表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
ゴーストインザヘッド  作者: 似栖一
幕間
44/60

廃工場 - 2

 浅霧アオイはその日、二人の男に廃工場へと連れ込まれた。強引に引きずり込まれたといってもいい。

 廃墟と呼ぶに相応しい朽ちた工場は、雨の降る黄昏時に怪しく佇んでいた。

 外周部を囲う金網フェンスはぼろぼろになっていた。大柄な男が蹴りつけるだけで容易に崩れ、すぐに人が通れるほどの穴が開いた。

 錆と、(かび)と、薬品のようなもの。それらの臭いががバームクーヘンのように堆積する工場の奥の一室。冷たく、汚れた床に、アオイは投げ出されるように引き倒された。すぐに仰向けにされ、腕を押さえつけられる。

 工場の奥には街灯も届かず、灯りといえば男たちが持つスマートフォンだけだ。すぐ隣にいる人間の表情さえ、闇は覆い隠している。だから抵抗し、悲鳴を上げるアオイが暗い虚のような目をしていることに、男たちは最後まで気づかなかった。


 下卑た顔で圧し殺した嗤い声を上げながら、男たちはアオイの懐をまさぐる。ポケットからスマートフォンと、財布と、生徒手帳を取り上げられる。男の一方がアオイのスカートを脱がせ、ブラウスを捲り上げ、腹に生徒手帳を開いて置いた。スマートフォンのカメラでぱしゃり、ぱしゃりと写真を撮る。()()が終わった後もこの撮影会は開かれるのだろう。それらはまとめて脅しの材料となるのだ。

 役割分担といい手際といい、男たちは妙に手慣れている。きっとこの周辺が、男たちの〝狩場〟なのだろう。アオイの前にもたくさんの少女がこの獣たちに捕食されたのだ。

 だが、蟲を喰らう蛙が蛇に捕食されるように、よりヒエラルキーの高い存在からすれば肉食動物とて餌に過ぎない。この自然の摂理に、自分たちが餌に過ぎないことに、男たちはまだ気づいていなかった。


 一先ず写真に満足したのか、男たちはかろうじて抑えていた本能を曝け出す。一方が抑え込む力を増すと、もう一方が制服のスカートを捲り上げ、ブラウスのボタンを引きちぎるように外す。あられもない姿となったアオイに、男が伸し掛かってきた、そのときだった。

 ぱきり、と何かが砕け、乾いた音を立てた。その音は大げさなほど響き渡り、男たちの耳にも確かに届いた。そしてそれは、風のない工場の中、アオイたちがいる部屋のすぐ外から聞こえてきた。


 粘つくような静寂が廃工場を支配した一瞬の後、アオイに覆いかぶさっていた男が苛立ちを隠そうともせず身体を起こした。

「誰かいるのか!?」

 威嚇と怒気を多分に含んだ声を上げながら、男は立ち上がりアオイから離れていく。


 このときのアオイの心中は――興醒め一色だった。

 声を上げ、抵抗を激しくする。そんなか弱い少女の演技をする。それでも力及ばずに暴虐を受け入れた、獣欲を纏った男がそう確信した瞬間に殺す。首を掻き切って殺す。腹を貫いて殺す。胸を引き裂いて殺す。それが、アオイにとって何よりの楽しみだった。

 壁の奥の誰かが逃げ出すにせよ立ち向かうにせよ、男たちは狩場が発覚した焦りに囚われ、先程のような余裕を持ってはくれないだろう。それではだめなのだ。泣いても叫んでも助けは来ない。時間も充分ある。そんな余裕と慢心を抱いた男たちを、ゴミのように殺したかったのだ。だからアオイは山道で、廃墟で、あえて到底逃げられないような環境で、狩られる役を演じてきた。望まれぬ侵入者の存在は、アオイの興を削ぐのに十分な役目を果たしていたのだった。

 アオイは溜息を吐くと、自由な脚をめいいっぱい振り上げた。白い脚が弧を描いて男の頭に吸い込まれ、べきゃり、と嫌な音を立てた。押さえつけていた力がふっと抜け、頭蓋骨が陥没した男がうつ伏せに倒れる前にアオイは立ち上がった。

