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遊霊日より

作者: 藻者

 八月八日、と言えばなんの日だっただろうか。

 真面目に祝日やら休日やらをこまめにチェックするような極度に真面目なもしくは不真面目な性格ではないので、基本祝日やらはその三日前ぐらいに他人から聞いて初めて知るのがいつものパターンである。

 そして今日、つまりこの八月八日は夏休みのど真ん中で、学校が休みなら正直どんな祝日だろうが祝日じゃなかろうが全く気にはならなかった。

 

 道のど真ん中をふよふよと浮かんでいる、まっすぐな長い黒髪をしてジャージを着ているいかにも幽霊のようなものに出くわすまでは。


 ……あれ、お盆だっけ?

 違うような気がしなくもないが、目の前にいる半透明の存在から逆算するとたぶん今はお盆。

 いや、そんなことはどうでもいい。

 まずこの白昼堂々と出てきやがったこいつに気づかれないように、家へ退散しなければ。

 

 道を引き返しながらちらっと後ろの幽霊を見ると幸い後ろを向いていて、こっちには気づきそうにない。

せ、せっかくだから心霊写真とか撮っておこうかな。

 ジャージの幽霊とか絶対に希少種だろうし、だれか高く写真を買ってくれるかもしれない。

 よし、そうと決まればポケットからスマホを取り出しパシャっとな。


 カシャ


 蝉がそこらじゅうで盛んに鳴いているのに、なぜか辺りが静まり返ったような気がした。

 そして幽霊がゆっくりとこちらを振り向き、目が合った。


「ぎやああああああ!」


 俺は思わずスマホを放り投げそこから脱兎(だっと)のごとく駆け出した。


  〇


「結局、お前はなんなんだ……」

「分からん、たぶん幽霊とか!」

 

 俺は、いや残念ながら俺たちは帰路についていた。

 あれから小学生以来、意地でも出してこなかった本気をどこからかひり出して懸命に走ったのだが、曲がり角で足が絡まり無様にこけ、御用となった。

 そのまま呪われて殺されると思ったのだがそんなこともなく、ただ暇だから着いてくるらしい。

 丁重にお断りしたのだが幽霊パワーでどうやっても引きはがせないと言われた。

 なんかだいぶ怪しいが一般的には取り憑かれたということだろう。

 どこの一般かは知らないが。


「うち? わたし? 記憶が無いんだ……」

「一人称すら曖昧とかかなり重症だな」

「頭とかどっかに打ったのかも」

「いや頭とか以前に死んでるからだと思うぞ」


 俺の傍らにふわふわと浮いているこいつは、半透明で浮いていること以外は普通の女の子だった。

 多分、歳は俺と同じで高校生ぐらい、容姿は悔しいがまあ可愛い、少しきつい眼差しはジャージと相まって少しヤンキーっぽいが黙ってれば結構もてそうではある。           

だが喋るとなんかアホっぽい。


「なあこのまま憑いてくるのか」

「うん、だってずーーっと暇だったし。きみ? ……てめぇ以外は誰にも見えないし触れなかったしね」

 

 にこっと笑って、そう言った彼女の少し考えて出した二人称が非常に不安である。

 この娘、元はどんな娘だったのかしら……。


「俺は、()(つき)だ。そう呼んでくれ」

 てめえとか心臓に悪いから。

「じゃあ、あちきは……」

「お前どういうキャラなんだよ」

 江戸っ子か。 

「あたいを呼ぶときは……伊月のそばに立つもの、スタンドバイミーから取って、スタン――」

「ジャー子な」

 ジャージ着てるから。

「そいつぁは無いぜおやっさん!」

  

 ジャー子はそう言って、俺の髪の毛をがしがしと引っ張ってくる。

 重さがほとんど無いのかそんなに痛くない。

 がしかし、他の人が見たら髪の毛が踊り狂っているように見えるのだろう。

 近所の奥様がたの間で噂になったらどうしよう。

宅間(たくま)さんとこのお子さん、髪の毛が自我を持っているんですって」なんて噂が流れた日には、近所のガキどものハント対象になること間違いなしだ。

 コンビニで週刊誌を買ってくるだけのつもりだったが、えらいものに捕まってしまった。

 ああ憂鬱(ゆううつ)である。


  〇


 無事、なんとか家まで誰にも髪の蠢くさまを見られずにたどり着くことができた。

 まあジャー子の諦め、というか飽きが意外にも早かったからだったが。

 

「さて、これからどうするんだ」

 自分の部屋でジャー子とテーブルを挟んで向かい合って言った。

「そこの桃〇というものがやってみたいです」

 ジャー子はテーブルの上に置いてあった、ゲームソフトを指さしている。

「これは危険だ、俺の友達はこれのせいで入院した」

 俺はそれをさっと取って、机の中にしまった。

 幽霊に恨みを買われたらシャレにならん。

「つーかそういうことじゃねえよ、ジャー子の目的はなんだよ」

「……炊事、洗濯」

「居座る気か」

 こいつは自分の置かれている状況を理解しているのだろうか。

「普通、成仏とか記憶を取り戻すとかあるだろ」

「あ、そうだった」

 ジャー子はそう言いながらも上の空といった感じ……。いや目線だけで部屋の中の何かを探している?

「なんか探してんのか?」

 もしかしたら記憶の手がかりとか……。

「エロ本」

「もう帰れよ」

 土に。

「なんてね。あたしも分かってんだよ、記憶を取り戻してあたしを殺した奴を抹殺しなきゃって」

 ジャー子は神妙な顔で俯いてそう言ったが、言葉と態度が合ってない。

 あと殺されたのを勝手に確定してるのはどうなんだ。

「ま、まあ分かってんならいいんだよ」

「でも探しても何も見つからなかったんだ。気づいたら知らないところにいたし、寝ると風に流されてまた知らないところにいくし」

 え……幽霊って風に流されるんだ。

「スマホでいろいろ調べようとしたけど、ほら」

 そう言って持っているスマホを見せてきた。半透明で右上に圏外、13%と表示されている。

「ずっと圏外で13%なんだ」

「それどうなってんだよ」

 スマホも幽霊なのか……?

