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掌少短篇集

リターニング・ゲイム Table-Re-turning GAME

 今作は、某大学ミステリーサークルOB勢に寄る同人アンソロ雑誌『torso』に投稿、掲載される予定の作品です。予定の、というのは、つまり未だどう言う形で世に出るのか定かでないという事ですが、宜しければ頭の片隅に置いて頂けますと、と、宣伝を兼ねて。


 ともあれこれにて開始します。

 五、四、三、二――……

 5.


 鏡――そう、伝統と信頼の規範(ルール)に則って、シェーマス・ダルムートの帰誕(リターン)は、まず鏡から始められた。

 それは玄室(モルグ)の天井と言わず、壁一面床一面、くぐもった瓦片(タイル)状に張り巡らされ、擬似永久照明(ウィルオーウィスプ)の青褪めた灰の光を彼方へ返しては、此方へ返し、返し返し――光源の如く、その反復は半ば無限と続き、その丁度狭間と言うべきか、部屋の奥側、殆ど横と言って良い程に寝かせられた合皮と真鍮の自在腰掛(リクライニング)の上でどう目覚めようとも、眼を開いた瞬間、自分だけの意識乃至蒸霊(スピリッツ)の容器、容躯(マネキン)の有様と対面させられる寸法にされている。

 逃れる術があるとすれば一つだけ、そのままずっと目を瞑っていれば良いだけではあるが、そんな選択なんて手筈に無く、足跡を辿っても例が無く、そもそもの話、その可能性が浮かんだ時点で、帰誕(リターン)が成就する筈も無い。真逆の意図なら、始める方が間違っているのだ。

 故に彼は、シェーマス・ダルムートは、蒸霊(スピリッツ)乃至は意識が容躯(マネキン)に宿ったと感じてから指折り数える事も無く、まずは両の瞼を然と開けると、現し世(テイブル)に置ける己自身との初顔合わせを済ませる――それはこんな風にして、そのもの自体は何の感慨も意義も無く。

 五、四、三、二――……

 そうして視界が――実際の所、この時点の脳髄器官はそこまで覚醒し切っておらず、『視界』を始めとする認識を確かなものとするのはもう少し先の事だったけれど、ここは各肢部位の保管法の様に、厳かに棚上げして置くとして――視界が開ければ、眼前へと飛び込んで来るのは、落ち窪んだ三白眼気味の、やや目尻の垂れた仄青い瞳に、額へ向けて緩やかに撓垂れ掛かる淡い茶の髪が印象的な、二十代前半から半ばの青年の姿であり、二度三度と、瞬きを重ねてから、じぃと見詰め合って後、脚の先から頭の頂まで、その氷の視線を送り合って、成る程、これが僕かと、シェーマス・ダルムートは、シェーマス・ダルムートに対して、合点の首肯をして見せる――正直に言って悪くない。我乍らなかなかに良器量(ハンサム)だ。欲を言えば、上下黒の着衣に包まれた体格は、抱いていた霊感(イメージ)より幾分痩せ細っている様に感じられる。折角の容躯(マネキン)であればこそ、もう少々盛って欲しかった所だが――シェーマス・ダルムートの蒸霊(スピリッツ)が、個を成す波動を以ってこの体型を意図しているのだから、致し方無い。己が己である限り、それは変え様も無い規則である。

 いや、純粋に機構として捉えるなら、これだけでも十二分で、文句を言う方が可笑しいだろう――目線はそのままに固定しつつ、彼はゆっくりと右腕を上げた。鏡の中の何人もの彼等が、歪んだ形でその動作に追従するのをさせるが侭、五本の指をぱっと広げ、数える様に指を折っていく――まずは小指に薬指、そうして中指、人差し指、親指、と来て、拳をぐっと握るなら、そこから素早くぱっと広げ、もう一度ぐっと握り、ぱっとぐっと、ぱっとぐっと、それを左側でも繰り返す――素晴らしい。その一挙手は恙無く、思った通りに――或いは思った通りと思った通りに――動いてくれる。存在している筈の球体関節部の継ぎ目も、傍から見る限り、見分けが付かない。無論、皮膚の下、服の中身までは定かでは無かったけれど、わざわざ見てみる事もあるまい。

