道、燦々
あなたと出会って、今日で丸四年。
当たり前なんかじゃないのに……当たり前のように訪れてくれる、あなたとの欣幸な毎日。
四年経っても、四年経ったからこそ、感謝の想いを募らせる。
「雫、誕生日おめでと。ふふっ、私がお祝い一番乗り♪」
午前零時。私もあなたへのお祝いをしようと口を開くが、何故か視界は寝室の天井を向き……諸々果てた私は午前十時頃、目を覚ました。
「おはよ。二十四歳もよろしくね♪」
「よ、よろしくお願いしま──」
既視感。
深くお辞儀をした筈が、やはり視界は天井を向いていた。
「は、晴さん? その……構っていただけるのはとても嬉しいんですが……」
「出会った日から今日までを振り返ると、愛しくて堪らなくなっちゃうの。ダメ……?」
「……あなたからされてイヤなことなんて、一つもありませんから」
あなたが常々仰っている、“スイッチが入ってしまう”という言葉。子猫の様な瞳で私を見つめてくるあなたに……私も、スイッチが入ってしまう。
あなたを抱き寄せて反転し……赤く火照った顔のあなたを俯瞰する。
それは甘く蕩ける……あなたの味。
「ふふっ……二十四歳の晴さん、貰っちゃった」
あなたで満たされて、あなたしか見えなくて……だからこそ、気が付かないことも多くて……
「二人共お楽しみの所悪いんだけどさ、時間なんだけど?」
「あ、彩ちゃん!!?? ど、どうして──」
落ち着いて考えれば分かることで……今日は十時頃、彩ちゃんがお迎えに来る予定になっていた。
赤面を通り越した私の頬に唇をつけた彩ちゃんは、愛らしく抱きしめてくれた。
「雫、誕生日おめでとう。雫のことを考えるとね、いつも……ありがとう、って思うよ。今の私がいるのは雫のお陰だから。だから雫、いつもありがとう。大好き!」
悪戯っぽく微笑みながら私の唇に重ねる彩ちゃん。何処とない照れ隠し、晴さんに向けてべっかんこうをし、彩ちゃんは寝室の入り口へと小走りした。
「お母さんと車の中で待ってるから」
「彩、私にも言う事あるんじゃないの?」
「……早く支度しな? バーカ♪」
咄嗟に彩ちゃんを捕まえた晴さん。二人仲良くくすぐり合っているので、私もこっそり参加すると、二人からこれでもかと沢山の愛情を貰った。
◇ ◇ ◇ ◇
彩ちゃんの運転で向かうは……どこでしょうか?
誕生日は予定を空けておいてとしか言われてなくて、聞いても彩ちゃんとお母様はニコニコしながらも教えてくれず……
四年前の流行歌を聴きながら山を越え、気が付けば私の実家へと到着していた。
「今日はパパが持て成してくれるんだって。料理とか飾り付けとか私達に相談してくれて、本人なりに頑張ったみたいよ?」
玄関ドアの前に立つお父さんへ向かって走る彩ちゃん。思い切り抱きつくと、控えめに頭を撫でるお父さん。
私達と目が合うと、どこか気まずそうな顔で家の中へ戻っていき……つい、晴さんと笑ってしまう。
そんな家の中は、一月の誕生花の一つであるカーネーションが飾られていて……居間へ向かう廊下の壁には、私と晴さんが0歳の頃の写真が貼られていた。
「どんな気持ちで……ふふっ、飾り付けしてたのかな?」
四年前に叩かれた頬を擦りながら笑う晴さん。
背伸びしてその頬へ私の頬を重ね合わせると……何故か誰かに笑われている気がして、顔が火照っていく。
居間の大きな机には、私と晴さんの好物が沢山並べられていた。一際目立つカレーライスはジャガイモが丸ごと入っていて……“大きければ大きいほど良い”と彩ちゃんが唆したらしく、可笑しくて、でも……温かくて。隣で笑う晴さんの瞳も、私と同じ様に感謝の色で潤んでいた。
