表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
A CAGE ~囚われた4人の少女~  作者: 7%の甘味料
鳥籠に囚われた少女たちとの出会い
9/28

第7話

第7話



「X2乗-3X+2を因数分解すると、いくつになりますか?堅剛さん」


「……6……だよな?」


「同意を求めないでよエリカ……根本から違うし」


「鮎川さんは分かるよね?」


「はい、(X-1)(X-2)です。微分すると2X-3だよ」


「え……あぁ……正解だね」


 微分……確か高校三年生のときと大学のときにやった記憶があるが、すっかり忘れてしまっていたため反応に時間がかかった。


「先生しっかりしてよー、必死に微積分思い出そうとしているのバレバレじゃん……」


 鮎川さんは僕よりも間違いなく学力があるので、たまに授業もフォローしてもらうことがある。生徒よりも学力の低い教師に存在価値があるのかといわれたら返す言葉もない。


「おいおい、びぶんってなんだよ、俺は頭悪いんだから次々変な言葉を出すなよ、余計わかんなくなるだろ!」


「堅剛さんは気にしなくていいから、基本的な因数分解をできるようになろうね」


 一方で、堅剛さんの学力はよくても小学生止まりであるため、授業が鮎川さんと僕で堅剛さんに勉強を教える会になってしまっていた。最後尾のユエさんはまるで機械のように微動だにせず今でも僕が近づくことは許されていない。当てられても求められた答えのみを簡潔に答えるだけだった。


 僕がこの学校に来て1ヶ月の月日が流れた。鮎川さんは以前よりも授業を真面目に聞いてくれるようになり、自由時間は彼女の好きな漫画やアニメのトークを聞くことも多くなった。


 堅剛さんは寝てはいないけど、授業の理解度が低く今みたいなことが続いている。でも、鮎川さんに教えて貰ったり、授業が終わった後に復習しているので、少しずつ学力を上げていると思った。


 二人とも初日の様なキツイ態度をとることはなくなった。初日では考えられなかった和気あいあいとした光景がそこには広がっている。自己紹介をしたときのことを考えれば夢のようだ。なにせ入ってきた瞬間に帰れといわれ、殺す勢いで鉛筆を投げつけられたのだから。一番後ろの銀髪の彼女ユエは相変わらずだが、確実に前進したといえるだろう。


 また、ユエさんは鮎川さんと堅剛さんともほとんど話をしないらしい。授業に出ていないもう1人のクラスメイトとも話しているところは見たことがないから、進藤さんと事務的な話をしているところしか見たことがないというのだ。


 僕に限らず他者との交流を拒絶している所があるらしく、避けられているのは僕だけではないそうだ。僕の目的はクラスの子全員との信頼を深めることだ。ユエさんも例外ではない。いずれは彼女と話して親しくならなければいけないので、どうすれば良いのか考えてはいるが何も策が思いつかない状況であった。


 そして、気になることといえば、授業にずっと出ていないもう一人の生徒の存在……体調不良で休み続けているらしいが、教室に来ない生徒と仲良くなる方法はないので、いずれはその子のことも考えなくてはならないだろう。


 授業が終わり、自由時間となった。鮎川さん達にコンビニで買うように頼まれていたトランプを出してババ抜きをする予定だ。交流を深めるためにババ抜きをすることを進藤さんにはすでに話していた。



「校則だと教師や警備員が外で買ったものを与えるのは禁止だぞ! もしかしてそんなことしようと思ったの、い~けないんだ!いけないんだ!先生にいっちゃお!」


おまえは小学生かと突っ込みたくなるようなうざい返しに、電話ごしでも軽く青筋がたちそうになったので僕も言い返した。


「一応、僕は先生なんですけど」


「じゃあ警察に」


「あなた警察じゃないですか……」


 相変わらずこの人とやり取りをするのは疲れる……。


「ここからは警察としての進藤じゃなくて、君に案件を依頼した進藤として話すからオフレコでよろ」


「はぁ……分かりました」


「生徒同士のトランプ遊びに混ぜて貰える先生は好かれてるエビデンス!」


 evidence……証拠だったかな。日本じゃそこまで使わない英単語を会話に急に混ぜられても反応が鈍るだけだ。


「明日の給料渡すときに多めに1000円入ってると思うけど、別にそれでトランプを買うような馬鹿な真似はするなよ! 絶対にトランプなんか買うなよ! ソックスコーヒー10缶くらい買ってのめよ! 本当マジ買うなよな! 絶対だぞ絶対!」