「だからなにも調べられないし、てかそもそもしょうもない遊びのアプリしか起動できないし」

 いちいち言葉が酷いなこの娘、もしかしたら悪霊なのでは。

「じゃあ俺が調べてやるよ」

 情報を集めるにはそれが一番いいだろう。

「ありがと、でも大丈夫?」

「ん? 何が?」

 ポケットからスマホを取り出しながら聞き返す。

「画面、ばっきばきに割れてるけど」

「……そうだった」

 放り投げたスマホは、見事に画面が蜘蛛の巣状に割れてしまっていた。

「でも案外、皆割れたまんま使ってるしきっと大丈夫だろ」

 俺は、スマホの電源ボタンを押した。

 するとスマホは真っ黒の画面が少し光って……、バチっと音を立ててブラックアウトした。

「ついた?」

「ダメみたいだわ」

 

 ジャー子はあからさまに失望した顔をした。


   〇


「伊月ぃーー、三十二巻とってー」

「あいよー」

 やっていたゲームを中断し、テーブルの上の漫画の三十一巻を本棚に戻し三十二巻を取り出してテーブルに置いた。

 ジャー子に出会ってから三日が経った。

 スマホが壊れて意気消沈していた俺は、のんべんだらりと日々を過ごしていた。

 ジャー子と一緒にテレビを見たり、一緒に漫画を読んだり、放置してゲームをやったりとほぼいつも通りの夏休みを送っている。

 だがそれも今日で終わりだ。

 なぜかというと、修理していたスマホが戻ってくるのだ。

 これで調べものができる。

 現代っ子は、これさえあればたいていのことはできる……気がする。

「ジャー子それ読み終わったら出かけるぞ」

「えーー、どこいくの?」

「決まってんだろ、……スマホの受け取りだよ」

「ひとりでいけよー」

 手のひらから謎の微風を起こし、漫画のページをめくりながらジャー子はそう言った。

「追い出すぞ」

「追い(がつお)?」

 なんかイラっと来たので、顔面をアイアインクローして持ち上げる。

「お前の記憶とか探すのも()ねてだよ、さっさといくぞ」

「了解しましたわ!」

 ジャー子は持ち上げられたままビシッと器用に敬礼をした。


  〇


 駅は我が家から歩いて十分ほどのところにあり、多くの商業施設はそこに集中していて、スマホの修理も駅周辺の店でやってもらった。

 帰ってきたスマホは、なんか重くごつくなっていたが前よりもサクサク動くようになっていた。

 修理……、というか改造な気がしないでもないがとりあえずあまり深く考えないことにした。

「で、何を調べるの?」

「一応、この市内でのここ数年での死者数を調べてその中で絞りをかけてみる。風に流されたって言っても物を通り抜けられないお前ならそんな遠くで死んだわけじゃないだろうしな」

「頭いーー」

「だろ? そしてお前の持っているそのスマホ」

「これがどうかしたの?」

「その機種は……よし三年前に発売されたやつだな。つまり」

「あたしが死んだのはこの三年間のあいだってこと?」

「そういうことだ」

「おーー」

 ジャー子はぱちぱちと手を叩いて俺を称賛している。

 ここ数日、何も考えてなかったわけじゃないからな。めんどくてなにもやらなかったけど。

 条件を付けて検索をかけていく、とりあえずここ三年での市内での死者数は……。

「出た……」

「何人?」

「……千九百十八人」

「案外、皆死んでんだね。で絞れるの?」

「無理っぽい……」

「頭いーー(笑)」

 ジャー子がこっちを指さし笑っている。 

 他人事では無いのになぜこいつは笑っているのか。余裕か。アホなのか。

 まあいい、まだ手はある。

 あまり使いたくは無かったが。

 俺は登録してある電話番号のうちのひとつに電話をかけた。

 不思議に思ったのか、ジャー子が聞いてくる。

「誰に電話かけてるの?」

「友達」

「え、伊月友達いたの!?」

「いるわ、普通に」

 この女、自然に(あお)ってくるな。


『伊月か、どうした』

「助けてよ、のあえもーん」

『要件を言え、切るぞ』

 む、なんか冷たい。

「ここ三年ぐらいで市内で亡くなった女子高生について教えてほしい」

『え、なにいきなりきもい。どういう性癖(せいへき)を開花させたんだ今度は』

 まあこうなるだろうなと、薄々気づいてはいた。

「まあ何も言わずに教えてくれ。いい情報教えるから」

『いい情報ってのは……?』

「魔のコンビニ三角地帯って知ってるよな」

『ああ交差点の四つの隅のうちの三つが別々のコンビニが立っていて日々しのぎを削っているっていうあそこか』

「そこの残った一つの隅に、……今度コンビニができるそうだ」

『まじかよ! ってことは……』

「ああ、また車が突っ込んだ」

『もはや呪いだな』

「だろ? じゃあ教えてくれ」

『しょうがねえな、今調べてるから少し待ってな』

 電話の向こうでガサゴソと音がする。

「なあいっつも思うんだけど」

『それ以上聞くな、そら分かったぞ。ここ三年で死んだ女子高生は五人だな、自殺二人と自動車事故二人あと一人は他殺だな』

「なるほど名前と学校とかはわかるか」

『分かるけどうちの学校はいないぞ』

「それでいい教えてくれ」

『口頭で伝えても覚えらんないだろうから、あとでその情報だけ送っとく』

「おうあんがと。今度何かおごるわ」

『ああじゃあな』

 電話はそこで切れた。

「よし、大体分かりそうだな」

「今の人、同級生なの?」

「そうなんだけど、なんか妙なことに詳しい奴」

「へー、ヤバい奴だね」

「ヤバい奴さ。さー、明日いろいろ終わらせるぞー。今日はテキトーに遊んで帰るか」

「ゲーセンであたしのスゴ技見せてやんよ」

「はは楽しみだな」


 ……いやそういえばお前ボタンとか触れねえじゃん。



  〇




 八月十一日、空は綺麗(きれい)に澄み渡っていた。

 絶好の昇天日和である。

 昨日は、くだらないぬいぐるみをジャー子に煽られてやけになってとったり、プリクラを実質一人で撮らされたりと散々だった。

 まあいい、今日でジャー子もお陀仏(だぶつ)だ。

 冥土の土産にあれくらいの思い出は持って逝かせてやろう。

 というわけで電車に乗って死亡スポットに向かっている。

 送られてきた情報だと場所はそれぞれ交通事故二件が同じ場所というか同じ事故、他はバラバラだった。

 一つ目の自殺は一つ隣の駅での飛び込みだった。

「よし、着いたぞ」

「いやー、なんか怖いわー」

 とか言いながら随分と余裕そうだ。

 まあ自分で相手を抹殺するとか言ってたし自殺だとは毛ほども思っていないんだろうしな。

「しっかりしろよ、お前が思い出すのだけが頼りなんだから」

 昨日の夜、全員の名前を伝えてみたのだがどうにもぴんと来ない様子だった。

 ならば連れてきたら思い出すのではないかと思ったのだが。

「ここじゃないね」

 辺りを見渡すなりそう言った。

「そっか、じゃあ次行くか」

 よく分からんがここはこいつの言葉を信用するしかない。

 


