【32】
チ、と砂埃が舞った時にはもう、ザンゲの姿はレイの目前まで迫っていた。
遠心力を利用した右腕が振り下ろされ、レイは刃でその斬撃を受ける。
響く金属音と共に短剣が刀身を滑る。
火花を散らして迫る切っ先を、レイは身体を右に捻ってかわした。
片手をつきながら刀をねじり、今度はレイが遠心力をのせた左回し蹴りを放つ。
「! 」
回し蹴りを脇腹に受けたザンゲは、予想していたかのようにその足を掴んだ。
ニィと口角を上げ、刹那レイの左足は激しく燃え上がった。
素早く水柱を放ち、ザンゲの腕を剥がす。
チリチリと焼け焦げる足を消火し、レイは距離を取った。
「なぁ、知ってるか? 竜と契約した魔導師は、日に日に魔力が増幅するんだ。もうイノリ・プレイヤすらお前を凌駕しているんだ…あぁ、ようやく確信に変わった。俺も間違いなくお前より強い」
「…それがどうした」
「何だ、知ってたのか。なのにあの出来損ないに固執するとはお前も人が悪いな。今にも死にそうだぜ? 」
ザンゲへの注意を怠らずに素早く視線を走らせれば、トルコに迫る業火を目の端にとらえた。
(あれは防ぎきれない…! )
レイは、つま先に力を込めて地面を蹴りあげた。
※
死ぬ、と直感的に思った。
成竜である火竜の力は圧倒的だった。ジリジリと鱗を焼く灼熱の炎に、トルコの水柱など水鉄砲のようだ。
一撃目を辛うじていなし、二撃目を紙一重で避けた先に三撃目が襲った。
バランスを崩したトルコは、迫り来る炎をただじっと見つめる以外術はなく。
水柱? 作る時間がない。
避ける? 体勢を立て直す時間がない。
水壁? 作り上げる時間がない…!
(なにも、間に合わな… )
思考半ばで、炎がトルコの身体を覆い尽くした。
…はずなのに。
「ぐ… 」
「レイ…! 」
トルコの視界いっぱいに苦悶の表情を浮かべたレイが覆いかぶさっており、直後両膝をついた。左上半身が焼けただれ、皮膚がボロ布の様に垂れ下がっていた。
トルコの元へ駆け寄ったレイは、火竜の炎を相殺し、その隙ができた瞬間ザンゲの業火を浴びた。
ギリギリと歯軋りをして痛みに耐えるレイの、左腕に手をかざした。乳白色の光と共にレイの火傷が少しずつ薄くなる。
「! 」
「何余計なことしてんの」
トルコの手は弾かれ、痛みと共に鮮血を散らした。短剣を弄ぶザンゲが、二人を見下ろしている。
「あぁ、ついにこの時がきたんだ」
恍惚の表情を浮かべたザンゲの身体に、一際大きな業火が渦巻き始めた。
(俺が、弱いせいで)
レイも、トルコも、さやかも死んでしまう。
圧倒的な力の差に為す術もなく。
(俺に、力がないから)
大切な人を、誰一人守れない。
(ごめんなさい、レイ)
与えてもらうばかりで。
何一つ、返せないままで。
何もかも諦めようとした。
その瞬間。
「トルコぉ! レイッ! 死なないでぇ…! 」
さやかの悲痛な叫びと同時に、水壁が二人の身体を包んだ。
刹那バリバリと音を立て、強固な氷壁へと形を変える。
「ちっ往生際の悪い」
舌打ちしたザンゲが業火を放ち、火竜もそれに続く。
レイと視線を交わせば、その瞳に諦めの色など何一つない。
不敵に笑うレイに、余裕すら伺えるように感じた。
(まだ終わっていない)
まだ、自分は最善を尽くしていない。
「レイ、お願い…! 俺と契約して…! 」
それでも勝てないかもしれないけれど。
(何もせずに諦めることだけはしたくない…!)
懇願するトルコに、レイは目を見開き…そして、ふっと優しく微笑んだ。
「その言葉をずっと、ずっと待っていたんだ」
トルコは頷き、深く頭を垂れる。
レイの色が悪くなり始めた口唇が、薄く開いた。
「我が名はレイ・ボウ。この身朽ち果てるまで汝と古の契りを結び、共にいると誓う。汝が名はトルコ。粛々として汝の許しを乞う」
歌うように契約の言葉を紡ぐ間にも、攻撃は絶え間なく降り注ぐ。
痛みを耐える脂汗と熱波に煽られた汗が入り混じり頬を伝った。
痛ましげなレイの姿を、トルコの真摯な瞳が見据える。
「汝と古の契りを結び、その名謹んで受けよう。我が名は、トルコ」
再びトルコが頭を垂れた瞬間――遂にビシリ、と氷壁に亀裂が入った。
「至極光栄の極み」
レイが言い終わるやいなや、トルコの額に――強烈な衝撃が走った。




