緑の王女
昔々、緑溢れる豊かな王国に、御歳十六歳となられる一人の王女がおりました。
けして美人ではありませんが、優しく聡明で長い栗色の髪に深い緑の眼差しを持つ王女は『秋の妖精』と呼ばれて国中に愛されていました。
年の離れた小さな弟が王太子となるまでは嫁がぬと決めて国のために働く王女を、国中が誇りに思っていました。
けれど普通は遅くても十八歳迄に嫁ぐもの。弟王子が王太子となる十二歳までは後四年もの月日が必要であり、このままでは所謂行き遅れになってしまいます。
本人が望んだ結果でも、慣習から外れればそれが非難の種になってしまうもの。
王女の志は所謂王族のしきたりから外れたものなのです。
その為、どうすれば王女の意思を尊重しつつも周辺国にあれこれ言われないですむのかと、父王達は頭を悩ませておりました。
そんなある日、隣国から一人の魔法使いが使者としてやって来ます。隣国の王の側室に、王女を迎えたいと。
隣国は強大な軍事力を誇る大国、歯向かえばこの国は滅ぼされるかもしれない。
けれど、父王達は頷けませんでした。
可愛い姫を側室になどしたくない。けれど帝国に歯向かえば……
そんな空気の中、王女は魔法使いに問いかけます。
『そちらの国はこの国に食料の大部分を頼っておられますね。もし私が断りそちらが攻めて来たとして、この国を焼け野原にする価値がありますか?』
田畑を焼き払ってしまっては本末転倒だろうと静かに告げる王女に、魔法使いはゆっくりと微笑みを浮かべました。
『王女の口からその言葉を聞くとは思いませんでしたが、その通りです』
魔法使い曰く、噂に名高い聡明な王女をただ結婚しなかっただけで笑い者にするのは惜しいと、側室であれど誘えば大義名分にもなるだろうと王が考えたのだと。
もちろん、王女自身を側室にと望む思いも偽りではない、と。
王女は苦笑し、ゆっくりと首を横に振りました。
『ならば、私は私が愛した方に嫁ぎたい。本当に愛してくれるなら、行き遅れでも問題ないはずでしょう?』
そう言って微笑む王女が儚く切なそうで、魔法使いは続けようとした言葉を飲み込みました。
王女の何もかも覚悟した瞳に映る仄かな哀しみが、魔法使いの心を貫き震わせます。
その華奢な体にどれだけの責任を背負い、立ち向かおうというのでしょう。たった一人で、孤独に。
思わず目を閉じた魔法使いの耳に、やわらかな声が響きます。
『王にお伝え下さい。貴方の優しさが嬉しかった、けれどそこに私の幸せはありません。聡明と言って下さる貴方なら、私が自分の幸せを切り開く事を応援して下さるでしょう、と』
『必ずお伝え致しましょう』
それ以上何も言わずに隣国へ戻った魔法使いに、父王達は呆気に取られていました。
王の本心にも、あっさりと引いた魔法使いにも、どう反応すればいいのか途方にくれてしまったのです。
その一方で、王女は確信を持って王が認めるだろうと思っていました。
何故なら、王女が告げたのは王が王女を認めている事を理由にした断りだったのです。王たるもの易々と二言は出来ない。大きい国であればなおさらに。
それゆえ、再び訪れた魔法使いが王女の意思を尊重すると王からの言葉を告げた時も驚きはしませんでしたが、続く魔法使いの言葉に目を丸くします。
『私は王の許しを得て隣国の魔法使いを辞してまいりました』
まさか、と魔法使いを見つめると、魔法使いは王女の手をとり膝をつきました。
『私は今、どの国にも属しておりません。貴女の手足となって、共に生きていきたいのです』
『……それは』
『貴女と言葉を交わした時から、私の心は貴女に捕らわれました。愛しています、王女』
まっすぐな言葉に王女の心が揺らぎます。けれど、と口を開こうとする前に、魔法使いは柔らかく微笑んで言葉を奪います。
『私は何年でも待ちましょう。王子が王太子となられ、貴女が私を認めてくれるその日まで』
『……いいのですか、それでも』
ずっとずっと、誰かにそう言って欲しかった。夢物語だとしても自分の意思を認めて、それでもと望んでくれる誰かを待っていた。
『そんな貴方に、私は心を奪われたのです』
仕事を捨てて。国も捨てて。それでも、傍にと望んでくれる人を――愛していると言ってくれる人を。欲しかったたった一つの思いを捧げてくれる人を、どうして拒絶できるでしょうか。
『嬉しい、です』
驚きのあまり声も出ず口をあんぐりと開ける父王達の前で、王女は幸せそうに微笑みながら、その白い頬に喜びの涙を一筋溢れさせたのでした。
それから魔法使いは王女を支えて共に国のために働きます。時にはその魔力を振るい、また時には王女達と議論を交わし、民が心健やかに暮らせるようにと力を注ぎました。
実際に市井に出向き、直接民の声に耳を傾ける魔法使いの姿は、国民にも広く好ましいものとして受け入れられ、時折共に現れる王女との仲睦まじい姿は、多くの若い男女に支持されていました。
直接愛の言葉を交わす訳ではなく、恋人らしい振る舞いをする訳でもない。触れあっているのは手のみで、時折王女の体を支える為に触れる手も慈しみだけを感じさせるもので。
ただ、王女に向けられた優しいまなざしは確かに愛を語ってました。見ている人々が気付き、思わず頬を
染めるほどに、深く真っ直ぐな愛情。まっすぐでひたむきな想いを、人々は優しく見守ります。
そして、緩やかに抱き締められるような魔法使いからの愛に、王女がゆっくりと応えていくのを、国中が微笑ましく思っていました。
そんなある日、魔法使いが隣国の王から自分の元から去る代わりに、最低四年は同盟国で奉仕するようにと契約させられてると知った時、王女は隣国の王の優しさに涙を浮かべます。
それはつまり、王女が望む年月を正当化する理由を与えてくれた事に他なりません。
『王も色々苦労したのですよ』
魔法使いは王の親友でもあったから、よく知っているのだと笑う。だからこんな我が侭を王も聞いてくれたのだと。
『貴女が頑張っているのを知っていたから、王は貴女を信頼したのですよ』
王女の働きのひとつに、隣国との同盟がありました。食料を安く輸出する代わりに、隣国から人材を派遣させるというもので、主に研究者や教師などを受け入れていました。
進んだ文化を積極的に取り入れる事で国を豊かにする目論見は成功し、この国は現在高い教育水準を維持しています。
王はその手腕を讃えているのだと魔法使いは話しました。
そうしてこの国で王女に出会えた自分は幸せだとも。
『私も幸せです。だって、貴方に出会えたのですから』
自分を認めてくれるかけがえのない唯一人に出会えたと、魔法使いに微笑む姿は満開の薔薇のように美しいものでした。
そうして王子の立太子の式典と共に王女は魔法使いと結婚し、緑溢れる豊かな国を支えた功績から、後の世には『緑の王女』と讃えられる事になります。
まだまだ二人のお話はありますが、それは次のお楽しみ。
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