 次は先程の駅から十分ほど歩いたところ、タワーマンションの踊り場から飛び降りたらしい。

「んー、ここらへんかな。どうだなんかわか――」

「違いますねえ」

 そう言って肩をすくめてやれやれという表情。

 なんかむかつくがまあいい。

 次だ次。



 その次の交通事故の場所はまた隣の駅から歩いて五分ほどのところ、下校中の二人に居眠り運転のトラックが突っ込んだらしい。

 ん?

「なあジャー子、お前のそのジャージってさ学校のじゃないよな」

 ジャー子は、自分のジャージを見て言う。

「そうみたいだねー、おもいきりどっかの企業のロゴ入ってるし」

「つーことはさ、たぶんだけど死んだの登下校中じゃないよな」

「……せやな」

「……まあ、一応いってみるか」

 たぶん違うんだろうけど。

 

 事故現場には花束が置かれてあった。

「これは無駄足でしたね」

 置かれてある花をいじいじしながらジャー子はそう言った。

「こら! 失礼でしょ、そんなことしたら」

 こいつには死者を(いた)む気持ちは無いのか。

「呪われるからやめなさい! めっ!」

「伊月のほうが失礼な気がするんだけど」

「大丈夫、お前は存在が失礼だから」

「なんでよ」

 ジャー子の言葉をさらっと無視して考える。

 四人がだめだった、残りは一人。

 痴情(ちじょう)(もつ)れやらで刺殺された娘らしいが、おそらくそれがこいつだろう。

 ありったけの罵詈(ばり)雑言(ぞうごん)を投げつけて来ているジャー子をみる。

 まあたしかに見た目だけなら惚れるやつも少なくないだろう。

 でも中身がこれじゃな。

 おそらくそのギャップに耐えきれずに思いつめた男に殺されたのだろう。

「――ばーか、ばーか。あほ伊月、うんこ、うんこ」

「全くどこでそんな言葉をおぼえてきたんだ」

 小学生か。

「近所のがきんちょ」

 小学生だった。

「……よし最後行ってみよう」



 最後は、大きな洋館のようなところだった。

 見るところ人もいなさそうで、草が生い茂っている。

それに夕方なこともありなんか薄気味悪い。

「で、なんか分かるか」

 そう言ってジャー子を見ると、驚愕(きょうがく)で目を大きく見開いていた。

「やっぱりここが――」

「めっちゃ豪華やん」

 ん? そこに驚いてどうする。

「いやもっと他に、こうほら……なんかないか?」

 ジャー子はじーっと洋館を見て、ふと何かに気づいた。

「幽霊とか出そうだよね」

「たしかに」

 ……え、終わり? それだけ?

「でもなんかあたし、生前はお嬢様だった気がしてきた」

「それはない」

 ここに連れてきといてなんだが、それだけはないように思う。



  〇



「結局、だめだったな」

「まあのんびりいこうじゃない」

 あれから俺たちは帰路についていた。

 どの場所でも、ジャー子は違うといい、詳しく調べてみると、誰一人としてジャージの娘はいなかった。

 ジャー子に最初から調べとけよと言われたが、ほら感動とかないじゃん?

 まあ実際は普通に失念していたわけなんだが。

 なにはともあれ全くの手詰まりである。

「市外に範囲を広げるか……?」

 なんか見つけられる気がしなくなってきた。

 そもそもこいつは何が心残りで現世にとどまっているんだろうか。

 ジャー子を見るとぽけーっと空を眺めている。

 何も考えてなさそうだ。

 正直言うと、こいつがいてもそんなに大して困ることもないから無理に成仏させようとしなくてもいいんだが。

 そんなことを考えているうちに家の前までたどり着いていた。

 あ……。

「なあ今日、単行本の発売日だったのすっかり忘れてた。コンビニ行くけど先に家帰っとくか?」

「着いてくよ。四十二巻でしょ? 伊月より先に読みたい」

「いよいよ遠慮というものを知らなくなってきたな、お前」

 ……いや、最初からか。



 夕暮れ時の町をそのまま歩いていると、いつかの道にたどり着いた。

 ジャー子がど真ん中に浮いていたあの道に。

「そういえばあの時お前何してたんだ」

「ん? 昼寝してたよ?」

 そうか、そういえばこいつ寝るときは直立して顔を(うつむ)かせて寝るんだった。

 寝起きとかで見て、すごく怖かったのを覚えている。

「ああ、でカメラの音で起きたのか」

「うん、盗撮野郎を殺そうと思って追いかけたよ」

「お前にそんな力が無くてよかったよ」

 切にそう思う。

「でも伊月に会えてよかったよ」

「なんだ急に、気持ち悪いな」

「だって退屈だったから、誰に話しかけても聞こえてないし誰にも見えないし」

 そういえばなんで俺だけが見えたのだろうか。

 霊感なんて全く無いのに。

「伊月に会えてなかったら、今も近所のがきんちょを見て暇をつぶしていたと思う」

 えぇ……そんなことしてたんだ。

「だから感謝してる。伊月の未来に幸あれ」

「どういうキャラだよ」

 ジャー子はピッと胸の前で十字をきった。

 どこでそういうの仕入れてくるのか、こいつは。


 そうこうしているうちに道の先にコンビニが見えてきた。

「よしコンビニだ、今日はどのコンビニに行こうか?」

 そう言ってジャー子を見ると、驚愕で目を見開いていた。

「なんだまた豪華な屋敷でも見つけたか」

「分かった」

 コンビニの辺りを見つめたまま、ジャー子は確かにそう言った。

「ん? 何がだ」

「私、あそこで死んだの」

 ジャー子の目線の先には一つ空いた隅、魔のコンビニ三角地帯の四角目があった。




   〇




 コンビニで単行本の四十二巻となぜか売っていた花束を持って、俺とジャー子は四角目に来ていた。

「車が突っ込んだっていうのは」

「ええ、私はその時に跳ねられた」

「ん? ジャー子なんか口調変わってないか」

 いつものアホっぽさが鳴りを潜めているように感じる。

「思い出したからよ、生前の記憶を」

 ジャー子は腕を組んですらっと立っている。

 え? なにこのクールビューティな感じ。

 本当にジャー子か?

