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後付設定盛りだくさん。
ソレは言葉では言い表せないほどに猛る思いを抱いていた。その血走った目に付いた物にも者にも手当たり次第に当り散らしていた。
ソレの通った道は、まるで嵐が通った後の様に荒れていた。一晩中行われた行為により、自慢であった白銀の輝きを放っていた牙は深紅に染まっていた。
ソレ、蓮とマリアを襲ったクレルロウルフに出会ってしまった哀れな獣や魔獣の血で染められた牙は、蓮達が遭遇した時より長く薄く鋭くなっていた。
薄くなったといっても脆くなっている訳ではない。むしろ磨がれたナイフを連想させる程切れ味を増している。
もうソレはクレルロウルフとはわからない程、姿を変えている。
先程表した通り、切れ味を増した牙に加え、黒い体毛はそのままに一回り大きくなった身体、赤く光る三つの瞳、二つに増えた尾、両前足の付け根には角に見える三十センチ程の黒い突起。
蓮への不の感情、狩った魔獣達の血肉により、ソレはより戦いに適した身体を手に入れた。
「グルルルルル」
低く唸り口から涎を滴らせ、ソレは森の中で立ち止まる。ソレの鼻に新たな獲物達の臭いが届いていた。ソレは匂いのする方向を定めると全力で駆けて行った
◇◇◇
草木を掻き分け人相の悪い八人の男達が森の中を進んでいた。二列で歩く男達の服装は革で作られた鎧や、薄汚れた布の服。冒険者にしては軽装であり、フレイルの街の一般人にしてはどこか物騒である。
さらに男達の着ている服や革の鎧は所々に血が染みており、どこからどうみても堅気には見えなかった。
それもその筈である。彼らは所謂闇ギルドと称される盗賊ギルドに所属する者達だった。そしてマリアの乗っていた馬車を襲った者達でもある。男達に血化粧を施している返り血は、マリアの従者達のものだ。
一晩待っていたにもかかわらず、マリアが森から出てくる気配が無いため、数人の仲間を残し、森の中へ捜索に繰り出したのだ。
「はー。楽な仕事だと思ってたのによ。さっさと森から出てくると思って張ってたのに一日無駄にしちまったぜ」
「まったくだ。ぜってえ死んでんだろ。お嬢様が生き残れるほどこの森は甘くないっての」
戦闘を歩く革の鎧に身を包み、手にはくの字に見える短刀ククリを持っている男が愚痴を溢し、隣を歩くショートソードと小型の盾を持つ薄汚れた服を身に着けた男がその愚痴に同調した。
話しながら歩く先頭の男達に、自分たちの腕によっぽどの自信をもっているのだろう。後ろを歩く仲間は特に注意する事もしなかった。
彼らの行動は決して驕りではない。
実際、この森には戦う手段をある程度持っている者ならば、大体の魔獣は退けられる難易度だ。ここで命を落とすのは、運のない駆け出しの冒険者ぐらいのものだ。犠牲者が年に二桁でる事は滅多にない。
「死んでても死体は必要だなんていかれてやがるぜ」
「ちげえねえ。死体と添い寝でもしたいんじゃねえか?」
先頭のククリを持った男の言葉に、何が面白いのかゲラゲラと笑う男達の集団。
彼らは森の異変に気づいていなかった。普段からこの森に頻繁に入っている者なら気づく事は容易いのだが、常日頃から人を襲って過ごしている彼らは、違和感を感じ取れる訳もなく、異常に静かな森の奥へと歩みを進めていった。
最初の犠牲者は最後尾を歩く二人だった。襲撃に気づくまもなく、上半身が斜めに切り裂かれた。あまりの速さに痛みすら感じれなかっただろう。どさりと音をたて二人の男の身体はその場に倒れた。
次の犠牲者は三列目に居た者だった。後ろからした音を不審に思い、一人が振り向くと、仲間の死体が視界に入る。声を上げ、襲撃を知らせようとしたところで、上半身と下半身が真っ二つにされ、その男の意識は途絶えた。
「フリッツー!!」
隣を歩いていた男の方から血が飛び散り、三列目を歩いていたもう一人の男が襲撃に気づき、腰につけた使い慣れたダガーを抜き取る。
良く手入れされたダガーの柄は男の手によく馴染む。これまでに男の危機を何度も救った獲物と言う事もあり、男はずっとこのダガーを愛用していた。男にとっては心の拠り所といっても過言ではない。
男が戦闘体勢を整えた事により、他の男達も襲撃に気づき、それぞれの獲物を構える。
すると、男達の視線の先、五メートル程距離を開けたところに襲撃者は居た。三メートル程の巨体の魔獣、元はクレルロウルフだったソレの牙からは赤黒い液体が滴っていた。
