恋し恋され八十年
呼び鈴が鳴る水曜日。
エプロンを外し、玄関へ向かう。
「はい、どなた様で…………こんにちは、栞さん。日向さんはまだ帰られてませんが……いかがなさいましたか?」
「ヒナは今日バイク通勤だったから、代わりに私がコレを運んできたの……よっ。じゃ、ヒナのことよろしくね」
「あ、あのこれは………」
「事務所に置いてあったヒナの等身大パネル。新しいの作ったからこれはあげるね。遅くなったけど誕生日おめでと。じゃあね」
初春の嵐。台風一過の居間では、ゆっくりと状況を飲み込む私と昼寝をしているポン助。
等身大パネル…………この髪型と雰囲気は、出会った頃の晴さん……だと思う。
「ふぇぇ……可愛いですねぇ……晴さん……はーるさん。ふふっ、なんだか楽しくなってきちゃった。晴さん大好き♪ 好き好き」
こんな風に素直になれたら、もっと好いてくれるのだろうか……
このパネルなら大丈夫だけど……出会った頃から今日まで、キスをする時はいつだって心臓が飛び出そうな程緊張してしまう。私の肩が震えて……少し手を握りしめるとあなたは優しく微笑み、緊張を解すように私のおでこに唇を付け、その後キスをしてくれる。
唇が離れゆく景色、あなたの美しい瞳と少しだけ赤く染まった頬がいつも私の目に焼き付いている…………考えただけでドキドキしてきた。
……せっかくだし、このパネル晴さんで練習をしよう。少しでも慣れて……もっとキスしたいから。
背伸びをして漸く届くあなたの唇、強まる鼓動。
……頑張れ雫、もっと恥ずかしいことを毎日してるじゃない。
………………色々と思い出して赤面してしまう。
「ふふっ、パネルに向かって何してるの? にらめっこ?」
「いえ、キスの練習をと…………は、晴しゃん!? い、いつからいらして……」
「ふぇぇ可愛いですねって辺りからかな?」
「さ、最初からじゃないですか!!?」
「いくら私のパネルでも嫉妬しちゃうから、練習なら私でして?」
「そ、それはもう本番なのでは……」
「いいのいいの。さ、どうぞ。晴ちゃんの唇空いてますよ?」
「あ、あ……その……え……」
可愛い……好き……恥ずかしい……キス……唇……好き……好き………………
「ふふっ。フリーズしちゃった」
結局、キスをする時に緊張してしまうのは何年経っても治らなかったけど……でもそれは、何年経ってもあなたに恋をし、ときめいている証。
それから……キスをする時にあなたの頬が赤く染まる景色も、何十年経っても変わらなかった。その理由に気が付いたのは随分後の話で……嬉しくて年甲斐もなく鼻歌交じりのスキップをし、あなたに見られ優しく笑われ……頬を赤く染めたあなたは、私にキスをしてくれた。