「私は飯島みさき、あなたと同じ学校の三年生よ」

 まさかの先輩。それに飯島先輩といえばスポーツ万能かつ成績優秀、振った男や女は両手の指の数では足りないという噂を聞いたことがある。

「ジャー子……さん、まさか先輩とは思わずに数々のご無礼をお許しください」

 なにか威厳のようなものを纏っているジャー子、形だけでも頭を下げておくか。

「いいわよ、そんな仰々しく敬語使わなくて。伊月にそんな口調で話されるとなんかむず痒くなる」

「おおそうか、てめえあんま先輩風吹かせると承知しねえぞ?」

「あなたの中には先輩には敬語を使うか喧嘩を売るかの二択しかないの?」

 まあおおよそその二択だな。

「で、どうしてお前は死んだんだ」

「遠慮ないわね……知ってたけど。今年の夏休み初日の昼間、私は家が近いこともあってここのコンビニにきたの」

 女子高生がその時間にコンビニに……?

「妙だな」

「どこがよ。私はアイスボッ〇スにコーラを入れて食べるということがしたかったの。ただ……」

「コンビニに着く前に()かれてお陀仏か」

 それは未練も残ろう。

「いいえ、コンビニには無事に着いたわ。

ただ二つを会計に出したとき気づいたの」

「何にだ」

「財布を持ってきていないことに」

 ……いや会計の前に気づけよ。

 気持ちがアイスボッ〇スに前のめりすぎるだろ。

「それで羞恥心を隠すためにいつものように堂々と歩いていたら突っ込んできた車に轢かれたの」

 なんとなくその光景は想像がつく。

 学校でそうするように凛として背筋まっすぐ気品を漂わせながら歩いていたのだろう、そこに横から車が突っ込んでジャー子はきりもみ回転をしながら吹っ飛んでいったのだろう。

 想像するとなかなかシュールである。

「見たかったなあ」

「伊月、あなたどういう性癖してるのよ」

 普通にかわいい女の子が好きですが?

「それにしても大変だったな」

「そうね。ここまで来るの長かったわ――」

「いやそうじゃなくてお前の親御さんだよ。娘が財布も持たずに家の近所のコンビニの前で轢かれるとか、困惑するだろ。『この娘は何がしたかったんだろう……頭おかしくなってたのかしら』ってね」

 ジャー子、もといみゆき先輩は顔を赤らめた。

 てか半透明でも何となく分かるんだな。

「安心しろジャー子、お前が成仏した後きっちり伝えてやる。親御さん、と学校中に」

「それだけは絶対にやめなさい伊月、呪うわよ」

 ジャー子が睨んでくるが、その端正な顔立ちで睨まれると、こう……なんかちょっと興奮す――。

「じゃあ私、そろそろ行くわね」

 そう言ったジャー子はいつの間にか、身体全体の色が薄くなっていた。

 いつもが半透明としたら、四分の一透明ぐらいか。

「まあ心配すんなよ。俺はお前の秘密にしたいことは誰にも言わないし、お前のいなくなった後のことはできる限りで手伝うよ。だから……」

 安心して逝ってこい。 

 そう言おうと思ったが、声が詰まって出てこない。

 持っていた花束を地面に置くと、その地面に水滴がぽたりと一滴落ちた。

 俺はいつの間にか泣いていた。

「伊月、今までありがとう。あなたのおかげでこの数日は退屈しなかったわ。もし私が生きているときにあなたに会えていたら、付き合ってあげていたかもしれないわね」

 こっちに背を向け、そう言ったジャー子もきっと泣いている。

 その声が震えていたから。

「むしろ俺が付き合ってあげるぐらいあるぜ。さあさっさといけよ」

 俺まで未練を持ってしまう。

「じゃあね、伊月。ありがとう、さようなら」

 彼女はそう言って、上空に上って少し風に流され、やがて見えなくなった。

 俺はそのまま空を見上げる。

 涙がこれ以上溢れ出さないように。

 彼女がいたことを、この数日間を忘れないように覚えておこう。

この空を。

 夏の夕空は綺麗な赤色で染まり切っていた。




「あのー、何をやっていらっしゃるんでしょうか」

「はい?」

 数秒程黄昏ていると不意に後ろから声を掛けられ、振り向くとうちの制服を着た女子高生が立っていた。

 よく見ると顔は見たことがある。確かノアえもんの友達……だったような気がするが。

「宅間君……でしたっけ、それはなんでしょうか」

 そう言って彼女は花束を指さす。

「花束」

「そういうことを聞いているんじゃないってことぐらいは流石に分かってくれると思ってましたけど」

 彼女はジト目で睨んでくる。

 そんな可愛い顔で睨まれると、こうなんかちょっと……これさっきやったな。

「お盆だしな、手向けだよ。ここでな、この夏休みに事故って亡くなった人がいたんだよ。俺の……友達以上恋人未満ぐらいだった奴だけどな」

 どうせだし俺の株を上げるためにジャー子は成仏後にも役に立ってもらおう。

 そんくらいは許されるはず。

 で、株の上がった俺に対する彼女の反応はやれやれと俺に呆れた様子だった。

 なんで……?

「ツッコミどころが多すぎる……。ええとですね、まず今日はまだお盆じゃありません」

 な、なんだってー!

