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ちょっと短いよ
フレイムランスを握るフィアナの手に緊張が走る。今まで幾度となくこの森に入り泉まで来ていたフィアナであったが、目の前にいる巨大な魔獣の話など聞いた例が無い。
魔獣の顔には血化粧が張り付いており、この魔獣が人間或いは獣を殺めたばかりなのが見て取れる。そして何より、魔獣より放たれるプレッシャーが高い実力をもっているのを照明している。以前よりこの森に生息している魔獣でこれほどの威圧感を放つ存在なら、ここを初心者向けとしている冒険者ギルドにより、討伐依頼されてもおかしくはないのだが、そういった情報はフィアナの耳に一切入ってきていない。
「突然変異体」
一番認めたくない可能性の言葉がフィアナの口より零れ落ちた。
通常、魔物、魔獣は生まれた種族から大きく身体を変化させたりはしない。簡単に説明する為に、カエルを魔獣と仮定しよう。その子供として産まれるのは、おたまじゃくしではなく、カエルなのだ。個々の顔立ちや、毛の色には多少の違いはあるものの、産まれたときより変わるのは、精々大きさぐらいなものなのだ。
フィアナの中で警鐘が鳴り、冷たい汗が頬を伝う。突然変異体の魔物は例外なく手ごわい。蓮の未知数の戦闘力を当てにするには、場が悪かった。
どうすれば逃げられると考えを巡らすフィアナ。だが、相手は考え終わるのを待ってくれる程甘い相手ではなかった。フィアナのフレイムランスに然したる脅威を感じなかった魔獣は、蓮とフィアナを交互に見つめると舌なめずりをし、フィアナに向けて走り出す。魔獣とフィアナ達との間は三十メートル程開いているのだが、太い四肢で地面を飛ぶようにかける魔獣にとって距離は殆どないと言っても過言ではない。
「なっ」
フィアナは魔獣の素早い動きに短く驚きの声を上げると、すぐに頭を切り替える。あの速さに対抗できる術が自分にはないのを瞬時に悟ったフィアナは傷を負うのを覚悟し、至近距離でフレイムランスを爆ぜさせようと身構える。
だが、魔獣がフィアナの元まで辿り着く事はなかった。
「敵対者の動きを止めよ。バインド!」
詠唱が終わるとともに、蓮の魔法が発動し、魔獣は空気で出来た壁にぶつかり、動きを止められる。四肢が動きを停止したタイミングで、氷により形作られた鎖により強制的に伏せの姿勢にさせられた。
ここでも蓮は自分の発動した魔法の効力に驚いていた。
相手を術者の得意とする属性の鎖で拘束する魔法バインドそれ単体で使用した場合、空気の壁を作る効果などはない。
今すぐにでも教科書を開きどうしてこうなったのか確認したい衝動に駆られるも、蓮はその思いを必死にねじ伏せ追撃を行おうと右手を前に出す。勇ましく見える蓮だったが、彼の手はかすかに震えていた。
「フィアナ。まだ行くな」
フレイムランスを手にしたフィアナが突っ込もうとするのを制し、困惑顔を浮かべつつも指示に従ってくれたフィアナから視線を魔獣に移し、待機状態だった魔法を発動するキーワードを声に出す為、蓮は口を開いた。
「ショット!」
右手に書かれた数字がキーワードに反応し、蓮の意思に応じ、減少していく。数字はⅦからⅣへと変わり、三発のバレットが魔獣へ向けて放たれた。
術者の得意な属性に対応した球体を打ち出す魔法。バレット。この魔法がよくRPGで見かけるファイアーボールなどに似ている現象を起こすにも関わらず、バレット。弾丸と名称されいる理由がこれだ。
この魔法は八発で一つの魔法であり、詠唱と同時に放たれた数が八発未満の場合、術者が数字の書かれていない方の手でさすり魔法をキャンセルするか、キーワードを口にし全弾放つまで待機状態となる。
魔法師という拳銃に込められ、放たれるのを待つ弾丸という意味を込め、この名がつけられた。