 兎にも角にも、この容躯(マネキン)こそが我が骨の骨、我が肉の肉と感じられる――少なくとも、感じられると感じられる――事を確かめると、シェーマス・ダルムートは、掲げた両手を更に握り込みながら、ふっと口元を綻ばせた。それから勢い良く上半身を起こせば、体を横へ向け、カツン、コツンと、両脚を床に降ろして立ち上がり、そこでぐらりとよろけてしまう。笑みが消え、代わりとばかりに眉が顰められる――成る程、寝ている時よりも今の方が、余程重力なるものを感じられ、彼はそんな慣れぬ不可視の、物質が決して逃れ得ぬ力に、帰誕(リターン)してから始めての躊躇を覚えなくも無かったが、だからと言って、次なる一歩、一歩、また一歩、と、開け放たれた侭の扉へ己を向けるのを、辞めようとは思わなかった。

 何故と言って、既に儀式(ゲイム)は始まってしまった――いるのだから。一拍の停滞すら、もしや命取りとなるやも知れず、シェーマス・ダルムートは、はらはらと垂れ下がって来る髪を掻き分けながら、厳かな面持ちで、両の脚を動かし続ける――命取り、そう、その通り。これから起こる――ともすれば起きた、だと、最早手の施し様が無い故に無視するとして――出来事の如何に寄って、この“私”の命運が決するのだ。冗談は無く、失敗も許されない。真逆の意図なら、始める方が間違っているのだ。


 4.


 鏡面を通して朧な像の数々を伴いながら――自分もそうである可能性を無意識に拭い去りつつ――シェーマス・ダルムートが玄室(モルグ)を出ると、室内と殆ど同じ造りの廊下が、遥か彼方まで続いていた。此方が始端だとすると、終端には、開け放たれた侭の扉とそれに連なる個室の、無地なる様子が垣間見え、その狭さたるや、平均的な造詣の容躯(マネキン)一体が漸く入るか否かという所であろう。個室と呼ぶのもおこがましい。その機能は恐らく一つきりだがしかし、他に出入口の類が無い事と合間って、その意図は余りにも明白である――他が見えないだけかも知れないが、それこそ無視しよう。結果は同じ事だ。

 そんな風に、変わらぬ調子でシェーマス・ダルムートが歩き始めると、直ぐ様出迎えるのは、殆ど同じ造りの殆どの部分、壁面の至る所に嵌め込まれては、青褪めた皮膚を光らせている、老若男女様々の各肢部位だった。

 左右各々の手腕――左右各々の手脚――唯一無二なる数多の頭蓋――そして器であり要である、無数の胴素(トルソ)――これに関しては、中身は無い、と多分に思う――無染めの頭髪と眼球は、配置の隙間を埋める装飾となっていて、内臓器官以外の構成要素を使い切る心算に余念が無い――開いて見れば、覗いて見れば、きっとその有無も確かめられるが、それ程愉快なものでも無いだろう。合皮と合脂の下は、真鍮か白銀と決まっている。

 それに、このままでも十二分と、奇妙な印象は感じられるのだから、無理にどうこうする必要もあるまい――それこそが明白なる意図で、ならば乗じて、多少は脚を止めてやった方が良いのかも知れないけれど、シェーマス・ダルムートは、只々黙々と、脚を動かし続けるのみである――そう、そんな事は、重々承知の上なのだ――儀式(ゲイム)に於ける最初の観点。蒸霊(スピリッツ)の、今の人類種の有様に対する、疑惑の根底。腑分けされ、単一である事が前提となった各肢部位に覚える、かつての人体との瑣末な違和感――成る程、個を得て間も無い蒸霊(スピリッツ)ならば、ここで必要以上に躓き、敢え無く未帰誕(ロスト)と相成ったかもしれない。只の波動、垂れ流しの力、動力としての渦その物に。

