【9】
「重ね重ねすみません!! 」
言うやいなや、さやかは出入口を探した。
ごめんなさい、説明はちょっと待って下さい!
せめて脱衣所出るまでは待って下さい…!!
手近にあったドアへと滑り込み、勢い良く閉める。
そこは、もわっとした湯気が立ち込めていた。
うっかり『礼』などと口にしてしまったものだから、此度三度目の突撃をかました。
入浴後の、レイに。
腰まである白銀の髪はしっとりと濡れており、まさに水も滴る何とやらだ。
見てません、断じて見てませんとも。
(大事なところだけは…!!!)
形の良いお尻は…っていやいや、何を思い出しているのだろう。
変質者認定なるものが存在していたらぶっちぎりで合格できる。
二十三年枯れた毎日しか過ごしてなかったから、遂に欲求不満にでもなったのだろうか。
「おい」
ドア越しに呼びかけられて、さやかはびくりと身体を強ばらせた。
「はっはい」
「そのまま風呂に入って今日は休め」
「わわ分かりました。ありがとうございます」
呼びに行く手間が省けたとばかりに告げられ、しどろもどろになりながら答える。
遠ざかる足音を聞きながら自分の感覚に自信がなくなってきた。
何だろう、そんな日常茶飯事に裸を見られているのだろうか。
それとも女性遍歴が凄いのだろうか。
(かっこいいもんなぁ)
黒シャツを手早く脱いでドアの隙間から浴室外に出す。
ちゃぷり、と音を立てて湯船に入れば、心地良い温度のお湯がさやかの身を包んだ。
恐ろしさが先に立つばかりだったレイの瞳は切れ長で、伏せると睫毛の影ができる。
スッと通った鼻筋、形の良い唇。
ちょっと分けて欲しい位ダダ漏れな色気と、鍛えあげられた肉体。
背はさやかより頭2つ分は大きい。自分がアンダー百五十だとしても、百八十cm以上あるんじゃないかと思う。
あの落ち着きぶりからして歳は二十代後半だろうか。
ぶっきらぼうでありながら、言葉の端々に優しさが見て取れる。
(これでもてない方がおかしいよね)
責任感からさやかを置いてくれるようだが、何とか自活出来る道を見つけようと心に誓った。
恋人がいたら大変な事になる。
…その前に帰れるのが一番だけれども。
※
「この部屋のものは好きに使って」
「ありがとう、水竜君」
「水竜でいいよ」
その申し出を甘受し、ベッドに腰掛ける。いつの間にか脱衣場に置かれていた下着をはき、ようやく痴女から一歩抜けだした。黒シャツはそのままである。
シーツのなめらかな肌触りを確かめていると、水竜があ、と小さく声をあげた。
「ベッドに俺の鱗が落ちてないかな。さっき刺さらなかった? 」
「さっきって言うと… 」
「さやかがレイ、チョールイ? とか叫んだ時」
「うっ」
己の恥を思い出すのは顔から火が出る程恥ずかしい。またもや脳内でじたばたしながら、とある事実に気がついた。ベッドに鱗が落ちているということは。
「ここは水竜の部屋? 」
「そう。この家には俺と、レイの部屋。居間と台所で全部」
「えっ、じゃあ二人は一緒に寝るの? 」
「ううん、レイ他の気配があると眠れないんだって。俺は何処でも寝られるから」
「そんな」
居候の身で住人の寝床を奪うなんてあり得ない。
「だったら私が他の場所で寝るよ」
「いやいや、女の人を床で眠らせる訳にはいかないよ」
「平気へいき。私身体だけは丈夫なの」
「俺の方がよっぽど丈夫だと思うんだけど」
双方一歩も譲らず牽制し合い、話はちっともまとまらない。
かくなる上は。
「じゃあ一緒に寝よう」
「えぇー」
人間ならそろそろ恥ずかしがる年頃かもしれないが、水竜は可愛い子竜だ。ベッドが狭くなるのは申し訳ないが、一緒に眠れば問題は解決する。
水竜はしばらく悩んで、そして一つ息を吐いた。
「まぁ、さやかなら大丈夫か」
「うんうん。私は他の人の気配があっても寝られるよ」
そうじゃないんだけど、という呟きはさやかには聴こえることなく、水竜はしぶしぶと手招きされるがままベッドに上がった。
「消灯」
水竜がそう告げるやいなや、部屋の明かりがぱっと消える。さやかはおぉっと感嘆の声を漏らした。
「今のも魔法? 」
「そう。さやかの世界に魔法はないの? 」
「ないなぁ…魔法みたいな力はあるけど、人間の作り出したものだし」
「へぇ! どんな力か興味があるなぁ」
「うんとね… 」
寝る前にこうして楽しく話すのはいつぶりだろうか。胸躍る気持ちと心地良い眠気を感じながら、さやかの意識は闇へと溶けていった。