蓮の放った三発のバレットは、動きを止められている為に、当然と言えば当然なのだが、全弾魔獣にぶち当たった。
一発目は腹部に当たり、衝撃によりハンマーで殴ったかの如く腹部を凹ませた後、そこを起点に身体を凍らせていく。
二発目は右前脚に当たり、生物としてあり得ない方向に関節を曲げさせると、そこを起点に凍らせていった。
三発目は頭部に当たり、魔獣を大きく後ろに仰け反らせるが鎖に動きを封じられていた為に、吹っ飛び衝撃を殺す事も出来ず、魔獣は短く苦しげな声をあげるとそこを起点に凍っていく。
凍らせるといっても標的となった魔獣には、木と違い魔法に対する耐性があったのか、魔獣の体表を凍らせるだけしか出来なかった。
蓮では決定力にかけていた。だが、彼はさして気にした様子もない。何故なら、ここにはもう一人魔法を使える者が居たからだ。
「フィアナ。今だ!」
M3のシールドを一撃で消し飛ばす威力を誇るフィアナのフレイムランス。蓮は最初からフィアナのサポートとして動いていたのだ。
蓮の声に頷き、フィアナはフレイムランスの柄を逆手で持ち、魔獣へ向かって放り投げる。放たれたフレイムランスは重力などを無視し、真っ直ぐに魔獣へと飛んでいき身体に触れると爆ぜた。
蓮はその光景にやっぱ呪文のわりに貫く要素はないんだな、などとどうでもいい事を考えていた。
「終わったのかな?」
爆発によりすぐに確認できない為に、フィアナは不安そうに呟く。答えをもっていない蓮はその呟きに言葉を返せるはずもなく、ただ煙が消えるのを待っていた。
その判断が過ちだったとも知らずに。
「ガアアアアア」
煙がはれるのを待たずに、怒りの雄叫びをあげた魔獣が蓮に向かい襲いかかる。黒い毛に覆われていた魔獣は、蓮のバレット、フィアナのフレイムランスにより、所々黒い肌が露出し焦げたりしているのだが、毛も表皮も黒く蓮とフィアナの目には全くの無傷に見えた。
唯一ダメージが通っているのが見てとれる折れているであろう右前脚は魔獣が前へ前へと進むたびに悲鳴を上げているのだが、魔獣は蓮への怒りで痛みを全く感じていなかった。
「シールド!」
M3により、蓮の前に不可視の壁が現れ魔獣の突進を防いだ。その隙に距離を取ろうとした蓮だったが、魔獣がナイフの様な牙を突き立てると、まるで包丁で豆腐を切る様にあっさりとシールドは真っ二つに切り裂かれた。蓮がシールドを展開し稼げた距離はわずかに二メートル。
蓮の頭に死がよぎると同時に、蓮の足元を小さな影が横切った。
「フシャアー」
その小さな影はスノウだった。
スノウは翼を広げ威嚇にしては、可愛いという表現しか当てはまらない声をあげると、蓮の前に躍り出た。魔獣は標的を蓮からスノウへ変更し、邪悪な笑みを浮かべると、左前足で踏みつぶそうと跳躍するが、急に吹いた突風に身体をもっていかれ十メートル以上吹き飛ばされると、木に背中からぶつかり地に足をつく。
スノウを馬鹿にしていた表情から一転、警戒すべき敵として認識した魔獣は、すぐに空いた距離を詰めたりはせず、蓮達二人と一匹を観察するように睨みつけた。
予想外の事態が立て続けに起ころうとも、魔獣の中に撤退という二文字は浮かんでこなかった。自分の命を失う可能性があるにも関わらずだ。
そしてここにきて更なる予想外の事態が蓮に起こった。
M3に入れられていたスノウが描かれたカードが何の操作もしていないのに、蓮の手に納まったからだ。蓮の手に収まったカードは蓮の魔力を吸い込むと淡い水色の光を発した。
勝手に出てきたカード、謎のカードの発光現象。蓮の思考回路はショート寸前だった。
『わたしにつづいて、となえて』
追い打ちをかけるかの様に、蓮の頭の中で幼い子供を思わせる高い声が響いた。周りを見渡してみるも、声の主らしき子供は見当たらず、蓮の周りにいるのは、敵対する魔獣、フィアナ、スノウのみ。その中で蓮に視線を向けているのは、魔獣とスノウだけであった。
