気がするな。
「アシュ・タリム」
「そりゃ一人でぶつぶつ言ってるわけないよなあ……」
首筋にナイフを突き立てられる。両手を上げて抵抗しないことを示す。
「ティレ・スム・イシュタル・パブリカ?」
「だからわからんてば」
自慢じゃないが英語は苦手なんだよ。高校の時に唯一単位を落とした科目でもある。や、明らかに英語ではないんだけどさ。
どうやら俺にナイフを突きつけてるのは声変わり前の子供か女みたいだ。
まあこれなら反撃できるだろう。
素早く右腕を動かし、喉元に突きつけられたナイフをずり下ろす。
相手の腕を掴んだまま、背負投げの要領で前に投げ飛ばした。仰向けに倒れた不届きものの腹の上に、全体重をかけるように膝をつく。この技なんて名前だっけ? スタンプ? 違うな。まあどうでもいいや。
「ぐぅう……!」
随分可愛らしい声を上げる。口の端から血の混じった泡を吐いて気絶している。……ほ、ほんとに気絶だよね? 死んでないよな? さすがにいきなり殺人はちょっと困るかなって思うんだけど……。
不安になって脈をとってみる。……うん、大丈夫みたいだ。医学の知識なんかないけど大丈夫に違いない。
とりあえず気絶した二人を縛り付けておく。縄は二人の荷物から見つけたものだ。ついでに最初に襲ってきた体格のいい方から服を剥ぎ取る。いきなりこいつらが襲ってきたのは、俺が見慣れない格好をしているからだろう、と考えたからだ。
この中世風の服は見た目以上に脱がせづらい。ただでさえ脱力しきっているというのに、どの紐を解けばいいのかがわからないのだ。それでも十分以上かけてやっと男を下着だけにする。脱がしたばかりの服に着替えて、二人が持っていた頭陀袋の中身をぶちまけ、その中に自分の服をいれた。
ぶちまけた中身といえば、硬いパンに不揃いな形の硬貨が入った小さな巾着。薬草っぽい草などなど、よくわからないものばかりだ。使えそうなものといえば、羊皮紙製の地図と硬貨入の巾着、それと作業用っぽいナイフくらいか。ちなみに男が武器にしていた長めのナイフも回収してある。
弓と矢は両方とも折っておいた。いくらなんでも飛び道具には勝てない。縄は少し緩めにしておいた。しばらくは目を覚ますことはないだろうけど、まあしばられっぱなしなのも可愛そうだしな。
使えそうなものだけを頭陀袋に突っ込む。口の紐を引っ張って締める。……このままじゃ不便だな。いろいろと工夫して、肩から斜めがけできるようにした。
これで出発できるな。うん、この服も意外と動きやすそうだ。ゆったりしているのに、身体を動かすときに邪魔になる布が少ない。よく考えられているな。
そんなことを考えながら地図を開いた俺だけど……あれだね、現在地が分からなきゃ意味ないじゃんな。地形で現在地を確認しようにも森のど真ん中だし。一応、俺がいると思われるでかい森(らしきもの。字が読めないので)は書いてあるものの、その森はずいぶんとでかい。
さて、どうしたものか……人がいるということは、歩いていける範囲内に村なり街なりがあるということだ。つまり、この二人の足跡を辿っていけばいい……はずなんだけど。足跡を辿る方法は知ってるけど、できるかな……。
「まあ、やってみないことにはな。じゃ、おつかれさん」
縛られて横たわる強盗二人に片手をあげ、俺は歩き出した。
結論から言うと、森から出ることはできた。が、それだけだ。というか、痕跡を探すのってめちゃくちゃ疲れる。なんとか森の外に出れた時には、もうとっくに日が暮れていた。街灯もなく、ただひたすら真っ暗なだけ。
今からじゃ街を探すといっても流石に危険すぎるので、森の端っこの方、木の根っこが洞窟みたいになってるところで仮眠をとることにした。マントというか外套というか、とにかくこういう時には毛布がわりになるし、結構便利なことに気がついた。