どたばた子育て記
がさがさ、と木々や茂みをかき分けながら1頭のゴブリンが汗だくになりながら走っていた。何かから逃げるかのように。
森に入った時、妙な違和感があった。何かが後をつけているような、そんな感覚。それが確信に変わったのはすぐだった。後ろから聞こえる足音が明らかに自分を付けてきている。付かず離れず。そんな一定の距離を保ちながら、一体誰が……。いつもなら、付けられていようが問題ない。しかし、今日はそうもいかない。今日は我ら魔族にとってとても大切な儀式がある。
殺してもいいが……今のところ相手がどんな力を持っているのか分からない。下手したら返り討ちに合う可能性もある。それに……自分の持っているものは儀式に必要不可欠なものだ。ここで死ぬわけにはいかない。だから、走って逃げ切れたらいい、そう思っていた。しかし……速い。なんて速さなんだ。追い付かれないようにするのが精一杯じゃないか。
流石にいつまでも走り続けているのも疲れた。周りからは見え辛い岩の隙間にもたれ掛かり呼吸を整え、ひっそり呟くように
「……まだ追いかけているのカ……?……このままでハ……「あの御方」は――」
「あの御方?」
不意に、正面から声が聞こえた。そんな馬鹿な。距離はまだあったはずだ。一体どうやって……いや、そんなことを考えている場合じゃない。どうにかして、こいつを「あの場所」から遠ざけなければ……それとも、ここで仕留めるか……。
「ねえ」
「な、なんダ……」
「あんたって、ハイゴブリンだよね。この地域でハイゴブリンの群れは確認されていないはずなんだけど」
気だるそうに言う黒髪の少女は、髪をかきあげながら深くため息をついていた。その少女の姿を見たゴブリンは大層驚いた。てっきり、屈強な戦士やアサシンに追われているのかと思っていたからだ。
少女は鎧などの防具は身に付けておらず、細い手足は少しでも力を入れたらへし折れそうだ。なんだ、こんな小娘だったのか。これなら、ここで始末してしまえば全て解決だ。ついでに「あの御方」への生贄にしてしまおう。それがいい。こればいい土産が出来た。ゴブリンはニタリと口角を上げ手に持っていた棍棒を構えて少女を見据えた。
「…………」
少女は無言で、じっとゴブリンを見詰めている。武器も手に持たず、だ。恐怖で動けなくなってしまったのか、それとも、戦意喪失したのか。だが、もうそんな事はどうでもいい。ゴブリンは構えていた棍棒を握る手に力を入れ、自身の頭上高く振り上げた。
「じゃあナ小娘。オレを追ってきたことが間違いサ。自分の無知を怨むんだナァ!!」
振り上げられた棍棒が少女の脳天目掛けて振り下ろされる。しかし、少女は微動打にしない。(やった)ゴブリンはそう思った。