【13】
「レイ起きてたんだ、おはよう」
コンロに立つ後ろ姿に、さやかは声をかけた。
身分の高い人なのかなと悩んだ末、本人の了承を優先して砕けた話し方にした。
隣に並び、天井にほど近い顔を振り仰ぐ。
「ごめんね、勝手に料理作っちゃって」
「…いや」
トーンの低い声に、怒ってるのかなと心配になる。
だが、怒りメーターである谷はない。
何処か歯切れの悪いレイに首を傾げると。
(あれ)
レイの口元についてるのは、ひょっとして…にんじん?
じっと見つめても、返ってくるのは無言の圧力のみ。
もしかしてバツが悪かったりするのかな。
これは触れない方がいいのだろうか、それとも味の感想を聞いてもいいのか。
対処に困り、さやかは頭を捻る。
「あれあれー、二人で並んで立ってると新婚さんみたいじゃん」
どこか気の抜ける水竜――トルコの声が、その沈黙に終止符を打った。
レイは呆れた眼差しを貼り付けて振り返る。
「何馬鹿なことを言ってるんだ」
「だってー、そろそろお嫁さんもらっても…ぶはっ、レイ、口ににんじんついてるっ」
ゲラゲラと腹を抱えて笑うトルコ。そして隣から感じる冷気。
ひっと恐る恐る冷気の根源を盗み見れば。
(あー! 渓谷がっ!! )
レイは口元を乱暴に拭っているが、一向に取れる気配のないにんじん。
トルコは益々笑い転げて、違う違う取れてないよーなんてはしゃいでる。
居たたまれない、この空気が激しく居たたまれなくて。
さやかは形の良い唇に張り付いたにんじんを、そっと摘んだ。
「えーと…お口に合いました? 」
恐怖から丁寧な口調になるのはご容赦頂きたい。
「…」
沈黙の後、なんと。
レイの顔が爆発した!
…と思うくらい真っ赤になった。
※
「ヒドイ…俺絶対頭悪くなってる」
涙目で頭をさするトルコに、安心しろもう手遅れだとレイが吐き捨てた。
真っ赤になったレイは、もう一ランク笑い声を上げたトルコへと目にも止まらぬ早さで距離を縮め、強烈な拳骨を振り下ろす。
さやかはレイの制裁バリエーションの多さに感心した。
トルコじゃないが、レイの突っ込みの激しさに一抹の不安を覚える。
煽るトルコもトルコだが。つまりどっちもどっちか。
「まぁ辛い過去は置いといて。ご飯食べよ! 」
瞬速で立ち直ったトルコの声を合図に、ランチタイムは始まった。
各々の前には、朝作っておいたスープに中庭のトマトと豚肉のキーマカレー(もどきである。香辛料は舌で確かめながらそれらしく味を調えた)、チーズディップと石窯で焼いたナンをつけた。
チーズディップはそのままナンにつけても、キーマカレーと混ぜて食べてもいい。
「ふはぁ! さやかの作るご飯は美味しいね。レイの殺人的な料理がこれ以上続いたらどうしようかと思った。聞いてよさやか、もうかれこれ一週間毎日ずっとあのスープとパンだったんだよ? 死ぬかと思った」
トルコのあけすけな物言いに、さやかの心中は穏やかじゃない。
さっきの教訓は活かされないのだろうか。
黙々と料理を口に運んでいたレイは、ぎろりとトルコを睨みつけた。
「あれは、れっきとした完全栄養食だ」
憮然としたレイの姿が、失礼だがちょっと可愛く思える。
「十五種類の野菜とオレンジ、りんごなどの果物。発汗を促す唐辛子、仕上げに生の玉ねぎを入れた。玉ねぎは身体を浄化すると国立研究室が発表していたからな」
あの酸味はオレンジ、辛味は唐辛子と玉ねぎだったのか。
「国立…ここは何という国なんでしょう? 」
「ヒガシニオン王国、カナンガワ州サガミン湖のほとりにこの家は建っている」
「東日本? 西日本もあったり… 」
「知ってるのか? ヒガシニオン王国の西側にニシフォン帝国、ツガール海を挟んで北側にホッカ共和国が存在する。人々はこの世界をジェアルスと呼ぶ」
一気に国名が出てきて混乱するが、つまり位置取りは東日本、西日本、北海道と変わらないのか。それで、現在地は神奈川の相模湖付近と思っておこう。
「首都に行けたりする? 」
「トウキか…折を見て行けるように手配しよう」
首都トウキ…東京か。覚えやすくていい。
「ありがとうっ。私でも働けるところはあるかな」
「働く? 」
「うん。衣食住お世話になってたら悪いし」
「…そんな事は気にしなくていい」
「そうそうっ! レイに貢がせてあげなよー」
ずっと無言だったトルコは、どうやら食事に専念していたらしい。いつの間にかおかわりをよそっていた。
「…おい」
「レイもさ、折角さやかが可愛くなったんだから褒め言葉の一つも贈らないと」
「えっ!? 」
どうしてそういう話振るかな!馬子にも衣装なのは分かってるし、レイの制裁したい気分にも共感してきた。
「…」
うぅ、視線が痛い。
「……」
ううぅ、沈黙が重い。
レイは薄く口を開いたまま、髪をかきあげ、そして。
「綺麗ださやか。今すぐベッドに連れて行きたい」
「!?」
ばっと4つの目が集中したのは。
「…なーんちゃって」
刹那風を切って叩きこまれた右ストレートを紙一重でかわした水竜は、椅子を倒しながら一回転して地面へと着地した。
「ふはは、こうして日々進化をとげる我であった。ご馳走様ー! 」
パタパタと軽快に走り去った――逃げ去ったともいう――トルコの足音が遠くなるのを、ただ呆然と聞いていた。
「え、えーと」
この空気を劇的に変える魔法があったら四の五の言わず使うのに!
残念ながら、いくら願っても発動しない、当たり前か。
泣きたい気分のさやかを尻目にレイは立ち上がった。
「…悪くない」
料理に対してなのか、服に関してなのか。
褒め言葉なのか、どうなのか。
数々の謎を残したまま、レイはその場を後にした。




