第七章:紅蓮の祝言、灰に咲く最後の徒花(あだばな)
天正十一年四月二十四日の夜、北ノ庄城は、この世のものとは思えぬ「緋色の牢獄」と化しておりました。
階下から迫りくる業火の咆哮は、まるで数万の亡者の叫びのように地を震わせ、城全体が苦悶に悶える巨獣のように、みしり、みしりと音を立てて崩れ始めてゆく。
熱風に煽られた煤煙は、かつて二人が眺めた越前の深雪とは対照的な、黒い絶望の粒子となって、奥御殿の隅々までを容赦なく侵食してゆくのでございます。
「……さあ、勝家様。これが最後のお仕度でございますよ」
市様の声は、火の粉が爆ぜる轟音のなかで、驚くほど澄んで、そして残酷なまでに優しく響きました。
三人の愛しき娘たちを、その身を引き裂かれるような思いで送り出した後。母としての役目を終え、ただ一人の「女」へと戻った市様は、自らの死装束となる真っ白な小袖を纏い、震える勝家様の前に跪かれました。
勝家様は、もはや己の槍を握る力さえ失い、血の涙を流しながら、子供のように肩を震わせておられました。その大きな、岩のような背中は、敗北という名の重圧に叩き潰され、無残に丸まっております。
「市……わたくしが、わたくしが至らぬばかりに。お前のその清らかな肌を、熱き炎に……鋭き刃に晒さねばならぬとは……! この権六、死してもなお、地獄の底で己の罪を呪い続けようぞ……っ!」
勝家様の慟哭を、市様は静かに、けれど有無を言わせぬ強さで抱きとめられました。
そして、その節くれ立った勝家様の右手を、自身の細い首筋へと導き、そっと添えさせたのでございます。
「泣かないでくださいませ、勝家様。これは、わたくしたちがようやく手に入れた『二人きりの夜』にございます。……さあ、あなたのその強き腕で、わたくしの魂を解き放ってください。そして、わたくしがあなたの最期の道標となりますゆえ」
市様は、懐から一振りの短刀を取り出されました。
月の光さえ届かぬ煙のなかで、その刃だけが冷ややかに、妖しく光り輝いております。
儀式は、あまりに凄惨で、けれど聖なる静寂のなかで行われました。
勝家様の震える手が、市様の導きによって刃を握り、彼女の白い胸元へと突き立てられた瞬間。
噴き出した鮮血が、市様の白き小袖を、まるで大輪の牡丹が開花するかのように、一瞬にして鮮やかな緋色に染め上げました。
市様は、苦痛に顔を歪めるどころか、法悦に近い微笑を浮かべ、その血に濡れた指先で勝家様の頬を撫でられたのです。
「……あ、ああ……市……市っ……!」
勝家様は、己の愛する女が、己の手によって命を散らしてゆくその感触を、骨の髄まで刻みつけながら、狂ったように叫びました。
流れ落ちる彼女の血は、勝家様の泥だらけの甲冑を濡らし、二人の境目を消し去るように混ざり合ってゆく。
勝家様は、愛する妻の亡骸をその太い腕で力任せに抱き寄せ、彼女が最後に遺した温もりを逃さぬよう、自らも腹へと刃を突き立て、深く、深く抉り込んだのでございます。
「来世……来世こそは、お前を……っ!」
勝家様の意識が遠のく中、視界はすべて紅蓮の炎に飲み込まれてゆきました。
崩れ落ちる天井。舞い上がる灰。
二人の肉体は炎に焼かれ、炭となって崩れ、もはやどちらが誰の骨であるかも判らぬほどに、無残に、そして完全にひとつへと溶け合ってゆく。
この世の地獄のなかで、二人はようやく「一対の魂」となりました。
それは、心の奥底を冷たい絶望で満たし、二度と立ち上がれぬほどの不幸へと突き落とす、あまりに残酷な幕引き。
けれど、この「血の婚礼」こそが、四百年という悠久の時を越え、現代の乾いた街角で、再び二人の鼓動を共鳴させるための、呪いにも似た強い『愛の種子』となることを、まだ誰も——そして死にゆく二人さえも、知る由はなかったのでございます。




