その手を掴んで
彼女は、確かに地味に見える。けれど、その裏には、とても美しく、宝石のように輝かしいものだと一目見たときから俺はそうおもった。
学校が始まって、早一週間。あの日、休日にも関わらず、学校に、お気に入りの場所へ行かなければよかったと後悔した。
「後悔しても仕方が無いってわかっているけど・・・」
つい、思い出しては、溜息をつくばかり。
好きになる。それは、私は、幸福になるということ。そして、それは、私を肯定すること。
「するわけないじゃない・・・」
恋愛をすれば私は・・・
また、一つ溜息をこぼす。
今日も放課後に残っている。が、お気に入りの場所ではない。放課後の教室に一人私はいた。あの場所には当分行くつもりはない。今はこうして、暖かい日差しに照らされながらうつらうつらと重たくなる瞼を閉じたのだった。
教科書を教室に忘れてきてしまった。
女友達と校門前で別れ、こうしてまた学校へ戻ってきた。
今日は、昼までの授業のおかげで、遊びほうだいだ。
ただ・・・
ただ、あの日、気まぐれで学校に足を運び、裏門から入ってみれば、緑一色の中で、ぽつんと佇む一本の桜木の下に、艶やかな黒髪、白く透き通った肌。いつも、見るだけで終わってしまう彼女の姿。彼女と話がしたいのに、何故か話すことなく、一年が過ぎ去った。
それが、あの日、偶然にも彼女に出会えた。
――――今なら・・・
「ねぇ、そこで何してるの?」
自然と言葉が出た。
彼女は、怪訝そうな顔で言った。
「……答えなくては、ダメか?」
遠くから聞いていた彼女の声が今、こんなに近くで聞けたことにドキドキと胸を高鳴らせた。
これが、初めて彼女と話した日だった。
俺は、高鳴る鼓動を抑え、何でもいいから彼女と話がしたかった。けど、流石に嫌い、いや、大嫌いと言われたのは、生まれて初めてだった。
「そんなに俺の事、嫌い?」
「ええ。大嫌いと言ってもいいほどに」
淡々と言われた。大嫌いと。
「やっぱ、あの言葉は、心に突き刺さるわぁー」
誰もいない廊下でやけくそ気味に呟くと、隣りの教室の扉が少し開いていることに気がついた。
取っ手に手をかけ、開けてみると、さわさわと揺れる黒髪、見間違えるはずがない。
・・・・・・彼女だ。
寝ているのか、俺が入ってきたことに気がつかない。
そろーっと、彼女の前の席に座り、すやすやと気持ち良さそうに眠っている彼女の寝顔を優しく見とれる。
教室の窓側で一番日当たりのいい、前から四番目の席。
彼女の席は、ここなのだろう。
「・・・・・・」
すー、すー、と可愛らしい寝息が微かに聞こえる。
そっと、彼女の長い髪に触れる。
触り心地の良い、髪を指に絡ませ、少し遊ぶ。
こんなことをして、彼女に怒られないだろうかと、心配していると、うっすらと彼女の眸が開き、ゆっくりと上体を起こす。
「えーっと、おはよう」
彼女は、まだ、覚醒しきれていないのか、とろんとした目を擦り、じーっと数秒俺の事を見つめ、徐々に、瞳を大きくぱっちりさせ、ようやく現状を理解する、
「…何故、貴方がここに?」
訝しんで問う彼女もまた、可愛いと思った。
「忘れ物を取りに。そしたら、君が寝ている姿が見えたから」
「人の寝顔を見ていたんですか?」
「うん、まぁ。可愛いなぁって」
「変態」
冷たい眼差し。心にちょっとぐさりとくる。
「へ、変態、かな」
「変態ですよ。何勝手に人の寝顔を見てるんですか、変態。ああ、これからあなたの事、変態って、呼びますよ、ええ、変態」
饒舌にしゃべる彼女にちょっと驚きつつ、彼女が俺の事を変態認識されてしまっている。
「いや、変態じゃなくて。名前で呼んでくれないのかな」
「あなたは、変態で十分ですよ」
ふん、と頬を膨らました彼女が可愛いと思ってしまう俺は、馬鹿なんだろうか?
「それで?忘れ物は?」
「あっ…」
はあと、ため息をつく彼女は、席を立ち、廊下へと出る。
「え、ちょっと、待ってよ!」
彼女の後ろを慌ててついていくと、彼女が向かった先は、俺の教室だった。
「ほら、とっとと忘れ物を取りにいきなさいよ。待っててあげるから」
「あ、ああ」
机から忘れ物のプリントを取り出し、かばんの中にしまう。
内心驚いていた。まさか、彼女がついて来てくれるとは。
ちょっと自惚れてもいいのかな。
壁に寄りかかり、前で腕を組んでいる彼女の姿は、かっこよく、けれど何処か、寂しく孤独のようにも見えた。まるでそれは、この世界でたった一人しかいないようにも見えて。
「一緒に帰らない?」
「・・・遠慮するは」
彼女の横顔は、何処か悲しくて。俺は、無意識に彼女の手を掴んでいた。
「…何?」
彼女は、冷静だ。態度も声も表情も完璧に。けれど、触れている手から伝わる熱は氷のように冷たく震えている。
俺は、どこかで、彼女に触れたことがある。では、いつ?どこで?