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時間かかって申し訳ないです。
執務室として使用している部屋にて、この屋敷の主であるカラオス・フレイルは執務机に載せられた一枚の紙に目を通していた。それはスノーウイングキャットを連れていた少年。蓮についての報告書であった。スノーウイングキャットを連れた人間が街に入った知らせは当日に受けており、それに対応する為に街を巡回する兵士を増やしてはいたのだが、その時カラオスはこんな形で蓮とかかわりあいになるなどと夢にも思わなかった。
娘を助けてくれたとはいえ、必要契約魔力の高さが並ではないスノーウイングキャットを連れた蓮は無条件で信用は出来なかった。そのためカラオスは部下に命じ、蓮とフィアナの事を調べさせたのだが、蓮についてはまったく情報が集まらなかった。まるでいきなりこの世界に現れたかの様に。
報告書には書かれていないが、マリアの話を聞く限りクーレルの森が凍りついていたのはは間違いなく連の仕業だろうう。冒険者ギルドにより森の中心部を覆う氷は溶かす事は出来た。だが、彼がその気になれば、この街を滅ぼすのは容易い筈だ。
「ふう」
ため息を一つ吐き、紙を執務机の上に落とすとカラオスは体重を椅子へ預ける。少ししか言葉を交わしていないが、カラオスには蓮が悪い人間には見えなかった。領主としては褒められないとわかっていながらも、カラオスはこの件を個人的な考えで結論付けることにし、机の上にあるベルを手に取り軽く左右に振った。空気を澄んだ音が揺らすとふた呼吸程開けノックの後に燕尾服を着た白髪の男、長年フレイル家に仕えている執事長のモーガンが静かに入室する。
「客人はどうしている?」
「お食事をとられた後、客間で話されております」
カラオスの問いに答えるモーガン。短いやりとりだったが、共に過ごした時の長さによりモーガンはカラオスの言葉により蓮とフィアナを警戒すべき者としてではなく、客人として扱う事にしたのだと悟る。モーガンとしても幼き頃より面倒を見ているマリアを助けてくれた恩人を警戒するのは心苦しかった為に、表情には出さないが内心ほっとしていた。
「蓮君をここに呼んでくれるか?」
「はい。かしこまりました」
短く答えるとモーガンはすぐに行動に移り執務室を後にした。カオラスは二人の客人が来る前に、簡単な仕事を終わらせようと机の上に並べられた他の報告書へと視線をやった。
◇◇◇
燕尾服に身を包んだモーガンと名乗った男性に蓮は執務室へと案内された。部屋の中にはいくつかの本棚があり、書斎も兼ねてるのかなという考えが頭をよぎる。誰かが見ていたら領主に対し礼を欠いていると憤慨していたかもしれないが、幸いにもモーガンが退室した室内には蓮とカオラスしかいない。さらにカオラスはそこまで礼を重んじてはいない為に、蓮が部屋を見回し終わるのを待ってカオラスは声をかけた。
「自己紹介がまだだったね。カオラス・フレイルだ。君には感謝しているよ」
「レン・シロヤです。偶然が重なっただけですよ。先程も言いましたが、僕はお礼を言われるような事はしてません」
「そうはいうが、君やフィアナ君が居なかったらどうなっていたかはわからないのは確かだ。礼を言わせてくれ。領主も人の親だからね。感謝の気持ちを抱かずにはいられないよ。少しばかりだがこれは謝礼だ。受け取ってくれ」
カオラスは執務机の中からこぶし大の袋を取り出すとそれを蓮へと差し出した。喜んで受け取ってくれると思っていたカオラスの考えとは異なり、蓮は袋に一瞬目線をやりはしたが、取りには来なかった。
「ふむ。これじゃあ足りないかね?」
自分の人を見る目も落ちぶれたものだなと内心思いつつ、カラオスは蓮の危険度を一段階あげた。欲望に駆られた力を持つ人間の怖さは十分に理解していたからだ。だが、蓮の口からでた言葉はカオラスをいい意味で裏切る事となった。
「いえ。違います。当然の事をしたまでですのでお礼は受け取れません」