 だが、儀式(ゲイム)に参加する者達が全てそうである様に、シェーマス・ダルムートの齢は既に三歳。幽り世(チャンネル)に於いては、立派な成人年齢だ。こんな初っ端で仕損じる訳が無い程度には、教養も経験も、ちゃんと得ているのである。

 だから彼は、廊下を只管に真っ直ぐと、脇目も振らずに歩き、歩き、歩き続け、やがては彼方の端にある個室へ、昇降機械(エレヴェイタ)へと辿り着き、そのまま中への一歩を刻む――彼が入った、と、言う事実に対して機構が働き、音も無く横滑りして来た扉に出入り口を塞がれる事と、元来た方へと振り返った事がほぼ同時であれば、次の瞬間、昇降機械(エレヴェイタ)は穏やかな上昇を始め、慣れ親しんで来たものとは比べくも無いが、確かにあると容躯(マネキン)を以って味わえる浮遊感に、重力からの微かな開放に、シェーマス・ダルムートは思わず安堵の吐息を鼻孔より漏らす――最初から自然に取り行われてはいた、呼吸なる行為を意識したのは正にこの瞬間であり、それが今の侭生きて行く為には必要不可欠な行為だという感覚は、奇妙と言えば実に奇妙だったけれど、決して嫌な気分では無い――もう一度、強いて今度は口で執り行う――悪くない悪くない。

 尤も、まともに身動き一つ取れないこの密室にあっては、期待する効果も半減という所か。せめて先の廊下位には、だが、それも暫くの辛抱の筈――だった。

 上昇の方はこの間にも続き、続き、続いており、既にして指折り数え切れない程度には距離と時間を稼いだ様な気がする――と、気がする――が、この密封された蒼い空間の中にあっては、はっきり推し量る術は無い。

 片手が、襟元を緩めようと首筋に伸び――思わずにそうさせた心持ちの名、息苦しいという呼称は、全てが終わった後に知った――実は半ばも無限では無い空気を交換すべく、肺腑器官が軋みを上げ、ふぅっ、と、シェーマス・ダルムートは呼気を吐き出す――実は、と言うともう一つの実はだが、彼は儀式(ゲイム)に関して、ここまでしかその詳細を知らなかった。先の事態に関しては、曖昧且つ遠慮がちに語られる噂――曰く、達成自体はそう難しいものでは無い――以外を得た事が無く、だからこそ、その意図は不明瞭であり、この場所に何時まで居なければならないのか、或いはこれが第二の観点なのかは、霊感(イメージ)乃至脳髄器官を働かせなくては良く解らない――と、来れば、終わり無き空白を以って終わりとする、幽り世(チャンネル)の果ての果ての果てを思わせるこの装置の内部の何も無さは嫌がらせも良い所であり、どうしても、今では無意味と化した筈のあの言葉、資料以外に存在しない筈のあの道具が思い浮かぶ――屍体とその容器、即ち棺が。

 遂に機械が停止するその瞬間まで、シェーマス・ダルムートの真鍮の、さもなくば白銀の頭蓋の中では、途切れる事の無い瞑想が、ぐるりぐるりと巡り続けていた――もしかして、儀式(ゲイム)等端から無く、此処から抜け出す事はきっとずっと叶わないのでは無いか――と、そう諦めたその時その瞬間こそが未帰誕(ロスト)の条件であり、諦めるか否かというのを見守る意図では無いか――まさか。いや、だが、そう、もしかして――……

 そんな二つの考えを両軸と、齢三つの魂は物思いに耽るのである――間延びしたこの時、隔離されたこの場に於いて、誰にも何にも咎められる事無く、只々己の気の済む侭――それすら辞めるべきかどうかの、迷いと共に。


 3.


