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【15】

「うぅうう~…、たーだいまぁ」


空が赤金に染まる頃、無事帰還したトルコはテーブルにべしょりと突っ伏した。

夕食の下ごしらえをしていたさやかはケトルを火にかけ、お茶の準備をする。


「お帰り。具合悪そうだけど大丈夫…? 」

「へーきへーき、ちょっと疲れただけ。流石に一日二回は駄目だぁ」


うんうん唸るトルコは、その疲労が相当なものだと見受けられる。

遁甲はかなり体力を使うようだ。

あまりにも常識とかけはなれた現象な為、その大変さが想像すらできていなかった。


お疲れ様、と香り高いお茶を置いた。

一口飲みほっと息をついたトルコが、さやかに真剣な眼差しを向ける。


「さやかの世界は『斬り捨て御免!』って剣持った人達が争ったりする? 」

「ぇ、にゃんこなちょんまげがいる村の事? 」


修学旅行で行った日光のあの村なら、確かに居るかもしれないが。


「その人達の他に、私みたいな格好をした人もいた? 」

「んー…、全員がそんな感じだった。さやかみたいな服装の人は一人も居なかったんだけど」

「…」


それはガチな江戸村ではないだろうか。


「もしかすると私の居た時代よりずっと昔かもしれない…く、国は合ってるよ」

「そっか。わかった、明日も探してみる」

「よろしくお願いします」


時空を越えるとはつまり、過去にも遡るという事か。

予想以上にさやかの元いた世界にかち合う確率は低いのかもしれない。

ただ、待つことしか出来ないのがもどかしい。


…せめて温かいお茶と腕によりをかけたご飯でもてなさねば。


「そうだ。今日の夕食鶏肉使う予定なんだけど、煮るのと焼くのどっちがいい? 」

「わぁ、思わず好きにしてって答えたくなる質問だね」

「…踵落としと手刀どっちがいい? 」

「ごめんなさい、焼いた方が好きです」

「了解」


クスクスと笑いながら、さやかは下ごしらえを再開した。


   ※


「レイ」


ノック後おずおずとドアの隙間から顔を出せば、読書に耽っていたであろうレイが本から顔を上げる。


「なんだ」

「寝る前の挨拶にきたの」


お休みなさい、とそのままドアを閉めようとすれば。


「入らないのか? 」


寸前にレイの声を聞き及び、さやかはぴたりと停止した。


(『別に問題ない』はトルコの名前の事だけじゃなかったんだ)


言葉数少ないレイの真意を読み取るのは難しい。

その上表情も乏しいので、冗談なのかどうか判断がつきづらかった。


もう一度ドアから覗き込む。


(うっ)


早くしろ、と言わんばかりに眉をひそめるレイの気迫に負け、するりと身体を滑りこませた。

いきなりベッドに入るのもどうかと思うので、レイの向かいのソファにちょこんと座る。

緊張しているせいか、無意識の内に膝にかかる裾をきゅっと握った。


今着ているのはパジャマ、というよりネグリジェと呼んだほうがいいのかもしれない。

フリルをふんだんに使いレースとリボンをあしらったそれは、可愛らしいの一言に尽きる。

買ってもらった衣服が殆ど同じなので、この世界は可愛らしい服が流行しているのかもしれない。


ちらり、とレイを盗み見れば、再び本へと視線を落としていた。

気だるげにソファに寝転がっている。

レイが上下揃って衣服を身に着けているのを、さやかは初めて見た。今日の補給物資に黒い服も入っていたからか。レイは安定の黒ずくめである。

勿論、あの肉体美を見れずに落胆などしていませんとも。


「寝ないのか? 」

「ふへっ!? 」


まじまじと観察していたのがばれたのかと焦ったさやかは、素っ頓狂な声をだしていた。


「レ、レイは寝ないの? 」

「もう少し読み進めたい」


先に寝てていいぞ、なんて言われてしまえば、さやかは異を唱えるのも躊躇われて。

もう一度お休みなさいと呟き、ゆっくりとベッドに潜り込んだ。


(うぅ、眠れる気がしない)


鼻先までシーツを引っ張り上げれば、ふわりと既視感のある香りが鼻孔をくすぐる。

甘くて、芳しくて、胸を騒がせるのに、何処か落ち着く香り。


(レイの、香りだ)


気付いてしまえば、鼓動は否応なくそのリズムを早めて。

人は香りを一番記憶の情報源として使っているのだという。

気づいた瞬間から数々の醜態がフラッシュバックして、さやかの顔は急速な熱の上昇を感じていた。


(眠れる訳がない…! )


見られてはまずいと頭まですっぽりシーツで包めば、香りは益々さやかを侵食してくる。

かぶりつきたい程美味しそうな首筋とか、きゅっと引き締まった腰とか、血管の浮いた長い腕とか、しっとりとした肌の感触とか…とか!


(邪念が強すぎて、気配に聡いレイにばればれな気がする!! )


心の中で無心無心と唱えながら、考えれば考える程ドツボにはまっている気がしなくもないが。

さやかは寝不足を覚悟しながら、己の胸中と闘う決意をした。


…その戦闘にようやく勝利をおさめたのは、空も白み始めた頃だった。








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