戦闘準備を済ませた男達をあざ笑う様に、ソレは獰猛な笑みに見える表情をしていた。いや、実際に笑っているのだろう。恨みを抱く種族と遭遇でき、ソレは歓喜していたのだから。
柔らかそうな肉、甘い体液を喰らうのを想像したソレの口からは涎がとめどなく溢れていた。念のために言っておこう。ソレが男達の前に姿を現し動きを止めたのは、気づかれ武器を構えられたからではない。
単純にソレの嗜虐心が刺激されたからだ。決して男達を警戒したからではない。それを照明するかの如く、ソレは再び動き出し、ダガーを構えた男を、牙で切り裂くために駆け出した。
ソレの行動を見た男はダガーを逆手で持ち手に力を込め、切れ味を上げるためにダガーに風の魔法を付与する。
身体を左にずらし踏み込んだ力を加えたダガーを、ソレの顔を切り裂く軌道で薙いだ。だが、男のダガーはソレの牙に阻まれ、ソレの顔に傷一つつけられずに、金属同士がぶつかり合った様な甲高い音をたてると、牙に刃の半分を失った。
男は驚愕し、ソレとの距離を開けようと跳躍しようとするが、ソレは男の方に跳躍すると右肩の男の腹部を貫いた。
「グホッ」
貫かれ、潰された蛙を連想させる声を上げた男の四肢から力が抜けると、ソレは肩を振り男を振り落とす。
その光景を一部始終見ていた他の男達はパニックに陥り、闇雲に武器を振りまわしソレに突撃する者、ショックのあまり硬直してしまう者に分けられた。
男達が現実を受け止められないのも無理はない。
ダガー使いの男はこのグループで一番のてだれであり、男達が所属する盗賊ギルド内でも上位の腕を持っていた。その戦闘技術に男達は全幅の信頼を寄せており、誰一人として負ける筈がないと決めつけていた結果この様な事態となってしまった。
武器を振りまわして襲いかかってきたククリを持つ男と、双剣の男をつまらなそうに切りつけたソレは、硬直した彼らをソレが見逃すはずもなく、ゆっくりと残されたショートソードと盾を持つ男と、矛を持ち棒立ちになっている男達に死を届ける為に近づいて行った。
男達の名誉の為にこれだけは言っておこう。彼らは腕がたたなかった訳ではない。
ただ単純に運が無かっただけであると。
彼らを捕食したソレは鼻に届いた捜し求めて獲物の匂いを追い、その場を後にした。
◇◇◇
泉から二分程歩いた先にあった木々の途切れた開けた場所で胡坐で地面に座り込むと、蓮はM3を操作し、国立魔法学園の一年生の教科書を取り出した。
魔法が使えない、正確には契約できないと解るまで何度も読み直したが為に、表紙は少しばかりくたびれている。
教科書の初めから二十ページ続く長ったらしい上に、理解させないようにしているんではないかと勘ぐってしまうぐらい難しく書かれた魔法の歴史のページを飛ばすと、蓮の求めていた初級魔法についてと書かれた章が始まる。
この章では文字通り、初級と分類される魔法の契約の際にしようする簡易魔法陣から始まり、魔法の効力、果ては有効的な使い方などが教科書の三分の一を使い書かれている。
蓮の居た世界では魔法とは、対応した魔法陣を使い、対応した精霊と契約したのちに自分の魔力を糧として使うものであった。
もたらす効果の規模により、初級、中級、上級、最上級と分類されているが、実際のところ消費する魔力の関係から、殆どの人間が一対数人向けの中級魔術までしか使用出来ず、上級と最上級の魔法を生きている間に見れた者は幸運だと言える。
蓮が読んでいる初級魔法とは、一対一で使用される事が多い魔法であり、これが使えれば最低限魔法師を名乗る事が許されるレベルだ。
ちなみに使い魔はその名の通り小間使いや、魔法を使用する際の足止めとして使われる為だけに異世界より呼び出される。契約の儀により呼ばれるのだが、契約とは名ばかりで実際には隷属契約をさせられ、反抗心を抱かないように、心を少しばかり作り変えられているのだが、魔法師の大半は気づいていない。
「おー。契約できた。なんかこう込み上げてくるな」
元の世界では失敗に終わった契約が成功し、目頭が熱くなるのを蓮は感じた。蓮が魔法陣に魔力を流し、契約した魔法は三種類。相手を拘束し、動きを止めるバインド。魔力の弾を作り出し放つバレット。無属性に分類される初級の肉体強化魔法レッグアップだ。
初級魔法に分類されている魔法の大多数は使用者の魔力の質により、その属性が決まるのだが、その属性は使い魔の有する属性となっている。
例えば水の精霊ウォータースピリットと契約したものであれば、水で相手を拘束するウォーターバインド、水球によって相手を攻撃するウォーターバレットとなる。