 そのまま背中を向けて歩いているもう一人の男に音もなく忍び寄ると、右脚を水平に繰り出した。居合抜きのような鋭い蹴りは、男の側部に当たっても勢いを止めることなく反対方向へと振り抜かれる。

 悲鳴すら上げる間もなく、どちゃり、と重く水っぽい音を立てて男の上半身が床に落ちた。数瞬置いて下半身も倒れ、それぞれから零れた血と内臓が耐え難い臭気を発する。

 しかしアオイは表情を変えることなく、まるで同級生に挨拶をするような気安さで入り口の方へと声を掛けた。

「もう大丈夫だよ。出ておいで」

 一秒、五秒、十秒と時が過ぎても、アオイの呼び掛けに応えるものはない。だが気配は確かにある。そして三十秒ほど経ったとき、部屋の入口からそろそろと顔を覗かせる人影があった。

 完全に近い闇の中でも十全な視力を発揮できるアオイは、あどけない顔立ちをした少年を視界に捉えた。

「君はなんて言うの? 私は浅霧アオイっていうんだ。浅い深いの浅に、水蒸気の霧、片仮名でア・オ・イ」

 親しげに話しかけながら、アオイは少年に向かって一歩、一歩とゆっくり歩を進めていく。

 あれだけ強く降っていた雨は、いつの間にか上がっていた。高い窓から差し込んだ僅かな月明かりが、少年の目にアオイの姿を映し出した。しかし瞬間、少年は焦ったように顔を伏せた。

 アオイは少年の挙動に首を傾げたが、自身の格好を見て合点がいった。ブラウスははだけ、スカートも履いていない。

 なんともいえない表情を浮かべ、アオイは言った。

「ヒーロー君が来ないから、ヒロインが頑張っちゃったよ」

 ぺろり、と舌を出し悪戯に笑う。そのわざとらしい表情の奥に視線を向け、充満した臭いを吸い込み、少年――律はようやく気づいた。男たちがどうしてやってこないのか。男たちがどうなったのか。

「あ、え……?」

 だが到底理解が追いつかない。目の前の少女と、奥の男たちだったモノを結び付けられない。それを察したのか否か、アオイは振り返り、背後に転がる男の腕を無造作に掴んだ。そのまま引きずると、べったりと床に赤黒い染みが残った。

「じゃーん!」

 両脇に手を入れ、アオイは出来の悪いマネキンのようなそれを見せつけるように持ち上げる。律の目の前で、男の臓物がぼとぼとと零れ落ちた。

 あまりの光景に、律は気を失わないだけで精一杯だった。張り付いたように渇いた喉からは、ひゅーひゅーと間抜けな音だけが鳴り続ける。

「ちょっと、なにか言ってほしいんだけど。ほら見て、握手」

 にっこりと笑ったアオイは、ばきり、と音を鳴らしまるで人形のように男の腕を引き抜いた。それを見た律の制服のズボンに、黒い染みが拡がっていく。今しがた引っこ抜いた腕を突き出され、律は歯を鳴らしながら這いずるように後退りする。

 男の手を避けた律に、アオイは途端につまらなそうな表情になる。だがすぐに優しげな微笑みを貼り付けると、言った。

「君は悪くないよ」

 その言葉に、律は安堵したような表情を浮かべた。浮かべてしまった。

 ――()()は、そんな感情を蹂躙するのが何よりの楽しみだった。

「でも見られちゃったしなあ。まあ私が自分で見せたんだけど。けどけど、お楽しみを邪魔されちゃったしなあ。うーん」

 考え込むような素振りをするアオイだが、しかし判決はとうに決まっていた。

「やっぱダメだね。死刑!」

 男の上半身を無造作に放り捨てたアオイは、同じ微笑みのまま、律に向かってすっと手を伸ばす。あまりに自然な動きに、防ぐことも、避けることも出来なかった。そのまま流れるような動作で首を握られる。ひやりとした感触を律が感じたのも束の間、ぎりぎりと万力のような力で締め付けられた。

