【40】
「…ん」
緩く瞼を持ち上げて、さやかは覚醒した。
「寝てた…? 」
自嘲を漏らせば、チャプリと水面が揺らぐ。
泥酔した人間が入浴中に溺死する事件もある。気をつけないと。
「…危ないな」
「そう、あぶな… 」
突然聞こえた…耳に心地よい、低い声。
長い指がさやかの頬に触れて、壊れものを扱うように撫でた。
遂に、本当の夢まで見てしまったのね。
ゆるりと視線を上げれば、いつもは難しい顔ばかりしている筈の愛しい人が。
蕩けるように、微笑んでいた。
「ふふ」
「…なんだ」
夢の中では随分愛想がいいんだ、なんて言ったら深い渓谷が出来てしまいそうな気がして。
さやかはゆるく頭を振った。
今ではその顔すら愛しいのだけど。
この時だけは、笑っていて欲しくて。
「何でもない。ただレイが大好きだなって思って」
こうして、思い描いてしまう程に。
逞しい胸に頬を摺り寄せて、ぎゅっと背中に手を回した。
感触も全て感じられたらいいのに。
レイの存在が酷く希薄で、儚い。
「…全部、終わっちゃった」
自分の人生は、全て彰に捧げてきた。
唯一自分の為に過ごしたあの異世界での日々は、蜃気楼の様に消え去った。
「もう、何一つ残ってない」
願いも、希望も、何もかも全て。
「疲れた、なぁ… 」
この甘い夢を見続けられるなら、永遠に醒めて欲しくない。
この甘美な世界に、ずっとずっと浸っていたい。
「離れたく、ない」
側にいて。
私の名前を呼んで。
私の名前に意味を持たせて。
それだけで、もう他に何もいらないから。
それだけで、ここに居ていいという確かな証になるから。
「さやか」
心の底から願った甘い響きに、さやかは…溺れた。