「今の声スノウか?」
限られた選択肢の中、可能性が高そうな方に声をかけてみた蓮。スノウの返事など期待してはいなかったのだが、声をかけられたスノウは首を縦に振る。
『わたしのちからを、ごしゅじんさまに』
何故、言葉を交わせるのか、なぜ幼女ボイスなのか、さっき魔獣を吹き飛ばしたのはスノウなのか。質問はたくさん浮かんできたのだが、今は目の前の脅威を退けるのが先決と結論付け、他の事柄を蓮は一時的に頭の中から追い出すとスノウに自分の意思を伝える為に、ゆっくりと頷く。
『けいやくにしたがい、われにしたがうふうひょうのげんじゅうよ。わがてきにひとしくれいこくなるさばきをあたえんがため、そのみにやどりしちからをかいほうせよ』
「契約に従い、我に従う風氷の幻獣よ。我が敵に等しく冷酷なる裁きを与えたんがため、その身に宿りし力を解放せよ」
蓮は耳に届く童謡を歌うかのように呪文を紡ぐ、心地のよい高い声に従いその言葉を繰り返す。消費されていく大量の魔力を意識すらせず、魔法の威力を考えもせずに、ただこの状況を打破できると信じて。
『こおるせかい』
「凍る世界」
呪文の詠唱が終わると共に、蓮の魔力が開放される。
「何この馬鹿げた魔力は!」
フィアナの声を皮切りに、蓮の魔法によって青々と生茂っていた森はその景色を大きく変えることとなる。
始めに変化が起きたのは、魔獣だった。瞬きをする間に氷漬けとなり、魔獣は赤黒く光る牙を残しその身を崩す。蓮の魔法は対象者を氷漬けにするだけでは止まらない。所々に氷柱を作り、木を丸ごと凍らせていく。最終的には蓮を中心に半径五十メートルが凍りに覆われたのだが、蓮は自分の魔法がもたらした変化を目にする事無く、立ちくらみを起こしその場で膝を突いた。朦朧とする意識の中、状況を打破できたのか確認しようと足に力を込め立とうとするのだが、蓮の意思とは裏腹に、足は連の言うことを聞かず立ち上がる事は出来なかった。
『あんしんして、おわったよ』
耳に届いたスノウの労いの言葉。それにより緊張の糸がぷっつりと切れた蓮は意識を失い倒れた。蓮の魔法によりかわった景色に呆然としていたフィアナは、倒れた蓮に駆け寄ると息をしているか確認しようと抱き起こす。命を削り魔法を使ったと思い込んだからだ。規則正しく胸を上下させ、スースーと寝息をたてている事に気づくと、フィアナはそっと蓮の身体を地面に戻した。幸いの半径一メートルは氷っておらず、蓮が倒れた時に怪我をした様子も無い。
「よかった。生きてる」
安堵の表情を浮かべ思わず呟くと、自分らしくないなと苦笑する。
泉まで戻ろうと考え、自分一人では蓮を運ぶことが出来ないと気づき、フィアナは短くため息をついた。しばしの思考の後、マリアの護衛をさせているファングの力を借りようと結論付けるが、さすがに魔獣に襲撃されたばかりなために、この場から離れるのが戸惑われた。
「ねえ、ファングとマリアを連れてきてくれる?」
使い魔が契約者以外の言葉によって行動を起こしたりはしない。そんな契約術師としての一般知識を頭の隅に追いやり、フィアナはスノウに話かけた。
スノウはフィアナの予想をいい意味で裏切る行動をした。
フィアナに向けて小さくけれど、確実に頷いたと解る動作の後、森の中へ入っていった。
「はあ、もう頭パンクしそう」
履いているスカートを折り、ぺたんと座り込むと理解するのを諦めたよう首を振ると、目の前の景色を眺めることにした。頭上から降り注ぐ太陽光により、輝く氷の綺麗さに目を奪われた。規格外な蓮とスノウのことは自分一人で答えを出すのは無理だろうと、早々に考えるのをやめた。フィアナは案外適応力があるのかもしれない。
座り込む前に、きっちり魔獣の残した牙を回収しているあたり、フィアナが現実逃避をしているわけではないことが知れた。