混成獣
一話で五千字ほどを保てるように書きます。更新は不定期です。
0.混成獣
へばりつくような怖気で覚醒した。
――あうあうあうあうあう
「あうあう?」
そして俺も、目覚めた。
……何なんだこれは。
この形容し難い感覚をどう表せば良いのか?
俺と同時に目覚めたヤツがいる。
例えるなら頭がもう一本生えてきて、しかもそいつは当然のような顔で自身の存在を主張してくる。
自分では無い誰かが笑顔で身体を占有する。
被支配。
そんな感覚に近いのかもしれない。
出鱈目な妄想、だが事実だった。
問題があるとすれば突然生えてきた頭の立場に居るのが俺で、しかも本体と言うべきモノには正常な理性が無さそうな所か。
「お前は付属品だ」と突きつけられているような違和感があった。
感覚の根源……左腕を見てみる。
「うぉ……」
あうあぅあう
呻き声。俺ではなく左腕から。
本来ならそこには自分の腕がある筈だった。
俺の左腕……肘から先が血肉の花を咲かせたクリーチャー風の様相を晒していた。
端的に言うと、左腕が化け物だ。
在るべき所にある物は無く、ありうべかざる獣が息衝く。
開閉を繰り返すグロテスクな裂け目から呼気を漏らす度、小さい呻いている。
正直引いた。
ただ、あうあうあうと不気味な音を繰り返すだけで他のアクションがない。
傍から見ればコイツの方が俺に付随するオプションパーツと思うだろう。
異形腕を生やした怪人に見えるかもしれない。
しかし違う。あくまでも俺の存在は下、主体が逆という奇妙な確信があった。
それはなぜか。
こうなるまでの経緯を思い出し、堪らず額を抑えた。
「食われたはずだ……」
思い起こされるは人気のなく暗い街道。
薄気味悪さから幽霊でも幻視しそうな所で俺はこの化け物に食われた。
そもそも何故このような場所にいるのか、気まぐれに普段通らない道を通ったのがひとつ。もうひとつは、よく思い出せない。
ただ繰り返される日常の枠から足を踏み出した、それだけだ。
そして非常識の塊のようなヤツは現れる。
道端の影から突如巨大な■■■が飛び出してきた。
大蛇並のデカさに驚くだけで済めばよかったんだが……残念ながらそいつは■■■に似ただけの怪生物。
丸みを帯びた頭部から裂けるように口を開いて俺を丸呑みにした。
俺は食われた。
俺は咀嚼された。
ドロドロに溶かされ吸収された。
間違いなく死んだ。
なのに俺はまだ生きている。
何故、何故、何故だ。
死の記憶は、ある。
今更になって恐怖が湧き上がってきた。喉が震える。ヒュウ、ヒュウと不規則な呼吸が漏れ、膝は制御が効かず笑っていた。
自己分析ができるようになるまでにかなりの時間を喰った、と思う。時計は無い
そして、俺は今知らない場所にいる。
他の人間は見当たらない。
左腕にくっ付いた化け物だけだ。
俺を食らったはずの相手と繋がっている。
訳が分からない。
思わず頭を抱えようとして躊躇った。左腕の肘から先が、感覚がない。
どうやら言う事を聞かないようだ。
何度も動かそうと試みても失敗ばかり。全く思い通りにならない。
俺の意思では動かせないのか。意思が通らないと言うよりそもそも歯車が噛み合わないような違和感。
同じ体を共有していても俺達の間には心身に齟齬がある。この違いが壁となって、互いの意志を遮断している。
左腕が自由にならないのは不便だ。
だが悪い事ばかりでは無かった。
意思疎通を阻害している壁のお陰で、この程度で済んでいる。
コイツを見ていると湧いてくるたとえようのない"畏れ"
食われた記憶が色濃いせいなのか?
だけど、大丈夫。
捕食者に対する恐怖も、異形を目にした嫌悪も、壁に遮られているおかげで、俺は正常な精神を保てているのだ。
何も問題ない。
左腕が俺に同意するようにあうあうと鳴いた。申し訳程度に左手を模していた化け物が本性を表す。指先が伸びて歪な触手を形成した。
触手が喜ぶようにうねるのを見ていると俺まで楽しくなってくる。
楽しい、とても、楽しい。
触手が頬を撫でた。
気持ち悪かった。
「ふへへ…………なんか変だな」
何が楽しいんだ?