◇ ◇ ◇ ◇
食後、彩ちゃんとお母様から素敵なプレゼントを貰うと、お父さんは伽羅を焚いて何処かへ行ってしまった。
その香りに、彩ちゃんは愛らしく首を傾げている。
「へぇ、なんかお洒落な匂いだ。何これ?」
「伽羅という、お香の一種です。母が好んでいまして……入退院を繰り返していた母が家にいる時はよく焚いていて、小学校から戻るとこの匂いがした時は…………ふふっ、胸躍っていたのを覚えています。玄関には母が笑顔で待っていてくれて……いつも力いっぱい抱きしめてくれました。伽羅の香りに乗せられた母の匂いも…………最近は中々思い出せなくて…………す、すみませんこんな話を。せっかくなので彩ちゃんも一緒に──」
言葉と想いを包み込むように……お母様は私を強く優しく抱きしめてくれた。無意識に抱き返してしまい……どこか懐かしいその感覚に、思わず涙が頬を伝う。
「大丈夫、忘れてなんかいないよ。大切だからこそ……雫さんの中に、大切にしまってあるだけだから」
お母様は私の頭を優しく撫で、その後ある場所を指さした。そこからは……スーツ姿のお父さんが、どこかぎこちない動きで現れた。
そのままピアノの前へ行きこちらへ一礼すると…………どうしてか、ピアノ椅子に座りネクタイを少しだけ緩めていた。
「ねぇ雫、お父さんってピアノ弾けたっけ?」
「いえ……相当苦手だったらしく、二度と弾かないと昔言っていましたから……」
盤面に向かうお父さんは、既に額から汗を光らせて……息をすることさえも忘れてしまっている程緊張している様子。
岩のように硬い指使いから始まった一曲。
その選曲と伝えたい想いに……見たことのない必死な姿に、胸がつまる。
譜面上の速さよりも幾分緩やかにしながらも、止まることなく弾き続ける。
ただ、この先訪れる音の調べをどう乗り切るのか…………祈るように、強く強く両の手を握ってしまう。
ふと……お父さんの指先が軽やかになった。
お父さんは驚いた様に一瞬目を見開いて、外から見ても分かる程強く、歯を食いしばっていた。
何かを我慢している……そう思った瞬間、小さく揺れる蝋燭の灯。香る伽羅に乗せられた…………忘れることは無い…………お母さんの匂い。
ピアノ椅子を半分空けて座り直しているその理由に……小さく頷き瞳から溢れないよう歯を食いしばるお父さんに……涙が止まらない。
聴こえるはずの無い声も姿も、私には見えていて…………私を抱き寄せて涙を流す晴さんにもきっと、見えているのだろう。
『龍彦さん、頑張って』
“エドヴァルド・グリーグ作曲 抒情小品集【感謝】”
愚直に進むその道に……視界と記憶が重なってゆく。
【雫、もうこんなに難しい漢字習ってるの? どれも凄く上手に書けてるね】
【せんせいがね、おにいさんおねえさんようのかんじドリルっていうのくれたの。おかあさんはどのかんじがすき?】
【うーん……これかな? “道”っていう字】
【どうして?】
【ふふっ、全部繋がってるから。お父さんが歩いた道、お母さんが歩いた道。その前にはご先祖様が歩いてきた道があって……その道が全部繋がって、雫の道になってるんだよ?】
【そうなんだ……わたしのみちはどこにつながってるの?】
【雫が歩いた分だけ、沢山の場所と繋がるよ。もし歩くのが疲れちゃったら…………お父さんの道を見てみてね】
【おかあさんのみちは?】
【…………お母さんはお父さんと同じ場所にいるから。大きくなったら……ふふっ、思い出してね】
恥ずかしがり屋の父が贈る、言葉なき感謝の標。
最愛の人が寄り添い照らす二人の道は、燦々と。




