白昼の狂乱
とても深い眠りだった。
瞼に陽の光を感じて、目を覚ます。
「知らない天井だ…」
ベットの天蓋の豪華さに、私は怯えた。
「おはようございます、姫様。」
ベンジャミンがノックもせずに入ってくる。
「おや、もう起きていらしたのですね。
アーリーモーニングティーになります。温かい内に、どうぞ。」
「おはようございます。ベンジャミンさん。
あの、お部屋はノックしていただけると…」
キュッとベンジャミンの片眉が上がって、私は少しだけ怯む。
「私の事はベンジャミン、とお呼びください。」
優雅な仕草で紅茶をティーカップに注ぎ、差し出される。
「あ、はい。」
本日も彼のスルースキルは快調のようだ。
今日も昨日と同じく、厳しい躾が待っているのだろう。
暗い顔で朝食の席に着く。
「背筋!」
「はいっ!」
気を抜くとこうなる。
今日のスケジュールをベンジャミンが横で読み上げる。
しかし昨日も思った事だが、やはりパンがとても美味しい。
「あの、このパンは自家製なのですか?」
話の隙間に、気になって仕方なかった疑問を滑り込ませる。
「あぁ、それは彼が毎朝作ってるものですよ。」
奥でオリバーが軽く会釈をする。
彼はやはりシェフだったか…
衝撃の事実と共に、「美味しかったです。」と笑顔で食事を終えた。
「今後、大学は単位が取れる必要最低限の出席だけにしていただきます。
勉学は家庭教師を雇いますから、テストやレポートなど問題ないでしょう。
基本午前中を勉学の時間とします。通学のスケジュールなどは私の方で予定させていただきますのでご心配なく。
残りの授業料は一括で支払いが完了しておりますから、そちらもご心配無用です。
また後ほど転居届けなどの手続きも行いますので、委任状のサインだけお願いします。」
「え、ベンジャミンさん、ちょっと待って…」
何かすごく気になる事をこの人言った。
「ベンジャミン、です。」
「ベンジャミン、すみません…
学費を支払った、と聞こえたんですが?」
「えぇ、貴女のお父上が。ご自宅のローンも支払ったようですが。」
「は?」
今まで会った事もない、存在すら知らなかった父親が、こちらに確認もせずいきなり金銭面を解決していくとか何事か。
「あの、父と話がしたいのですが。」
お礼はもちろん、文句も言ってやりたい。
母がどれ程の苦労の末に捻出していたか、教えてやりたい。
「感謝の気持ちなら、イギリスでお会いした時でもよろしいでしょう。」
ベンジャミンは澄ました顔で会話を流した。
喜ぶどころか、怒りを覚えるとは、とんだ跳ね返りですね。
そう、口の中で呟き、苦笑いをした。
◆ ◆ ◆ ◆
「ベンジャミン」
「ルカ、姫様なら今勉強中です。邪魔をしてはいけませんよ。」
「わかってる。」
ルカは少し、むくれる。
「アブソリュートの話はしたのか?」
「いいえ、今はそれどころじゃないですからね。
それに、あの力なら使わせなければ何ら問題はないのです。
それこそ、ルカ、貴方にかかっていますよ。」
「…わかってる」
「まあ、折りを見て説明はしますがね。
…このまま何事もなく一年が過ぎれば良いのですが。」
ベンジャミンが窓の外を見る。雲が多く、雨が降りそうだ。
「姫様の湯浴み用に花を摘んでおかなくちゃ!」
ベンジャミンにつられて外を見たルカが慌てる。
「君のそうゆう所、姫様は気持ち悪がっておいでですよ。」
「……」
彼にはそんな自覚がなかったのかもしれない。
ショックを受けながらも花を摘みに出ていくルカを見送った。
「一雨来ますね。」
忙しげに、しかし優雅に執事はその場を後にした。
◆ ◆ ◆ ◆
外で雷が鳴っている。
どんどん近づいてくるようだ。
今は家庭教師の桜さんとティーブレイク中だ。
久しぶりに日本人に会った気がして、なんだか嬉しい。
「杏さんは、普段からちゃんと勉強しているようですね。
基礎がしっかりしているので、教える方も楽です。」
真面目そうで、静かで、常識的で、落ち着く。
ルカとは大違いだ。アイツは一緒にいると正直疲れてしまう。