正気に戻る。
俺はどうなってる。
心の壁?なんだそれは。
俺の知識じゃないだろう、これは。
しかも異形の左腕に親近感まで感じていた……。
ギョとして左腕を見た。
コイツと、繋がっているせいか?
肌を舐める怖気が無数の虫となって這い回るさまを幻想し、思わず振り払う。
理解したくなかった。
何が正常な精神だ。既にダメなんじゃないのか――脳裏に巡る悪い予感を振り払うように、深く息を吸う。
左肘がむず痒い。掻きむしって引きちぎりたくなるくらいに。虫の湧いた皮を剥ごう、きっと気持ちいい筈だ。
名案かもしれない。
俺は叫んだ。
「とっ!とにかくここから出るんだッ!」
わざとらしく言葉を発することで左腕から目を逸らしたのだ。認めよう、自分は正気じゃない。
だからこそ直視していられない。
意識を内面ではなく外に向けた。
漸く向けられた、が正しいか。
全く見覚えのない場所だ。
四方を壁に囲まれた狭い空間。化け物に食われた路地じゃない。
一面が滑らかな質感の素材で出来た奇妙な構造の部屋に居る。
出口は正面に一箇所、扉が無い。
本当に何がどうなっているのか、あまりにも突拍子のない現状のせいでか頭痛がする。
まあ、取り敢えず。
「出るか」
外に出れば何とかなるだろうという楽観があった。いや何とかならなければ困る強迫観念が突き動かした。
何かをしなければ這い回る狂気が俺を蝕んだ。
やれやれ、外に出た後にこの辺の住民から通報されないか心配だ。なにせ左腕がこんなだからな。
病院とかに行って門前払い食らったらどうしよう、そもそも保険効くのかコレは?
見当違いな心配をして腕を見た。
左腕を持ち上げる。肘から先は動かせないが、肩は動かせるようだ。虫はいない。
だからなんだという話だが。
グロいな、隠すか?
悲しいな、生憎と手持ちが無い。
俺にあるのは衣服だけだった。
しかも半袖だ。脱げば逆に目立つ。
どうしようもないのでこの問題は脇に置くことにした。
まぁ遠目なら誤魔化せるだろう――そう思い、出口に向かおうとしたところで。
足が止まった。
ちょうど出ていこうとする俺に合わせたように知らない男が出口から顔を覗かせたからだ。急な遭遇に左腕を隠す暇もない。
藍色のフードを被った怪しげな男だ。
男は俺の左腕を凝視すると、顔を上げる。
目が合った。
俺は、
咄嗟のことで何も反応出来なかった。
まさか自分以外に人が居るなどと、思いもしなかった。
馬鹿か俺は何故想像もしない。
フードから覗く顔が歪む。
嫌悪、或いは強い怒りを感じた。
怒っている。
何故?
「♯♯♯……♯♯♯♯♯!!」
問いを発する暇が無い。
理解できない言語と共に男がローブをはためかせた。
そして、翻る藍布の袖から突き出された手のひらには、轟々と燃える赤い塊が現れる。
炎だ。
突然現れた男は手に火球を浮かばせ――それを俺の方へ向けている。
魔法、そんな突拍子のない言葉が頭をよぎった。
同時に膨れ上がる危機感が全身を炙る。
アレをこちらに向けてどうするつもりなのだ。
いいや決まっている。考えろよ俺よ。
間違いなく俺の方へ飛ばしてくるだろう。あまりにも非科学的な予測でありながらそれは正しかった。
炎が凝縮し、強く迸る。
一秒。男が奇声を上げて掌の火球を握り潰した。五つに弾けた火花は瞬く間に拡大し、巨大な炎の花弁となって俺を覆い尽くしてくる。
火で作られた食人植物とでも言おうか、俺を喰らわんと迫る。
また食われるのか?
