第10話
第10話
「わ……私は殺してなんかいません!」
彼女の突然の告白に周りが騒然とする。もし、本当に彼女が殺人をしていないとすれば、彼女は冤罪でここにいることになる。しかしユエさんは椎の必死の告白をまるで信じようともせず微笑をして話しかけた。
「ふふ……そんなこと誰が信じると思ってるの? じゃあ、なんであなたはここにいるのって話になるわ。それともあなたは冤罪で覚えのない罪を着せられここに来たって言うのかしら?」
「そ……そうで……」
「山本椎さん、前から気になっていたのだけど、どうしてはきはき物事を喋らないの? そこのメスゴリラや鮎川さんのかわいいって言葉に甘えているのか知らないけどただの甘えだと思うわ」
「ご、ごめんなさい……」
「謝るくらいならもう少しちゃんと話す努力をして欲しいのだけど」
ユエさんの威圧的な話し方への恐怖や色々なものから彼女の目から涙が出ていた。これを聞いていたエリカも我慢の限界を迎え、再びヒートアップしてユエさんに詰め寄ろうとする。
「テメェ! 椎が頑張って伝えようとしてるのを!!」
「あなたが甘やかすから甘えるんでしょうに……これくらいはっきりいったほうがいいのよ」
「堅剛エリカさん、逆に聞くけどあなたは自分に罪の意識がなくてここに来た訳じゃないわよね? 鮎川茉莉さんはどうなのかしら」
泣いて押し黙ってしまった椎を間接的に攻撃するかのように他の娘に質問を始めた。するとほぼ即答で茉莉はこう言った。
「罪の意識なんてありませんよ」
「私はお父さんの命令に従っただけ、ただそれだけそれが悪いことなんて微塵にも思ってない……これで満足ですか、ユエさん?」
茉莉はユエさんの冷たい態度に対して、同じくらいの冷たさで質問を返した。
「そういえば貴方は裁判では無罪になってるし、罪の意識がないのは当然よね。さて次はメスゴリラ?」
「んだとっ!!」
「あなたは敵対組織の組員20人を殴り殺した……間違いないの?」
ユエさんの質問に対して、いつものエリカとは違う静かな雰囲気で返した。
「ああ俺が殺した……命乞いをしても殴って殺ったよ……あいつらは俺たち家族の敵だからな……」
この言葉を聞くと、これまで忘れかけていた彼女が極道の娘という事実を思い出した。しかし、いきなりユエさんがこの質問をする意図が見えない。
「鮎川茉莉さんは罪の意識はなくてもやった事実は認めている。メスゴリラも大量殺人をした事を認めている。そうやって自分の罪から目を逸らしているのは山本椎あなただけよ……」
なるほど。仲間二人の共通点を突き付けて椎を孤立させるのが目的か。エリカや茉莉が椎の言い分に対して肯定していないところを見ると彼女たちも突然の椎の告白に驚いているだろう。でも、ユエさんは知らないかもしれないけど、この場にはもう一人ユエさんから言わせれば自分の罪を認めず目を逸らしている人間がいる。
「あのさー、僕も痴漢をした覚えはないよ、冤罪だ」
「はぁ……さっきも言ったけどそんなこと証拠もなしに誰が信じるの。事実あなたは警察に捕まってここにいるんでしょう?」
呆れた様子でユエさんが返したので、お望みどおり他の人に自分の無実を聞いてみることにした。
「茉莉、エリカ、椎、正直にいってくれて構わない。1ヵ月半という短い間だけど僕と一緒にいてそんなことをする人だと思ったかい?」
彼女たちはこの場で突然聞かれたことに困惑した様子だったが、答えは決まっていたのかそのまま話し始めた。
「いや、先生は痴漢する度胸もないだろうし……私は違うと思う」
「こいつはか弱く罪もない女に卑劣な行為をする下衆な野郎じゃねーよ、それは俺が保障できる」
「わ、私は……ひっく……青山先生は違うと思います……」
聞いた自分もここで期待していた答え以外の言葉が出てくるんじゃないかと心配していた。しかし、実際に無実を信じる言葉を聞いてほっとした上に嬉しい気持ちが一瞬僕の心を満たした。しかし、ユエは呆れた顔をして僕たちを見ている。
「茉莉、エリカ。これまで椎と一緒にいて彼女は30人もの命を奪える人に見えたか?彼女が嘘で涙を流しているように見えるか? 僕には見えない。だから僕は彼女のいったことを信じる。彼女が僕を信じてくれたように。君たちはどうなんだい?」