「ウォーキングとか、マナーは全然駄目だって怒られますけどね。」
「いきなり淑女修行とは大変ですね。」
席を立った桜さんが、ふらりと窓辺へ寄る。
「そうなんですよ、ん…?」
私も自然と窓から外を見ると、何か、向こうで光が反射するのが見えた。その瞬間。
ーーパンッーー
何かの炸裂音がして、突然窓ガラスが割れる。
「きゃぁっ!」
咄嗟に頭を守るが、腕にガラスを受けて傷がいくつも出来る。
「一体何が…!」
窓を振り返ると、そこには見知らぬ男が窓に足をかけ、今まさに部屋へ踏み込まんとしている。
「だっ、誰?!桜さん逃げて!」
桜さんを視線で探すと、床にへたり込んでしまっている。
「む、無理…腰が抜けて…っ」
蒼白の顔で、目に涙を浮かべているのが分かる。
「お前がアブソリュートの女か…」
そう、この前の暴漢も言っていた、その言葉。
「それ、私の事?私はそんなの知らない!」
「知らない?それは好都合だな。扱いやすい!」
男は部屋へ入り込み、素早く私の腕を捕える。
「目標は確保した!後は全員殺しちまえ!」
イヤホンマイクに向け、そう叫んだ。
私の顔に冷たい汗が流れる。他にも仲間がいるんだ!
「やめて!」
「姫様!」
声のする方に目を向けると、窓からルカが飛び込んでくる。
騎士!ピンチに!窓から!
しかも手に花とか持ってるぞー湯浴み用にとかで摘んでやがったな!
「その方を離せ!」
彼の右手に剣が出現する。
左手には花を持ったままだ。何から声をかけていいのか、迷う。
「別に殺しはしないさ。」
男が不敵に笑う。
「この女だけは、な。」
「ルカ!こいつは他にも仲間がいるのよ!」
言うが早いが、窓からもう一人飛び込んでくる。
その勢いのまま、ルカの背中に突っ込んだ。
ルカと暴漢、二人がもつれて床を転がる。
「ルカ!」
「お前は大人しくついて来い!
抵抗するなら死なない程度にいたぶってやる!」
腕を掴まれたまま、座り込んでいた私は強引に引き上げられる。
その男の恫喝に背筋が凍え、唇がわなないた。
怖い。怖いよ。でも。
「誰が!あんたなんかに!」
侵入口である窓へ向かおうとする男の腕に爪を立てる。
「姫様、少々屈んでいただけますか。」
後ろから涼やかな声が聞こえる。
「何しやがるこのアマ!」
咄嗟に腰を落とした瞬間、振り返り様の男の額に「ストッ」と軽い音でナイフが突き刺さる。
「……っ!」
「姫様、こちらへ。」
息を飲んでへたり込む私を、ベンジャミンが抱え上げる。
「だめ、桜さんが!ルカが!」
窓からもう一人、入り込んで来るのか見える。
「姫様!こちらは構わずお逃げください!」
馬乗りにされたルカが相手の刃をギリギリに避ける。
「私達には、貴女以上に優先するものなど他にないのです。
それに、ルカなら大丈夫です。」
否応無しにその場から連れ去られる。
「っ…ルカっ!!」
私から、かつてない程の大きい声が出た。
「頼んだわよ!!桜さんを!貴方も!どうか無事に!!」
もうその姿は見えない。
祈るように震える手を組んだ。
「レディーはそのような大声を出してはなりません。」
ベンジャミンのお小言は、こんな時でも健在だった。
◆ ◆ ◆ ◆
ベンジャミンが杏を連れて行くのを見届けて、騎士は手の剣を一旦消失させる。
彼女の言葉が辺りに響いた。
「お任せください…!」
騎士は口の中で呟いて、馬乗りになっている男を渾身の力で押し返す。
良くない事にもう一人侵入者がいて、そいつが振り下ろした刃を床に転がりつつ避けきった。
「お前達、聞いたか!」
素早く立ち上がった騎士は快活に笑う。
「姫様が私に命を下された!そうなれば貴様等は敗北以外に道はないのだが…」
左手に収めていた花の束を、そっとテーブルに置く。
同時に先ほどの剣を再び出現させ、構えを取る。
「どうする?」
輝く目で不敵に笑う。力が湧いて、負ける気がしない。
「姫様を頼むぞ、ベンジャミン。」
襲いくる男達を迎え撃つべく、その脚はしなやかに跳躍した。
◆ ◆ ◆ ◆
「ベンジャミンさん、いやベンジャミン!