 ルールでは禁止されているから進藤さん以外のお偉いさんにバレないように気をつけて欲しいけど、交流を深めるチャンスだからうまくやれよと言いたいんだろうな進藤さん。遠回し過ぎてわざわざ自分で言葉を飲み込んでまとめないと意図が汲み取れない。


 しかし、この人の依頼を達成できれば僕の痴漢の冤罪は晴れて、妻の三代子と古山にも然るべき罰を与えられる……気が滅入りそうになるけど、この面倒な警視総監とも上手くやっていかなければならないな。



「堅剛さんが残り1枚で、僕が残り2枚だからこれで引いたので勝負が決まるね。」


 そんなことを思い出しながらババ抜きをやっていると、鮎川さんがすでに上がり、僕と堅剛さんの最後の勝負となっていた。ババ抜きの醍醐味は最後の駆け引きだ。


「そんなもん俺にはお見通しだぜ、とりゃっ!」


 そう言ってババのカードを勢いよく抜き取り、勝敗が決まった。堅剛さんは頭を抱え、鮎川さんはため息を吐いた。無理もない5戦やったが堅剛さんは全敗なのだ。


「エリカは勉強だけじゃなくてトランプも苦手なのね……ゲームとかでも攻撃に能力値を全振りしそう」


「茉莉! よくわかんねぇけど、すっげぇ失礼なこと言っただろ! くっそ! 悔しい!」


 彼女たちのやり取りは1ヶ月見てきたが何時もこんな感じだ。しかし、見ていて飽きないものだった。すると堅剛さんが僕の肩を叩いてこういった。


「そうだ!センセー!今度はあれだよ!スポーツやろうぜ、この学校には体育ないしさ!まぁボールとかないし近場じゃ買えないけど、走る事はできるし競争しようぜ!」


 唐突な堅剛さんの意見に食い気味に鮎川さんが答える。


「はぁっ? なんで走らなきゃいけないの? あほらしい……どうせなら皆でアニメ鑑賞会を……」


「一人でやろうな! で、センセーどう思うよ?」


 鮎川さんの提案を流し僕に意見を求めてきた。この学校に体育はないのは本当だ、進藤さんによると運動場のスペースがないとか、安全上の理由でカリキュラムに入れていないらしい。しかし、堅剛さんは体が鈍ると言うので、毎日この学校の塀の周りを走っている。僕がコンビニから帰って部屋に戻ろうとするとよく走っている彼女に遭遇することもある。


「日ごろ鮎川さんは運動不足だろうし、良いアイデアだとは思うよ」


「だよなー! そうと決まれば次の自由時間は運動で決まりだな」


「えぇー……まぁ青山先生どちらかというと明るくてスポーツもできるイメージだし、こっち側じゃないもんね……」


 鮎川さんが最後に何か小言を呟いていたが、明日の自由時間は運動で決まった。しかし、2人とならなにをやるにしても楽しい時間が過ごせそうだ。社会人になってもう青春をすることはないと思っていたが、第二の青春を過ごしているような気分だった。


 こうしていると彼女たちと仲良くなる動機が自分の冤罪のためとか、妻の三代子への復讐であることを忘れてしまう。最初は少女とはいえ犯罪者である彼女たちを偏見の目で見ていたのだから、自分の目的のために仲良くなることしか考えていなかった。


 しかし、鮎川さんと堅剛さんの人柄を知った以上、僕は自分の意思で教師として生徒たちと交流を深めたいと思い始めていた。それでも、進藤さんからの報酬を期待していないといえば嘘になる。だからこそ彼女たちを利用して目的を達成しようとしているのではないかという罪悪感もあった。


 僕は本当は犯罪者ではないけど、だからといって聖人でもない。聖人なら見返りを求める気持ちや、三代子たちへの復讐心を捨て去れると思うが、それほど自分は心の綺麗な人間ではなかった。



 教師としての業務を終えると、すでに辺りは暗くなっていた。この場所は、都心から少し離れた場所に位置しているせいか星が輝いて見える。しかし、いくら空を見渡しても月が見えなかった。月の周期を気にして生きているわけではないので、新月だから見えないのか、位置の問題で見えないのかは分からない。


 僕がふと正面を向くと、そこには幻想的な光景が広がっていた。まだ親密にはなれていないもう一人の生徒、ユエさんがベンチに座って空を見上げている。ただそれだけのはずなのに、その光景にある種の神秘的なものを感じていた。


 思えば、端正な顔立ちと、殺し屋という過去が与える人を寄せ付けないオーラは、ただ教室に座っているだけでも絵になる光景だ。そのうえに、彼女の艶を持つ銀髪は星の輝きに照らされたことで、こんなに美しい人間がこの世に存在するのか疑ってしまうくらい現実離れをしていた。