 しかしてやはり、と言うべきかどうか、限り在るのが現し世(テイブル)の常であれば――そもそものそもそも、限りが無いのなら儀式(ゲイム)なんて最初から必要無い事実を、つい先程まですっかり忘れ去っていたのは、都合良く何時もの棚に上げて置くとして――思案の内に、昇降装置(エレヴェイタ)は漸くと停止し、音も無く横滑りして行った扉が出入り口を放つと、地上の、唯都(シティ)の、先の人類種の終の棲家の有様が、シェーマス・ダルムートの視界目掛けて注ぎ込まれる。

 ……――何だこれは。

 儀式(ゲイム)が何処で進行するかと言う伝聞は、甚だ頼りなくも一応残っている、数少ない既知内の一つだった筈だが、実際の所、それは大して役に立たなかった。

 病んだ空の灰色の光に育まれ、豊穣の時を迎えた金屎と瓦礫に、膨れ上がって今にも溢れそうな廃墟の群々――歴史、そう、栄光と衰退、転換と復古の歴史なら知っている、けれど、そんなものは所詮過去に過ぎず、容躯(マネキン)を通して感じられる現在の刺激には霞んでしまう。

 何だこれは――シェーマス・ダルムートは目眩を初経験と、そう繰り返す。こんな景色が、産まれ落ちてからずっと頭上に――幽り世(チャンネル)に於いては、それはあくまでも概念的な頭上ではあるが――君臨していただなんて、俄には信じ難い。或いはこれ自体が、儀式(ゲイム)の一環なのでは無いだろうか――仮定的に数えられる第三の観点。これから先、幾度と無く寄って立つ事になる筈の現し世(テイブル)の現況を認識させるが為の誇張された背景、過剰演出の舞台――では無いのだとしたら、余りにあんまりだ。その印象は彼の空白地に似て、しかし此処には物が、無益な物が有り過ぎる。何処を向いても逃れ様が無く、全身と、全霊の感覚に差し迫って来、まるで落ち着けない。

 未だ覚えの無い衝動に再び動かされ、シェーマス・ダルムートは襟元を緩めるべく手を伸ばす――進まなくては。そう解ってはいても、二の脚を踏めない。それこそ、此処で立ち往生する事こそが正しいのか。こんなにも酷い世界なのだから――だとすれば、一体全体何時まで待てば良いのだろう。屑山と化した在りし日の何かから時計の残骸が突き出しているが、当然の様に止まっているし、良く良く見れば、針そのものが既に無い。

 引き伸ばされた不明の時だけが過ぎて行き――……

 結局の所、彼は歩みを再開した――止まっている事に、置き去りにされる事に耐えられなかった、そんな理由ではあるが、しかしそれでも前進には違い無い。そしてまた、過程はどうであれ、選択をした事に対しても――側から離れたという事実に機構が働き、音も無く横滑りして来た扉が、昇降機械(エレヴェイタ)の出入り口を塞ぐ。続いて届く遠き駆動音と共に、後戻り出来ない事実を如実に告げた――何にせよ、行かねば正誤は解らない。

 そしてその答えは、片鱗は、数えるべきかも悩ましい――と言うのも、実質的にはそれ自体が、であり――観点を経て、意外や、そう間を置かずして判明する――かつては主要巷間(メインストリート)であったと思われる、無残な有様を晒している摩天楼(ビルディング)を左右に、横幅の開けた道、大半が砕け散った石畳の上を、歩き、歩き、歩き続けたその先の、もう一方の巷間(ストリート)と交わって模られた十字路の中央で、厳密な意味で建造物の成れの果ての果ての果てでは無い代物――自動車両(オートカート)の残骸や、折れた街頭等は、唯都(シティ)の付属物と認めていた――その意図もあからさまな、つい先程造られたかの様に真新しく、その銃身に『問い糾せ』と銘打たれた鋼鉄と合脂の回転式拳銃(リヴォルヴァ)を握った次の瞬間、正に降って湧いたとしか思えない機会で以って上がる悲鳴と轟音に思わずとも視線を向ければ、眼前に飛び込むのは、こちらへ向かって掛けて来る彼女の波打ち棚引く真鍮色の少女髪、青褪めた貫頭衣装(ワンピース)の至る所から覗ける継ぎ目だらけの白い容躯(マネキン)に、恐怖と動揺とその他諸々で見開かれた瞳の色は、現し世(テイブル)でも幽り世(チャンネル)でも在り得ざる樹木の子葉のものであり――青と緑の二つの視線が交わる路上で重なれば、その眼を鏡面と、返す奥の返す向こうに、シェーマス・ダルムートは、彼女を追って荒々しく駆けて来る付属物で無い代物を、何時だって衰退の遠因となって来た戦争の道具を、滅び去った犬という動物を模して造られた襲撃機械(モンスタ)を認め、少女もまた、彼が認めたのだという事を認め、ただそれだけが、そんな事実に対して機構を働かせる事も無く、真っ赤な眼球も爛々と、彼女の華奢な背中目掛けて飛び掛かり――……