「どうやら君の事を勘違いしていたみたいだな」
カオラスは椅子から腰を上げると、領主としてではなくマリアの親として蓮に向かい合うと頭を下げた。
「すまない。娘を助けてくれて本当にありがとう」
一人の親として発せられたカオラスの言葉に蓮は頷いて答えた。
◇◇◇
フレイルの街、攻められた時の事を考え周りを大きな壁で囲んでいる領主の屋敷、その玄関にはメイドと執事は大事な客人を見送るため道に沿い並んでいた。王族を見送るが如く恭しく頭を下げる総勢十六名の使用人達。それを見て、見送られる蓮は腰に負担をかけてすみませんと申し訳ない気持ちで胸がいっぱいになった。
カオラスとマリアは好きなだけ居ていいと蓮とフィアナに言ったのだが、蓮はそれをよしとせず、屋敷を出ることにしたのだった。
「困ったことがあったらいつでも頼ってくるといい」
「ありがとうございます」
温和な笑みを浮かべ手を差し出したカオラス。だが、笑みを浮かべてはいるが、その姿はもう一人の親としての顔ではなく、領主として大事な客人を見送るための表情だった。蓮は苦笑しつつ答えるとカオラスの手を握り、しっかりと握手を交わす。しかし、その握手は蓮にマリアが横から抱きついた事により、ほんの数秒で終わってしまう。カオラスにあえて安心したのか、屋敷についてからのマリアの行動は歳相応のものとなり、蓮に甘えるようになっていた。
「絶対にまたいらしてくださいね」
目じりに涙を溜め、蓮をぎゅっと抱きしめるとマリアは上目使いで話す。マリア単体で見ると仲のいい兄妹との別れを惜しむ様にも見えるのだが、蓮は引きつった顔をしていた。その原因はマリアの背後に立つカオラスであった。ぱっと見ると温和な笑みを浮かべ続けている様に見えるが、こめかみで血管が激しく脈動している。
「あっ、ああ、また来るよ」
「ええ、約束よ」
マリアの発育の良い胸の感触と、カオラスからのプレッシャーという天国と地獄を味わって四苦八苦する蓮を見ながらフィアナは笑いを堪えつつ、マリアの頭を撫でる。マリアの方が若干背が低いとはいえ身長はほとんどフィアナ、蓮と変わらない。その為、フィアナは背伸びをして撫でていた。
「フィアナの方が妹っぽいよな。見た目的に」
フィアナの胸と、身体に押しつけられているマリアの胸を見比べた蓮。フィアナはマリアを撫でていた手を握り蓮の鳩尾へと叩きこむ。フィアナの突然の凶行に、身体をくの字に曲げむせ込む蓮。マリアは追撃を加えようとするフィアナと蓮の間に割って入り、蓮を庇う様に正面から抱きしめると、首だけで背後のフィアナに振りかえる。
「蓮さん!フィアナさん急にどうしてこんな事を!」
「ふんっ胸の大きさで物事を判断するやつらは全員滅びればいいのよ!」
「蓮さんはそんな人じゃありませんよ」
マリアのフォローを嬉しく思う反面、実際には胸の大きさを見て妹っぽいと発言していた為に、蓮はマリアの肩を叩き大丈夫だという旨を伝え、名残惜しい気持ちはあったがマリアの身体をゆっくりと離す。
「ほら、行くわよ」
不機嫌そうに言いつつも、蓮が歩きだすのを待っているフィアナに蓮の顔は綻んだ。
「じゃあ、またな。マリア」
「はい!」
再開を約束し、蓮とフィアナは領主邸を後にした。マリアと思いがけない再会をするとも知らずに。
◇◇◇
「いたっしゃいませー冒険者ギルドフレイル支店へようこそー」
登録した時と同じようにクレイスが手招きで蓮を呼ぶと、ギルド内に居た数人の冒険者が蓮を羨ましそうに眺めた。
領主邸を後にした二人はとある事情により冒険者ギルドへと足を運んだ。二人して一文無しだった為である。
「んじゃ、ちょっと聞いてくる」
「掲示板でも見てるわ」
手招きをやめないクレイスに呆れたのか、フィアナはカウンターへは向かわず、入って右手にある葉書大の紙が数え切れないほど貼り付けられている掲示板へとすたすたと歩いて行く中、蓮はギルド内の男に向けられる羨望やら嫉妬やらが混じった視線に耐えつつ、クレイスの元へと歩いた。