敵は複数いるらしいのです!このままだと…」
「この状況で名前を言い直すとは、さすが余裕をお持ちですね。
大丈夫ですよ。我々はルカを筆頭に、医者を除いて全員戦闘員ですから。」
それを聞いた瞬間、あのコックがすぐ頭に浮かんだ。
やっぱりね、あの人メチャクチャ強そうだもん。そっちの方がしっくりくるってゆうか。
「ベンジャミン様、遅くなりました。」
ヴィオラがメイド服をたくし上げながら駆け寄ってくる。
「状況は?」
「敵は十数人。今オリバーが外で陽動に出ております。
雨も降り出しており、離脱には丁度よろしいかと。
退路も今なら確保できます。」
昨日私が見た、笑顔の素敵なヴィオラと同一人物に見えなくて瞠目する。
一気に緊張が高まった。
「好機ですね。ではヴィオラ、姫様をお連れして離脱なさい。
私は害虫の駆除に戻ります。
姫様、また後程。」
ベンジャミンは抱えていた私をそっと床に降ろし、優雅に礼をして踵を返す。
「待って!」
「姫様、走ります!」
すかさずヴィオラが私の手首を取り、走り出す。
「どうして?!どうして襲撃されているの?
それに多勢に無勢じゃない!皆やられてしまう…!」
走りながら、また身近な人間を失うかもしれない恐怖に襲われる。
「大丈夫です。姫様が思っていらっしゃるより、私達は柔に出来ていませんわ!」
通路へと踊り出してきた敵に、ヴィオラはとても速い反応で短刀を投げる。
一撃で急所へ入れたその腕の良さに、これは私夢を見ているのでは?と疑問を持ち始める。
「大丈夫って、皆それしか言わないじゃない!」
「姫様、不安なお気持ちは分かりますが今は、」
「お〜い!」
聞き覚えのある声が背後から聞こえ、咄嗟に二人で振り向く。
「ヴィオラぁ〜置いて行かないでぇ…」
ヘロヘロになって走る医者が見えた。
「アルフィー様!いの一番に逃げたのかと思っていましたわ!」
「燃やされたら困る研究資料や薬品があるんだよぉ…」
息を切らしながら、パンパンに膨れたボストンバッグを抱えて走っている。
ヴィオラが呆れたようなため息を吐いた。
「や、やあー姫!ご無事で何より!
さぁ逃げよう!脱兎の如く!」
なんだか気が抜けて、頭が冷静になる。
そうだ、今は皆を信じる他ないのだ。私に出来る事は、全力で逃げる事。
「ごめんねヴィオラ。頭が冷えたよ。
逃げよう!」
ヴィオラの手をそっと解いて「一人で走れるぞ」とアピールをすると、ヴィオラは満面の笑みを見せた。
「はい!ではお二人共、私に着いて来てください!」
大急ぎで廊下を抜け、裏口から外へ出る。前が煙る程に大雨が降っていた。
邸の正面の方から、何か派手な音が聞こえる。今頃男性三人で応戦しているのだろう。
無事を祈りつつ、獣道のような細い道をかける。
「大丈夫、きっと大丈夫…!」
私は何度も繰り返して、自分に言い聞かせていた。