「それにたぶんですけどその事故にあった人ってみゆき先輩のことですよね」

「あ、はいそうですね」

「私はみゆき先輩とそれなりに親しくしていましたが男の友達とか彼氏の話は聞いたこともありませんし。それに……」

 彼女はそう言って、こちらを足の先から頭のてっぺんまで眺めた後にフッと鼻で笑った。

 さも「お前じゃ、どう見ても釣り合わねーよ」とでも言うかのような仕草だった。

 いらつくが、釣り合わないと言われていらつく自分にもいらつく。

 どうしようもないので黙っていることにした。

 あとでなんとかしてこいつにはやり返そう。

「最後に、先輩は亡くなっていませんよ? だいたい先輩と最後に話した内容が『アイス〇ックスにコーラをかけて食べる』とかいう話だったら悔やんでも悔やみきれませんよ」

 肩をすくめてやれやれといった感じだが、お前がそれ教えたのかよ。

 いや驚くべきなのはそっちじゃないか。

「え、あいつ死んでねーの?」

「だからそう言っているじゃないですか!」

 えー、まじか……さっき成仏しちゃったんだけど。

 させちゃったんだけど。

 いや、今なら……。

「まだ……間に合うか」

「え、なんですか?」

「ジャー子おおおお! カムバッ―――――ク!」

 俺はあらん限りの声を張り上げて叫んだ。

 話していた彼女は、俺の声に驚いたのかその場から逃げ出した。

 おそらく俺のことをやべえ奴だと思って逃げたのだろう。

 まあいい友達の友達程度の関係だし今後関わることもないだろう。

 とか思いつつ空を見上げ探していると、やがて遠くの方から風にあおられ横にふらつきながらジャージの幽霊が降りてきた。

「何かまだあるの。気持ちよく昇天しかけてたところだったのに」

 待て、それは非常に危ない。

「残念なお知らせがあります」

「何? 早く言いなさいよ」

「オマエイキテル」

「何の呪文?」

「ジャー子、お前の本体は生きているらしいぞ」

「へー、そんなこと……」

 そう言ったきりジャー子は固まった。

 脳がフリーズしたようだった。

「しっかしこの後どうするかね」

「え、私生きてるの?」

「とりあえずお前の病院探すか」

 病院といってもいろいろあるし、候補が多すぎてさすがに分からんな。

 ……あいつに聞くか。

 電話の履歴の一番上にある番号に再び電話をかける。

「ねえ、私が生きてるとか言わなかった?」

ジャー子がしつこく聞いてくるので「はいはいその通りです」とあしらう。

 電話をするのだから静かにしていて欲しい。

 常識がないのか。

 お、かかった。

「のあえもーん、助けてよー」

『伊月、どうした』

「魔のコンビニ三角地帯の事故の話だがな」

『ああ、その話聞いて俺も調べてみたんだがな。事故にあったのはうちの生徒らしいな』

「ああそうなんだ、で、その人の入院先を調べてくれないか」

『ストーカーか』

「いろいろ事情があるんだよ。よしじゃあいいこと教えてやる」

『お、なんだ』

「その事故の原因の一つはお前の友達だぞ。あの女子の」

『青掛か!』

 先程会話したあのいらつく女子生徒を思い出す。

 そういえば学校でそんな名前を聞いたことがあるような気もする。

 知らんけど。

「まあ詳しくは教えねーけどな。さあどこの病院か言え」

『いいけどよ。伊月、お前分かってんだろ?』

「ん? 何がだ」

 何も分からんぞ、こいつが何のことを言っているのかも分からんし。

『いや普通に考えて、ここらへんでは駅前の病院ぐらいしか入院できるとこないだろ』

「……あー」

 すっかり忘れていた。

 うちの高校で入院するほどの怪我をすると必ずあそこに運ばれるのだった。

 今年の体育祭では紆余曲折あり三十数人が病院送りとなったが、全員その病院の一つの部屋に詰め込まれたというのは耳新しい出来事である。

『……お前、入院して頭いかれたんじゃないか。そういえば虚空を見つめて話している伊月の姿を見たって何件も――』

 ピッと音がして電話が切れてしまった。

 切れてしまってはしょうがない。

 スマホを直してから、どうも操作に慣れず、誤ってボタンを押してしまってもそれは不可抗力というものだろう。

 これ以上話すこともないしな。

 というか聞きたくない。

「ジャー子、お前の本体の場所分かったぞ」

「ありがとう。……って、なんでそんなに沈んだ表情してるのよ」

 ……そりゃ自分の安直さに絶望しているからだよ。

 普通、他の人に見えない存在に話しかけるときは周りの目を気にするよね、デス〇ートとかでも気にしてたし。

 新学期に入れば周りからいろいろ言われるのは確実である。

 頭おかしい人認定されて、ボッチになる自分を想像すると胃が痛くなってきた。

「ジャー子よ、新学期入っても仲良くしてくれるか」

「なんか伊月きもいわ」

 汚物を見るかのような目で俺を見るジャー子。心なしか距離がいつもより遠い。

 幽霊でもないなんかよく分からないものにまで避けられるとは。

「世も末だな」

「終わっているのはあなただけでしょう?」

 ジャー子はそう言って爽やかに笑った。

 そう言った彼女があまりに綺麗に笑うので、とても殺意が湧きました、まる。




   〇




 病院についたころには外は真っ暗になっていた。

 受付で少し手こずるかと思っていたが、「みゆきさんの彼氏です」と言うとあっさりと面会の許可が下りた。

 セキュリティ大丈夫かこの病院。

 そうしてそのまま、ジャー子の本体がいる部屋に来たのだが……。

「この部屋……既視感あるな」

「私にはないわ」

 聞いてない。

 まあ既視感というか、ここに来る途中からなんとなく気づいていた。

 ここ俺が入院していた部屋だ。

 六月下旬の体育会でクラス同士の抗争に巻き込まれた俺は、足の骨を折りこの部屋で入院していたのだった。

 いや最初は入院するほどではなかったのだが、最初に軽い怪我の人も重い部屋の人も他の一つの部屋に詰め込まれたせいで、悪化し体育会から夏休みに入るまで入院する羽目になったのだ。

 思い返すと今でも腹が立つなこの病院、でも宿題とかすっぽかす口実ができたから許す!

「……入るぞ」

 何はともあれ入らなければ始まらない。

 そう思い目でジャー子に合図をしてドアノブに手をかけた。

 その瞬間、内側からドアが開いた。

「うわ!」

 びっくりして思わず声をあげてしまった。

 そこに立っていたのは、白衣を着たやけに老けたお爺さんの医者だった。

 見たところ百三十歳ぐらいだろうか、いやそんなわけもないんだが本当にそのぐらいしわしわなのだ。

 目がしわに隠れてこちらからは見えない、……これ見えているのか?

 そして爺さんはこちらの存在を半ば確信しているようにこう言った。

「たかしだね?」

誰だよ。やっぱ見えてないのでは。

「ここのジャー……みゆきさんの彼氏です」

 先程(受付)と同じようにジャー子に髪を引っ張られるがまあ無視でいいだろう。

「お前にこの子はやらんぞ」

 いやその台詞はおかしくないか。

「お爺さんとみゆきさんの関係は?」

 もしかして血縁者とか……?

