第1話「白い安全靴と、鉄の洗礼」
そこは、朝一番にラジオ体操の音が響き、巨大な重機が呼吸をし、火花と怒号が飛び交う場所。
昨日まで何もなかった空間に、鉄の骨を組み、木の枠で囲い、コンクリートを流し込んで「誰かの居場所」をゼロから作り上げる場所だ。
そんな戦場に、今日、一人の女の子が降り立った。
名前は、佐藤てっこ。
手にした図面はまだシワひとつなく、
支給された安全靴は、眩しいほどに真っ白。
「監督さん、そこ邪魔だよ!」
「どいて! 鉄筋通んないでしょ!」
容赦なく浴びせられる言葉の雨。
見上げるほど高い足場と、自分よりも大きな工具を操る職人たちの背中。
教科書には載っていない「現場のルール」。
1ミリのズレも許されない「プロのこだわり」。
そして、10時の休憩時間にだけ流れる、ちょっとゆるくて温かい空気。
これは、迷子になりそうなほど広い現場のすみっこで、
新米監督のてっこが、5人の個性豊かな職人女子たちに揉まれ、
泥と汗にまみれながら、自分の立ち位置を「築き上げていく」物語である。
さあ、ヘルメットのあご紐を締め直して。
佐藤てっこの、最高にハードでゆるい日常が――今、始まる。
【著者より:この作品を読む際のご注意】
この物語は、実際の建築現場の「あるある」に基づいたフィクションです。
専門用語が出てきますが、てっこも分かっていないので、一緒に覚えていけば大丈夫です。
読み終えた後、街中の工事現場が少しだけ愛おしく見えるようになれば幸いです。
1.朝、 現場正門前
「よし……! 今日から、佐藤てっこ、頑張ります!」
真新しい、雪のように白い安全靴。
糊のきいた作業着に、サイズが少し大きくて眉眉まで落ちてくるヘルメット。
22歳のてっこは、マンション建設現場の正門前で一人、気合を入れていました。
しかし、門をくぐった瞬間にその決意は揺らぎます。
「オラーッ! 揚重(荷揚げ)遅れてんぞ!」「そこ、危ねぇからどけ!」
飛び交う怒号、響き渡る重機の音、舞い上がる火花。
そこは、大学の教科書で見た「建築」とは別世界の、戦場でした。
2.最初の試練:鉄筋屋のレン
所長から「とりあえず配筋の写真を撮ってこい」と言われ、てっこは3階の床スラブへ向かいました。
そこには、無数に張り巡らされた鉄の網――鉄筋の上を、羽が生えたような軽やかさで歩く少女がいました。
**レン(鉄筋屋)**です。
彼女は手元のハッカー(鉄筋を縛る工具)を「シュバババッ!」と高速回転させ、一瞬で鉄筋を固定していきます。
「あ、あの! 写真撮らせてください!」
てっこが声をかけると、レンは動きを止め、無機質な瞳でてっこを見ました。
「……邪魔。そこ、踏まないで。結束が緩む」
「ひえっ! す、すみません!」
てっこは慌てて足を引きますが、慣れない鉄筋の上でバランスを崩し、あわや転倒……というところで、ガシッと太い腕に掴まれました。
3. 型枠屋・パネ美の登場
「おっとぉ! 新人ちゃん、危ないよ!」
豪快に笑いながら助けてくれたのは、大きな木板を軽々と担いだ**パネ美(型枠屋)**でした。
「あんたが新しい監督さん? 私はパネ美。よろしくね! レンちゃんは口が悪いだけで、仕事はピカイチだから気にしなくていいわよ」
「あ、ありがとうございます……監督の佐藤てっこです」
「てっこちゃんね! いい名前じゃない、現場向きだよ! 鉄の粉、いっぱい吸って大きくなりな!」
パネ美に背中をバシバシ叩かれ、てっこのヘルメットがまたズレます。
4. 現場の洗礼
その時、てっこは気づきました。
自分の真っ白だった安全靴が、鉄筋の錆とコンクリートの粉で、すでに見る影もなく汚れていることに。
「(あんなに綺麗だったのに……)」
少しショックを受けていると、レンがボソッと呟きました。
「……安全靴は、汚れてからが本番。現場に馴染んだ証拠」
レンはそれだけ言うと、また背中を向けてハッカーを回し始めました。
不器用な、彼女なりの「歓迎」の言葉でした。
5. 夕暮れ:初めての終礼
夕方、疲れ果てて事務所へ戻るてっこ。
足はパンパンで、肩は資材を運ぶ手伝いをしたせいでバキバキです。
しかし、帰り際に現場を振り返ると、夕陽に照らされた鉄骨と型枠のシルエットが、何とも言えず美しく見えました。
「……明日も、頑張ろう」
てっこは、ズレたヘルメットを真っ直ぐに直し、少しだけ「現場の顔」になった汚れた安全靴で、一歩を踏み出すのでした。
【今回の現場あるある】
初日に履いていった「白い安全靴」は、午前中で死ぬ。
鉄筋の上を歩くのは、最初は「竹馬」に乗るより難しい。
ヘルメットのあご紐を締め忘れて、先輩に「飛ぶぞ(落ちるぞ)」と怒られる。