初級呪文に分類されている魔法は凡庸性が高く、属性を問わない為に誰にでも使用でき、使用魔力の低い事も手伝い、極めれば例え中級魔法が使えずとも、一人前の魔法師と評されるぐらい戦えるようにはなるし、それなりの地位につけたりもするのだが、初級という名前に騙され、極めようと努力する者は少なかった。
分類上の名前のせいで不遇な扱いを受けている初級魔法ではあるが、蓮は魔法陣での契約がうまくいったのに満足し、それ以上の契約はしなかった。
蓮は立ち上がるとさっそく使えるのか試すべく教科書を足元に置き、右手を前に出す。傍で丸くなっていたスノウが何事かと身体を起こすも、蓮が移動するつもりがないのを悟ると、再び地面に寝ころび丸くなった。
「我が魔力を糧に、標的を討ち貫く弾丸をもたらせ。バレット」
蓮が呪文を唱えると、右手の甲にⅦと水色の文字が浮かび、同じく水色の野球ボール大の玉が標的とした十五メートル程の大きさの木に向って飛んでいった。十メートルも離れていない為に、その玉は直ぐに木に辿り着きぶつかると後方に大きく木を揺さぶった。揺さぶるだけではなく、ぶつかった箇所から凍っていき、木全体が凍りつくと、涼しげな音をたて木は崩れ去った。この間約五秒である。
「なんだ。やっぱり魔法使えるんじゃない。なんで隠してたのよ」
急に背後からした声と、自分の使った魔法のもたらした現象に驚き、蓮はひきつった顔で振り向いた。幸い長く伸ばされた髪により、隠されてはいたが、今の蓮はとても人様に見せられるような表情ではなかった。
「ん?なんで何も言わないの?」
振り向きはしたが、自分の言った質問に何も説明がないのを不思議に思い顔を覗き込もうとするが、長い髪に阻まれ、蓮の顔はフィアナからは見えない。元々気の長い方ではないフィアナはじれったくなり。大胆な行動に出た。
「燃え盛る炎よ。紅の刃と化せ。フレイムダガー」
掌に現れた小さな炎は短剣の形で固定され、フィアナは炎で出来た短剣の柄を握り締めると、蓮の前髪を空いている手で掴み、短剣を横に動かした。
フィアナの手を焦がさず、蓮の顔に熱風を叩きつけ、前髪を焼ききった。切り取られた髪は赤い炎に包まれ、地面に落ちる前に灰すらも残す事無く燃え尽きた。
「ふー。いい仕事したわ」
一歩間違えば殺人を犯す行為をしたにも関わらず、フィアナは仕事をやりきったといった様な満足気な表情で、額に袖をあて掻いてもいない汗を拭う仕種をしていた。
一方の蓮はというと、もう少しで立ち直れそうだったところに、更なる追い討ちをかけられた形となりフリーズしてた。
ゆっくりと右手を顔の前にやり、やっと何をされたのか把握する。
「お前な」
肩をがっくりと落とし、フィアナに抗議の視線を送り、続けて文句を言おうと口を開こうとし、やめた。まだほんの少ししか時間を共有していないが、彼女に文句を言っても無駄だと蓮の中の何かが訴えたからであった。
その判断は蓮にしては英断であった。
実際、蓮に抗議の視線を送られたフィアナからは、全然気にしている様子が見受けられない。
「まあまあ、切っちゃったもんはしょうがないじゃん。んで、さっきのは始めてみる魔法だったけど、蓮が使ったんでしょ?なんで魔法が使えないなんて嘘ついたのよ」
好奇心に染まった顔で蓮に詰め寄るフィアナ。どんどん近づいてくるフィアナに恐怖を覚え、蓮はフィアナが近づいた分だけ後ろに下がっていく。幾ら開けた場所といってもハイペースでの攻防だった為に、すぐに背中に木が当たり、逃げることが出来なくなってしまった。それでも近づいてくるフィアナの肩を両手で押え、視線を逸らす。自慢じゃないが、美少女を正面から見れるほど、蓮は異性になれていない。
「うん。まあ。でも使ったのはさっきのが初めてだよ。まさか使えるとは思わなかったし」
「予想外の事態って訳ね。それに予想外の来客もきたみたいね。炎よ。我が望むは貫く力。顕現せよ。フレイムランス」
一メートルを超す炎の槍を作りだし、フィアナは蓮の後方の茂みへと魔法を打ち込む。フィアナは素早く蓮の手を引き、その茂みから距離をとると再び炎の槍を生み出しその柄を掴む。燃えさかる茂みから大きな黒い影が飛び出すと役目を終えた火は、フィアナの意思に従い幻影のように消えた。
「グルルルル」
茂みから出てきたソレは、捜し求めていた獲物に再び出会えたのを喜び、低く鳴いた。
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