 そう思い、ジャー子を見ると首を横に振っている。

 いよいよ謎である。

「この子の主治医」

「ですよねーー」

 分かってた。

「私はこの子の主治医ではあるが、じゃあ君はこの子のなんなんだね」

「……え? 彼氏では?」

 さっき言ったような。

「ああそうか……」

「……はい」

 沈黙が広がった。

 この爺さんボケてんじゃないのか。

「冗談じゃよ」

「ああそうですよね」

 信じないぞ。

「そういえばお爺さん、みゆきさんにはなにかおかしなところはあったのですか」

 頭とか。

「先程じゃが、機械からこの子の心臓が止まったという通信があったんじゃ。急いで来てみればなんも問題なかったんじゃ。まあ機械の気のせいだったのじゃろうな」

 自分でうんうんと頷いている爺さんには悪いが、機械には気のせいとか無いんだけどな。

 まあ心臓が止まっていたってのは、まずさっきの昇天のときだろうな。

 めっちゃ危なかったじゃねえか。

 ジャー子を見ると顔を青くしている。

 まさか生きているのに成仏しかけるとはな。

「すこぶる健康であるから弟君は心配しなくていいぞ。なんで目を覚まさないのか不思議なくらいじゃよ」

 もう訂正するのも面倒くさい。

「そうですか、ありがとうございます」

 俺が頭を下げるとお爺さんは「うむ」と言って立ち去っていった。

 その左右に蛇行しながらふらふらと歩いていく後ろ姿を見て思う、この病院やっぱだめだわ。



 懐かしい、病室に入って最初に思ったことはそれだった。

 間取りも壁にかかっているよくわからない絵も俺が入院していた時と全く変わらずにあった。

 しかし俺がいた時とは違うものもある。

 ベッドの横には空だった花瓶には色とりどりの花が生けてあったし、お見舞いの品も所狭しと並べてあった。

 俺の時はこれらの物は一つもなかった。

 ……人望ってことなんだろうか、なんか悲しくなってきたな。

 そうだ、どうせだから花と漫画もお見舞いの品のところに置いておこう。

 見舞いの品の上に雑に花と漫画を置いた。

 これですこし汚くなったな。

 ベッドに目を向ける。

 俺がいたベッドにジャー子が目をつむって横たわっていた。

 当然だがジャージではなく病衣をジャー子は着ていた。

「ジャー子って、ジャージ着てないとだいぶ雰囲気変わるな」

「どういう意味よ」

 こっちを睨んでくるが、そんな悪い意味で言ったのではないんだがな。

「いやなんか高嶺の花というか、物語に出てきそうな感じだな」

「そう……」

 そう言ってジャー子はそっぽを向いた。

 よく見ると頬がうっすら赤く染まっている。

「なんだ照れてんのか」

 言われ慣れているだろうに。

「うるさいわね、そんなことより私をもとに戻す方法考えてるの?」

 向こうを向いたままジャー子はそう言った。

 そう言えばなんも考えてないな。

 来たらなんとかなるだろと思っていたが何も起きていない。

 だが大体、試してみることは思いつく。

「とりあえず身体に重なってみればいいんじゃね?」

 昔、そんなことをやっていた双子の芸人がいたような気がする。

 俺は爆笑していたが、今思うと何が面白かったんだろうか。

 まあジャー子がやったら笑うかもな。

 ……いや想像するだけで笑えてくるな。

 ゆ~たいりだつ~って言いながらやってもらうように頼んでみるか。

 ジャー子にそれを伝えようとした瞬間、ジャー子が振り向いた。

「こういう時、相場は決まっていると思うわ。眠れる姫を起こすとき王子がすることはきまっているでしょう?」

 ジャー子は顔を真っ赤にして、そう言った。

 ……こいつは何を言っているんだろうか。

「なに言ってんだ。お前」

 いや眠れる姫って、ちょっと頭お花畑すぎませんかジャー子さん?

「漫画にだってそう描いてあったじゃない」

 顔を俯かせてジャー子は当然のことのようにそう言ってのけた。

 声は震えていたが。

 ゆとり教育の弊害(へいがい)だろうか、漫画に描いてあることを真に受けるとは。

「そりゃ漫画の話であって現実とは関係ないぞ」

「分かってるわよ。でもそれしか手がなさそうじゃない?」

「ジャー子さん、他人の話聞いてた? 俺、ちゃんと案を出したよね」

「嫌よ。ザ・〇っちのものまねなんて」

 言ってない、考えはしたが。

「そこまでしなくていいから、ちょっと重なるだけだから」

 嘘、本当はやってほしい。

 でも言わない、伊月強い子だから!

「それにさ、嫌だろそういうの」

 少なくとも俺は、逆の立場だったら絶対に嫌だ。

 好きでもない男とキスするなんて。

「普通の……他の人なら嫌だけど、伊月となら……。伊月は嫌……?」

 え……なにこの急展開?

 いや急でもなかったか、ただ返答が予想違いだっただけで。

「お前大丈夫か」

 俺はジャー子にそう言った。

 なんとなくこいつの言っていることの意味はさすがに俺でも分かったが、知らんふりをすることに決めた。

 あまりに唐突でどちらの答えにも決められなかった。

 ジャー子は深呼吸し、覚悟を決めたように俺の目をまっすぐに見つめた。

「伊月は記憶のない私を、助けてくれた。

自分の得にもならないむしろ不利益にしかならないこともやって、私のことを助けてくれた。

そんな伊月に、記憶のなかった私は感謝していたし、やさしさとかっこよさに惹かれた。

私は、記憶を取り戻した私も取り戻す前の私も同じ。

私は伊月のことを好きだと思う……だから最後に」

 ……何を言っているんだよ、本当に。

 俺は何も特別なことはしてないし、それこそ会って一週間も経っていない。

 それで俺のことを好きなんて、なんで。

「ジャー子、おまえはまだ幽霊なんだ。気持ちを決めるのは、……語るのは普通に生きてからでいいんじゃないかとおれは思う」

 俺のその返答にジャー子はうんと頷いた。

「振られちゃったかーー、まあ冗談だったんだけどね」

 彼女はそう言って軽く笑った。

「冗談で人の気持ちをもてあそぶんじゃねえよ。ドキッとするだろ」

 俺もそう笑って返したが、分かっている。

 彼女は冗談なんか言ってはいないのだ。

「よし、じゃあその自分の体に入ってみてくれ」

 ジャー子は、その体の横に立った。

「じゃあ行くね」

 ジャー子はそう言って本体の横に横たわった。

 笑えない。

 なにか空気が違う、自分の体に入るだけだろ。

 なんでこんな湿っぽくなってんだ。

「……ばいばい」

 俺にそう言って彼女は自身の体と重なっていく。

 その台詞は違うだろ、とそう言おうと思ったがなぜか喉につっかかって出てこない。

 なぜだろういやな予感がするのだ。

 なにか俺は勘違いしてないか、取り返しのつかないことをしていないか。

 考えるも何も出てこない。

 とりあえず止めた方がいいのではないか。

 そう思い、声をかけようとしたがジャー子は完全に重なり、体を残して消えた。

 