 先生としてこの時間に外出していることを問い詰めるべき役割があるにも関わらず、僕はただ呆然とこの光景を見つめていた。


「なにか?」


 遠くからの声であることと、呆然としていたので反応に遅れたが、ユエさんは確かに僕に話しかけた。席を立つと堂々と歩いてこちらに近づき、十分に声が届くところで立ち止まった。


「い、いや……門限を過ぎているのにこんな所でなにをしているのかなって……」


 僕はユエさんに見とれていたことを隠して、教師として役割があることを説明した。彼女は相変わらず今にも殺しそうな目で見つめている。一歩でも足を踏み出せば、なにか人を殺せるものを投げつけてきそうだ。


「門限を過ぎて、外出したことは認めるわ……だったらどうするの? 進藤にでも報告するの? そうすれば私を排除できるものね」


 ユエさんはルールを知りながら破っていたことを認めたが、僕がそれを進藤さんに報告して排除すると思っているらしい。とにかく敵意がないことを伝える必要がある。


「は、排除って……そんなつもりは……」


「それとも、あの二人みたいに私とも馴れ合いができると思ってる?」


 ユエさんは、堅剛さんと鮎川さんの3人で仲良くしていることを馴れ合いと切り捨てた。


「馴れ合いだなんて、そんな! 僕はただ……」


「この際だからはっきり言ってあげる。私はあなたと馴れ合うつもりはない、他の三人ともね……」


 三人……それは堅剛さんと鮎川さん、そして、今は授業に出ていないもう一人の生徒のことだろう。ここまではっきりとした拒絶を受けては取り付く島もない。返す言葉もなかった。


「進藤に報告したければすればいいわ、要件はそれだけだから」


 彼女は必要最低限かつ親密になることは不可能に思える言葉を残して、そのまま去っていった。彼女の殺し屋としての威圧感、そして、僕みたいに今まで普通の人生を生きてきた人間には想像もできない、ユエさんの背後に見える闇が彼女との距離を縮めることを許さなかった。


「そうだ……僕はまだ……彼女たちのことを全然知らない」


 ユエさんはもちろん、明るく振舞っている鮎川さんと堅剛さんが抱えている闇を僕はまったく知らない。彼女たちと親密になることは、底知れない闇を払うくらい難しいことなのだ。考えが甘かった。人生をかけて彼女たちの教師になったのにも関わらず、僕はその役目の重みを心で理解できていなかった。


 彼女たちのことを僕は経歴だけを見て知った気になっていた。しかし、彼女たちがどんな理由で犯罪に手を染め、ここに収監された経緯を考えると、そこには書類だけでは分からない闇があるはずだ。ただ、少し話せるようになっただけで僕は仲良くなれたと勘違いしていたんだ。ユエさんに馴れ合いだといわれても仕方がない。


 それでも……それでも、僕みたいな普通の人間が彼女たちと正面から向き合うなら、それこそ命を懸ける覚悟が必要だ。僕には教師としてのノウハウも、他人と親密になれる話術もない。そんな僕が唯一、張れるものは自分の命だけだ。


 はっきりと拒絶したユエさんに今すぐ近づくのは得策ではない。タイミングを見極める必要があるだろう。ユエさんにまた近づけたのなら、今度はあの殺されるかもしれない威圧感に負けず、自分の言葉を伝えよう。そして、堅剛さんや、鮎川さんのこともこれまで以上に心から信じよう。


 妻の三代子が裏切ったように、また僕は裏切られるかもしれない。だけど、彼女たちのことを心から信じて、その信頼に命を懸けることができなければ、彼女たちと親密になることはできない。僕はこの瞬間から覚悟を決めて彼女たちと共に時間を過ごすことを決めたのだった。



 2日後、僕は決意を胸にいつも通り授業をしていた。覚悟を決めたからといって、今すぐなにか行動を起こすわけじゃない。日々、彼女たちと一緒に過ごすことも大切な時間だ。今、自分のできることを精一杯におこない、重要な局面で気持ちに負けることなく、最善の選択を選び取ることが彼女たちとの距離を縮める唯一の方法であると考えていた。


 そして、その局面は唐突に訪れた。ガチャッ!と言う音共に人が中に入ってくる。警備員だろうか、いや警備員が授業中に増員されたのは一ヶ月の内一度もなかった。


 突然の来訪に驚き、僕は開いた扉の方向を見ると、そこには顔色が悪く足取りも少しふらついている黒い髪の女の子の姿があった。身長は150cmもないくらい小柄だ。この娘は……もしかすると……。


「こ……こんにちは」



続く


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