 カチリ、と――それが流れを、事態を起こした。

 後から考えると実に奇妙な事だけれど、この時、シェーマス・ダルムートの容躯(マネキン)は、意識がその動作を把握するより先に、既にして動き出していた――で無ければきっと間に合わなかっただろう――右腕が上がる。銃把(グリップ)を握る手が、握らない方を添える形で、視線の高さまで掲げられる。左なる効き目が焦点を合わせるべく俄に細まる。親指と人差し指が、それぞれ撃鉄(ハンマ)を起こし、引鉄(トリガ)に掛かる――息をする様に、歩む様に、これらは全て、それこそ全て、意識せずとも行われ――そうしてシェーマス・ダルムートは、半ば命ぜられつつも問い糾した。

 何を……死を、だ。

 その物言いが適切かどうかは解らない――破壊とするべきかどうかは――けれど、結果は確かに応えてくれた。

 瞬き――この挙動もまた、自覚したのはこの時である――を二度三度する間の後、犬は、機械は――いいや、やはり犬は、虚しく路傍に倒れ伏していた。瓦礫や金屎を思わせる、皮膚の下のその中身を盛大にぶち撒けて。

 そうしてシェーマス・ダルムートの腕の中、胸の内には、少女がひしと抱き着き、その身を寄せている最中だった――震えを、熱を、柔らかさを伝える様に。

 顔を上げ――涙に霞んだ微笑みを浮かべて。


 2.


 少女は……と名乗った――名乗った様な気がする。何と言ったか、覚える暇も無く忘れてしまったのだ。

 ……――助けてくれて有難う。

 そんな定型句(テンプレート)から続く、此処に居る、追われていた一連の理由と諸共に――確か、そう確か、食料を求めて隠れていた防塹壕(シェルタ)から出て来た所を、とか何とか告げていたっけ――荷物なんて、何一つ持っていなかったのに。容躯(マネキン)にとっての食べ物等、只の趣味趣向でしか無いのに。隠れるも何も、戦争なんて大昔に終わっているのに。

 剥き出しの球体関節部にわざわざ目を向ける事も無く、彼女の全てが在り得なかった――偽造機械(レプリカ)だ。あの襲撃機械(モンスタ)と同じ、選別の為に設けられた第四の――或いは、第三の? 第五の? もう指折り数える事も無い、兎にも角にも観点で、そして、その接し方も重々承知の上である。つまり、伝統と信頼の規範(ルール)に則った、昔馴染の大原則――女の子には優しくしろ。その中身が何であれ。

 その中身が何であれ。

 だからシェーマス・ダルムートは微笑を浮かべると、先んじて、塒まで共に行く旨を示し、少女もまた微笑み、提案に感謝と同意を返すや、今は二人連れ立ち、巷間(ストリート)を注意深く、周囲を警戒する足取りで進んでいるのだけれど、その躊躇いない挙動の内に、彼は相当混乱していた。

 意図は明白である――あからさまな程に。するべき事への迷い等無い以上、ただただ、それをすれば良いだけの話――その筈なのだ。何も悩む事は無い。本当ならば。

 本当――真実――言うなれば、そこが問題だった。

 全てを偽物と断じ、振りをして割り切るには、少女の存在感は、余りにも――現実、であったのだ。

 現実……何と奇怪な言葉だろう。今の人類種にとって、それは幽り世(チャンネル)の事であるというのに。現し世(テイブル)とは、鏡に映る影の様なもので――だが、それが無ければ個を保てないが故に気に掛けられている――その為の帰誕(リターン)、その為の儀式(ゲイム)では無いか。それ以上でも以下でも無い。