 心臓が早鐘を打っている。

 あれからどれだけ経った。

 一秒一秒がとても長く感じる。

 まだ目を開けないのか。

 数十秒程経っただろうか、ジャー子がゆっくりと目を開けた。

「ジャー子!」

 思わず意味もなくそう呼んでしまった。

 なんだ何の問題もないじゃないか。

 ほっと安心した。

 彼女はそのままゆっくりと体を起こし、ベットの横に立っている俺の方を向いて、心底不思議そうな顔をして

「あなたはだれ?」と言った。

 俺に。

 脳が追い付かない。

「ふざけてんのか」

「それは私に言っているのかしら」

 彼女は俺を睨んでそう言った。

 その目は明らかに敵意を持っていて、今までに俺は見たことがないものだった。

 俺は彼女を知らない。

 そこにいるのは飯島みさきであり、俺の知っているジャー子はどこにもいなかった。

「俺は……俺は……あなたの」

 俺は結局あいつの何だったのか。

 分からない……。

 分からないが、今俺はこの人のなにでもない。

 何者でもないのだ。


「俺は……あなたの何なのでしょうか」


 あいつはきっと分かっていたんだ。

 生きている記憶を幽霊になってなくしたのだから、生き返れば幽霊の記憶はなくなってしまう、だからもとに戻る前に俺に気持ちを伝えてくれたのだ。

 なのにおれは臆病で卑怯で、彼女の気持ちをないがしろにしてしまったのだ。


「あなたは私の何なのでしょう」


 彼女はそう言って、微笑んだ。

 もう敵意はないように思えた。

「私には分かりません。あなたと会った覚えもないですし。まあ便宜上あなたは『私のストーカー』さんとしておきましょう」

 ストーカーはお前のほうだろ。

 泣きながらそう思った。

 あいつはずっとストーカーで、余計なことを言うやつで行動がイラつくやつで。

そして俺はきっとあいつのことが好きだったと思う。

「……あの告白してもいいですか」

 おれは目の前のあなたに聞く。

 あなたではないあいつに伝えたくて。

「突然ですね。ええ、どうぞストーカーさん」

 彼女は俺にそう言った。

 俺は深呼吸する。

 彼女がした覚悟を思うと胸が痛くなる。

 俺が今から言うことを思うと体が震える。

 俺はゆっくりと口を開いた。


「俺は、宅間伊月は、あなたの何も考えてなさそうでアホっぽいところが好きでした。

あなたのクールで凛としたそのたたずまいが好きでした。

遠慮がなく距離を詰めてくるところが、好きなものを好きと言える勇気があるところが好きでした。

俺のそばにいてくれたあなたが好きでした」

 俺のその言葉に彼女は笑って言う。

「それほんとに私ですか? 矛盾もしているみたいに思うし、他の人に言うやつと間違えたんじゃない?」

「違います、ですが間違えてはないつもりです」

 俺は彼女の目を見てそう言った。

「お断りします。伊月さん、私ではなさそうですし」

「ありがとうございます、本当に」

 俺は深く、彼女に頭を下げた。

 あいつに言えなかったことは変わらないけど、彼女に聞いて断ってもらえたことで俺の心は少し軽くなった。

「今、どのくらい経ちました?」

 不意に彼女がそう聞いてきた。

 そうか彼女は事故からどれくらい経ったのか知らない。

あいつではないから。

「もうすぐお盆、といったところでしょうか」

「そう、じゃあ二週間くらい眠っていたのね」

 彼女はそう言って窓の外を眺めた。

 雲もなく真っ暗な空には、白い半月が悠然と佇んでいる。

 俺には半分のその月とそれを見つめている彼女がとても綺麗に思えた。

 やがて彼女はゆっくりとこちらを振り向いた。

「ねえ、よく知らない君に話すのもおかしな話だと思うんだけど。私、なにかおもしろい夢を見ていた気がするの」

 ニコニコしながら彼女はそう言った。

「起きたとき。私、幸せだったわ」

「――ッ」

 彼女の言葉に思わず息を呑む。

 途端に感情が言葉が溢れ出してしまいそうになる。

 俺はあいつとこの数日間を一緒に過ごし、一緒に遊んで、いろいろなところに行って最後にあいつは……なんて、言ったところでな。

 全部言ったところで迷惑になるだけだろう。

 そう俺は自分を納得させた。

「……それでは俺は帰ります」

 これ以上居たって言うことなんてもうないし。

「そうだ折角だからお見舞いなにか持って帰りなさい」

 そう言って、彼女はお見舞い品の山を指さした。

 漫画と花束が目に止まる。

「いえ結構です。その全てがきっと思いのこもったものなので」

「それもそうね。そういえば伊月君、あなたまた来るかのしら?」

 この人はなぜそんなことを聞いてくるのだろうか、仮にもストーカーに対する態度ではない。

「まあもう来ないでしょうね」

「そうですか、それではまた」

 彼女は少し残念そうに微笑んでそう言った。

「ええ、さようなら」

 俺は彼女に頭を下げ、病室を後にした。


 夏の夜、独りで帰る道は少しだけ寂しく感じた。






 九月一日、と言えば何の日だっただろうか。

 小、中、高校生ならば大抵の人がピンとくるだろう、始業の日である。

 多くの学生にとって、休みは終わるわ宿題は出さなきゃいけないわで憂鬱な日だと思う。

 俺にとっては、と言うと……憂鬱というより絶望である。

 休みが終わるのも宿題をやってないのもまあ少しはダメージを与えてくるがそこまでのものではない。

 では何がそんなにきついかと言うと人からの視線とか態度とかである。

 もともとは別に爪はじき者ではなかったのだが、この夏の自分の行動とそれが噂として広がっていることを考えると、まずいつも通りの平和な生活は送れないだろう。

 本当に俺はこの夏何をやったのだろう。

 残ったものと言えば自分しか映っていないプリクラと、くだらないぬいぐるみぐらいのものだ。

 こいつらを見るとあいつを思い出してナーバスになるので、捨ててしまおうと思ったが、どうにも捨てきれない。

