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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

その日初めて僕は愛に気付いた。

作者: 桃芳亜沙華

 泡沫の幸せは終わりを迎えた。

 否。これは終わりではない。こうして胸に宿る満足感に、吐息が漏れた。


 同時に、口の中には鉄の味が広がる。



 まるで喧騒の如き称賛。その中心に居る者は今にも泣き出してしまいそうだ。


 いつかは訪れる結末。

 けれど、贅沢を言うのならもう少しだけ……もう少しだけ、後に訪れて欲しかった。




 ------

 ----------




 いつの日か、雪の中に行き倒れていた少年を助けた。

 その日は特上の酒が手に入り、気分が良かった。きっと、そうでなければ見向きもしなかったであろうそれに、私は手を伸ばした。



 まだ幼さの残る少年は、この寒さの中をこの薄着のみで出歩いていたようだ。冷えきった少年の体は、酔い火照った熱を冷ますのに丁度よく、また心地よかった。


 翌日、目が覚めると隣に聞こえる呼吸音に警戒したものだ。

 自分から寝床に酔って連れ込んだのを思い出したのは、すぐだったが。



 薄暗い洞穴に、灯る火が揺らめく。



 これで凍え死ぬ事はなかろう。

 折角の気まぐれだ、簡単に死んでしまっては味気無い。



 洞穴に未だ目覚めぬ少年を残し、この足は山を駆けた。




 翌日。

 食事を終え洞穴に戻ってみたが、少年は未だに目覚める様子は無い。

 生きてはいるようだが、意識は無い。


 飽きたな。


 少年を背負い、里の近くへと捨てた。



 この気まぐれが、この先の自分を大きく変える事になるとは夢にも思わなかった。

 当然だろう。私は魔のモノ。少年は何の変哲もない人間だったのだから。取るに足らない存在程度にしか思わなかった。



 それから季節が過ぎ、雪は溶け、新緑が芽吹く頃にその少年は再び洞穴へと戻ってきた。


 私の顔を見るなり、あろう事か安堵の表情を見せたのだ。

 先日の礼が言いたいとのたまう。



 あれはただの気まぐれだ。

 そう言い捨て、少年を追い返した。



 また、季節が一つ変わった。

 追い返した少年がまた洞穴へ来ていた。


 籠いっぱいの食料を差し出し、助けられた礼だと言う。


 再び追い返そうとしたが、それだけを置くと少年はすぐにこの場を立ち去った。



 その日、初めて人間の食物を口にした。



 また、次の季節にも少年はこの洞穴に訪れた。

 前回と同様に食料を持って。


 少年は純粋な目をして問うた。

 どうして人里離れた場所で暮らすのか、と。



 いずれ分かる時が来る。

 答えを返さぬまま、少年はこの場を立ち去った。




 それから、幾度と無く過ぎる年月に、季節が変わるたびに少年は私の元へと訪れた。

 いつしか、滞在する時間は増え、言葉を交わし、同じ釜の飯を、食い、それが新たな季節の始まりの証となっていた。


 少年は語る。人の世を。

 私は語らない。魔のモノを。


 けれど、自然に、少年は私の日常の中へと溶け込んでいった。





 ある時、待てども待てども少年は来なかった。

 季節はとうに過ぎたのに、その姿を見ることは無かった。


 つまらない。


 純粋に、そう思った。



 次の季節、少年は再び姿を現した。

 どうやら少しこの地を離れていたようだ。


 少年は嬉しそうに語る。見習いではあるが、憧れであった騎士になれたと。



 それからはまた、同じような日常が過ぎていった。

 季節が変われば彼が来る。


 そういった、日常だった。





 平穏とは突如として崩れ去るものだ。


 ある時、少年は言った。

 この辺りに凶悪な魔物が居る、と。


 私は何も答えなかった。





 食事をするにも、山の近くでは気も乗らず、少し離れた所へとやってきた。

 だと言うのに何故。何故、少年がここに居るのだ。

 視線が重なり、時間が止まったかのように思えた。


 人の姿ではない私を、少年の前に晒してしまった。

 醜悪なその容貌を、魔のモノとして人間を襲う姿を、人間を喰らう姿を晒してしまった。



 逃げるように、洞穴へと戻った。








 それから少年は姿を現さない。

 当然だ、私は人間を襲う化け物なのだから。


 しかし、どうした事だろうか。

 どうして、こんなにも胸を焦がしてしまうのだろう。





 少年が姿を現した。

 否。群がる人間の中に、少年の姿を見付けた。


 討伐隊、というやつだろう。

 その中に、少年は居た。


 そうだ。それでいい。お前は人間なのだから。



 もはや逃げ場はない。逃げる気もない。

 だが、無抵抗で殺されるわけにもいかない。


 そうだな。

 この身を有象無象に辱められたくはない。


 群がる人間は次第に骸となり地に伏せる。

 数を減らす人間の中から一人が飛び出し、迎え撃とうとした。


 動けなかった。


 胸に深々と突き刺さる剣が、私の敗北を決定付ける。



 人間の勝ちだ。

 動きを止めた私に、幾重もの刃が突き刺さった。


 ああ。どうして、君は……そんなに泣きそうな顔をしているんだ。



 ------

 ----------



 名前も知らない怪物はもう動かない。

 語らない。


 もう、何も語らない。


 怪物の骸は、ただ、ずっと、最後まで僕を見据えていた。


 優しくて、儚げで。

 とても愛おしい目で僕を見据えていた。




 称賛なんていらない。

 僕は英雄なんかじゃない。



 大切な人すら守れなかった、ちっぽけで弱い存在だ。

 あろう事か、命の恩人をこの手にかけたのだ。


 こんなものが、正義であってたまるか。




 事切れた怪物を抱きとめた感触だけが今もずっと、僕の手の中に残り続けている。

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