 だが、かつてはそうでは無かった――卓が返されたのは大昔だが、費やした時間は、返される前に及ばない事を知っている――歴史……歴史だとも。知っているだけで、味わった訳では無い。容躯(マネキン)に宿ったのは始めてなのだから、もしかしなくとも、これで普通の感覚なのかもしれない。結局、原理を突き詰めれば全て機械である訳だし、或いは、本当に蒸霊(スピリッツ)が潜んでいる可能性だってある。粗悪な四肢の、劣悪な臓器の、“私”では無い“私”の体中から吹き上がる不快感を――今も笑顔で脚も止めずに――演技で隠し、役割に従っている。シェーマス・ダルムートの為に――こちらの、この“私”の為に、だ。

 そうだとしたら、どう接するのが正しいのだろうか――このまま良く出来た人形として、人間の様に接してやれば良いのか……そんな振りをした人間として、人形の様に、つまりは企画を見破ったと告げてやれば良いのか、もうそんな事はしなくていい、と……どちらかはっきりとしていれば、こんな事は考える必要も無かったろうに。何が、『達成自体は、』だ。大問題じゃないか。

 シェーマス・ダルムートの脳裏の歯車は、そう音を立てて巡り続ける――今回は、只々己の気の済む侭とは行かなかった。少なくともの最善手として、少女を護らなくては行けなかったからだ――握られ続ける拳銃の中の弾丸は見る間に減った。まずは一発、続けて二発、三発、四発、五発と、何処からか突如現れる犬共を、彼は殺した――良い気持ち等全く無い。誰かがかつて言っていなかっただろうか、犬は撃ってはいけない、と……見慣れぬ骸は気色が悪く、自分のしでかした事を思い知らせて来る。何が特殊なのか、これで普通なのかは知らないし、知りもしたくないけれど、一撃で終わらせられるのがせめてもの救いではあったが、最初から六発しか無い弾丸を使い切れば、後は全部、容躯(マネキン)次第になってしまう。逃げるも倒すも――倒されるも。その見込は、単純にぞっとしなかった。現し世(テイブル)に居る限り、何れ肉の痛みを味わう時が来るのだろうが、進んで得ようとは思わない――傍らの少女であっても、だ。中身なんて、正体なんて、ここでは最早問題では無い。痛みは、痛みなのだ。

 そうしてふと、銃把(グリップ)を握っていない方を見やれば、彼の左手の内に、彼女の右手が潜んでいて、自然と上がる顔に、交わる瞳に、意図の無い笑みが込み上げる。

 ……――よし解った。良いだろう。

 その指に力を込めて、シェーマス・ダルムートは決意する。企て等この際もう考えまい。先に進む。彼女を護る。犬を撃つ――その正否は、終わってからの題目だ。

 カチリ、と言う音が、何処かで上がり――……

 そこから始まる連鎖的な出来事が、果たして偶然だったのかどうか、彼は全て終わってからも解らない。

 突如として少女が走り始めたのだ――シェーマス・ダルムートの手を振り払い、一目散と、向かい側に聳え立つ、未だ大部分が健全な侭の摩天楼(ビルディング)目掛けて――何かを言う暇も、聞く必要も無かった。その幼い顔立ちに浮かぶ表情を見れば、その場所こそが防塹壕(シェルタ)の出入り口であると――なっている? いや、そうなのだ――言う事が解った――そして路端に置き去りとなっている自動車両(オートカート)の物陰から、猛々しい駆動音を上げて犬が飛び出して来た事に、ついぞ気が付いて居ない事も。

 その時には、彼も駆け出し、右手を上げている最中だった――引鉄(トリガ)を引く。狙いを定めるなんて上等な事は到底出来ず、報いは、地を蹴り上げる前脚の、直ぐ側に穿たれる弾痕として姿を見せる――容躯(マネキン)の性能に、始めて文句が言いたくなったが、自分のせいであるかもしれないし、そんな事よりも、もう間に合わない――駆けながら撃つだなんて、まどろっこしい事をしていては。