 漫画の四十二巻も気にはなるがなんか買う気が起きない。

 そんなこんなで夏休みの残りはため息とともに過ごしたと言っていいほどため息をはいていた。

 ぬいぐるみを見て「はぁ」、プリクラを見て「はぁ」、足りない四十二巻を思い出して「はぁ」、可愛い女の子を見て「ハアハア」と一生分の幸せを大気中に放出した気がする。

 そんなことを思っているといつの間にやら校門についていた。

 ここからは覚悟して進まなければならない。

 登校ルートでも同級生から軽いジャブは飛んできていたが、ここから先はボディーブローが飛んでくる。

 冗談で頭おかしい人だと言われるのはまだ良かったが、女子に物理的に避けられたり悪口言われたりすると軽く死ねる。

 あと最悪、ガチボディーに物理的な攻撃が飛んでくるのも覚悟しなければならない。

 そういう奴らだ。

 そうでなければ組同士の抗争など起きない。



 歩いていると、悪口は言われそうにないということが分かった。

 ただあからさまに俺の周りに人がいない。

 皆、こっちを横目で見ている。

 つらい。

 下駄箱で靴を履き替え、左に曲がり廊下を歩こうとすると手前に彼女の姿が見えた。

 いつも思うがこの構造はどうなんだろうか、校門から入って二年の靴箱は右側にあるのに二年の教室は左側にある。

 三年はその逆である。

 こんな構造だから彼女とすれ違う羽目になる。

 お互いに歩いていく、徐々に近づいていく。

 向こうは俺に気づいたようで、手を振って「ストーカーさーん」と声をかけてきた。

 ストーカーと呼ばれるのは気に食わないが立ち止まらないわけにもいかないので、立ち止まる。

 彼女との距離は二メートルほどか、彼女も止まって話しだした。

「ねえ、告白する相手には出会えました?」

「もう、会えませんよ」

 俺のその言葉にあいつはにこにこと笑っている。

 いや俺、今結構な爆弾発言をしたと思うんだがなぜ笑ってられるんだ。

 頭イカれてんのか。

「あんな情熱的な告白を受ける相手はさぞ幸せ者でしょうね」

「そうでしょうか、俺は伝えられなかったのだから、あいつは不幸せだったと思います」

 俺はあそこで間違えてしまった。

 取り返しはつかず、あいつは戻ってこない。

 俺はみゆき先輩に軽く会釈し彼女の横を通り過ぎた。

「ねえ伊月」

「なんですか、まだなんかあるんですか」

 彼女にかけられた声に立ち止まり彼女を振り向かずに俺はそう言った。

 俺はイラついていた。

「四十二巻はいつ返せばいい? あとゲーセンで取ったぬいぐるみは――」

「いつでもいいで――」

 そこで言葉が詰まった。

 この人はなぜ俺があの漫画を持ってきたことを知っている!?

 そして俺の持っているままのぬいぐるみのことも……まさか彼女は!

 俺は急いで後ろを振り向いた。

 瞬時に頭を両手で掴まれ、目の前には彼女の顔があった。

 唇同士が触れ合う。

 彼女と目が合うと、彼女は目だけで笑って見せた。

 数秒程そうしていただろうか。

 ゆっくりと二人とも唇を離す。

 彼女の顔が赤い。

 俺も同じだろう、顔が焼けるように熱い。

 周りからすごい数の視線を感じる。

 そりゃそうだ朝っぱらから下駄箱前の廊下でこんなことをしていれば誰だって見るだろうな。

 まあ今はそんなことはどうだっていい。

 確かめなければいけないことが、伝えなければいけないことがある。

「どうやって思い出したんだ!?」

「暇で、漫画を読んでたらなんでか泣いちゃって。気になって最初から全部借りて読んだら思い出したの」

 そんな馬鹿なと思うが、ジャー子が言っているからきっとそうなのだろう。 

 あ、もうジャー子ではないのか。

「で、伊月。熱い告白をどうぞ」

 みゆき先輩はそう言って、こちらに手を差し出した。

「俺は貴女が好きだ」

 思ったよりも大きな声が出た。

 登校時間真っただ中だというのに、静まり返っていた廊下に大きく響く。

 途端に周りに集まっていた野次馬からヒューヒューと茶化すように声やら指笛やらが飛んでくる。

 何やら見知った顔もいるようで、誰かに電話している人もいる。

 やめろ校内はスマホの使用は禁止だぞ!

 俺はとても恥ずかしくなったが、ええいままよと彼女の差し出された手を取った。

「俺と付き合ってください」

「ごめんなさい」

 彼女は今までで一番いい笑顔でそう言った。

 言いやがった。

「いや、なんでやねん」

 ええ、今そういう流れじゃなかったでしょ!

 ほら野次馬どもも解散し始めちゃったよ。

 いや、見られたいわけではないんだけども。

「伊月は生きている私をよく知りません」

 そう言って彼女はもう片方の手のひらも重ねて俺の手を包み込むようにぎゅっと握った。

 その手に伝わる自分のよりも少し低い体温が心地よく感じる。

「うん、まあそうだな」

 そうだな俺は今日、初めて生きている彼女に触れたぐらいだしな。

「私は生きている私をよく見て決めてほしいんです。だから……」

「だから?」

 その後の言葉が気になって聞き返す。

 俺の告白を断った彼女が、真面目な顔で何を俺に伝えようというのだろう。

「……親友から始めてくれませんか」

「図々しいなジャー子」

 反射的にそう返してしまう。

 いや親友から始めましょうってなんだよ。

 始めるには距離が近くないか?

「うわ懐かしっ、その呼び方。あっ、それで返事は」

 返事を返すには少し照れくさいが、今更か。

「……まあはい喜んで」

 俺も少し微笑んで、いやにやけてかもしれないが、彼女にそう言った。

 彼女は笑って大きく頷いた。

 その瞬間、祝福を告げるようにキーンコーンカーンコーンと始業のベルが鳴り響く。

 

 ……うん、祝福とかじゃなくて普通に遅刻だわ、これ。



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