「なっ……!」

「絞首刑~」

 アオイは陽気に告げると、握った手に更に力を込めた。そして教科書が詰まったリュックを背負ったままの律を、片腕で持ち上げた。少年の身体がぶらりと吊り下がるその様は、まさしく絞首刑のようだった。

「あ、ぐッ……!」

 律を持ち上げる少女は、狂ったように声を上げて嗤う。

「あはははははっ! あっははははははっ!」

 少女の笑い声を聞きながら、わけのわからぬまま律の意識は遠退いていき、やがて途絶えた。


 *


 げほげほと咳き込む音に、律は意識を取り戻した。

 それが自らの喉が発したものだと気づき、律は自分がまだ生きていることを知った。

 霞んだ視界から必死に情報を取り込む。硬い床、鉄錆のような臭気、差し込む月明かり。視線の先に男たちだったものが転がっていることからも、律はまだ、意識を失う前と同じ廃工場の中にいることがわかった。

 ゆっくりと上半身を起こし、身体の動作を確かめる。首元に強い痛みはあるが、動けないほどではない。

 立ち上がった律は、もう一度室内を見回す。浅霧アオイと名乗ったあの少女の姿はない。そのことに安堵した律だが、妙に呼吸が苦しいことに気づいた。

 首を締められたせいもあるかもしれない。しかし時折鼻を掠める嗅ぎ慣れぬ臭い――死体の発する臭気以外の臭いに嫌な予感を覚えた律は、早足で廊下部分へと出る。


 燃えていた。工場の奥が、天窓の外が、炎に包まれていた。

 どうして? そんなことはわかりきっている。証拠隠滅のためなのか、あの少女が工場に火をつけたのだ。パニックを起こしかけた頭とは裏腹に、自然と律の足は外へと向かっていた。ガソリンかなにかが撒かれているのか、火の回りは速く、激しい。これだけ燃えていたら骨も残らないかもしれない。

 だが幸いなことに、律たちがいた部屋のように、まだ火の手が届いていない箇所もあるようだ。ポケットから取り出したハンカチを口元に当て、律は廃工場を駆ける。

 やがて建物の外へ出た律は、入ってきたのとは別のフェンスの狭間から転がるように脱出した。


 工場から十分に離れたところで、律は倒れ込む。絞め落とされ、焼き殺されかけ、多少なりとも煙を吸った律の意識は限界が近かった。ぐるぐると回る視界の中、男たちの遺体か、せめて身元のわかる持ち物を運び出しておくべきだっただろうかなどとぼんやり考えたとき、脳裏にあの少女の声が響いた。


 ――見られちゃったしなあ。


 途端、全身が痙攣したように震えが止まらなくなる。

 あの少女を警察に通報する。それが生き残った律のできる最善だろう。しかし殺人事件として警察が動き出したことで、()()()()()()()()()と、どこかであの少女に知られてしまうかもしれない。

 自分が生きていることを知られてはならない。震える身体を押さえつけながら律は思った。再びあの少女に出会ってしまったら、自分は間違いなく死ぬ。律の中には恐ろしいほどの確信があった。


 無理やり立ち上がった律は、朦朧とした意識のままに家路を急いだ。

 集まってきた消防車のサイレンも、律の耳には届かない。

 安全な場所へ、身を隠せる場所へ。あの少女から逃げられる場所へ。


 悪を討ち、罪を(あば)く漫画のヒーローならば、復讐を誓って奮起するのだろう。

 だが律は今日の出来事を閉じ込め、厳重に封をしてしまい込む。少女(アレ)を野放しにすることで、きっとこれからも被害者(えもの)は増え続けるだろう。だが、それがたとえ罪だとしても、律には立ち向かう力も、誰かに話す勇気もなかった。

 律の心はただ、恐怖の色だけで染められていた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
よろしければ評価・投票頂けたら嬉しいです。

小説家になろう 勝手にランキング

ツギクルバナーcont_access.php?citi_cont_id=751252755&s

1394006.gif 1394006.gif

「小説家になろうアンテナ&ランキング」

小説家になろうSNSシェアツール


※表紙(風)画像は自作です。
使用素材(順不同)フォント:源ノ角ゴシック/イラスト:遥彼方様(イラストAC)/背景:めぐ。様(イラストAC)
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