エリカはその言葉を聞いて雷でも打たれたように衝撃を受け、その後悔しそうな顔でこちらを見た。
「そうだよな、虫も殺せないような優しい椎が人を30人も殺せるわけがねぇじゃん! それに友達なのに少しでも疑った自分が情けねぇ!」
茉莉はどうやらエリカとは別の感情を持って椎の告白を聞いていたのか。淡々と話し始めた。
「確かに私たち生徒の間ではお互いの罪は知りながらも触れなかった。それでも私たちは……いや、私はかな。全員が罪を犯したことを認めている上でコミュニティを作っていると思っていた」
椎もエリカも茉莉のいうことに思うことがあったのか、なにも言わず彼女の言葉を聞いていた。
「申し訳ないけど、いきなり椎がその前提を覆したから動揺して椎のこと疑っちゃった。だけど肝心なことを忘れていたみたい。根拠はないし、事情も分からないけど私は椎を信じる!」
エリカと茉莉も椎の事を信じてくれたようだ。それを見て、ユエさんは首を振って溜息を付き話を続けた。
「はぁ……そんな薄っぺらい信頼を語られてもね。信じてるって言うだけなら簡単よ、言うだけならリスクはないんだから。じゃあリスクがあるとしたらどうかしらね。」
そういってユエさんはポケットに入れていた小瓶の様な物を床に転がし、小瓶は椎の足元で止まった。彼女は不思議そうにその小瓶を拾いあげた。
「これは……なんですか?」
「青酸カリよ」
その言葉にその場にいたユエさん以外の人間が驚愕する。毒に対する恐怖や、なぜユエさんがそれを持っているのかと言う疑問が頭を支配し、全員が言葉を出せない状態になるとユエさんは話を続けた。
「この学校の秩序が崩壊したあの事件……化学実験室の窓に人間を投げ込んだやつがいたでしょ。あの直後、私はそこに進入し、万が一の時を備えてこれを持っておいたの」
「山本椎! あなたはこの毒をもっている状態で今から料理を作る! あなたは30人もの人間を殺したものの、それに対して明確な動機になりえるものが存在しなかった。つまりあなたは無差別殺人をした可能性が高い」
「む、無差別だなんて、そ、そんなことしていません!」
「もしかしたら、あなたは毒で人が悶えて苦しむ姿を見るのが好きで、この犯行起こしたのかもしれないわね。料理を作るときも毒を入れたくて手が震え……」
「勝手なことを言うんじゃねーぞ!!」
ユエさんの言葉を遮って我慢できなくなったエリカがフォローに入る。
「じゃあ、あなたは毒の小瓶を持っている山本椎が作った料理を食べられるの? 彼女が殺してない根拠なんてないのよ。こんな虫も殺せない態度をしているのが嘘で、本当はただの異常者なのかもしれない」
「ああ、食べるさ! 俺は口だけじゃ……」
「イギリスで生まれた代表的な小説に『ジキルとハイド』って話があるのだけど知ってる?」
「なんだ急に! 知らねぇよ!!」
「1880年代にロバート・ルイス・スティーヴンソンが執筆した小説。紳士であるジキル博士が薬を飲むことでハイドという醜悪な人格に変化し、ついにはハイドの人格が人を殺してしまう。二重人格、解離性同一障害をテーマにした作品」
ユエさんが解説する前に茉莉が小説の簡単な内容について話してくれた。
「模範的な回答をありがとう、鮎川茉莉さん。ようするにジキルとハイドは二重人格の代名詞とも呼ばれる存在なのだけど、今の山本椎さんがジキルであるとするなら、ハイドの人格が100%ないっていい切れる?」
「どういう意味だよっ! もっと分かりやすく説明しろ!」
「山本椎さんが実は二重人格で、別の人格が殺していたって可能性があるってことよ!」
ユエさんの仮説に椎は当然反論する。
「そ、そんなの知りません……どうしてそんなことをいうんですか……」
「いくらなんでも根拠がないと思いますよ、ユエさん」
僕も最初は二重人格でもない限り彼女が殺人を犯すことはないと思ったが、彼女が二重人格という根拠は一つもない。つまり、憶測で決めつけているに過ぎない。だがユエさんは話を続けた。
「根拠ね……鮎川茉莉さん。あなたの語っている信頼にも根拠なんて一つもないって分かってる?」
「どういう意味ですか?」
「あなたは山本椎さんを信頼しているといったけど、表面的な部分しか知らなかった。だからこそ、彼女が自分の罪を認めていないことに驚いた。それなのに表面的な付き合いで築いた信頼に根拠があるっていえるの? あなたたちは山本椎のことを表面的にしか理解していない。だからこんな突拍子のない二重人格説をあなたたちは完全に否定できない!」