 犬が迫る――一匹目と同じ様に、彼女の背中目掛け――だから、地を蹴った。少しでも良いから、前に出る為に、腕を振り上げ、銃すら捨ててしまわんばかりの勢いで――そして弾も無ければ、もう無用と、実際に放り出して――片手が、はっとして横に振り向く少女を押し出し――そのまま腕だけが、中空へ向かって放られる。

 喪失の不快感が、違和感が、つまりは激痛が迸り、喉から絶叫が、疵から鮮血が迸る――いや、最後だけは思い込みだ。実際に飛び出たのは、歯車やら螺子やらの機械要素で、容躯(マネキン)から離れた片腕も、重力に引かれて大地に堕ちるや、直ぐに気色ばみ、各肢部位としか言い様が無くなってしまう――ただそれも、ある意味では思い込みだ。はっきりと見ている暇等無い。シェーマス・ダルムートが体勢を立て直そうとしてる間にも、勢いに通り過ぎ、四肢を滑らせ大きく離れつつも、獲物を仕損じだと、その鋭利な切断機構(アギト)に何も無い事で解した犬が、身を翻してもう一度飛び掛からんと、踏ん張りを効かせている――脚を止めてしまった少女へ向けて。何故とは問い糾すまい、振り返ってしまうのが人間なのだから。死にたくなる程に痛い左腕の付け根をぎゅっと握り締めつつ、代わりにこう叫ぶ――逃げろ、と。

 そこで彼女はぎくりとして、何事かを言い返そうとするが、今度は彼の、或いは犬の剣幕に押されて再び走り始め、それを追う様に彼もまた駆け出そうとして、ぐらりとよろけてしまう――容躯(マネキン)が、如何に微妙な平衡を保って組み立てられているか、嫌という程良く解ったが、今は理解した所で関係無い――犬が来る。息と呼べる、声と思える駆動音を上げて、犬が猛然とやって来る――少女は建物の奥に消えた。少しだけ安堵する。後は自分だけだ。シェーマス・ダルムートは両脚に力を込め、その後を追い掛ける――一部欠いた全身と、全霊で以って、走り、走り、走り続け――直ぐ真後ろに迫り来る脅威に震えを堪えながら、彼は大地を踏み締め跳躍した。

 その容躯(マネキン)摩天楼(ビルディング)の中に入る――と、言う事実に対して機構が働き、音も無く横滑りして来た扉に出入り口が塞がれれば、丁度狭間に居た犬の首は胴体から綺麗に放られ、少しだけ中空を廻った後に、ぼとりと堕ちた。

 それだけだった――それで儀式(ゲイム)は終わったのだ。


 1.


 閉ざされた室内に、擬似永久照明(ウィルオーウィスプ)の青褪めた灰の光が灯って行けば、広がる光景は、玄室(モルグ)のそれと変わらない。

 強いて違いを上げるとすれば、装飾位のものだろう。

 自在腰掛(リクライニング)の代わりに彼女が――正確には、そうであった代物が、真ん中程に転がっていた――彼女であった手腕――彼女であった手脚――彼女であった頭蓋――彼女であった胴素(トルソ)――円を描く様に広がる真鍮色の少女髪は、転がる二つの眼球を傍らに、根の様で幹の様で――各肢部位に分け隔てられた有様は、ほんのつい先程まで形を成して動いていたとは全く思えない。物だった。それも無益な――只の物だ。これが肉体であった筈が無い。ましてや精神があった等と、どうして信じられようか。

 その意味で、これは余りに、そう、余りに現実であると言える――薄まるだけで何処まで言っても在り続ける、幽り世(チャンネル)に於いては微塵も存在すらしていない、現し世(テイブル)だけの、圧倒的な、逃れ様が無い、理不尽な何か。