「薬草採取にしては時間がかかっちゃいましたね」
嫌味ともとれる言葉を素敵な笑顔を浮かべて言うクレイス。周りの男連中の視線の厚みが増したように思え蓮は溜息を一つついた
「ま、いろいろあってね。あの依頼期限なかったと思うんだけど、まだ大丈夫?」
「ええ、もちろんです。スミー草には治癒の効果がありますから、常に依頼は出てますよ」
「そっか。じゃあ、これ頼むよ」
蓮はM3を操作し、二十本のスミー草を取り出しカウンターの上に載せる。クレイスは慣れた手つきでスミー草を一本一本カウンターの下に置いて行く。M3について何か言われるかと思っていた蓮は、特にツッコンでこないクレイスの様子をみてこの世界にも似たような物があるのだろうと結論づけた。
「はい。では報酬の四千ルーズです」
ジャラジャラとカウンターの上に銀色の硬貨が載せられる。手に取り数えてみると四十枚あった。一枚百ルーズなのだろう。あとでこの国の貨幣がどうなっているのかフィアナに確認する事にし、蓮は銀貨をM3に収納する。
「ありがとう」
蓮が立ち去ろうとすると、クレイスがカウンターから乗り出し蓮の服を掴みその動きを阻む。離れようとしていた蓮は動きを阻まれたせいでカウンターに寄り掛かってしまう。傍目から見ると引き止めたクレイスに蓮が抱きつこうとしたように見え、ギルド内のクレイスに好意を寄せる冒険者達が少しばかり苛立ち始めていた。
「ちょっと指を拝借します」
「っつ」
掴まれた右手の人差し指に痛みが走り、蓮は顔を歪める。何をされているのかと掴まれた手を見ると、長方形の箱のに開いている穴に入れられていた。入れられている指は熱を持ち、血が滴っているのを感じた。
「はい。これでギルド登録は終了となりました。おめでとうございます」
にこりと笑みを浮かべるクレイスに対し、蓮のクレイスに向ける眼差しは冷めていた。何も説明されずにいきなり傷を負わされたら誰だって同じ様な反応をしていただろう。怒鳴ったりしないだけ、蓮はマシな方かもしれない。
「あれ?どうしました?嬉しくないですか?っとはいこれはギルドカードになります。無くしたら駄目ですよ。再発行には一万ルーズかかりますから」
長方形の箱をクレイスが持ち上げると、トランプ大のカードが収まっていた。左半分のスペースには大きくFと書かれており、右のスペースには看板に書かれていたのと同じ西洋のドラゴンの上で交差する剣と杖の絵が描かれていた。
「いや。なんかクレイスをある意味尊敬したよ」
ギルドカードを取り眺めつつ、蓮は嫌味をクレイスに放つ。
「面と向かって褒められちゃうと照れてしまいます」
冷めた視線のままの蓮に対し、素なのか演技なのか判断は付かないが、頬を薄く赤くしクレイスは両手を頬に当てた。
「いやいやいやいや。褒めてないから嫌味だからね。ギルド登録ってこの前したんじゃなかったのか?」
額に手をあて蓮は溜息を吐く。その光景を見たクレイスは頬にあてていた手を胸の前でポンと叩く。
「そういえば、説明忘れてました」
ちょろっと舌を出すクレイス。蓮は先程より大きな溜息を吐く。
「えっと、この前のは仮登録ですね。先程渡したギルドカードは身分の証明にもなりますからね。悪用されたりするのを防ぐために依頼を一度達成しないと渡せない決まりになっているんですよ」
「依頼を一回受けただけで貰えるなんて審査はザルもいいとこだな」
「そうなんですよね」
返事を期待していなかった独白に近い呟き。だが、クレイスの耳にはしっかり届いていたらしく、肯定するクレイス。そんなクレイスの様子に案外大物なのかも知れないと感じつつ、フィアナの様子を伺おうと蓮は依頼掲示板の方に目をやる。フィアナが紙を手に持ちひらひらと振っているが見えた。
「まあ、ありがと。連れが受けたい依頼あったみたいだからちょっと行ってくる」
「はい。いってらしゃいませ」
クレイスの言葉を背中に受け、蓮は次第に手を激しく動かし始めたフィアナのもとへ早歩きで向かっていった。