「そ、それは……」
「所詮はあなたたちの信頼なんてそんなものなのよ。それなら逮捕するってことは根拠があるのだから、警察のほうがまだ信用できるでしょう? もう一度聞くわ、二重人格説を確実に否定できないこの状況で命を懸ける覚悟がある? もう一度料理を食べるって言える?」
その言葉に茉莉とエリカは黙り込んでしまった。そもそも僕は彼女が冤罪になった状況をしらない。だから彼女の人柄以外で信じられる根拠がない、だからもしユエさんの仮説が本当なら殺人をしていない根拠として彼女の人柄にはなにも意味がない。椎を信じてあげたいのに信じるという一言が出てこなかった。信じると言うだけなら簡単。ユエさんの言うとおりかもしれない。
しかし、これまで一緒に過ごしてきて彼女に別の人格があると感じたことや、違和感を覚えたことは一度もない。僕の目で見たものをだけを信じるなら食べるって言うべきなのに、信じるという一言がどうしても言えなかった。
ただの死への恐怖から口に出せないのか……嫌でも頭の隅に現れる信じていた妻の姿に裏切りの恐怖を感じているのかもしれない。思えば僕は彼女を信じすぎたためにこんな状況に陥ってしまったんだ……。どんなに口で彼女たち生徒を信じていると言い、頭で言い聞かせても心の奥底では人を信じることを怖がっている自分がいることに気づいた。
そうか……。僕が死ぬことより恐れているのは、再び人を信じて裏切られることだったのか……。
「ほら、やっぱりそんなものなのよ。あなたたちの信頼関係は。誰もあなたの料理なんか食べたくないって山本椎さん」
僕は椎の方向を見る。彼女は未だ誰も料理を食べると言わない様子を見たユエさんの言葉で、とどめを刺されたように両手で顔を覆い泣き出してしまった。
「ど、どうして誰も信じてくれないの……」
『どうして誰も信じてくれない』この言葉は僕が痴漢の冤罪で捕まったときに何度も言った言葉だ。警察も裁判官も誰も信じてくれなかった。でも進藤さんに真実を聞かされこの学校に来てから、僕のことを信じてくれる人達ができたんだ。
僕は半月という短い時間、椎と共に過ごした。初めて会ったとき彼女は怯えていた。それから心を開いてくれて授業を受けられるようになったし、みんなで遊べるようになった。そして、彼女は僕の冤罪の話を聞いたとき、真っ先に僕の気持ちを考えて涙まで流してくれた。
確かにユエさんの言う通り椎がやっていない証拠はないし、実際彼女は捕まってここにいる。二重人格だって彼女のことを詳しく知らないのだから否定はできない。
でも、ここで黙っているのは僕を信じてくれた目の前の椎を裏切ることになる。裏切られるのは辛いけど、裏切るのはもっと辛い。それに誰も信じてくれない状況の辛さを一番分かっているのは僕だ。だったらやるべき事は一つ。腹を括り言葉を発した。
「僕は椎を信じる! 料理を食べるよ!」
その言葉に僕以外の全員が驚きの表情を見せた。
「あなた自分のいっていることが分かっているの? それとも……死にたいのかしら?」
あの時、進藤さんと出会っていなければ遅かれ早かれ失われていた命でも、実際に殺し屋の少女から『死にたいのかしら?』などと言われれば足も竦むし体が震える。
でも、ここでひるむわけにはいかない。僕は椎だけでなくユエさんも含めて彼女たち4人の先生なんだ。
「分かっているし死ぬつもりもないよ、生徒が一生懸命作った料理を食べない教師がいるわけないだろう。椎、君さえよければ料理を作ってくれないかな?」
「……は、はい! つ、作ります! 私先生のために美味しい料理を作ります!」
ユエさんは唖然としていたが、そのまま席から立ち上がりこう言った。
「ふふふ、面白いわ! なら今すぐ食堂に行きましょう、今日の授業だけど予定を調理実習に変えることはできるかしら"青山先生"?」
からかい半分で発した言葉ではあったものの、ユエさんは初めて僕のことを先生と呼んだ。調理実習は授業予定にはないが、事情を話せば進藤さんがなんとかしてくれるだろう。
「分かった。今から進藤さんに連絡を取るよ。承諾を得られたら今日は調理実習にしよう」
続く