 死だ――と、シェーマス・ダルムートは思った。

 これこそがそうだ、と、彼は思ったのだ。

 ……――儀式(ゲイム)は完了した。良くやった、新たな仔よ。

 そうして彼の容躯(マネキン)が、意識する事無く屍体へ向けて虚ろに歩き始めたのと、くぐもった瓦片(タイル)状に張り巡らされた鏡の壁か床か、その彼方の空白地から、誰のでも無い誰かの遠き声が響いたのは、殆ど同じ頃合いであり。

 ……――試練を越えた今、晴れて君は人間となった。

 聞いた端からその内容を忘れつつ、両膝を曲げ、跪く様に、片手を伸ばす。ぽっかりと孔を覗かせる白い顔へと、優しく、そっと、壊れ物を扱う手付きで。

 ……――容躯(マネキン)は修繕しよう。後は全て君次第だ。

 顔を寄せる。微笑も無く、微笑も消えたその顔に。

 ……――真の人間の一人として、相応しい生き様を。

 雫が堕ちた――意識なんてしていないのに。咄嗟に、先の無い肩先で目元を拭う。涙だと言うのは流石に知っているけれど、何故流れたのか、良くは解らない――正確には解りたくなかった。何かが台無しになる気がしたからだ――考えてすらいけない。そう理解する。

 ……――儀式(ゲイム)は完了した。良くやった、新たな仔よ。

 ……――その台詞ならもう聞いたよ誰かさん。

 だからシェーマス・ダルムートは、二度目の言葉に、思わずそう返した――語気を強めて。脳髄器官を無意味に震わせ、折角忘却したものを起こす様な無粋さに対し。

 ……――いいや、今こそがそうなのだ、新たな仔よ。

 けれど、どうやら彼の返答は意図通りであったらしく、遠き事は遠き侭に、誰かの声がこう告げた。

 ……――君は我々を無視した。彼女の為に。

 沈黙が降りる。我知らず、微かに唇を開けた上で。

 ……――思惑は察していた筈。だがそうした。

 平衡を取る様に、誰かの声は俄に大きくなった。朧な像の数々の、シェーマス・ダルムートへ語り掛けるべく。

 ……――せざるを得なかった。そこが慣用なのだ。

 ……――道々での行いが、考えからでは無く。

 ……――想いより出たものだと示したのだ。

 ……――我々に、真の人間の群々に対して。

 ……――立派なものだ。

 ……――一員として、迎え入れるに相応しい。

 ……――だからこそ、こう繰り返そう。

 ……――儀式(ゲイム)は完了した。良くやった、新たな仔よ。

 けれど言葉は返されず、行いと言えば、瞳を硬く、彼女の屍体の一切れすら飛び込まぬ程に硬く閉ざし、何時の間にか開いていた唇をきゅっと結ぶより他に無い。

 人間として、それが善い事なのかどうなのか――今は考えたくなかった。それが善いと、想ったからだ。

 それが善いと、想ったからだ。


 0.


 こうしてシェーマス・ダルムートの帰誕(リターン)は果たされた。

 彼は一先ず容躯(マネキン)を解体させて、只の胴素(トルソ)だけとなるや、幽り世(チャンネル)へと舞い戻った――今後の為にも、現し世(テイブル)自体の復興はするべきと考えたが、これから何時でも好きな時に行け、そして帰って来られるのだから、急ぐ必要等何も無い。元より蒸霊(スピリッツ)にとっては、時間なんて無限に等しい――そう。シェーマス・ダルムートは未だ三歳で、ここからが永いのだ――噂の意味も測り知れる。

 それを言えば、その境遇もまた明らかだ――只の蒸霊(スピリッツ)と化した彼を、彼等は待っていた――真の人間の群々――その一員一人ひとりが、当然の如く儀式(ゲイム)を完了しているならば、元より要らない言葉等、尚更に無用で。

 只々想いだけが共され、優しみと慈しみとが自他へと拡がる、その心地良さに浸りながら、シェーマス・ダルムートは、彼女の名前を思い出そうとしたけれど、その試みはまるで駄目で、その事を彼は悔い続けたが、それもまた、暖かく濁っていった――完全に消える事は在り得なかったが、誰もがそうだと解って安心したのだ。


FIN

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