二秒。迫る炎に俺は横へ身を投げようと試みた。だが捕食されるというトラウマが想起され、加えて部屋が狭すぎることで間に合わない。
部屋全体を飲み込むような炎を前にし俺一人が動き回った程度で回避できないと悟る。
視界のほとんどを覆うそれは炎の壁そのものだ。
三秒。炎はもう目の前だ。唯一熱から逃れられるであろう部屋の出口には男が陣取っており、避けられない。
せめて被害を最低限にと、両腕を眼前で交差させて炎から顔を守ろうとした。だが目に映るのは右腕のみ。
左腕は既に俺のものではなかった。
視界が真っ赤に染まる。
(終わった……)
諦めに落ちた。
四秒。左腕から暴風が巻き起こる。
否、超高速で膨張伸縮を繰り返す左腕による、強引な渦。
本来人の手が届く範囲を容易に凌駕した化け物が、鞭のようにしなる。
そして呑み込まんと迫る炎壁を縦に切り裂き、獣の腕は後方で構えていた男にさえ届いた。
「ぐああああっっ!?!」
男の悲鳴。炎を前にした俺のように避ける間も無かったのだろう。
肩から赤い飛沫が――血が吹き出す。
化け物は止まらない。
俺の左腕という範疇に収まることなく、質量を無視した縦横無尽の打撃を男へ見舞う。
急に動き出した左腕に引っ張られ、俺は体勢を崩さないようにその場で踏ん張った。
男は何らかの抵抗を試みていた。彼が指先を光らせるたび、化け物の変形動作は不自然に歪み、男の体を避けた。
魔法、炎、そして見えざる防御手段。俺には計り知れないレベルの戦闘が目の前で繰り広げられる。
本当に、何がどうなっているんだ……俺に出来ることはもはや、暴れ回る左腕に引きずられないように身を支えることだけだった。
無尽蔵に猛撃を繰り返す異形の左腕と、それを凌ぎ炎を操る男。
俺から見ればどちらも化け物だ。
そうして何も出来ないでいるうちに状況は傾いてくる。
男が扱う防御能力にも限界が来たのか、全く勢いの衰えない化け物と違い、負傷が目立つようになってきた。
僅かな一撃が彼の身体を抉る。
足元には血溜まりが作られ、傍目に見れば瀕死の有様だ。
重傷を負って尚抗う意思は無くなっていない。
「♯♯ッ!」
如何なる言語なのか。男が絞り出すように叫べば火炎が踊り、化け物へまとわりつくように迫り霧散する。炎が効いていない。
光る指先が無数の曲線を描く。
線と線が交わり、重なり、繋がって、ひとつの三次元的な形状を象った。
形は空に溶ける。溶けた輝きが男の身を守護した。
横殴りの重撃は不自然な歪みで逸れ、しかし瞬時に折り返した触手が彼の胴を打ち付ける。
男の体勢が崩れた。
加えて血に濡れた足元が更なる災いを運ぶ。踏み込んだ足が血に滑り、彼はその場で倒れ込んでしまった。
致命的な隙を見逃す慈悲を化け物は持たない。
仰向けに落ちた男の左胸に鋭く伸ばされた触肢が突き刺さる。
波打つ触手。何かを吸い出すように大きく膨らんだ後、倒れた男は既に息をしていなかった。
目の前で人が死んだ。
俺は男の方へ近寄ろうとして自分が地に膝をついていることにようやく気が付いた。
息が荒い……
あまりのショックで意識が飛んでいたのか。
精神的な影響だけでなく、まるで無呼吸で動き回った時のような疲労感が身体をつつんでいる。
「は……はは……」
乾いた笑みが浮かぶ。夢のような事態の認識を脳が拒否していた。これは悪夢か?
左腕が吸い取った何かが身体を伝って入り込んでくる。
染み渡る脈動、それすらどうだっていい。
ここは悪夢だ、悪夢の世界。
俺は無理やり決め付けた。でなければ有り得るものか、左腕が化け物になる?炎の男が襲いかかってくるか!?
「現実的じゃねぇわ」
そうだ現実じゃない、これは夢。
肌を抓る、痛い。毟る、血が流れてきた、もっと痛い。
そういう夢だ。
切り替えなくては。俺はいつだって切り替えて生きていた、気がする。
「あ、で、で出るか、はやく出よう」
残虐な結果で最初の望みは叶っている。ならば行動に移すしかない、そうだろう。
喉が震えた。恐怖、絶望、拒絶反応。制御の効かない震えに呑まれた声は、次第にまともな言葉を紡げなくなってきた。
「は、はは。わからねえ、意味わからん。くそ、あう、あ」
何か喋れ、現実を受け流せ、先の事を考えろ。
気を紛らわせずに、今を直視し続ければ狂う。
目の前で人が死んだという事実から目を逸らしたかった。
殺人の咎から逃げ出したかったら、
左腕がいつの間にか元に戻っていた。
綺麗に左手を型どって、沈黙する。
化け物が暴れ回ったことなど嘘のように。
今のうちにと、げっそりと疲れ果てた身体に鞭を入れて俺は外を目指した。
――バキッ、バキバキッ。
身体の奥から響く異音に気付くことも無く。




